少年錯誤


城中が寝静まった刻限、窓から忍び込む心地良い夜風に吹かれながら赤騎士ヴィトーは手にした調書を読み耽っていた。
今年の新任騎士の配置を決める選定期間も後半に入っている。十代の若者たちの最初の騎士生活を決めるという重要な任であるだけに、各人の特質を見極めるようさだめられた選別者には堅物タイプが多い。
そんな中で、与えられた任務を常に楽しもうとするヴィトーは珍しい人材であり、同時に若い新任騎士にとっては心強い兄のような存在であった。
陽気で明けっ広げ、面倒見が良くさばさばとした性格。そして彼らから───至って密やかに───恋愛嗜好の趣味を疑われている男は、先程から二人の騎士の調書を並べ読みしているのである。
今年の主席騎士、カミュー。
現段階での配属予定は赤騎士団。主に知謀と外交を司り、戦時下には無類の機動力を発揮する赤騎士団は彼の才覚を活かす所属に最適と言える。
そして次席のマイクロトフ。
色々な意味で選任騎士の頭を悩ませる人材である。豪胆でありながら政治的には穏健派、戦時下では重装備にて身を固め、最前線で剣腕を振るうことを信条とする武人の集団、青騎士団。
大勢ではマイクロトフが青騎士団向きであるとされているが、一方で小数ながら反対意見も出ている。
何しろ彼は生真面目で真っ正直、嘘のひとつも吐けないような男なのだ。ここはひとつ、比較的に洗練された騎士の多い赤騎士団に投げ込んで、いっそ作法や処世を学ばせたら───そうした意見も根強いのである。
それはマイクロトフという少年への期待であり、情愛であることは言うまでもないのだが、ヴィトーは当初からそれらの意見には異論を唱えていた。
忠誠もいい。処世術もいい。
だが、叙位された騎士に一人くらいは自らを曲げることの出来ない一本気な男がいてもいいではないか。
揺るがぬ信念を持つものは強い。下手に資質を捩じ曲げるより、処世の術など出来るものに任せればいい。マイクロトフという年若い騎士に未来の騎士団を担うだけの輝きを見出したなら、それを真っ直ぐに貫かせるべきだ、それがヴィトーの主張だった。
今宵執り行なわれた選別騎士の会議において、彼の主張は大方の同意をもって受け入れられた。明日からはいよいよ選別期間の大詰めとして、内決定した配属先を想定した上での最終訓練に入る手筈が整っている。
それにしても、とヴィトーは寝そべったまま含み笑いを洩らした。
端麗な美貌、穏やかで優雅な物腰と話術。あと少しで自団の後輩騎士となるカミュー。
精悍で厳めしい容貌、礼節には厚いが無器用で要領の悪い、けれど決して憎めない直情的なマイクロトフ。
「……ま、悪く思うな」
マイクロトフの調書を軽く振って彼は笑う。
会議に熱弁を振るった主張は無論、本心から出たもの。けれど内心にはもう一つの理由もあった。

 

 

───選別者の任を与えられた直後に陥った恋。
恵まれた容姿や気質から、ヴィトーは恋慣れた遊び人と称されている。彼自身、思い返しても片側通行の恋愛になどに苦悩した記憶はない。
花から花へとふらふらと飛び回り、そのくせ別れ際も恨みを買うことのない器用さ。恋愛における彼は常に勝利者であった。
そんな彼にして初めての片恋の相手、それがカミューだったのだ。
ヴィトーに勝るとも劣らぬ器用な生き方をするであろうと思われた彼が、ひっそりと胸に温めていた想い。
気長に気張れば口説き落とせた可能性もあったものを、せっせと恋の成就に手を貸してやってしまったあたり、相当本気だったのかもしれない。

 

幸福であって欲しかった。
たとえその瞳が見詰める先に他の人間が在ろうとも。他者には見せない気弱げな表情を垣間見せ、励ましに苦笑する様を見詰め。
いずれ自らの許から飛び立つ小鳥であろうと、巣立ちの日までは大切に慈しみ、その胸にほんの少しでも思い出となって残るなら───そんな感傷めいた思考で策謀に加担したヴィトーなのである。

 

だが、相手が相手だった。
堅物の石頭、同性同士の恋愛になどとんと無縁のマイクロトフがカミューをかっ攫ったことが問題だった。
彼としては紆余曲折の上に結ばれた二人を祝福してやりたい。単体としてのマイクロトフは好いているし、今後カミューを任せるにこれ以上ないほど誠実な男だとも理解している。
が、ほんの少しくらい意趣返ししたい気持ちもない訳ではないのだ。マイクロトフは何の苦労もなくカミューに想われ、勢いひとつで彼を得たのだから。
この上所属を同じくして、目の前でいちゃつく様など見せられたらキレかねない。実際、結ばれてからの二人ときたら、事情を知らない他の選別騎士らさえ思わず首を傾げずにはいられないほどの親密ぶりなのである。

 

『まあ、騎士同士が親しく接するのは良いことだ』
『友情が戦いに於てプラスに作用することもあろう』
『互いに切磋琢磨することによって、いっそう見事な騎士となるやもしれん』

 

そう納得している他の選別者らに、ヴィトーは鼻で笑いそうな衝動を幾度もこらえた。
新婚亭主も斯くやとばかりにカミューの前で頬を緩めているマイクロトフ。
彼よりは自制がはたらいているため周囲には変化を窺わせないけれど、いっそう艶やかさに磨きを掛けたカミュー。
『何処を見て友情だ、枯れた奴らめ』と幾度も溜め息を吐く、それがここ三週間ばかりのヴィトーだったのである。
結ばれた以上、所属の違いは二人の関係を歪めはしまい。だったら互いに資質を最大限に活かせるよう配慮すべきだろう。
ついでに少しばかり引き離してやって、時折寂しさに心細げになる───かもしれない───カミューを抱き寄せてみて……と、彼は常に一石で複数の利を得ようと試みる男であった。

 

 

夜も更けた。
そろそろ就寝せねば明日もある。そう思った彼は調書を枕元に投げ、明かりを落とそうとしたのだが。
そこでひっそりと聞こえたノックに眉を寄せた。
こんな時間に訪ねてくるとは誰だろう。怪訝に思いつつ、響き続けている音に向かって歩き出す。開いた扉の向こうには、予想外の人物が立ち尽くしていた。
「……どうした、こんな時間に……」
年若い新任騎士は俯いたまま両手を握り締めている。
「眠れないのか?」
見れば相手は力なく震えている。憔悴しきった様子に憐憫をそそられて、身体をずらして入り口を開けた。
「……入るか?」
怯えたウサギのように竦んだ少年。見上げる瞳は潤みがちで、縋り付くような脆さを浮かべていた。
「どうした、何があった。言ってみろ」
優しく命じると、少年は幾度かかぶりを振った。幼げで弱々しい仕草に胸を突かれたが、洩れた儚げな響きにますます困惑する。
「……お願いがあります、ヴィトー様……」
「ああ、そんなに固まるな。いいから言ってみろ」
「以前、仰いました……愛を交わす手段について、色々教えてくださると」
そんなこともあったな、と苦く笑ったヴィトーだが、次の瞬間飛び込んできた少年の声に呆然とした。
「…………抱いてください……」
「は?」
全身を竦ませながらの必死の懇願。
「お願いです」
「……って、おまえ……」
目を見開いたまま見詰めていると、出会った瞳が本気を告げる。
「分かっているのか? 自分が何を言っているか……」
「承知しています、考えた上での結論です。お願いします、どうか……抱いてください」

 

ヴィトーは混乱し、動揺していた。
もっとも、そうした感情を表に出さぬよう努めるのは得意だったので、見た目には非常に落ち着いて、投げ遣りになっている少年を窘める年長者にしか見えなかったが。
「……あいつと何かあったのか?」
すると少年はびくりと強張った。頑なに首を振るのに更に続ける。
「何があったか知らないが、もっと自分を大切にした方がいい。おれだって、そうそう紳士でいる訳じゃないぞ」
「……………………これしかないんです」

 

片割れと仲違いでもしたのか。
その結果、自棄になって自らを傷つけようとしているのか。
そんなヴィトーの思案は唐突に途切れた。それまで項垂れていた少年が意を決したように顔を上げ、真っ直ぐに胸に飛び込んできたからだ。
押されて彼は、一気に部屋の中央まで後退った。挙げ句、思い切り床に倒れ込み、胸に縋り付いている少年の体重ごとしたたかに全身を打ち付けた。
声も上がらぬ衝撃に目眩を起こしつつ、彼はかろうじて一言だけを呟いた。

 

「頼む、退いてくれ……マイクロトフ」

 

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前回同様、何とも不穏な幕開けナリ。
冷えるかな〜〜?
冷えたいなー。

 

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