少年模様 7


駆けに駆けたマイクロトフは、途中で一度だけ両膝に手を当てて息を整えた。
さすがに夜更けとあって、城内を疾走する姿を咎める者はない。廊下に響く己の足音が緊張を掻き立て、焦燥を募らせた。
切羽詰った状況で対峙した自身の心に再度向き合い、思いが揺らがぬことを確信すると、再び走り出す。

 

────カミューが好きだ。
実にすまないこととは思うが、ヴィトーが自分を見るのと同じ目でカミューを見てしまっている。
到底受け入れてもらえるなどとは思わない。あんな諍いの直後である。彼が女性の立場で見られることを嫌悪しているのはわかった。けれど今はそんな己の恋情よりも、カミューの身が案じられてならない。
ヴィトーに迫り寄られたとき、正直言って怖かった。
あの思いをカミューがしているのかと思うと、炸裂しそうな心臓も忘れてしまうほどだ。
ほっそりしなやかな若鹿のような四肢が頑強な身体に押さえ込まれ、無惨に踏みしだかれる様を想像すると────案じているのに熱くなってしまうあたりが困ったものである。
だから最後の回廊を曲がったとき、こちらに向かって歩いてくるカミューを見たマイクロトフは安堵でへたり込みそうだった。
カミューもまた、恐ろしい勢いで駆けていたマイクロトフに驚いたようだった。呆けたように目を見開き、それから足を止めた彼に小走りに寄ってくる。
「な……何があったんだい?」
「そ、……は、おれ……台詞……」
ぜいぜいと息を切らせて言うが、カミューは小首を傾げるばかりだ。
「落ち着け、しっかりしろ。ほら、ゆっくり息を吸って……」
あまりに情けない様子に先程の諍いを忘れたのか、カミューは再び面倒見の良い友人に戻っていた。やっと呼気を整えたマイクロトフは、彼の両腕を掴んで詰め寄った。
「大丈夫だったか、カミュー! ひどい目に遭わされたのではないだろうな?」
それは見ればわかった。
カミューの身仕度には一切乱れはなかったし、憔悴した気配も踏み躙じられた失意もない。だが、確かめずにはいられないのが男心というものだ。次いで彼は長い長い溜め息を吐いた。
「良かった……」
全身で不可解を浮かべるカミューだが、とりあえずといった微笑みを浮かべる。
「何だかよくわからないが……わたしを心配してくれたんだね?」
「あ、ああ。おまえが青騎士に連れていかれたとヴィトー様に聞いて……」
「ヴィトー様に?」
カミューは僅かに眉を寄せる。
「……確かに、青騎士団に所属する希望はあるかとの質問は受けたが……」
「青騎士団に?」
うん、とカミューは弱く返す。
「一応配属には当人の希望も反映されるらしい。希望するなら青騎士団に推挙したいと仰ってくださって」
それからカミューは困ったように続けた。
「ヴィンスも言っていただろう? わたしは誰が見ても赤騎士団向きと取れるらしい。選別者の間でもすでに所属は内定したようだが、それでも希望はないか、と……」
つまり青騎士団はそれほどカミューを欲しているということなのだろう。改めて彼の才を買うものの多さに感嘆しつつ、マイクロトフは一気に脱力した。
「それより、マイクロトフ。ヴィトー様に聞いたとは……」
「あ……、ああ。おまえが出ていった後、突然やって来られて……」
「…………部屋に入れたのかい?」
「気がついたら入っておられた後だった」
おまえのことを考えるあまりに気づかなかった、とは言えないマイクロトフだ。
「困った奴だな……少しは自分の心配をしたらどうだ?」
「まったくだ。実に恐ろしかったぞ」
「……よく逃げてこられたね」
そういえばそうだ。
マイクロトフは首を傾げた。本気で身の危険を覚えるほどだった割りには、あっさり解放してもらえた。
そこで不穏なことを思い出してしまう。
「……まずい、そういえばおれはヴィトー様を張り飛ばしてしまった……」
「何だって?」
カミューは驚いて目を見張った。よりによって選別者たる人物に暴力を振るうとは。
まあ、事情が事情だ。騒ぎになることもあるまいが、後で詫を入れておいた方がいいかもしれないとマイクロトフも思う。
「本当におまえは、まったく……」
心底呆れたといった口調のカミューだったが、すぐに表情を変えた。
「いや……わたしが謝る方が先だね。さっきはすまなかった、大人気ないことを言った」
丁寧に陳謝されてマイクロトフは逆に狼狽した。
「そ、そんなことはない! おれの方こそ不用意にあんなことを口にして……」
「立ち話も何だ、部屋に戻らないか?」
さすがに深夜の廊下の真中で互いに頭を下げ合っている滑稽さを思ったのか、カミューが提案した。マイクロトフもまた、これから先彼に告げるべく諸々を鑑みて、同意せざるを得なかった。
並んで部屋に向かう間中、マイクロトフは駆けていたときよりも忙しなく働く心臓に苦慮した。
────もう間違いない。
ちらりと見遣るカミューの横顔に胸がときめく。
長いまつげをもっと間近で見たいと思うし、柔らかく閉ざされた唇に触れてみたいと思う。なだらかな曲線を描く首筋や肩に疼くような感覚を覚え、細い腰を……のあたりで規制がかかる。
戸口の前に立ったとき、一瞬ヴィトーが居たらと案じた二人だったが、開け放った扉の向こうには見慣れた家具が待っているばかりだった。
「……では、続きだ」
カミューは事務的に前置きすると、改めて頭を下げた。
「八つ当たりだったよ。そういう関係において、当然のようにわたしが受け身を予想されるのかと……仕方ないことだよな、わたしはおまえみたいに骨太でも筋肉質でもないし。歩く『騎士の像』みたいな男と張り合うこと自体、間違っていたよ」
今となってはカミューが骨太でも筋肉質でもないことに感謝したいマイクロトフだ。いや、たとえそうであったとしても想いは変わらない……とは思うが、そこにたどり着くまでに三倍の時間を要しただろう。
「カミュー……少し違うんだ。おれがヴィトー様に腹を立てたのは、その、つまり……」
さっきヴィトーに迫られたときとは別の意味で冷や汗が滲み出る。
「『おまえを』選んだということについて……という意味であって、それはだから、要するに……アレだ」
「どれ?」
「おれは、その……つまり、おまえのことを……アレなんだ……」
きょとんと瞬く美しい琥珀を見詰めつつ、しどろもどろで彼は言う。
「……前にヴィトー様に聞かれただろう? あのとき言えなかったことを……さっきおれは言ったんだ」
「え……?」
「あ────そうか、だからヴィトー様は簡単に離してくださったのだな……そうか、そうだったのか」
一人で納得してうんうんと頷いて、それから困惑して考え込んでいるカミューに微笑み掛ける。
「……『おれはカミューを愛している、この世でただ一人の存在だ』」
それはヴィンスが例に挙げた台詞そのままであったが、最も正直で的確で簡潔な告白であった。
言い終えた後、マイクロトフは真っ赤になって拳を握り、それでも彼を見詰め続けていた。見開かれたままの琥珀には恐れていた不快は現れなかった。
「……そうか」
やがてカミューは密やかに微笑む。
「うまく演じ通せたんだね、これで安心だ」
マイクロトフはぎょっとして一歩詰め寄った。
「そ……そうではなくて!」
「たとえ芝居であろうと、おまえには言えないんじゃないかと思っていたよ。頑張ったな、マイクロトフ」
「だから違うんだ!」
いつもは鋭いくせに何て鈍いのだろう────と、自分を棚に上げて思ったマイクロトフは両腕でカミューの身体を引き寄せた。
抱き締めた途端、柔らかく馴染む感触に鼓動が跳ね上がる。腕に納まるしなやかな肢体、甘く香る体臭、鼻先に揺れる細い髪は同性であるという禁忌をも一蹴してしまう。
「……もう芝居じゃない」
硬直している耳元に囁く。
「すまない……おれは、ヴィトー様と同じだ。あの方がおれを見るのと同じ目でおまえを見てしまっている……」
刹那、ぴくりと震えたカミューが腕の分だけ身を離した。
「マイクロトフ、……」
「だ、だが誤解しないでくれ。最初からおまえを……不本意な役割に当てはめるつもりなどない。も、もしおまえが受け入れてくれるなら、逆でも全然構わないぞ、カミュー」
本当はかなり嫌だけれど、と心のうちで付け加える。
カミューはしばし考え込んでいたが、ようやくポツリと疑問を口にした。
「……勘違いしているんじゃないか? その……芝居に熱中するあまり、本気になってしまった気分でいる……とか」
「おれがそれほど熱心な役者だと思うか?」
逆に生真面目に返されてカミューは唸った。
「……わたしが相手なら受け身も取れると?」
「あ、ああ。わかるだろう? おまえが好きだ……立場など、どうでも構わないほど」
どうやらカミューが感じているのは絶対的な拒絶ではないらしい。ひどく困惑しているように幾度も瞬いている彼を、心から可愛いとマイクロトフは思った。
「カミュー……嫌か? 以前ならいざ知らず、今なら男に言い寄られるおまえの気持ちは痛いほどわかる。嫌なら、はっきり断ってくれ」
「────…………」
カミューはふとマイクロトフに目を当てた。自ら離れた分だけ、今度は彼の方が進み寄る。再びすっぽりと胸に納まったカミューにマイクロトフは息を飲んだ。
「……おまえを受け身に据えるのは生理的に無理な気がする」
くぐもった声が失礼な心情を述べた。
「だから……わたしが妥協するよ。それが無理のない分担だと思うから」
いつぞや仲間の一人が洩らした言葉を引用しつつ、腕の中でカミューは艶やかに微笑んだ。そのままゆっくりと閉じた瞳に励まされ、マイクロトフは恐る恐る唇を寄せる。
触れ合った唇が双方共に震えているのを悟ったとき、マイクロトフは燃え上がる情熱に支配された。

 

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瓢箪から金ゴマ。
かくして青は立派な攻めへと転換しましたv
めでたし、めでたし……の前に。

最終回があります(笑)

 

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