少年錯誤・2


「……で? 今度は何があったんだ?」
昨夜打ち付けた身体はあちこち痣になっていた。
端正な少年がもたらす行為中の忘我の爪痕ならばいざ知らず、頑丈きわまりない骨太少年の体当たり、及びその後の転倒から受けた痣では精神的な感慨は大きく異なる。
ヴィトーは訓練の合間に呼び出したカミューと裏庭にて対峙していた。いつものように軽い口調で切り出しながら、少年を観察し始める。
長い沈黙の後にようやく洩れた声は弱かった。
「……ヴィトー様には関係のないことです」
「関係ないってのはご挨拶じゃないか?」
途端に畳み掛けるとカミューはますます悄然とした気配になった。
「恩に着せるのは本意じゃないが、一応おれはおまえらに貢献した筈だ。見返りも求めず、変わった好みだと後ろ指さされながらごつくてでかい男を口説き続け、一番美味しいところを持っていかれても笑って祝福してやって。『マイクロトフに知られてもいいのか』と脅迫しておまえを手込めにして日夜苛んで、たっぷり男ってものを教え込んだ挙げ句『使い古しだが欲しけりゃくれてやる』、とあの野郎の前にボロ布みたいに捨ててやることだって出来たんだぞ?」
「………………楽しそうですね、ヴィトー様」
「ああ、まあな」

 

カミューはまるで疑っていないようだが、先の芝居の間、多少は過ったのだ。見返りとして一度くらいは美貌の少年の肉体を要求しても良いのではないか、と。
ただでさえ切ない片恋を清らなままに守ろうとしていたカミューである。絡め取る手段は幾らでもあった筈なのだ。
それが出来なかったことがヴィトーの先輩騎士としての誠実であり、遊び人なりの本気であり、性分だった。

 

「その上に昨夜は夜這いだぞ、夜這い! 図体のでかい男に半泣きで押し倒された。口では可愛らしく『抱いて』などと言っていたが、実際のところ、こちらが犯されるかと思ったんだぞ! おれは立派に当事者だ、関係なくはなかろう?」
そうですね、とカミューは小さく嘆息して頷いた。
「……失言でした」
「てっきりおまえらは円満にやってるとばかり思っていたんだがな。役割分担に問題が生じたのか?」
首を傾げる男の前でカミューは儚げに微笑んだ。
「その前に……お聞かせください。以前ヴィトー様は『初めてのときはマイクロトフではなく自分にしておけ』と仰いましたが、あれはどういう意味だったのでしょう?」
「何?」
「や、やはり……その、最初は何かと弊害がつきものだから、経験豊富なヴィトー様に慣らしていただいてからの方が無難、……という意味だったのですか?」
そんなことを直球で聞かれても、とヴィトーは顔をしかめた。
男にとって相手が未経験で、自らが最初の男となるという状況は永遠の浪漫である。それは処女雪の清らかさに足跡をつけるのにも似て、ひどく心弾ませる状況であるのだ。
聡いカミューがそんなことを改めて聞いてくるとは、余程精神的に追い詰められているに違いない。彼はやや気持ちを引き締めた。
「……うまくいかなかったのか?」
反応は顕著だった。カミューは頬を染めて俯いた。
「だが……あの朝、おまえは幸せそうに見えたが」
マイクロトフと結ばれた翌朝、顔を合わせたカミューは長い片恋から解放された至福による艶やかさ、前夜の情交による気怠さ、充足感による余裕を見せていた。
考え込むヴィトーにカミューは小さく答える。
「……心情的には非常に満たされましたが、肉体的にはつらかったのです」
「ああ、成程」
思わず大きく同意してしまい、それから軽く吹き出した。
「そういやおまえ、よろよろしていたっけな。まあ、でも……大目に見てやれ。誰だって初めはそんなものだ。経験を重ねること、日々精進すること……房事も騎士のつとめも同じだぜ」
語られなくても、そのときの様子が浮かぶようだった。ただただ勢いに任せて我武者羅に突き進むマイクロトフ。騎士道一本槍で恋愛沙汰には疎かった少年が、その手の行為に巧みであろう筈もない。
一方のカミューも男相手は無論初めてだ。ここは初めて同士、手を取り合って錯誤を繰り返しながら一歩ずつ進んでいけば───そうした励ましだったのだが、カミューは暗い表情で首を振る。
「経験を重ねられないのです……」
「……?」
「あれ以来、マイクロトフはわたしに触れようとはしません」
「何ィ?」
ヴィトーは目を剥いて息を飲んだ。
「何て勿体無いことを……あ、いや、じゃあ何か? あれからずっと……皆無なのか?」
思わず指で数えてしまっている男を悲しげに一瞥したカミューが小声で続ける。
「……23日目になります」
絶句した。
この綺麗でしなやかなカミューを一度は腕にしておきながら、三週間もほったらかしにしておくとは信じ難いことだ。マイクロトフがそこまで遠慮深い男とも思えず、深々と考え込んでしまう。
「おまえ……何か奴が二の足を踏むようなことでも口にしたのか?」
「……と仰いますと?」
「早い、短小、下手、……その他諸々の蔑み台詞だ」
まさか、とカミューは急いで首を振った。
「一つ目は並でしょうし、二番目はむしろ逆ですし、上手い下手は比較対象がありませんから分かりません」
ご丁寧にも逐一反論してから弱い溜め息をつく。
「それより問題はわたしの方にあるのではないかと思って……」
「おまえがマイクロトフより早かろうと小さかろうと問題にはならんと思うが」
相当下世話な遣り取りではあるが、二人は至って真面目である。
「いえ、そうではなくて」
カミューは力尽きたようにすべてを告白し始めた。

 

 

 

三週間前、晴れて恋人同士として結ばれた夜、カミューは体内にマイクロトフの熱を受け止めて軽い失神に陥った。ヴィトーの予測通り、騎馬の勢いの如きマイクロトフの情熱は不馴れなカミューを翻弄し尽くしたのである。
目覚めた後、彼は己の出血を知った。狼狽しているマイクロトフを宥め、自ら傷ついた身を清め、手当した。
そのこと事態は大した問題とは思えなかった。
カミューとて色々な情報は耳にしているが、実際に男同士で関係を持っている知り合いは皆無だったし、初めてのときはこんなものなのだろうと気楽に流してしまうことが出来た。
生娘のような事後を気恥ずかしく思いはしたけれど、それが想い人の為した行為に拠るものならば、むしろ感慨深くもある。そうした訳で、その件についてカミューは大して意識を払っていなかったのである。
ところが、マイクロトフは別だった。
自らの手でカミューを傷つけ、流血させたことを心底悔いてしまったのだ。その反省ときたらデュナン湖よりも深いものであるらしく、それ以後、彼は一度としてカミューの肉体を求めてこようとしなくなったのである。
焦ったのはカミューだ。
確かに二人は世の倫理からは外れた恋人同士であるが、心は固く結ばれたと信じていた。黄昏た老人ならばともかく、未だ瑞々しい十代。肉欲がすべてとは言わないが、心だけ通じていれば満足とも言い難い。
そこでカミューはヴィトーが当初予想していたように決死のお誘いを試みる羽目に陥った。
夜半過ぎ、そっと寝台の横に寄り添って頬を寄せれば、真っ赤になって優しくくちづけをくれるけれど、そこで終了。
なまめかしく素肌にローブを纏った状態で目の前を横切ってみても、まるで断食しながら経文を唱える荒行中の僧侶のような表情で唇を噛み締めるばかり。
ならば最後の策とばかりに矜持も捨てて下腹部になめらかな手を伸ばせば、『そんなことはしなくていい』と引き攣った笑いを浮かべるマイクロトフ。
いったいどうすればいいのだと聞けば『何もする必要はない』、わたしが欲しくないのかと聞けば『二度とおまえを傷つけたくない』と頑強に繰り返す。
間近に見た流血の惨事は相当にマイクロトフを驚愕させ、頑なにさせてしまったようだった。
そうした訳で、カミューはようやく結ばれた想い人と同室に在りながら、温もりも感じられぬまま過ごす夜を三週間以上も送っていたのである。

 

 

 

「……何て勿体無い……」
再び心底から呟いたヴィトーは大きく首を振った。
マイクロトフの気持ちも分からないではない。自らの行為が最愛の相手を傷つけた。そこで臆病になるのは理解出来る。
けれど、この誇り高いカミューがそこまでお膳立てしても乗ってこない竦みようには少々腹が立つ───自分ならばそんな素晴らしい据え膳を辞退するなど考えられないというのに。
「経験を重ねるうちに傷つくこともなくなるだろうと考えました。なのに、わたしにはその機会も与えられません。この件に関してのみ、マイクロトフの自制は金剛石のようなのです」
そう締め括った彼は、落胆と失意にひどくなまめかしい。満たされぬ新妻の色香を見たような錯覚に思わずヴィトーは苦笑してしまったが、すぐに表情を引き締めた。
「成程、事情は分かったが……で、どうしてあいつはおれのところに来たんだろうな。しかも『抱け』などと……」
「それなんですが、あの……」
カミューはおずおずと問う。
「……………………なさったんですか?」
吹き出したヴィトーは柔らかな薄茶の髪を手荒に撫でた。
「抱きつかれてひっくり返って、半分脳震盪を起こしかけていたんだぜ? 『なさって』などいないさ」
床に大の字に伸びた彼の上で切なげに震えていたごつい少年。ごついにはごついが、可愛いかもしれない……などという感想が脳裏を過ぎったことは秘密である。これ以上、得体の知れない嗜好だと噂されるのは不本意だから。
「───やはり、役割を交替しようと思い立ったのかもしれないな」
「でも……それなら、まずわたしに言うべきだとは思われませんか? 交替相手に一言の相談もなく、何故ヴィトー様に……」
「あー……それはアレだ、前にあの野郎を口説いたから、おれなら喜んで手解きしてくれるだろうと踏んだんじゃないか? まあ……相談し難いことのような気もするし」
するとカミューはキッと足下の地面を睨みつけた。
「納得出来ません、不実ではありませんか。想い合った恋人ならば労苦も分かち合うべき筈。それをこっそり一人で決めて動くこと自体、彼がわたしを対等と認めていない証拠です」
何気なく洩らした言葉が思いがけずカミューを追い立ててしまったことにヴィトーは目を丸くした。
「しかし……何しろ相手はマイクロトフだ。他に理由があるのかもしれないし……」
何の因果で恋敵を弁護してやらなければならないのかと些か首を傾げつつ、取り敢えず役得とばかりに彼はカミューの肩を引き寄せた。
「ほら、成熟した受け身となって晴れておまえを迎えて驚かせようという一途な想いかもしれないし」
言いながらやや頬が引き攣るのは如何ともし難い。
「一人で勝手に成熟されても嬉しくありません」
「気持ちは分かるぞ、……とても」
頭の隅を掠めてしまった何とも厄介な想像を忘れようと務めつつ、ヴィトーは笑った。
「……ともかく話をしてみろ。どうしても口を割らないというなら、先日の座学を応用したらいい」
「…………拷問、ですか」
ふ、と不穏な笑みを口元に浮かべたカミューを見て、彼がその方面にも非常に優れた才覚を示したことを思い出す。
昨夜のマイクロトフの暴挙に対する報復を果たした上で、少しだけ心中で謝罪しておくヴィトーであった。

 

 

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波乱模様の人生相談……なのに漫才。

 

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