少年錯誤・5


廊下を曲がったヴィトーの目に、どうやら同じ部屋を目指しているらしい人物が視界に飛び込んだ。足早に歩み寄って軽く肩を叩く。
「こんな時間に何をしている? 就寝時間に入っているぞ」
呼ばれた少年は飛び上がらんばかりに驚いて振り向いたが、相手を認めてほっとしたように息を吐いた。
「ヴィトー先輩……脅かさないでくださいよ」
「何だ、後ろめたいことでもあるのか? ヴィンス……」

 

選別者という立場にある騎士は、新任騎士の日々の生活にも厳しく目を光らせているものだ。無論、締め付けるような管理はしないが、礼節や作法といったものは常に注視を払っている。
就寝時間に与えられた居室から出ようと特に問題はないのだが、やはり少年たちにとって選別者への敬意は重い。自然、身構える習慣が築かれている。
そんな中で唯一の例外がヴィトーだった。少年たちの気さくな兄貴分──最近、嗜好にやや歪んだ方向のあることを発覚させたが──であり、気の置けない貴重な選別者なのだ。声を掛けられたヴィンスがほっとしたのも、あながち無理ないことだった。

 

「先輩こそ、どうなさったんです? こっちは……」
そこでヴィンスはぎくりとする。この廊下、向かう先にある部屋の主を思い出したのだ。
「だ、駄目です、いけません!!」
「───は?」
「頼みます、それだけは勘弁してやってください!」
ヴィトーは必死の形相の少年を見詰め、それからははぁと納得した。どうやらカミューにとってヴィトーがいるように、マイクロトフにもヴィンスという相談相手がいるということなのだろう。
昨夜、『指導』を請いに訪れたマイクロトフを一度は諭して追い返した──本当のところは打撲でそれどころではなかった──が、一晩経って思い直し、想いを果たしに来たのだと勘違いしているらしい。引き攣った懇願顔で訴える様を見ているうちに、それはそれで愉快になってくるから困った男である。
「何だ、おまえ……事情通か。それなら話は早い」
にやりと笑うと彼は少年の首を抱え込んだ。
「な、どう思う? 男として、差し出されたものは受け取るのが礼儀というものだよな?」
「い、いえ、それはその……マイクロトフは考え違いを……気の迷いというか、思い詰めて外したというか……」
しどろもどろにそれだけ口にしたヴィンスだが、即座にヴィトーは少年の首に巻きつけた逞しい腕に力を込め、ほくそ笑む。
「……失格だな。騎士たるもの、簡単に相手の揺さぶりに引っ掛かってどうする。自らの手は明かさずに相手から情報を取る、それが優れた諜報の鉄則だぞ?」
マイクロトフから事の次第を明かされていることを暴露してしまったヴィンスはさっと顔を赤らめた。しばらくの間かちかちに固まっていたが、やがてキッと顔を上げて言い切る。
「……では、改めて言わせてください。マイクロトフは鈍感だし抜けてるし……本当に困った奴です。でも、カミューに対する気持ちは真剣なんです。真剣なあまりズレたりもするけれど、おれはそういうあいつが好きですし、今回のことも……先輩を巻き込んだことは問題ですが、マイクロトフなりに反省しています」

 

そこでヴィトーはまじまじと少年を見据えた。
紅潮しながら必死に弁を繰り出す少年は、選別者の間では楽天家のお調子者といった評価が大勢を占めていた。だが、意外にも──と言ってはヴィンスは不本意だろうが──友人に対して誠実な一面を持っているらしい。

 

「……ただでさえ手の掛かる奴なんです。これ以上、波風立てないでやってもらえませんか……?」
最後に小声で付け加えられた言葉にヴィトーは苦笑した。実に心を震わせる説得である。ここらで妥協することにして、回した腕を外した。
「おれとしても一つだけ不思議で、確かめたいことがあるんだがな」
「何でしょう?」
「あの野郎、何だって受け身を教わりに来たんだ? 本気で役割交替を目論んでいやがるのか?」
「はあ……それは……」
ヴィトーはマイクロトフとの遣り取りを思い出しながら首を捻った。
「戦術に例えていましたね、まず敵を知ることから始めねば、と……自ら体得したものほど有効な知識はないとか何とか……」
「───馬鹿か、あいつは」
ヴィトーは呆れて溜め息をつく。
「そういう小手先の策を駆使出来るタマか、必要以上に不器用なくせに」
「それは甚だ同意であります」
ヴィンスは深々と頷いた。そこでふと表情が一変する。ヴィトーは目を細めてそれを認めた。この少年がこういう顔をするときは、何かしらの含みがあるときである。
「……他にも何か言ってたろう」
「えっ?!」
真正面からの追求に怯んだところへ畳み掛けた。
「本当は抱く方の訓練をしたかったが、おれが相手だから逆にした、とか……」
「い、いえ、その……」
「おれに隠し事をしようなど、いい度胸だなヴィンス……」
たちまち少年は狼狽える。確かに小賢しく頭の回るヴィンスではあるが、正騎士であり、若くして新任騎士の特質を見極めるようつとめを与えられたヴィトーの敵ではない。終に少年は諦めたように肩を落とした。
「……でも、それはおそらくヴィトー先輩に対してだけではないと……あいつの欲求はカミューにのみ一直線ですから」
その言いようにはヴィトーもたまらず吹き出した。
「すると、おれを訪ねたのはあくまで実地訓練のため……性欲とは無縁か」
「無縁でなかったら、殴ってますよ。それはカミューへの不実です」
断固として言い切るのを笑いながら一瞥し、同時に低く呟く。
「……本気で失礼な奴だな」
そこに至るまでのマイクロトフの葛藤を思うと、気の毒でありながら笑いが止まらない───ついでに、どうしようもない脱力感も。
「それで? おまえはあいつらを訪ねようとしていたんだろう?」
ヴィンスはたちまち焦り出し、両手を後ろに隠そうとした。そこで初めて少年が手にしていた小さな包みに気付き、ヴィトーは瞬く。
「何だ、それは……?」
言いながら伸びる手に少年は慌てて身を翻そうとしたが、そこは経験と鍛錬で培った敏捷性が勝った。綺麗な包みはあっという間にヴィトーの手に渡る。
「あっ、駄目ですよ……先輩!!!」
「他言しないさ、減るもんじゃなし」
がさがさと包みを開いたところで再び笑いの発作が起きた。
「おまえ……これ……、買ってきたのか?」
「……持っていたと思われますか?」
「やれやれ、手の掛かる友を持つと苦労するな、ヴィンス」
「ご存知ありませんでしたか? これでもおれは面倒見が良いんですよ」
ヴィトーは苦笑したまま少年を見詰めた。この少年は自分に似ているかも知れない、そんなふうにも思う。
ヴィンスはほぼ赤騎士団所属が決まっているが、次の会議では更にもう少し強く主張して、確実に赤騎士団に迎え入れようとヴィトーは決意した。何しろこういう手合いは好きなのだ。何処が表で裏なのか判別し難い人間は面白い。
「……まあ、いい。それじゃ、おれは戻るかな」
そのとき二人は廊下の奥から小走りにやってくるカミューに気付いた。
延々と話題にしていた人物の片割れの到来にヴィンスは固まり、やや礼を失しながらヴィトーから包みを引っ手繰って背後に隠す。ヴィトーも少年の行為は十分妥当だと思うので、咎めるでもなく黙したままカミューを迎えた。
「カ、カミュー……どうしたんだ?」
最初に声を掛けたのはヴィンスである。やや俯き加減だったカミューは初めて二人に気付いてぎくりと足を止めた。
「ヴィトー様……ヴィンス……」
見慣れた美貌に青ざめた陰りがある。何処となく悲しげに見える友人にヴィンスは困惑した。

───また、マイクロトフが外したのか。

けれど口にすることは出来ないので、ただ心配そうに相手が言葉を発するのを待つ。
「どうしてここに……?」
弱く問うた彼にヴィトーが答えた。
「こいつはおまえらのところへ遊びに、……おれは散歩だ。おまえこそどうした?」
二人の顔を代わる代わる見比べていたカミューだったが、次の瞬間、きつく唇を噛んで言う。
「ヴィトー様、実はヴィトー様にご相談したいことが……」
「おれに?」
ヴィトーはちらとヴィンスを窺い、それから満面の笑みを浮かべた。
「いいぜ、じゃあ……おれの部屋でゆっくり聞こう。先に行ってろ、カミュー」
「は、はい……それでは」
小さく一礼すると、そのままカミューは廊下を逃げるように去っていった。
見送るヴィンスは複雑そうにしていたが、やがてポツリと呟く。
「……やっぱりマイクロトフの奴……外したんだな……」
それにしても、と部屋の方向を見遣って憮然とする。
「何でさっさと追い掛けないんだ、あいつは……」
ブツブツと文句を言うヴィンスだったが、傍らで洩れた言葉に飛び上がった。
「……カミューか……いいな……」
「ヴィトー先輩?!」
にんまりと笑みながらカミューの去った方向を見詰める先任騎士。表情には如何にも楽しげでありながら獲物を狙う鋭さがある。
「い、い、いいって……何がいいんですかっ」
「美人だし、礼儀正しいし…………好みだ」
しみじみとヴィトーは言う。ヴィンスは呆然とした。
「先輩のお好みはでかくてごつい男じゃなかったんですか?!」
「そいつも悪くないが、思い悩む美人も捨て難い。見ただろう、ヴィンス。何やら不安に揺れている琥珀の目……たいした色気だ」
「カミューが美人なのは認めますが、あれは駄目です、絶対に駄目ですっ!」
ヴィトーは少年を睨んだ。
「……おまえ、前はおれにカミューを勧めただろうが」
「あ……あのときとは条件が違います」
取り縋らんばかりの必死な様子にヴィトーは察した。
カミューが物事の受け流しが巧みであるというのは周知の事実である。だが、今さっきの彼は明らかに冷静を欠いているようだった。
不安そうな感情が傍目からも見て取れるほど、カミューの守りは崩れている。そこをヴィトーにつけ込まれればただでは済まない、そうヴィンスは察知して焦っているのだ。
「……ま、いい。おまえはさっさとマイクロトフのところへそいつを届けてやれ。おれは部屋で……カミューの悩みをじっくりと誠実に聞いてやることにする」
「ヴィトー先輩、誠実って……全然信用出来ませんよ!!」
「……先輩騎士への礼を忘れたか?」
「わ、忘れてはいませんが、……お待ちください!」
下位の騎士が上位の騎士に自ら触れることは礼節から外れる。だからヴィンスは必死にヴィトーの行く手に回り込んで足を止めようと足掻いた。
「カミューに妙な真似はなさらないとお誓いください!」
「……………………………………」
「その沈黙は何ですか〜〜」
「……仕方なかろう、誓えないんだから」
「そ、そんなきっぱりと……先輩には節操というものがないんですか?! マイクロトフを愛しておられるんでしょう?」
ヴィトーはまたしても苦笑した。
そういえば、芝居の件は誤解を解かぬまま継続中だ。今度は、およそ対極にある二人を交互に欲するほど節操なしとの風評が立ちそうである。
彼は少年の肩を叩いて首を振った。
「誤解するなよ、ヴィンス。人として最低の節操くらいは持っている。二股はかけんさ、今日からおれはカミューに鞍替えすることにする。よろしくな」
「よろしく……って、よろしく出来るわけないでしょう?」
案の定、少年は目を剥いた。
「カミューはおれたち同期の華なんです。みんな、仄かな恋心にも似た憧れでカミューを見守ってきたんですよ!」
「……相手が仲間のマイクロトフなら喜んで祝福もしようが、他は却下ということか」
「そこまで分かっておられるなら……止めてください、カミューに手出しなさらないでください!」
ヴィトーがふっと息を吐いて肩を竦めたときだった。背後から騒々しい足音が近づいてくる。ヴィンスはたちまち喜色を過ぎらせた。
「マイクロトフ! 遅いぞ、おまえ!!」
「ヴィンス……ヴィトー様……?」
先ほどのカミューと同様、怪訝な顔をしたマイクロトフだが、即座に気を取り直した。
「ヴィトー様……良かった。今、カミューが通ったと思いますが……」
「ああ、何やら相談があるとか言ってたんでな。おれの部屋に行かせた」
「そ、その件なのですが……無効にしていただきたいのです」
「?」
「おれがカミューを連れ戻してきますから、このままお待ちいただけないでしょうか?」
ははあ、と同時に二人は納得した。詳細は不明だが、マイクロトフもどうやらカミューがヴィトーの網に飛び込むことを恐れているらしい。
何故もっと早く追い掛けてこないと舌打ちしつつ、ヴィンスは珍しくも焦点を突いたマイクロトフに感心し、心中で激励を送り続けた。
だが───

 

 

「……すまんな、そいつは却下だ」
低く呟いたヴィトーが向き直った刹那、マイクロトフの身体はがくりと床に崩れ落ちた。見守っていたヴィンスの目にも止まらぬ速さの拳が、見事にマイクロトフの腹部を抉っていたのだ。
くの字に折れ曲がって苦悶するマイクロトフを泰然と見下ろしたヴィトーは、殴打に繰り出した右手をひらひらと振った。
「……若い割には鍛えられた腹筋だぜ」
苦笑いと共に続ける。
「おれの求愛もこれまでだ。なびかなかった奴も珍しいから、一応敬意は示しておくぜ。だが、振り回してくれたことには少々思うところもあるのでな、報復しておくことにする。まあ……微妙に急所は外しておいた。そのうち動けるだろう」
「ヴィ……トーさ、ま……」
絶え絶えになったマイクロトフが転がったまま見上げるのに身を屈め、ヴィトーはにやりとした。
「安心しろ、もうおまえに手出しはしない。カミューが待っているんでな、おれは行くぞ」
「ま、……って……」
身を折ったまま唸っているマイクロトフの傍らに跪いたヴィンスが心配そうに覗き込んでいる。彼に向けて小さく肩を竦めると、ヴィトーは悠々と歩き出した。
「ま、てくださ……ヴィトー様……!」
マイクロトフは殴られた腹を押さえたまま必死に立ち上がろうともがいたが、四肢に力が入らない。再び床に転がった目には、去り行く先任騎士の大きな後ろ姿が滲んで映っていた。

 

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ヴィンス君の差し入れは
多分ご想像通りかと(笑)

次回は少年青の逆襲〜。

 

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