少年模様 6


最初はぎごちなさばかりが目立つマイクロトフだったが、演技が長引くにつれて硬さは取れていった。
もともとカミューとは親しく接してきた。それがもう一段階進んだと思えばいいのだと考えられるようになってきたのだ。
これまでよりもほんの少しだけカミューとの距離を詰め、時折頬に触れたり触れられたりする。照れ臭さを覚えつつ、それが不快な接触でないことにマイクロトフは気づき始めた。
カミューの瞳は優しい。これまでもずっとそうだったけれど、今は更に深い、包み込むような眼差しをする。
彼の演技は完璧で、ヴィトーの前であろうとなかろうと態度を変えることがない。これならば、いつヴィトーに覗き見られようと安心である。マイクロトフは改めてカミューの配慮に感じ入った。
初めて自らカミューの髪に触れたときには、本当に恋人同士になったような錯覚さえ覚えた。そして、そう思ってしまった自分を恥じて、慌てて浴場に駆け込んで冷水を浴びたこともある。
同室となったことで、これまで知らなかった親友の姿が明らかになっていく。
朝に弱いらしく、何度も起こさなければ目を開けない。寝惚け眼で微笑む彼を、可愛いと思ってしまうこともあった。
───これではいけない。
カミューはヴィトーからマイクロトフを守るために不本意な立場の役割を演じてくれているのに、そうした目で彼を見ることは裏切りに等しい。
わかっていながら、今宵もマイクロトフは着替える彼の薄い背中にちらちらと向かう視線を止められなかった。
「なあ、カミュー……」
「何だい?」
「……先日ヴィトー様は『趣味が悪い』などと仰っておられたが……おまえに対して失礼だと思う」
「……そうかな」
カミューは苦笑して向き直る。ボタンを掛けずに羽織っているため、喉元から腹部までを露にしている白いシャツ。その純白と同じほどに淡く輝く肌から、マイクロトフは急いで目を逸らせた。
「人の好みに失礼も何もないと思うけれどね」
「だ、だから」
次第に声が小さくなる。
「おまえに惹かれる人間は多い。普通はやはり、おまえだと思う。おれなどを対象にするより、よほど……」
「────それは、どういう意味だい?」
返る声に険が混じった。マイクロトフが顔を上げると、カミューはやや眉を寄せて俯き、上着を羽織っているところだった。
「カミュー? こんな時間に何処へ……?」
「………………」
彼は無言でマイクロトフを擦り抜け、戸口に向かおうとした。慌てて腕を掴むと、怒ったような顔が向き直る。
「おまえにまでそう言われるとは思ってもみなかったよ」
「そ、そう……って?」
つきあいは長いが、これほど冷えたカミューの声を聞くのは初めてだ。そこに同時に切なげなものを感じ取ったマイクロトフは、即座に自らの発言を振り返った。
考え込んでしまった彼の代わりにカミューが言った。
「確かに仲間たちが冗談混じりに使う台詞だ。けれど……おまえに言われるとはね」
「カミュー……?」
「わたしの方こそ男に組み敷かれるに相応しい……そう言っているんだろう? おまえみたいに逞しくもなければ男臭くもない、だからその方が自然だと……」
「馬鹿な!」
マイクロトフは仰天して首を振った。
「そ、そんなつもりでは……」
「じゃあ、どういうつもりだい?」
責めるように睨み付けられ、マイクロトフは著しく混乱した。そのまま黙り込んでしまうと、カミューは重い溜め息を吐いた。
「……今日は戻らないかもしれない。点呼は適当に誤魔化してくれ」
「カミュー!」
「────……なのに」
低く唇で呟いた彼は、次に悲痛な声を投げつけた。
「わたしだって、好き好んで芝居など……!」
言い捨てて勢いも荒く扉から出ていったカミューを見送り、マイクロトフは呆然と佇むばかりだった。
そんなつもりではなかった。
それだけは本当だ。
あのとき、マイクロトフはヴィトーの嘲笑が『選んだ相手がカミューである』ことに向けられたものだと受け止めた。以来、ずっとヴィトーへの非難めいた感情が燻っている。
カミューは優しくて美しい。その上、頭が良くて剣技も比類なき人物だ。
彼に惹かれることは自然の成り行きであるように思えるが、そうして考えること自体、やはりカミューが憤ったように女性扱いしていることになるのだろうか。
だが、別にマイクロトフはカミューが女性であったなら……などと考えたことはない。
今のままの彼が魅力的なのであり、ということはつまりこれはヴィトーの不可解な感情に通ずるものがあるのではないか、しかしヴィトーは全く可愛げのない男丸出しのマイクロトフを好んでいるのだから多少意味合いが違うようでもあるし────と、実にマイクロトフは考えることの苦手な少年であった。
傷ついたような顔で出ていったカミューを追わねばとは思うのだが、考えを纏めてからでないと諍いを繰り返しかねない。よって、ひたすら頭を悩ませるのだが、まるで解決に向かう気配がない。
そんな彼は、不意に掛けられた声にぎくりとした。
「……何度もノックしたのに。珍しいな、一人か?」
問題の選別者、ヴィトーである。
一瞬呆然としたが、重要な思案に捕われていたので何も反応出来なかった。ヴィトーが後ろ手に鍵を掛ける音で、ようやく身の危険を思い出して我に返る。
「なななな何用でしょうか、こんな夜更けに!」
「用なんて……わかっているだろう?」
にやりと笑んでつかつかと歩み寄る男に腰が退ける。後退ったふくらはぎにベッドの感触が当たった。
「楽しもうぜ、マイクロトフ」
「たたた楽しくありません! お、おれには……」
「まあ、そう言うな。どうせカミューとは芝居なんだろう? 誤魔化そうとしても無駄だぞ」
「ち、違います!」
「ほーう」
ヴィトーはにっこりしてマイクロトフの肩先を突く。たいして力を込めたふうでもなかったが、足元の覚束なくなっていたマイクロトフはあっさりベッドに尻餅をついた。
「本当にカミューと恋仲だと言うのか?」
「は、はい」
「……剣に賭けて言えるか?」
「は────」
「バレるような嘘なら最初から吐くな」
「う、嘘などでは……」
もはやしどろもどろになって必死に考えを巡らせるマイクロトフだが、事態は両手両足を使っても余っていた。
「……可愛がってやるから、心配するな」
「お、おれは何処をどうされても可愛くなどありません!」
「可愛いよ」
ぷっと吹き出したヴィトーが言う。
「擦れてないところ、必死なところ……理想的だな」
言いながら襟元を寛げ出す彼を見て、マイクロトフは己が絶体絶命の危機に直面していることを痛感した。カミューと仲違いして一人になったことを心底悔やんだが、同時に彼の悲しげな顔を思い出して胸が痛んだ。
含み笑いを洩らしたヴィトーが片膝でベッドに乗り上げる。
「どうした。相棒の助けを待っているのか? 諦めろ、今頃はあいつも…………」
意味深に中断された言葉に、狼狽えるばかりだったマイクロトフの頭が一気に冷えた。
「カミューも……? カミューがどうしたと言うのです!」
それまでのびくびくした態度を一変して真っ直ぐに相手を見詰める。眼差しの強さに微かに目を細め、ヴィトーは言い難そうに口を開いた。
「……さっき、中年の青騎士に引き摺られていくのを見た。まあ……目的はおれと一緒だろうが」
「な────何ですって?」
仰天して、肩に掛けられた手を振り解く。あまりの衝撃に、マイクロトフの脳裏から相手が上官であることが綺麗に抜け落ちた。
「黙って見ておられたのですか、あなたという方は……!」
「当然だろう、一応恋敵という間柄だし。あいつが二度とおまえに顔向け出来ないような事態になれば、好都合ってものじゃないか」
考える間もなかった。
マイクロトフの右手は鋭く一閃し、ヴィトーの頬を打っていた。小気味好い炸裂音が室内に轟き、打たれたヴィトーは憤るでもなく呆気に取られた表情で瞬いている。
「カミューは……カミューはおれにとって何よりも大切な存在です、傷つけることなど許さない! 何処で見たのです、答えてください!」
ヴィトーは頬を擦りながらゆるゆると立ち上がった。
「そこまで言うなら、おまえも答えろ。本気でカミューに惚れているのか、愛していると断言出来るか」
「────出来ます」
今度こそ目を逸らすことなく言い放ったマイクロトフは、機敏にベッドから立ち上がって騎士と対峙した。
「おれはカミューを愛している、この世でただ一人の存在です。たとえ誰であろうと、おれたちの絆を裂くことは出来ない……何があろうとも、おれの気持ちは変わりませんっっ」
「ああもう……わかった、わかった。好きにしろ」
ヴィトーは何やら笑いをこらえているように肩を震わせ、立てた親指で扉の向こうを指す。
「二階の対話室だ。さっさと行け、マイクロトフ」
あっさりと答えをくれた男をまじまじと見詰め、マイクロトフは一度だけ深々と頭を下げた。それから脱兎の勢いで施錠を外して飛び出していく。

 

残されたヴィトーはそこで吹き出し、大きな伸びをするとベッドに腰を下ろした。打たれてやや紅く染まった頬を片手で撫でながら小さく呟く。
「……ったく、結構なオチだぜ……」
暗い感情は一切なく、ただ可笑しくてたまらないといった調子であった。

 

← BEFORE               NEXT →


道を踏み外すのも早ければ、
開き直るのも早い。
ついでに走るのも早そう。
早い尽くし、青……ちょっとヤバイ(笑)

 

寛容の間に戻る / TOPへ戻る