彼らの選択 ACT9


似たような雰囲気の二人の男からようやくカミューが解放されたのは、日が変わって大分経ってからのことだった。
迎賓館での晩餐を終えた後、やれやれと胸を撫で下ろす間もなく、ゴルドーの私室での座談に引っ張られた。
二人の話はカミューにとって得るものがなかった。女の話、自分や一族の自慢話、果ては他の都市の悪口と、座っているのもうんざりだった。
唯一、二人がグラスランドの支配を目論んでいるらしいことだけがカミューの琴線に触れた。
捨てた故郷────かつて幾度も侵略を受けながら、確固たる自立を望んで闘い続けてきた荒野の民。都市同盟がグラスランドに侵攻したなら、自分にとってつらい戦いになるだろうという予感があった。
アレク・ワイズメル市長は礼儀正しい青年騎士団長から何とか本音を引き出してみたいと思ったらしい。お陰で彼は散々飲まされた。
グラスランド育ちの身には酒は水のようなものだ。酔いは回らない。ただ、ここ数日の睡眠不足から、朝からの気分は最悪になりそうだとげんなりするばかりだった。
グリンヒルから同行している従者に泥酔した市長を引き渡し、やっと解放された彼は、急いで自室に戻った。馴染み深い部屋の机に、一枚の置き手紙が残されている。彼の身の回りの世話をしている従者の少年の筆跡だ。

『お役目、お疲れさまでした。お風呂の支度ができています』

短く書かれた文面を見て、カミューは微笑んだ。
従者の中から幾人か、これはと思った少年たちを交代で使っているのだが、今夜の当番は彼が一番気に入ってるラウルという子だ。目を掛けている少年の中でも一番気が利いて、賢く、一生懸命な従者である。
隣室に設けられた小さな浴室を覗くと、こんな時間だというのに湯も適温に保たれている。何度も調節し直したのだろうと思うと、少年の心配りに胸が暖かくなった。
「カミュー様────お戻りですか……?」
ふと、その少年の声がかかる。カミューが浴室から部屋に戻ると、まだ十二歳の利発そうなラウルが頬を染めて直立していた。
「まだ起きていたのか」
「は、はい。今、休ませていただこうと────」
「手間を掛けたな。すまない」
片手で浴室を示すと、ラウルは真っ赤になった。
「い、いえ、そんな……」
「良かったのだぞ、先に休んでいても。おまえは雑用係ではないのだから」
少年は微笑んで首を振る。自分を見込んでくれた団長に対する憧れで一杯なのだ。
「あの、カミュー様。あと半時ほどで青騎士団が出立するようです。休もうとしたら、丁度中央広場で招集が始まっていたので、お知らせした方がいいかな、と思って…………」
カミューと青騎士団第一隊長の親交は知らないものはいない。が、引き返してまでそれを伝えに来た少年の気配りをカミューはいじらしく思った。
「そうか、気を使わせたな」
「いいえ────それでは……失礼致します。お休みなさいませ、カミュー様」
「ああ、ラウル」
カミューは少年を引き留めた。
「明日────いや、もう今日か。午前の任務からおまえは外す」
「えっ…………?」
少年は驚いて目を見張った。任務を解かれるということには、あまり良い印象がないのだ。カミューはそんな少年の不安げな顔に笑った。
「────そうではない。ゆっくり休め」
「え、で、でも……ぼくは…………」
「子供は寝ないと育たないぞ」
少年は束の間躊躇したが、カミューが相変わらず優しく微笑んでいるので、恥ずかしそうに頷いた。
「ありがとうございます、カミュー様」
「ああ、ゆっくり眠るといい」
少年が出ていくと、カミューは衣服を脱ぎ捨てて風呂に沈んだ。
身体中が酒臭い。騎士服も変えなければ、明日───いや、今日一日耐えられないほどだった。
本当はゆっくり湯船に浸かっていたかったが、少年が持ってきてくれた情報を聞いては、そうもいかない。戻ってきた時から半ば諦めかけていただけに。
取り敢えず全身から咽返るような酒の匂いを流し、大急ぎでベッドに置いてある夜着を着込む。このままではあまりに礼節を外しているかとコートを掴んで肩に掛け、ユーライアを掴んで彼は部屋を後にした。

 

 

 

夜勤任務に就いていても、交代で仮眠を取ることになっている。
詰め所の横にある仮眠室で簡易なベッドに横たわっていたミゲルは、どうしても寝つくことができずに起き上がった。
周囲では健やかな寝息が上がっている。彼は仲間を起こさないようにそっと部屋を出て、あてもなく歩き出した。
夜勤中は原則的に詰め所にいるか、あるいは城を巡回している。仮眠を割り当てられている間なら、こうしてうろついていても咎められないだろうとミゲルは考えた。
彼はいつしか中央広場を見下ろす高窓についていた。微かな物音に導かれたのかもしれない。そこでは、まさに青騎士団が出立する寸前だった。
副長を先頭に、第二・第三部隊が城を出ていく。しんがりを勤めるのはマイクロトフの第一部隊だ。
馬上のマイクロトフはやはり見事な青年騎士だった。他の騎士とはどこか異なる。全身から立ち上る気配が違うのだ。
傾斜の関係で、ミゲルにはマイクロトフの表情さえはっきり見えた。その横顔はきりりと固く、真っ直ぐに前を見据えている。
ミゲルは長いこと憧れている男が部隊を率いて城を去るのを厳粛な気持ちで見送っていたが、ふと、広場から城へ入る回廊の柱の一つに人影があるのに気づいた。
くすんだ色合いのコートを羽織って立ち尽くしているのはカミューだった。
騎士服を脱いでいる彼を見たのは初めてだ。肩当てをしていない肢体は優美な線を描き、袖を通さずに羽織っているだけのコートが彼を細く見せていた。
あんなところで何をしているのだろうと怪訝に思い、それから胸を衝かれた。
カミューの髪は濡れて光っている。おそらく、ワイズメルの接待を終えて間もないのだろう。湯を浴びて着替えを済ませ、その足でここへ来たのだ。

────マイクロトフを見送るために。

人目を忍ぶように柱の横に立ち、マイクロトフの第一部隊を見送るカミューの顔も月明りにくっきりと見えた。
その表情はいつものように感情を読ませないものだった。
だが、目だけが違った。彼はミゲルが見たことのない、優しい目をしていたのだ。
中庭でマイクロトフとくちづけていたとき、彼の顔は見えなかった。
ミゲルにくちづけたカミューは冷たく探るような眼差しで、その目は少しも笑っていなかった。

────こんな目をするのか────ミゲルは愕然とした。
誇り高く、感情を表さず、いつも穏やかな笑みを浮かべている赤騎士団長。が、この目を見てしまえば、いつもの笑顔が本当のものでないことは彼にもわかる。
切ないほどに静かな目、それでいて深い情愛を込めた眼差し。
この目を見ることができるのは、多分マイクロトフだけなのだ。

 

やがて青騎士団の騎馬部隊がすべて広場を出ていくと、あたりには沈黙が広がった。
カミューは静かに歩み出すと、広場の中央で直立した。
持っていた剣の鞘を片手で握り、半分だけ抜刀して頭を垂れる。ミゲルも学んだことのある、戦場に向かう騎士を見送る最大の礼である。
それから彼は小さく一つくしゃみをして、コートを掻き合わせると滑らかな足取りで戻っていった。
「………………濡れた髪で……、風邪引くぞ……」
ミゲルはぽつりと呟いた。
カミューの姿が見えなくなると、彼は高窓の横の壁に背中をつけて、大きな息をついた。今し方見た騎士団長に、意外なほど感動してしまっていたのだ。
迎賓館での晩餐にはロックアックスの知識人、名家の主人と多くの人間が呼ばれていた。
当然、青騎士団長も同席した。どういう会が催されたのかはともかく、自団員の出立に青騎士団長は姿を見せなかった。時間が時間なのだから、これは責めることではないかもしれない。
だが────

カミューが見送りたかったのは、公にできない恋人一人なのだろう。だが、それでもあんな格好で駆けつけるくらいに切実な想いがあるのだ。

ミゲルは初めて、カミューという人間を知りたいと心から思った。最初から実像の定まらない男だったが、少なくともミゲルが考えていた人間とは別人なのは確かだ。
彼はもう一度息を吐いて、詰め所に向かった。じき、仮眠の交代の時間が来るはずだった。

 

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部下、陥落間近(苦笑)
赤の美意識からいくと
パジャマでうろつくことはないような
気もしますが……。
やはり、濡れた髪・大きめパジャマは
ときめきアイテムなので外せませんでした(爆)

次回副題 『語る団長 止まらぬ部下』

 

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