沈黙に陥ったカミューを優しい双眸が見詰めていた。穏やかに見える闇の中に灯る熱を信じ難い思いで見返しながら弱く呟く。
「もう一度、言ってくれ」
「好きだ」
「……もう一度」
「おまえを愛している。生涯を共にしたい」
真実の響きを確かめ、それでもなお困惑が勝った。顕著な表情をしていたのだろう、マイクロトフは苦笑する。
「念のため断っておくが、同情でも一時の気迷いでもないぞ。言っただろう、これまでおまえをそのような対象として考えたことは一度もなかった。だから考え、出した答えだ」
マイクロトフにしては筋道立った考え方だな、と何処か麻痺したようにカミューは思った。
確かに同性をいちいち恋愛対象に据えてみる人間は滅多にいないだろう。そこで考えてみた結果、いけそうだと判断したということか。
───何と理性的で、マイクロトフらしからぬ判断か。
「……おまえはもっと、本能や直感に頼る男かと思っていたけれど」
思わず、状況も忘れて感想を洩らすと、彼は首を捻った。
「そうか? 十分に本能や直感だと思うが。正直に言うとな、カミュー。これまでおれが交際してきたのは、皆、似た感じの人だったのだ。だから、おれなりの好みといったものは定まっているとばかり思っていた」
だが、と複雑そうにマイクロトフは続けた。
「ほら、おまえが良く言うだろう? 肉ばかりでなく野菜も食べろ、と……あれは真理だ。常に同じものにばかり目を向けていては駄目だな、大切な真実を逃してしまう恐れがある」
カミューは虚ろに考えていた。
つい今し方、マイクロトフは自分を抱き締め、くちづけた。
真っ直ぐに瞳を覗き込みながら「愛している」と言ってくれた。
あれは長い苦悩に彩られた片恋が、晴れて相愛となった輝かしき瞬間ではなかったか。
彼の誠をすぐには受け入れられないほど、この恋に怯えている自分が哀しい。
そして、食わず嫌いに例えられたのは更に切ない。
マイクロトフにしてみればカミューは同性なのだから、好み以前の問題だ。そこを敢えて恋愛相手として真剣に考え、あまつさえ応じてくれたのだから、ここは喜ぶべきなのだろう。
───そうだ、喜ばなければ。
わたしの想いは誠意をもって受け入れられたのだから。
「信じていいんだね、マイクロトフ……同じ想いでいてくれるのだと」
「無論だ、カミュー。おれの生涯をおまえに捧げる。おまえにもそうして欲しい」
「ああ……」
今度は躊躇わずに身を投げた。迎え入れるように広げられた腕の中、日ごと焦がれた温もりのもとへ。きつく抱き返して、マイクロトフはカミューの髪に鼻先を埋めた。
乙女から乙女へと渡り歩いてきたのは、この男に辿り着くための旅だったのだ。彼女らに与えられた優しい情愛を、決して軽んじるつもりはないが、選び取った真実はその幾倍も強くカミューを揺さぶる。
世の理に背いても手に入れたかった唯一。
禁忌の扉の内に、祝福され得ぬ道に、共に進もうと頷いてくれた男。
「マイクロトフ……」
感極まった声が呼ぶのと、圧倒的な力がカミューを敷布に倒すのは殆ど同時だった。え、と小さく洩らした唇を、これまで以上に情熱的なくちづけが襲う。
そこでカミューは今までとは違った意味での衝撃に真っ白になった。
気付けば既にマイクロトフは彼の上衣を寛げて唇を這わせている。夢にまで見た───とまでは言わないが、これは情交の始まりではないか。相愛関係成立からの雪崩込みの速さに狼狽ばかりが募る。
「ま、待て、待ってくれ」
遠慮なく肌に愛撫の手を彷徨わせていたマイクロトフが、切羽詰まった声音に顔を上げた。続いて困惑げな、量るような眼差しが問うた。
「嫌なのか、カミュー?」
「い、いや……違う。嫌な訳では……ただ……」
大歓迎───とはやはり言えない。
想いを交わして抱き合う。望めぬ未来であったからこそ、何処か他人事のような感があった。実際に直面した途端、怯んだとしても罪はなかろう。
「マイクロトフ……、男と肌を合わせるのに嫌悪はないのかい?」
「今更何を言っている」
彼は吹き出しそうな顔で一蹴してから、やや表情を引き締めた。
「ああ……そうか、そうだった。希望としては、おまえに受け身に回って欲しいのだが……構わないか?」
マイクロトフらしい、礼節溢れる問い掛けである。
この状態にまで持ち込んでおきながら、懇切丁寧に確認作業をしなくても良かろうに。
些か脱力しつつ、カミューは頷く。
「……おまえが良いようにしてくれ」
これは小さな配慮であった。
同性で睦み合う場合、役割が生じるのは朧げながら知っている。慣れた行為ならばいざ知らず、嬉々として足を開く男は稀だろう。カミューとて好んで不本意な立場を望む訳ではないが、未知の領域に踏み込むなら、柔軟性に富んだ自身が不自然に臨む方が良かろう、そう考えたのだった。
短く言い切って、覚悟を決めて目を閉じた彼にマイクロトフは低く囁いた。
「怖がらなくていい。力を抜いていろ、優しくするから」
無骨な親友が吐いたとも思えぬ、余裕たっぷりな睦言にも驚かされたが、やがて口腔に忍び込んだ侵略に思考を奪われた。
息もつかせぬ巧みなくちづけ。男の腕を掴み締めていた指先が、甘い陶酔に誘われて爪を立てる。
これまでマイクロトフという男を大雑把で不器用な人間だと信じ込んでいた。
なのに、この技巧はどうだろう。女性遍歴では完全に上回る──筈と思われる──自分を、くちづけひとつでこうまで酔わせる男だったとは。
「あっ……」
下肢を探られ、衣服をずらされていく感覚には、覚えがないだけに戸惑うしかない。露となった裸身が親友だった男の目前に曝されているという事実が肌身の熱を掻き立てた。
「そ、そんなに見ないでくれ……」
「何故だ?」
含み笑うように、大きな手が背けた顔を引き戻す。
「おまえは綺麗だ。照れなくとも良いだろう?」
カミューはふと、何がなしかの切なさを覚えた。
こんなふうに他者の目前で、不恰好にも足を広げられた姿に対する羞恥を「照れる」の一言で済ませるとは。
まったくマイクロトフという男は繊細さとは無縁の男だ。
彼と付き合ってきた乙女は、先ず、この配慮の欠落に忍従するという試練を越えねばならなかったということか。
両脚の間に割り込んだ男は、白い肌のなめらかさに感服しきりといった様相で、あれこれと感想を述べながら、弄る手を休めない。そんな情緒のなさにも溜め息が零れそうだったが、物珍しさからだろうと諦めた。
何より、彼の指先はカミューの快感を拾い上げるのに巧みだった。くちづけ同様、愉悦の喘ぎを途切れさせぬ、それは混じり気のない快楽であった。
「勝手知ったる」とでも言うのか、意外なほどに、マイクロトフは同性の体躯を探る行為に抵抗を感じていないらしい。どれほど愛していても、カミューならば躊躇してしまいそうな箇所にも平然と指を絡めてくる。
愛情の大きさゆえか、はたまた生来の無頓着によるわざなのか、カミューが応えたと見るなり、彼は唐突に戦法を変えた。それは、そこそこ性愛経験を積んできたカミューをも仰天させる愛技、即ち舌先による奉仕であった。
「ちょ、……っ、マイクロトフ!」
動転と同じだけの悦楽に蝕まれ、まともな制止にもならなかった。反射で閉じ掛けた足を、膝頭を掴んで阻まれる。下腹に顔を埋めたまま、彼は熱心にカミューを舐った。
こんな体験は初めてである。ロックアックスの乙女にも、ここまで積極的に振る舞うものはなかった。
丹念に攻め立てられ、呻きが零れた。男の頭を引き剥がして、かろうじて口内での吐精は逃れたものの、それはそれでまた辛い。
かと言って、更なる刺激を要求出来る筈もなく、頬を染めて項垂れていると、マイクロトフは愛しくてならないとでも言いたげな瞳で凝視してきた。
焦らすでもなく追い上げられて、今度は呆気無く陥落した。他人の掌にて遂情を果たし、どうしようもない羞恥を募らせていたカミューだが、そこでふと眉を寄せる。マイクロトフが小声で何事か呟いていたのだ。
「……問題は、この先だ」
「マイクロトフ?」
「いけるか……いや、進むしかない」
───ここまでは異常な積極性を見せてきた男が、やっと我に返ったのだと思った。無理もない、これより先の行為にはカミューとて竦みが勝る。
「マイクロトフ、無理はしなくても……」
寧ろ、後日延期にしたい気分だった。
あまりにも性急な、なし崩し的な進捗に、かえって恐怖すら覚える。本当はあまり気乗りしない行為を、マイクロトフが勢いで乗り切ろうとしているようにさえ思えた。ここはひとつ冷静になって、本当に情交込みで自分を愛しているかどうかを熟考して貰いたくもあった。
だが、マイクロトフは敢然と拳を握る。
「違う、無理なのはおまえの方だ。頑張ってくれ、カミュー」
聞き返す間もなく、奥まった先を指で貫かれた。先程の吐精で濡れた指だったとは言え、十分すぎる衝撃だった。
「いっ、た……!」
およそ艶っぽくは聞こえぬ悲鳴が溢れる。たちまちマイクロトフは申し訳なさそうに顔を歪めた。
「すまない、初めてだから加減が分からないのだ。時間を掛けるより、一気に挿れた方が楽だと聞いたのだが」
───聞いた?
聞いたとは誰に、何を、だ?
切実に問い糺したいが、体内に指を差し入れられた状態では碌に声も出ない。
「ぬ、……」
「怒らないでくれ、おまえのためなのだ。でないと、後が大変だからな」
カミューは声にならない悲鳴をもどかしく思いながら心中で叫んだ。
違う。
「ぬ」とは怒りの呻きではなく、「抜いてくれ」と言いたかったのだ。
行為が何を意味しているのかは、おおよそであるが、知っている。それが自分への思い遣りであることも。
贅沢を言うつもりはないが、どうせならもう少し優しくして欲しかった。ほんの少し前までの巧みを駆使して、ゆっくりと慣らしてくれても良かろうに。
「も、もう……」
「もう? 早過ぎはしないか? まだ不十分だと思うが……おまえがそう言うなら……。よし、いくぞ、カミュー」
───違う。
進めて欲しいのではなく、中断して欲しいのだ。
そんな勇ましい掛け声と共に、足を抱え上げないで欲しいのに。
「あ、っ……く……」
長く想い続けた男とひとつになる。
隙間なく肌を合わせ、体内深く混じり合う。
マイクロトフの目に映っているのは自分一人。
そして自分の目にはマイクロトフが───
……映らない。あまりの苦痛に、目も開けられない。
だからカミューは霞む意識の中に必死に男を描いた。
荒々しい、騎士の鍛錬めいた規則正しい律動を繰り返す男の顔を。
ただ、幸福なのだと信じるよう自らに強いながら、カミューは激痛をひたすら耐え抜いたのだった。
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