純粋なる友愛を、いつから別の色彩が覆ったのか、それは分からない。
赤騎士カミューは常に注目の渦中にあった。
騎士団という男だらけの一団に在っての端麗なる容貌、筋骨逞しい同僚たちとは一線を画す細身の肢体。おまけに、異邦の出自でありながら若くして騎士隊長職を賜る才覚をも備えているとあっては、人目を引かぬというのが無理な話だ。
だがしかし、寄せられる視線は決して悪意を含むものではない。はんなりと微笑めば誰もが心蕩かされ、柔らかな声を聞けば大抵の相手は彼を胸中へと招き入れてくれた。
魅了されたのは仲間の騎士ばかりではない。ロックアックスの乙女にとって、彼ほど胸騒がせる男は稀だった。
騎士は街民に礼を尽くすよう心掛けてはいるが、とかく無骨者が多く、いかめしい所作であるから、とてもではないが気安い相手とは言えない。
見るからに優しげで、頓着なく笑み掛ける青年が特別視されたのも自然の成り行きだっただろう。カミューの周囲には、だからいつも華やいだ恋の噂が絶えなかった。
実際のところ、語られるほどに奔放な恋愛遍歴を展開してきた訳ではない。彼の方から乙女にはたらきかけたことは皆無で、恋情を持ち掛けられるのが常だった。
付き合うときは一対一、世間で言う「二股を掛ける」ような真似は絶対にしない。カミューなりに誠実に、乙女を大切にしたつもりだ。それでも一人の相手と長続きしないのは、多忙な身であるのも無論だが、執着に薄いというのが最大の理由かもしれなかった。
日々のつとめに追われ、気付くと逢瀬が間遠になる。初めのうちは時間を作ろうと努めもするが、次に顔を合わせたときの恨み言、そこまでは行かずとも不満げ、寂しげな面持ちに出会うたびに、急速に冷めてしまう。もともと自らが想った相手と積極的に築き上げた関係ではない。言ってみれば、情が移る前に面倒になってしまうのだ。
そうして乙女のために時間を捻出するだけの意欲が失われたとき、カミューにとって一つの恋が終わるのだった。
別れを告げるよりも早く、殆どの乙女はそれを察する。
あるものは矜持を重んじて自らの心変わりを装い、あるものは思い出を慈しみながら窓辺でこっそり涙を落とす。
そんなふうに、カミューは周りの騎士には妬まれるような境遇の中で、だが何処か満たされぬ、不完全で空虚な恋模様を重ねていたのだった。
同期入団の騎士の中に、何故か気になる男がいた。
所属の異なる青騎士団で、男はカミューとは違った意味での有名人だ。
生真面目で融通が利かず、時には周囲を閉口させるほど一本気な男。古き良き時代から抜け出してきたような騎士は、これもやはり愛すべき存在として誰からも一目置かれている。そして、その評価の中には「あのカミューの親友」という一節があった。
そうなのだ。
カミューは一つ年下のマイクロトフという男を、騎士団における唯一の友と認めていた。
悉く対照的な人物と思えるのに、奥底に似通った何かを感じる。それが何であるのか、知り合った当初は明かそうとも試みたが、やがて諦めた。考えれば考えるほど相違ばかりが浮かび、その対比に苦笑を誘われたからだ。
ウマが合う、それ以上に見合う言葉は見つからない。でなければマイクロトフも、こうまで質の違う自分を親友とは呼ばないだろう。
彼は語彙に乏しかった。否、機微に疎いと言うべきか。面と向かって「おまえはおれの大切な親友だ」だの、「おまえとの友情は何ものにも替え難い宝だ」などと言われては、一体どう応じれば良いのか。
けれど、気恥ずかしい台詞を平然と吐く男の心には裏がなく、真実本心から口にしているのだと理解してからは、それもある種の喜びとなった。
無償の信頼の温かさ、その得難い価値を知った。
容姿や才覚、地位といったものでなく、一人の人間としての本質を、初めて望まれた気がした。
笑顔の裏に潜めた苛烈、世慣れた振舞いはカミューにとって身を護るための鎧であったが、マイクロトフにだけは己を隠さず、有りのままに接した。
結果、「見た目と違う」などとマイクロトフは首を傾げていたが、それも好意を募らせる要因となったようだ。曰く、「おれにだけ本当の自分を見せてくれているから嬉しい」───
事実だから否定はしないが、まったくもって愉快な反応である。
そんな愉快な男と育んできた友情が変質したのは、誤算としか言えなかった。
気付いたときには遅かったのだ。かつて多くの乙女が求め望んだカミューの心は、親友によって埋め尽くされてしまっていたのである。
どうして、と頭を抱えて幾度も自問した。
可憐な乙女を幾らでも望める身が、可憐さの欠片もない、寧ろ屈強揃いの騎士の中でも際立って頑丈そうな猛者を。いや、たとえ大柄でなくても同性、よりによって大切な友ではないか。
気の迷い、と笑い過ごそうとしても儚い努力であった。
彼を思うたびに胸を刺す痛み混じりの甘い切なさ、顔を合わせば跳ね上がる鼓動。どんな乙女にも終に感じ得ぬままだった、これこそが恋のときめきなのだ。
長いこと掛かってカミューは気持ちに折り合いをつけた。
否定出来ぬ以上は受け入れるしかない。マイクロトフを愛している、それはどうしようもない事実だから。
問題は先にある。これは正しく絶望的な恋だ。
数年来の交友の中、マイクロトフは見事なまでに恋愛沙汰とは無縁の男だった。並外れた純情か、女性の話に立ち交わろうともせず、御蔭で騎士仲間の間では「朴念仁」の称号を与えられている。
いつだったか、カミューが揶揄い半分に水を向けたときも火を吹きそうな様相であった。騎士道一筋の男には、今のところ、つとめの日々に恋愛などといった情緒を共存させる余裕はないのだろう。その不器用さに妙な感慨を覚え、同時に腑に落ちた気がして、以来カミューはそうした話題を持ち出そうとはしなかった。
そんな男に、大切な友として接してくれる相手に、自分のそれは友情ではない、恋愛感情なのだと、どうして言えよう。何より彼の信頼を失うのが恐ろしく、二度と再び同じ眼差しを与えられなくなるのは耐えられなかった。
───隠し通すしかない。
絶対に悟られる訳にはいかない。義に厚いマイクロトフのこと、嫌悪や拒絶の前に、応えられない自らこそを悩み、責めるだろう。
幸い、心のうちを見せないのは得意だ。恋慕を殺し、これまで通り微笑んで、いつか胸の痛みが優しい思い出に変わるのを待つしかない。
過去に別れてきた乙女らもこんな心地だったのだろうか。報われぬ情念を抱いて眠れぬ夜を数えたのか。
寂しさや恨めしさを浮かべる彼女らにカミューの熱は冷めたけれど、同じ立場に置かれて初めて分かった。あれは乙女たちの想いの深さ、カミューを求める心の現れだったのだと。
ここへきてカミューも、そんなことに今更気付く自分は、思うほど恋慣れていなかったと認めざるを得なかった。
想い破れるのを承知で踏み出すなど出来ず、諦め、忘れることはなお出来ず。
胸苦しい熱を持て余しながら、カミューは誠実な友であろうと努め続けた。
だから親友の唇から思い掛けぬ一言が飛び出したとき、箍は崩れ去ったのだ。あるいはそれが、カミューの限界だったのかもしれない。
「恋、人……?」
つとめを終えて、久しぶりに繰り出した城下の酒場の一画。
目前の男を凝視しながら、カミューは呆然と呟いた。
友は気鬱な顔で勢いよく杯を干す。酔いが回ったのか、普段よりも破格の饒舌を披露していた男だが、その言及が彼自身の私生活、それも思いも寄らぬ領域に触れたのだ。
「ああ。別れたんだ───つい先日」
終わりを告げた恋に思いでも馳せているのか、マイクロトフは顔色を失ったカミューに気付かぬようで、再び満たした杯を虚ろに見詰めている。
漸く絞り出した声は僅かに掠れていた。
「マイクロトフ、おまえ……、そんな相手がいたのか……」
自らの想いを悟る前ならば、親友の恋を察知出来なかった迂闊を苦笑っただろう。だが今は、ただただ失意混じりの衝撃に打ちのめされるばかりだ。
マイクロトフが恋情というものに何ら無関心な男なら、誰も唯一となり得ぬのならば耐えられた。彼にとって最も重いのは騎士の道だと、そう信じればこそ恋慕を包み隠してきたのだ。
たとえ友愛の域を越えられずとも、彼の騎士人生の中での最大、最良の朋友であろうと。それはある意味、恋人という甘やかな位置よりも、遥かにマイクロトフの心に近しい存在と思われたから。
なのに何も知らなかった。
自分の知らないところで、彼は別の誰かと優しい関係を築き上げていた。それは置き去りにされたような、唐突に闇に放り出されたような絶望だった。
カミューは震える唇でかろうじて笑みを作った。
「知らなかった、よ……水臭いな、相談してくれても良かったのに……」
するとマイクロトフはポリポリと頭を掻く。
「ああ、まあ……だが、おれとおまえとでは恋愛に対する考え方も違うだろうし」
それに、と照れたように続けた。
「おまえもおれに、そうした話は持ち掛けないし」
それも道理だ、と苦く笑う。
二人の間に女性の話題が出なくなったのは、元はと言えばカミューの配慮だ。それも、「関心のない話を無理に振っても」という極めて温情的な理由で。
その上、マイクロトフには一人の相手と長続きしないカミューの恋愛が不実に映るようであったから、つまらぬ説教をされては、と敬遠が働きもした。
そのしっぺ返しがこれだ。思いがけない通打を食らい、腑抜けた笑いを浮かべるしかない。カミューのそんな様相を、マイクロトフは別の驚きで見て取ったようだ。
「そんなに意外か、おれにそういう相手がいると?」
「ああ……まあね」
カミューは目前の杯を睨んで、声が揺れぬよう努めた。
「おまえは、つとめ以外に関心があるようには思えなかったから」
するとマイクロトフは首を傾げ、明るく言った。
「そんなふうに言われると、まるで人間的に欠陥があるようではないか。おれとて、花を見れば美しいと思うし、人並みに交際もする」
「そう、だね……」
弱く相槌を打ってから、恐る恐る問うてみる。
「その……、聞いても構わないか、相手のこと……」
終焉を迎えた恋の話など、ただでさえ聞くのが躊躇われる。だがこのとき、珍しく抑制がはたらかなかった。自らを傷つけると悟っていながら、問わずにはいられなかった。
葛藤の果てに絞り出した言葉を、けれどマイクロトフは不快とは感じなかったらしい。
「構わんとも。別に隠すことでもないからな」
「……いつから付き合っていたんだい?」
「三ヶ月ほど前だったか、告白されて付き合い始めたのだ」
次の問い掛けは声が掠れた。
「その……やっぱり深い付き合い、を……?」
今度は少し間が空いた。それから幾分照れたように彼は答える。
「まあ、この歳だし……それなりに、な」
確かに、この歳だ。寧ろ、何もない方が奇異かもしれない。それでも胸は裂かれるようだった。
「どうして……別れてしまったんだ?」
そこでマイクロトフは初めて苦しげな顔を見せた。
「何かが違って、な」
「違う?」
そう、と頷いて眉を寄せる。
「何が、と聞かれても説明するのは難しい。とても善い人だったし、確かにおれも好意を抱いていたのだ。ただ、何と言うか……生涯添い遂げるような、それほどの情熱が持てなくてな」
「だから別れた?」
「ああ。曖昧な感情のまま関係を引き摺っていては互いに傷つく。何より、相手に対して不実だろう?」
それから彼は、揶揄するように付け加えた。
「……女性から女性へと渡り歩いているおまえの気持ちが少しだけ分かったような気がしたぞ」
それはいつの話だ、と叫びたい心地だった。
マイクロトフへの想いを自覚してから後、身は慎んでいる。なのに彼の脳裏には、噂通りに戯れの恋を重ねる自分があるというのか。
失意が思考を侵食し、次第に理性を蝕んでいく。
最後の堰を切ったのは、朗らかとも聞こえるマイクロトフの口調だった。
「おれも生涯を共にするような相手と容易に出会えるとは思っていないからな。ゆっくりと、気長に探すつもりだ」
そうか、そうなのか。
そうやっておまえはわたしの心も知らず、別の誰かを探すつもりなのか。
ただ同性であるために堪えてきたわたしの想いを知ろうとせぬまま、いつか運命の乙女と巡り会い、明るく紹介でもしようというのか。
耐えられない。
他の人間に渡すくらいなら、いっそ───
「ならば、そういう相手が見つかるまで、わたしで手を打たないか?」
低くくぐもった声がマイクロトフを瞬かせた。意味が分からぬと首を傾げる男に、カミューは嘲いながら告げる。
「おまえが好きだ、マイクロトフ」
精悍な顔が凍り付いたように表情を失った。深く黒い瞳は見知らぬものを見るような色を浮かべている。
それはカミューが最も恐れた、二人の関係が変貌する瞬間であった。
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