彼らの選択 ACT8


グリンヒル市長を持て成す最大の催しが、迎賓館の大広間で盛大に行なわれている。
だが、その宴もロックアックス城の一角にある夜勤部隊の詰め所には、無縁の出来事のはずだった。
今夜は少し勝手が違う。彼らは晩餐会場から回されてくる料理のお裾分けを待って胸を弾ませているのだ。
詰め所は城に二カ所あり、ここでは赤騎士団第一部隊が恐らく有り得ない有事に備えて控えていた。
平時において、夜勤には一騎士団の二部隊から、四分の一ずつの人員が当てられることになっている。だが今夜は情報が流れたのか、夜勤に割り当てられていない騎士まで押しかけていたので、詰め所はぎゅうぎゅう詰めだった。

ミゲルは隅の方でぼんやりしていた。
精鋭部隊であるこの第一部隊では、当然のことながら騎士に叙位されていない者などいない。便宜的に仮配属される従者・見習い騎士・従騎士も、ほとんどが第五部隊以下に配置されるのが常であるからだ。
ミゲルは例外中の例外だった。当初、誰もが少年の存在を快く思っていなかったが、次第にその反感は薄らいだらしい。
何しろ、噂では暴れ馬とまで評されていた無法者だったが、第一部隊に配属されてからのミゲルは文句のつけようがない従騎士ぶりを披露していたからだ。
ミゲルはこの部隊に所属して初めて、これまで意味もなく突っ張ってきたことが馬鹿らしく思えた。他人に突っ掛かる暇もないほど激しい訓練、規律ある生活、目映い礼節────ひとたび意識を変化させると、見えなかったものが次々に見えてくる。
彼の状態が安定したもう一つの理由は、カミューへの挑戦という目標ができたからだ。
これまで幾度となく剣を交えながら、一度として納得できる勝負はない。このままでは勝負とさえ呼ぶことができない────彼は赤子のようにひねられては、次なる挑戦のために剣技を磨いた。
その熱心さが第一部隊の騎士らに認められ、かえって好意を誘ったのは怪我の功名というところだろう。
ミゲルは自分の側に座っている、第一部隊の中ではどちらかというと新参に入る若い騎士三人の話をぼんやり聞いていた。それはいつしかカミューの噂になっていた。
「───な、見たか? 迎賓館に向かわれたカミュー様………」
「無論だ。久しぶりに正装なさっておられるお姿を間近で拝見したが、いいよなあ……」
「知っているか? カミュー様の軽鎧の肩当て……あれは騎士団長になられたときに城に呼ばれた武具商人が、是非にと勧めたものだってさ」
「有名な話だ。カミュー団長はどちらかというとほっそりしておられるから……。でもおれは、あのマントがいいな」
「あの色彩を着こなせるのは、さすがにカミュー様だよなあ………」
ほとんど親衛隊のノリで話し込んでいる赤騎士たちの声はさすがに低い。だが、彼らは知る由もなかったが、詰め所のあちこちでカミューの噂に花が咲いているのである。
「ミゲル、おまえはうまくやったよな」
ふと話を振られてミゲルはぎくりと振り返った。三人の騎士はにやにや笑っている。その表情に悪意がないので、少年はほっとした。
「……何がですか?」
「悪さをして、カミュー様のお目に止まるとはなあ。おまえ、カミュー様の自室に出入り自由の許可をいただいたんだろ?」
「────床磨きしてるんですけど」
苦笑しながらミゲルが言うと、赤騎士は大袈裟な溜め息を吐いた。
「床磨きでもいいから……おれもカミュー様の部屋に入ってみたいよ」
「…………悪さをしたら入れますよ」
言ってからミゲルは無作法だったかとはっとしたが、騎士たちは苦笑していた。
「それがつらいところだ。お目には止まりたいが、かと言ってカミュー様のご期待を裏切りたくないし」
「このところ戦もないから、戦功で目を掛けていただくこともできないし」
「あ、でも昨日おれ……カミュー団長に用事を言いつかった!」
「迎賓館の椅子運びじゃあなー…………」
三人は心から楽しそうに自団長の噂をしている。
ミゲルは不思議でならなかった。
カミューが世渡りだけで出世した人間ではないということは、散々叩きのめされたのでわかったが、これほどまでに心酔される理由は何なのだろう。
現在の騎士隊長以上の位の者で、カミューより年下の人間はいない。いずれも彼より騎士団在籍の長い男たちだ。それが後から地位を駆け上がった青年に心から心服し、崇拝している。
ミゲルはその意味を知りたかった。

楽しそうに彼の噂をしている連中は知っているのだろうか? 
────あの赤騎士団長に男の恋人がいることを。
抱き締められて甘い吐息を洩らす唇を。
燃えるように熱い唇、塞がれた途端に何も考えられなくなるような巧みな口付けのできる男なのだと────。
カッと頬が熱くなった。

 

「お、来た!」
「ああ、待っていたんだ────!」
城のメイド数人が大きなワゴンを押して詰め所のドアを開けると、男たちは子供のような歓声を上げた。即座にあちこちに車座ができて、湯気の上がる皿を一つずつ確かめてはどよめきが起こる。
「凄いな……」
「腹を空かせて待っていた甲斐がある!!」
「温め直してくださるとは…………カミュー様……」
第一部隊はほとんど無礼講となって豪華な夜食に貪りついた。さすがに任務中とあって酒はない。だが、滅多に口にできないような料理の数々は、それを思い出させないほどだった。
「さ、おれたちもやろうぜ」
三人の一人が大皿を抱えて戻ってきた。
「ミゲル、おまえは半人前だが夜食はちゃんと取れよ? いざというとき空きっ腹じゃ、働けないからな」
揶揄されて、ミゲルは苦笑した。以前の彼だったら、こんな風に言われた途端、掴みかかっていただろう。
出された皿を受け取って、仲間と同様に舌鼓を打った。家柄の良い少年には豪勢な食事など珍しくもなかったが、不思議と屋敷で権力ある叔父などと囲んだ料理よりもはるかに美味く感じた。
「あの」
ふと少年は口を開いた。考えるよりも先に言葉が出てしまったという感じだった。
「…………その、男同士でやるのって…………、いいんですか…………?」
唐突に切り出された話題に、三人の騎士は一瞬咀嚼を止めてミゲルを凝視した。今もなおカミューの話題に終始していた彼らは、ミゲルの問いとカミューをだぶらせてしまったらしい。一斉に赤らんで、激しい動揺を見せた。
「な、な、何を言うんだ、いきなり…………!」
「喉に詰まったじゃないか!!」
「す、すいません」
「何だこいつ────いったいどうしたんだ?」
三者三様に言った後、一人がははあとほくそ笑んだ。
「────何だミゲル、男に惚れたのか?」
「ち、違います!」
慌ててミゲルは首を振る。
「た、単なる興味……っていうか────その、ちょっとそういう知り合いがいる、っていうか……」
ふうん、と半分だけ納得したような顔で、騎士らは顔を見合わせた。それからやや声を潜めて答え始めた。
「おれは経験がないからわからんが……話だけは結構聞いたことがあるなあ。物凄くいい、って話だ。はまると女性など問題じゃなくなるらしい」
「え、おれはそうは聞かなかったな」
別の一人が首を傾げる。
「あれはとにかく苦しくて……とてもじゃないが、本気でなければ耐えられないとか────」
「それはつまり、アレだろう」
物知り顔に笑った三人目が、一同に寄るよう手招いた。
「……おまえの言ったのはやる方、おまえのがやられる方。つまり、立場の違いさ。受け身の方は、まあ……言ってってみれば不自然な行為をするわけだから、それなりに厳しい。けど、慣れると良くなるらしいぞ。おまえの聞いた奴は、相手が下手なんじゃないか?」
「そ、そうなのかな」
ミゲルは呆然としながら男たちの説明を聞いていた。
彼もそこそこ知識はある。男たちの示唆した構図に、二人を当てはめるのはた易かった────多分、逆はないだろう。
「ま、騎士団では禁止されてるわけじゃないが、なかなか受け身を取るのは勇気がいるだろうからなあ。そこまで深い関係ってのはそうそうないんじゃないか?」

 

────いや、そうではないだろう。
昼間見た、短い情景がミゲルを過る。
抱き止められたカミューが漂わせた官能の匂い、マイクロトフの情念あふれる囁き。
あれは深いところで結ばれ合った者だけが醸し出す気配だった。
あの赤騎士団長は青騎士団第一隊長に抱かれている────女性のように男を受け止め、甘い声を上げているのだ。

いったいどうしてそういう関係になったのだろう。 
ミゲルはマイクロトフを尊崇していたので、彼の噂には耳を傾けるようにしてきたのだ。
彼らが同期で入団したというのは話に聞いている。以来、十年近くも親交を温めてきたとも。
城の誰もが、二人を無二の親友だと信じている。彼らが密やかな逢瀬を交わしているのを見たのは自分だけなのだ。
この仲間たちがどれだけカミューの噂に花を咲かせようと、その対象が内気な乙女のように男の腕の中でもがいていたのを見たのは自分だけだ────。

 

その瞬間、ミゲルはカミューの言葉を理解した。
────切り札は持っていてこそ切り札。
彼は今、他の騎士に対して優越感を覚えた。誰も知らないことを知っている、それが彼らよりも一段自分を優位に立たせる。が、これが周知となれば途端に優位は失われるのだ。
こういうことだったのかと実感し、ミゲルは溜め息を吐いた。
「だが、男相手にそういう気分になるかな……おれなら勃たないような気がするが」
一人が笑いながら言った。随分と砕けた口調になっている。それだけ気分が軽くなっているのだろう。
「やっぱり可愛いレディだよ」
もう一人が同意するが、三人目が真っ赤になって途切れ途切れに呟いた。
「お、おれ………た、例えば、例えば……だぞ? その…………カ……カミュー様だったら、いける気がする……────」
「ば、馬鹿! な…………何という事を言うんだ!」
「そ、そうだぞ!! 不遜にも程がある!!!」
「だから例えば、って────」
「────例えでも! そんな風に思うこと事体、礼節にもとる」
「そ、そうだとも!! いくらカミュー様がお、お綺麗だからって…………そんな…………だから……えーと…………」
仲間の言葉に、残る二人も想像をたくましくしてしまったらしい。終には言葉を途切らせて黙り込んだ。ミゲルは呆気に取られていたが、同様に脳裏に浮かんでくる光景を消すことができない。
あのときの雰囲気や会話からして、マイクロトフがカミューにぞっこん惚れ込んでいるのは感じた。
止めようとするカミューを力で制し、唇を奪った。カミューもほとんど抵抗らしいものはしなかったが、あるいはマイクロトフの力に諦めていたのかもしれない。
────だいたい、始まりはどちらからだ?
マイクロトフが色恋に無関心だというのは有名だ。一方のカミューがレディに必要以上に親切なのも知られている。
あの二人がそういう関係になるには、どちらが働きかけたのか。
カミューが誘惑したにしろ、マイクロトフが相手では自分が受け身を取らされるのは予想できるだろう。あの誇り高いばかりの男が、女扱いされるのを進んで望むだろうか?
ならばマイクロトフからか───それはもっと想像できない。

日頃冷静で、付け入る隙もない青年団長が、男の身体の下でどんな風になるのだろう。苦しいというなら、抵抗したりするのだろうか。
たとえ抗っても、マイクロトフの逞しい腕はそれを許さないだろう。押さえつけ、唇を塞ぎ、カミューを奪うだろう。
────泣いたりするのだろうか。
いつも何を考えているか読めない冷静な顔が、苦痛や快楽に歪むのか。
辛辣な言葉を吐く唇が、甘く切なく男の名を呼ぶのだろうか……

 

 

「うわっ、何をしてるんだ、ミゲル!」
「馬鹿、垂れるから下を向くな!!」
突然怒鳴られてぎくりとしたミゲルは、ねっとりとしたものが唇を伝う感触にぎょっとした。
「どうした、何を騒いでいる」
遠くにいた隊長ローウェルが耳ざとく聞き咎めて声を張り上げた。ざわめいていた詰め所が、指揮官の声に静まり返った。その沈黙の中、答えは大きく響き渡った。
「申し訳ありません、ミゲルが鼻血を出しました!」
一瞬、一同は固まった。次に誰かが揶揄するように言う。
「何だ、大方女性の話でもしてたんだろう」
「青いな、ミゲル」
「あまり刺激的な話をするなよ、ミゲルはまだ子供なんだから……」
途端にどっと笑いが起こった。まさに爆笑の渦である。ローウェルさえ、渋い顔をして笑っていた。
騎士らにタオルをあてられたミゲルは、その布地が赤く染まっていくのに呆然としていた。彼には非常に不名誉な体験であったが、それは同時に彼が赤騎士団第一部隊に受け入れられた瞬間でもあった。騎士たちは最年少の、しかも従騎士であるミゲルを仲間の一人として見做し、からかったのだ────

笑いに包まれながらも、ミゲルは脳裏に浮かべてしまった淫らな妄想を忘れることができなかった。

 

 

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大丈夫なんか、こいつら……(苦笑)
もう、行くところまで行ってしまった感じです。
終にミゲル君、バカの仲間入り〜。
血の気の多そうなあたり、
かなり青くさいかも(笑)

次回副題 『ときめきは 夜風とともに』

 

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