赤騎士団副長ランドが書面から顔を上げてカミューを見た。やや心配そうに口を開く。
「……お疲れでいらっしゃいますな」
カミューは苦笑した。
「疲れもするさ、連日こんな作業をさせられていてはな……」
彼らが睨んでいるのは、ロックアックス城の大広間における晩餐会の計画表と席次表だ。
来週、ジョウストン都市同盟における同盟国・グリンヒルより賓客が訪れることになっている。アレク・ワイズメル市長である。
この男はミューズ市で開かれる丘上会議でゴルドーと出会い、親しくなったらしい。ただ、こうして国賓としてマチルダ騎士団領を訪問するのは初めてということもあり、ゴルドーは気負っているようだ。
自団領を第一と考えるゴルドーは、その持て成しにおいて国勢を見せつけたいらしい。しかし如何せん彼も軍人、優雅な持て成しというものに自信がなかった。そこで白羽の矢を立てられたのが、騎士団において優雅さと上品さで知られるカミューである。
彼はワイズメルを持て成す一切を任され、ここ数日やりたくもない作業に追われていた。
通常の任務なら幾ら過酷でも不満はない。だが、こうして騎士団とは無関係の社交人としての振舞いを要求されて、カミューはいい加減うんざりしていた。
「あの…………」
ふと扉が開いて、顔を覗かせたのはミゲルだ。彼は昨日もカミューに挑戦して、三十秒ももたずに敗北した。その代償に、バケツを下げている。
カミューはランドとローウェルにだけはこの習慣を打ち明けていた。さすがに二人とも眉を顰たが、忠言するまでは至らずに顔を見合わせただけだった。
「ああ、構わない。入って始めてくれ」
カミューは顔も上げずに手を振ると、再び書類を睨み付けた。
ミゲルはちらりと二人を見たが、何も言わずに床にモップをかけ始めた。
最初にカミューに捩じ伏せられてから一週間、ミゲルは三度挑戦し、そのたびにカミューの力を思い知らされた。
世渡りだけで伸し上がったという最初の印象は消す他なかったが、依然として自分がほっそりした相手にいいようにあしらわれているのに納得できないのだ。
それでも通常の訓練に戻されたこともあり、気分的には落ち着いていた。つまらない争いを起こす気も起こらないほど、第一部隊の訓練は厳しい。それを楽しいと思えることが、ミゲルは嬉しかったのだ。
こうしてモップを握るのも、次にカミューに挑むための試練だと思えば前ほど苦にならない。彼は自分でも気づかないほど丁寧に掃除をしながら、カミューが溜め息まじりに呟くのを、聞くでもなく聞いていた。
「ミューズでの晩餐に劣らないものを、との至上命令だ。見てみろ、この予算を」
「これは……また、相当なものですな。来客にこれほどの予算を使うなら、下位騎士の装備の一つも気にしてくだされば良いのですが……」
どうやらゴルドーの話題らしい。珍しくランドが愚痴まじりに応じるのに、ミゲルは耳を澄ました。
「特に、このペルシャランプ四個、六万ポッチというのは痛いですな」
「ああ、それなら見つけてきた」
カミューはさらりと答えた。
「ゴルドー様のこういうのは昔からだ。一度使っては倉庫に直行した骨董品はたくさんあるからな、昨日第五部隊総出で倉庫の整理をしてみた」
「…………ありましたか?」
「────八個もな」
カミューは可笑しそうに頷いた。
「急いで磨かせて、四個は交易商へ持っていった。ついでに、訳のわからない絵だの彫刻だのが埃を被っていたから、それも売り払った────締めて、二十二万七千五百ポッチ。これが明細だ」
ランドはカミューの出した小さな紙切れを食い入るように見詰めた。
「……よろしいのですか? その……、ゴルドー様はこのことを……────?」
「覚えておられたら購入を命ずるか? だいたい、あの倉庫は二年以上もいじられてなかったのだぞ。まあ……埃は凄いわ、ネズミはいるわで大騒ぎだった」
くすくすと笑っているカミューはこれまでミゲルの知っている男とは別人のようだった。
ミゲルと対峙するとき、彼はいつも尊大な権力者か、あるいは冷静きわまりない剣士であった。こんなふうにして寛いでいるカミューは、まさに二十四歳の青年でしかなく、ミゲルはやや毒を抜かれたような気分になった。
────しかも、やっていることが大胆だ。
周囲の顔色を窺って、この地位を手に入れたとは思えないほど。傍らの副長ランドの方がよほど常識人に見える。
「────で……、ここだけの話だ。この金と支給された経費の六万ポッチを使って、下位騎士に装備の一つも買ってやろうと思っている」
「……カミュー様!」
ランドは仰天したように飛び上がった。
「つ……、使い込まれるおつもりですか────?!」
「人聞きの悪いことを言うな」
カミューはにっこりした。
「有効活用だ。わたしはゴルドー様よりペルシャランプを購入するように予算を与えられ、そして命令通りランプを用意した。予算は余った。このままいけば、この六万ポッチは食材レベルを上げるだの、皿を変えるだのに使われるな。ここは騎士団だ、社交場ではない。必要なものに金を掛ける、それがわたしの考えだ。別に忠誠に背いてるとは思わないが────どうだ?」
ランドは唖然としていたが、やがてにやりとした。この若い団長が目先の問題にとらわれない、大きなものの見方をしていることが嬉しかったのだ。
「……ガントレットくらいなら、下っ端全員に行き渡らせることが出来そうですな。早速手配致しましょう」
言ってから、ふとミゲルの存在に気づいたように、じろりと少年を睨む。
「ミゲル、このことは……────」
「ああ、言わないさ。こいつはそういう姑息な男ではない」
先手を打ってカミューが言うのに、ミゲルは憮然として頷いた。
「…………口外しません」
ランドは予想外のミゲルの素直さに驚いていたが、再び図面に戻ったカミューに感情を殺して従った。
────実際、ミゲルは感心していた。
カミューが見掛けよりもずっとしたたかな人間であること、何より浮かせた金で部下の装備を整えるという点に、カミューが単なる支配者でないことが感じられた。
こうして色々手を尽くしているのも、ひとえに部下を思ってのことなのだろうと考えると、今までのカミューへの認識を修正せずにはいられない。相変わらず根差した反感はあるものの、彼が騎士団長として責務を果たしていることだけは認めないわけにいかないのだ。
「やれやれ、この量の食事をいったい何人で召し上がるおつもりか。ランド、この日の夜勤部隊はどこに振り分けた?」
「はい、ローウェルの第一部隊、シュルツの第六部隊に致しました」
「……夕食を抜いておくように言っておけ。兵舎とは比べものにならない豪勢な夜食を出してやる、とな」
ランドは可笑しそうに頷いた。
「喜びますでしょう」
「ああ、昼を遅らせることも忘れずにな。豪勢だが、時間は遅くなるだろう」
「心得ております」
団長と副長の会話は楽しげだった。互いを信頼し切っているのが口調からも感じられる。ミゲルはふと、その関係を妬ましく思う自分に気づき、慌ててその考えを押し込めた。
やがて床をすべて拭き終えたミゲルは、一礼して部屋を出ていった。無言で見送ったランドが感慨深げに首を振る。
「……あの無頼小僧が、よくもあれだけ更生しましたな」
「────まだ猫を被っているさ」
「猫を被らせるだけでも相当なものです。結局白騎士団は、それも出来なかったわけですから」
「白騎士団は旧団長の威光が強すぎる。ミゲルにとっては不幸なことだ」
「不幸…………ですか?」
ランドは首を傾げた。
「ああいうタイプは、なまじ後ろ楯などない方が気楽にやっていける。もとからあいつは権力だの、地位だのに敬意を払う性格ではないのだろう。自分の見たものだけが真実で、それ以外は価値がない。突っ走って壁に当たれば、それなりに考えもするだろうさ」
思慮深いランドは納得した。
つまり、ミゲルはカミューの親友のタイプであるわけだ。ならば扱いが上手くて当然、お手のものということではないか。
誰もがミゲルの行状にばかり腹を立てている中で、カミューは冷静に少年を分析していた。改めて感服し、胸を熱くする副長だった。
「それで、この食材なんだが……────」
なおも予算を浮かせようと企んでいるカミューに苦笑しながら、ランドは大きく頷いて頭を寄せた。
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