「……おれも無論、おまえが好きだぞ」
長い思案の果てにマイクロトフはそんなふうに絞り出した。どうやら彼の思考には同性を本気で恋するといった心情が納まらず、そんな言葉が精一杯だったようだ。
「恋愛の対象として、という意味だよ?」
察して補足してやると、今度こそマイクロトフは深刻そうに考え込んだ。
「ついでに言うなら、冗談でもない。知らなかっただろう? もうどれくらいになるか……わたしはおまえだけを見詰めてきた」
ひとたび言葉にすると、抑えていた反動とばかりに慕情が溢れ出て止まらなくなった。切々と言ったカミューに、だが応えは無情であった。
「おれはおまえをそのような対象として考えたことはない」
「分かっているよ」
予期していたとは言え、あまりに容赦なく一蹴されて、胸の痛みに悲鳴を上げそうだ。吐き捨てるようにカミューは遮った。
「そんなことは言われなくても分かっている。おまえが誠心誠意で唯一の人を慈しもうとする男だということも。だから提案しているのさ、そんな相手が見つかるまでの間、わたしを繋ぎに使ったらいい、と」
「繋ぎ……?」
あくまでも理解出来ないといった面持ちが昏い疼きを呼び覚ます。カミューは挑戦的に男を睨めつけた。
「おまえは軽々しく人と睦み合える男ではないだろう? 別れた人とも情を育み、初めて肌を重ねた筈だ。そうした相手は容易に見つからない、そう言ったね。ならば次の人と出会うまで、どうするつもりだい? 男なら、わたしの言う意味が分かるだろう……?」
これはマイクロトフにも通じたらしい。幾分染まった頬が困惑も露にカミューを見返している。
「だから、わたしがその間の繋ぎになると言っているのさ。男相手では気が乗らないかもしれないが、切羽詰まって、想いもさだまらぬうちから不用意にレディに手出しするより、誇りに恥じないだろう?」
「待て、カミュー」
「本気で愛せそうな人が現れたら後腐れなく終わりにすればいい。引き際は心得ているからね、未練がましく追い掛けたりしないよ」
ここまで来ると自虐の極みだ。カミューは可笑しくなって小さく笑った。
好いた男の欲望の捌け口になる───不毛以外のなにものでもない。それでもこのまま何も出来ず、いつかマイクロトフが他者のものになってしまうのは耐え難かった。
ほんの束の間であっても、彼のすべてを知り得る身でありたい、それは本気の恋情に対する己の不器用を痛感したカミューの、儚い願いだったのだ。
一気に言い放った提案にマイクロトフは暫し無言であった。そのうちに、真摯な瞳で問うてきた。
「一つだけ確かめたい。おれを恋愛相手として好いているというのは本気なのか?」
頷くと、更に厳しい声が言った。
「そんなおまえを、次の相手が現れるまでの繋ぎにするなど、出来る訳がなかろう」
───この男の優しさは残酷だ。
そういう誠実な人間だからこそ惹かれた。
そして、その誠実が最後の希望を奪うのだ。
矛盾と隣り合わせの恋情に押し潰されて項垂れるカミューを、またしてもマイクロトフは黙して凝視してきた。
軽蔑か、憐憫か。次の台詞を予想して戦いていると、やけに力強い声が言った。
「よし。付き合おう、カミュー」
「え?」
意表を突かれて顔を上げると、マイクロトフは微笑んでいた。
「おまえを恋愛相手になど……考えてもみなかった。だが、おまえが本気なら、おれも考えてみる。繋ぎとかそういうのではなくて、普通に交際してみようではないか」
首を傾げてしまうほど明るい宣言。マイクロトフらしいと言えば言えるが、すんなり喜べないのは積もり積もった失意が影響しているからなのだろうか。
「交際、って……わたしと?」
「そうだ」
「おまえ、男と付き合う気になるのか……?」
女の代わりを申し出た身には今更な問い掛けである。が、マイクロトフは超然としたものだ。
「互いに一目惚れをしたのでもない限り、恋愛感情になるか否かなど、付き合ってみなければ分からないだろう? 戦いとて、相手を知るところから始めるではないか」
───わたしとの恋愛は戦いか。
幾分複雑な心境に陥ったが、少なくともマイクロトフは禁忌を前向きに考えようとしてくれているのだと思い直した。
らしくもなくおずおずと、窺うように小声で聞く。
「同性を……生理的に受け付けられないという訳ではないのかい?」
「でなければ交際など提案しない。おまえは大切な友なのだからな」
すると、親友であるという立場が世間的な道徳観よりも重んじられているのだろうか。
今ひとつ明快に理解したとは言えないものの、取り敢えず絶望は回避されたと言えるかもしれない。ここは素直に喜んでおけ、そんな心の囁きに従うことにした。
「分かった、おまえの言うようにしてみよう」
「うむ。では……、今日からおまえはおれの親友で、交際相手だ。宜しく頼むぞ、カミュー」
満面の笑みに加えて差し出された右手。求められるまま握手を交わしながら、やはり何かが違うような気がするカミューだった。
斯くて始まったマイクロトフとの「交際」には、幾日も経たないうちから困惑を覚えずにはいられなかった。
つとめの終了を待って待ち合わせ、街の食堂や酒場に向かう。他愛もない話に興じては酒を酌み交わし、隣り合って夜更けの道を歩いて城へと戻る。
はたまた休みを合わせ、馬を並べて郊外をひた走る。その間の会話と言えば、「カミューの栗毛──髪ではなく、馬のことである──は素晴らしい」だの「曲乗りの手法を教えてくれ」だの、およそ艶っぽさとは無縁だ。要するに、親友であったこれまでと何一つ変わらないのである。
情もなく、肉体の欲求だけを果たされるのも虚しかったろうが、これはこれで釈然としない。いったい、今までどんな付き合い方をしてきたのかと首を捻ってしまう。
さすがに乙女相手に遠乗りはないだろう。やはり自分が男だから、多少は合わせてくれているのだろうか。
それにしても、互いの兵舎に戻る別れ際も実にあっさりしていて、抱擁どころか、手を握るでもない。何をどう考えても、今まで通だ。顔を合わせる頻度が増したのだけが、せめてもの変化といったところか。
そんな日々が続くにつれてカミューの焦燥は募った。
拒絶されなかっただけ幸い、最初は確かにそう思えた。けれど関係に何ら進展がない以上、現状は生殺しに等しい。マイクロトフと接する時間が増えた分だけ想いは膨らんでいるというのに、その情熱は行き場がないのだ。
───いっそ、押し倒してみようか。
別に予め役割分担を決めて付き合っている訳でなし、相手が奥手ならば、こちらが動くべきなのかもしれない。
けれどマイクロトフが必死に見極めを計っているとしたら? 同性でも恋慕の対象に出来るかどうかを慎重に吟味しているのだとしたら、思い切った行動は拒絶へとはたらく可能性とてある。
心のついてこない情交を切望している訳ではない。
だが、肝心なマイクロトフの心は、突っ走りやすい性情とは裏腹に、何とのんびりしたものなのか。このままでは恋愛相手と認められる前に年老いてしまいそうな気がする。
詰まるところ、やはり禁忌が枷なのだ。
幾ら悠長に構えた男でも、乙女相手なら多少は話が変わってくる。カミューにも経験があるが、とかく彼女らは自身への愛情を確認したがるものだ。その問い掛けに誠実に応えられなければ、運命の相手ではないと判断出来る。
カミューはずっとそうしてきたし、マイクロトフも似たようなものだろう。
けれどカミューには「わたしを愛するようになったか」と問う勇気はない。ましてマイクロトフは親友たる存在を粗略に考えられない人間だ。結局、時間が掛かって当然なのかもしれなかった。
カミューは辛抱強く待った。
恋しい男を向かい合って浴びるほど酒を飲み、自棄になって馬を飛ばして彼との競争に勝ちながら、待ち続けた。
一度は胸の隅に追い遣られた失意が、ゆっくり、ゆっくりと頭をもたげるのを感じながら、友情が愛情へと変わる日を祈り続けて───
そして、終に心は砕けた。
告白以前から耐えに耐えた心が疲弊を認める日は唐突に訪れたのだった。
「終わりにしよう、マイクロトフ」
兵舎のマイクロトフの部屋にて、カミューは悄然と呟いた。
この日は彼と同室の青騎士が里帰りをしていたため、自室へと招かれていた。街中の酒場などとは違って衆目のない安堵感がカミューの背を押したのである。
ここ数日、ずっと考えていた。
考えるたびに苦しくて涙が滲みそうになった。
マイクロトフ当人はともかく、他の誰にも醜態を見られたくない。男の自室で二人きり、それは正しく決意を促す絶好の状況であったのだ。
「何を終わらせるんだ、カミュー?」
腹が立つほど無邪気な反応である。悠然と椅子の上で笑む男を一瞥し、カミューは疲れ果てて彼の寝台に腰を落とした。
「無論、おまえの言う「交際」を、だよ」
刹那、笑みが掻き消えた。マイクロトフは姿勢を正して、僅かに身を乗り出した。
「何故だ?」
何故、と本気で問うているのか。
中途半端な関係は互いを傷つける、そう言ったおまえが。
わたしが傷つかないとでも思うのか。
そして、それ以上におまえを傷つけたくないと思っているとは察してくれないのか。
こんな曖昧な関係が築く日々は、無為に過ごしているのと大差ない。寧ろ、刻を費やすばかりで、真実の相手と出会う未来への妨げになる。
いつか彼に「無駄な時間だった」という意識が生まれる前に、すべてを終わらせてしまいたいのだ。
「もうおれを好いていないのか」
さらりと聞く男が恨めしい。そうだ、と答えられたらどれほど楽だったか。
「……そうじゃない」
漸く掴み締めた決意が逃げぬよう、震える両手を握り合わせて呻く。
「そんなに簡単に思い切れるなら、疾うにそうしていた。おまえが言えないだろうから、わたしが言うんだ。もうこんな滑稽な関係は終わりにしよう」
「滑稽、……だと?」
マイクロトフは初めて不快そうな表情を見せた。
「何が滑稽なんだ? おれはいつだって真面目におまえと付き合っているつもりだが」
マイクロトフには分からないのだ。
その誠実は鈍感と表裏、優しさが人を傷つける両刃となるのを理解していない。
悲痛に顔を歪めながらカミューはマイクロトフを睨み据えた。
「真面目に? ああ、そうだろうさ。親友である男に恋したわたしを嫌悪するでもなく、食事に酒、遠乗り……それこそ以前と変わらず付き合ってくれたさ。でも、これの何処が「交際」なんだ? 今までと同じ接し方で、どうやってわたしが恋愛対象になるかどうかを見定める?」
「それは───」
「最初から性欲処理の相手として見てくれれば良かったんだ。何も期待せず、ただおまえを間近に感じられた方が、その方がずっと楽だった。おまえには分からないだろう? なまじ希望をちらつかせられたこの数月、わたしがどんな思いだったか」
ここが出先でないのに心底感謝したかった。抑える努力も待たず迸った激情は、カミュー自身が驚くほどだった。
声も荒く一気にまくし立てた彼にマイクロトフも驚愕したようだ。思わずといった様子でやや身を退いていたが、ひとしきり嵐が過ぎ行くのを待ってから静かに切り出した。
「すまない、カミュー」
「……謝らないでくれ、おまえが謝る理由なんてない。そうせねばならないのは、わたしの方だ」
それでもマイクロトフは頑固に繰り返した。
「いや、おれが詫びたのはおまえの考えている理由ではないと思う。遅くなってすまなかった、という意味だ」
「え……?」
意味が計れず、幼げに瞬く琥珀の瞳に、ゆっくりと立ち上がって近づいてくる逞しい体躯が映る。目前に迫った男はカミューの足元に膝を折った。
「そうまで不安にさせていたとは思わなかったのだ、本当にすまない」
「マイクロトフ……?」
ふと握り込まれた手の温もりに酔うよりも早く、いっそうの熱が唇を覆う。短い接触の後、離れた唇は甘く囁いた。
「馬鹿だな、おれは……誰よりも傍に居て、こんなにも想ってくれていたのに、おまえにとっては一時の気の迷いではないかと一抹の不安を抱いていたのだ。だが、もう躊躇わない。おれも心に正直に応えよう」
大きな両手がカミューの頬を包み、知らず流れていた涙を拭い取る。
「未だ愛想を尽かしていないなら聞いてくれ。カミュー、おれはおまえと生涯を共にしたい」
そして次には息も出来ぬほど強い抱擁がしなやかな肢体を抱き竦めた。
「……おまえが好きだ。愛している」
← BEFORE NEXT →