少年錯誤・4


「マイクロトフ、話があるんだ。少しいいかい……?」
就寝時間を迎えて部屋に戻ったマイクロトフを待っていたのは、ベッドの上から見詰める愛しいばかりの恋人の艶やかな微笑みだった。

 

 

このところ、欲望に負けてしまわぬよう精一杯に部屋で過ごす時間を減らすように心掛けているマイクロトフだ。それでもこうして笑顔を向けられると渇きを覚えてどうしようもない。
誇り高いカミューが褥を共にしようと自ら近づいてくるたび、己の不甲斐なさに打ち震えた。彼はマイクロトフのため、あんな恐ろしい行為にも耐えようとしてくれているのだ。綺麗な顔が泣きそうになっているのも、あのときの流血を思い出して竦んでいるからに違いない。
カミューを横目で窺うたび、もう二度と痛い思いなどさせてたまるかと拳を握り、一足飛びに技巧派に転じることは出来まいかと無駄に頭を悩ませ、彼は昨夜、ようやく策を見出した。
剣は理屈よりも実践、己の経験こそが何よりの力となり、自信となる。
ならば、この道も同様だろう。
カミューが受ける行為がどういうものであるのかを我が身で知ればいい。自分がされたときに痛いことをせぬよう、心掛ければいいのだから。
マイクロトフとて、そこに到達するには勇気が要った。23日前の夜、カミューが置かれた状態を体現するのかと思うと部屋の隅に蹲りたくなった。
けれど考えてみれば、それほど恐ろしいことをカミューに強いた身なのだから、出来ないなどと泣き言は言えない筈だ。
何事も経験、何よりも愛するカミューと再び夢のようなひとときを過ごすため、そう自らを叱咤してヴィトーの部屋を訪ねたマイクロトフだったのである。
思いがけず、彼はマイクロトフを諌めに回った。揶揄のひとつも口にしながら丹念にあれこれと教えてくれるとばかり思っていたのに。
『自分を大切にしろ』と言われ、『他の人間と関係したなどと知ったらカミューが泣くぞ』とも言われた。そこでやっと彼は愚かにも不貞をはたらこうとしていたことに気付いたのだ。
カミューのためと思い詰めながら、肝心なところを取り零していた。
愛の行為は想い合う二人の間に交わされてこそ崇高なのだ。そして、マイクロトフがそれを求める相手はカミュー唯一人なのだということを改めて痛感したのだった。

 

 

結局、事態は振り出しに戻った。
マイクロトフは叱られた子供のように悄然と頷き、示されるまま自分のベッドに腰を下ろした。
「マイクロトフ……わたしはおまえが好きだよ」
「お、お、おれだって大好きだぞ、カミュー……」
「どんなことも分かち合おうと誓ったね」
「あ、ああ……」
「初めておまえと抱き合った夜……わたしは嬉しかった」
「おれだって感激で気が遠くなりそうだった……」
「……なのにおまえはもうわたしなんて欲しくないんだね?」
「そそそそれは違う! 全然違うぞ、カミュー!!」
マイクロトフは仰天して音がしそうな勢いで首を振った。
「おれはいつだっておまえが欲しい! 昨日だって一昨日だって、その前だって……毎日毎晩、どれほどおまえが欲しいか……!」
無意味に拳を振り上げながら彼は叫んだ。だが、カミューは悲しげに首を振る。
「ならば何故、わたしを拒み続けるんだい? 恥を忍んであんなに求めたのに……」
「それは何度も言っただろう? おれは二度とおまえを傷つけたくないんだ」
「…………いいよ、もう……嘘は吐かないでくれ」
ふと、カミューの声に冷たいものが潜んだ。ぎくりとして見詰めたマイクロトフの目に、恨めしそうな瞳が映る。いつも穏やかで温かかった琥珀の瞳がこんなふうに見えるのは初めてのことだ。マイクロトフは焦った。
「カ、カミュー……?」
「わたしを傷つけたくない? わたしがあのとき腹を立てたかい? こうやって拒まれることの方が傷つくとは思ってくれないんだね、おまえは」
「そ、それは……」
「少々の出血や負傷が何だ? わたしは士官学校における対・拷問の成績は一番だったじゃないか」
「そう……そうだったな…………拷問では失神して苦痛から逃れることが有効手段だが、おまえの失神の速さは実に見事で、おれたちの憧れだった……」
感慨を込めて同意するが、はっと我に返る。
「え、ええと…………、拷問ほど酷かったのか……?」
「……ものの例えだ。一応は苦痛に対する忍耐も学んできたということだよ」
溜め息をついてカミューは言う。
「わたしたちは騎士なんだ。いざ戦場に出れば怪我だってするし、血だって流れる。でも、少々のことで揺らがぬほどには鍛錬を重ねている……違うかい?」

 

だが、とマイクロトフは心中呟く。
今回の場合は今ひとつ鍛え難い場所ではないか、と。

 

「風にも耐えぬ乙女だろうと、初めてのときはある。皆、それを乗り越えて恋人と過ごしていく。なのにわたしはその機会も与えられず……、わたしのためなどと言われても、もう……」
言葉を詰まらせたカミューに激しい自責を覚え、マイクロトフは慌てて跳ね起きて彼の傍らに膝を折った。カミューは俯き、顔を覆ってしまっている。
「カミュー……すまない、おれが間違っていた。おまえを苦しめたくなかっただけなんだ……なのに、かえってそんなにも苦しめていたなんて……。分かった、おれは頑張るぞ!」
マイクロトフは闘志に燃えた。
カミューを傷つけずに心地良く出来る自信は全くない。だが、ヴィンスも言っていたように経験を重ねなければ始まらないのだ。何より本人が望んでくれているのだから、これはもう『習うより慣れろ』、精進するしか道はない。
では、とばかりに早速カミューを抱き寄せようとしたが、腕の中で弱い抗いが生じた。
「カミュー?」
「……もう一つ聞きたい」
くぐもった声が低く言う。
「おまえ……昨夜ヴィトー様を訪ねたそうだね」
思わず息が詰まった。
口止めなど出来た義理ではないが、言わないで欲しかったと心底思うマイクロトフである。
「そ、それは……」
「しかも、『抱いて欲しい』と口にしたとか……これはどういう意味なんだろう?」
そこまで知られていては逃げられない。諦めたマイクロトフは一生懸命にそこに至る経緯を説明した。カミューは表情の失せた顔で無言のまま聞いていたが、最後に小さく溜め息を洩らした。
「わ、分かっているぞ! おれが間違っていた。他の人間と抱き合って技巧を会得したところで何の意味もないということ、今ではしっかり理解している。もう絶対に馬鹿な考えは起こさない、許してくれ」
「……マイクロトフ……」
疲れ果てたような口調でカミューは首を振った。
「分かってくれて何よりだけれど……一つ不思議なことがある。そこまで思い詰めているなら、何故わたしに『交替してみよう』と持ちかけてくれなかったんだ? その方がよほど理に叶っていると思うけれど」
「そ、それは」
マイクロトフは唇を噛んだ。
「おまえは……おれを受け身に据えるのは嫌だと言ったし、……我慢して交替してみてくれても不快な思いをさせるだけだろう? だから……」
「……それだけ?」
やや呆けた口調でカミューは問う。
「ああ」
「わたしが嫌がるだろうから、ヴィトー様に頼ったと……?」
ただでさえ白いカミューの顔から血の気が引いていく音がするかのようだった。見る見る表情を凍らせた彼は、すっくと立ち上がる。
「カミュー、……?」
「結局……おまえは何も分かっていないんだな、マイクロトフ」
感情の窺えない鋭い声が言い、続いて冷め切った視線が睨みつける。日頃温和なカミューだけに、その落差にマイクロトフは震え上がった。
「いいよ、わたしがヴィトー様に教えを受けてくる。わたしの身体が男に慣れれば、おまえの手を煩わせることもなくなるだろうからね」
「!!!!」
思いがけない展開に愕然として飛び上がったマイクロトフはスタスタと扉に向かうカミューの腕を掴んだ。けれど、その手は厳しく払い除けられる。
「男でありながら男に抱かれる、それがどれほど覚悟の要ることか、おまえにはまるで分かっていない。痛かったし、恥ずかしかったし、つらかった。でも、おまえだから耐えた。おまえが相手だったから耐えられたんだ! おまえが望むことをどうして不快だと一蹴出来る? なのにおまえは全部一人で考えて決めてしまって……ならばわたしはおまえの何なんだ? 頼ってもくれない、相談もしてもらえない。ただレディみたいに労わられるだけ……、そんな関係が欲しかったわけじゃない!」
烈火の如く降り注いだ断罪にマイクロトフが放心している間に、カミューは一度だけ唇を噛み締めて、そのまま勢い良く部屋を出て行ってしまった。
マイクロトフが即座に追えなかったのは、言われたことを整理・分析していたからである。

 

やはり痛くてつらかったのか、正直に言ってみたら立場の交替も可能だったのか、カミューに断りもなくヴィトーを頼ったのもまずかった、でも乙女の代わりにしているつもりなど決してない───

 

───そんな関係は欲しくない。
カミューを決定的に怒らせてしまったのか。もうこの関係を終わりにしようとして、自棄になってヴィトー様と……?

 

そこで情報整理は終わった。
次の瞬間、マイクロトフは弾かれたように扉に向かって駆け出していた。

 

 

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普段考え慣れない男が考えるのには
時間が要るのであった……(笑)

赤の拷問を期待なさった方、すみません。
青に喘がせるのは……っ!!
…………あ。別に喘がせなくても良かったのか?

 

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