彼らの選択 ACT35


マイクロトフは自己嫌悪で自らを殴りつけたい気分だった。
相手の身体が馴染んだ恋人のものであり、少年が自ら求めたのだということを差し引いても、やり過ぎはやり過ぎだ。
途中までは何とか自制が働いた。
だが、涙に濡れた目、震えながら自分を呼ぶ声、そうしたものに何時しか理性が飛んだ。
ただでさえ、普段身体を合わせるときのカミューは素直でない。必死に自分を抑え、できる限り反応を見せぬように振舞っているのを感じる。
だが、昨夜の彼は別だった。
少年であったからこそだろうが、抑えることなく洩れる声、苦痛に喘ぐ表情。そうしたものを余さずマイクロトフに曝け出した。
今まで知らなかったカミューを得たという愉悦に、マイクロトフは酔い痴れてしまったのである。
気がつけば、腕の中で少年は失神していた。涙の残る頬が痛ましく、伏して詫びたい自責に駆られた。
傷つけなかっただけでもよしとせねばならない。それほど久しぶりだったし、夢中だった。青年のカミューと少年のカミュー、二人を同時に抱いているかの如き不可思議な愉悦を考えれば、行為は穏やかだった方かもしれない。夢中なりに、だが無意識に加減していたのだろうか。

 

傍らでぐったりと眠り込むカミューを見つめながら、マイクロトフは不思議な感動を覚えていた。
子供に手を出してしまった後悔は微かにある。
だがカミューもまた、どのような形で出会おうと自分を選び、求めてくれるのだという確信が持てた。それは彼にとって大きな幸福であった。
しかし、事態は喜んでばかりいられないところまで来ている。最悪の場合、カミューが騎士団長の地位を失うことも覚悟しなければならない。ゴルドーが戻り、不自然を感じてしまえば、これまでの赤騎士たちの努力が水泡に帰すことも有り得ないことではない。
たとえ騎士団長でなくなろうと、想いが変わることはない。カミューが青年に戻れないなら、自分が育てていくだけの覚悟はできている。
このまま素直に性質を伸ばしてやるべきか、あるいは彼の知る意地っ張りで優雅な青年に導くべきか。
難しいところだと苦笑した。

 

二度目の人生を与えられたなら、おまえはどちらを選ぶだろう……?
彼は心の中に描いた青年に問い掛ける。優雅な面差しは静かに微笑むばかりだった。

 

 

 

「ん……」
カーテンの隙間から忍び込んだ早朝の光に、白い顔が照らされた。眩しげに眉を寄せると、恋人の体温を探してか、カミューは僅かに身じろいでマイクロトフに擦り寄ってきた。
やがてゆっくり目蓋が上がる。ぼんやりしている恋人の瞳に、マイクロトフは屈み込んで微笑みかけた。
「起きたか……?」
「あ────」
まだしっかりと覚醒していないのか、彼は甘い声を洩らしたままマイクロトフを見遣る。
誘われるように優しくくちづけると、カミューの唇が密やかに笑みを形作った。
「マイクロトフ────」
「おはよう────大丈夫か……? すまなかったな、つい……気遣うつもりだったんだが────」
「………………?」
怪訝そうに寄せられる眉に、マイクロトフは慌てて言い募る。
「こ……、これでも精一杯努力したんだぞ?」
「マイクロトフ、おまえ────」
ますます眉を寄せてカミューは瞬いた。
「いつ────トゥーリバーから戻ったんだ……?」
今度はマイクロトフが目を見開く番だった。
「カミュー……?」
起き上がろうとしたカミューは、下半身を貫いた鈍い痛みに顔をしかめる。その半身を支えながら、マイクロトフは彼を凝視した。
「カミュー……おまえ、なのか……?」
カミューはきょとんとして、それからマイクロトフを睨んだ。
「どういう意味だ? おまえは、わたし以外の男をベッドに引き込むことがあるのか?」
「い、いや……そういう意味ではなくて」
マイクロトフは唾を飲み込んだ。
「おまえ、幾つだ────?」
「────寝惚けているのか?」
見詰め返すきつい眼差しに、次第に笑いが広がっていく。それは見慣れた優美な笑みだ。
マイクロトフは愕然とした。

 

『忘れないでね』────
そう泣きながら呟いた少年の言葉の意味。
恐らく、彼は記憶が戻ろうとしているのを敏感に感じていたのだろう。ほどなく消えていく自分を知り、最後の思い出としてマイクロトフを求めたのだ。

 

「……どうしたんだ? 大丈夫か?」

 

痛みが込み上げた。
あの少年は、どんな気持ちでそう言ったのだろう。
存在を失っていくことをどれほど恐れていただろう。
なのに、結局自分は何もしてやれなかった────

 

「マイクロトフ……?」

 

案じ始めたような声に、マイクロトフはきつくカミューを抱き締めた。
取り戻した青年、失われた少年、そのどちらもが愛しくてたまらなかった。ただ、今は消えた少年を思って胸が詰まる。
「カミュー…………」

 

────愛していた。
十三のおまえも、決して劣ることなく大切だった。
おれは誓う、絶対に忘れはしない。
おまえが自分の全てを差し出しておれを求めてくれたこと。
おまえの無邪気な笑顔、かなり悪い言葉遣い。
そして涙の温かさも────

 

戸惑いながら、カミューは男を抱き返した。その温もりを懐かしく思う。それはずっと昔、遥か以前から知っていたような安らいだ暖か味だった。
マイクロトフは溜め息を吐いた。
「カミュー…………おまえに話さねばならないことがある」

 

 

 

 

 

マイクロトフが長い話を終えた後も、カミューは無言だった。
自分の最後の記憶が洛帝山でのフライリザードとの戦いで途切れていることはわかったが、その後に展開された話は、さしもの彼にも思いがけないものだった。
やがて沈黙が息苦しくなったころ、マイクロトフが控え目に口を開いた。
「カミュー……この数日間のことは何も覚えていないのか……?」
浮かんだのは微かな苦笑だ。
「そうか……」
肩に掛けられたシャツを手繰り寄せるようにして、カミューが小さく息を吐いた。自嘲にも似た響きにマイクロトフが顔を向けると、彼は足を折って両腕で抱え込むという、どこか幼げな姿勢をしていた。あの少年の仕種を思わせる姿がマイクロトフの胸を突く。
「さぞ……驚いたことだろうな」
ぽつりとカミューが呟いた。かなり躊躇した後で、彼はゆっくり語り出す。
「今ではもう……どんなふうだったか────やれと言われても出来ないような気がするが……、ロックアックスに来た頃のわたしは……それはもう、何と言うか────別人、だっただろう……?」
珍しく言葉が途切れがちなのは、隠してきた本当の姿を見られたことへの衝撃の大きさだった。
「……グラスランドを捨てたとき、過去の自分も捨てたつもりだった。マチルダ騎士団に相応しい人間になるよう……誰にも後ろ指さされないように、と────」

 

生まれ変わろうとした。
そしてそれに成功したつもりだった。
だが、こんな形で過去が暴かれようとは。

 

「カミュー……」
「さぞ、失望しただろうな……。今のわたしは造り上げた虚像に過ぎない。騎士団長などと誉めそやされていても、そんなたいそうな人間などでは……」
「馬鹿なことを言うな!!」
マイクロトフは大声で怒鳴った。
そんなふうに考えるなど、我慢ならないことだ。
何より、あの少年が可哀想だ────彼は本気で憤った。
「おまえはおれの話を聞いてなかったのか? 何のために赤騎士たちが必死でおまえを守ろうとしたと思う! おまえだったからだ。過去のおまえを見ても、彼らは少しも揺らぐことなく忠誠を捧げた。そんなふうに言うのは彼らに対しても、過去のおまえに対しても誠実ではない!」
立て続けに怒鳴られて、カミューは目を見開いた。これほど激昂するマイクロトフを見るのは初めての気がする。
「しかし────」
「失望した相手のために、これほど一丸となって立ち向かおうとするか? 造り上げた虚像だと? ならば今、ここにいるおまえは誰だ? カミューだ! おれが選び、ただ一人の相手と決めたおまえ以外の誰だと言うんだ!」
真っ赤になって息を切らせてそこまで言うと、ふと声のトーンが落ちた。
「……昔のおまえは────確かに優雅でも洗練されてもいなかった。だが……同じだったよ」
「同じ……?」
「同じ心の色をしていた。それだけで────おれたちには十分だった。自分を卑下することは許さないぞ、カミュー。それでは……十三のおまえがあまりに可哀想だ」

 

消えていくことを恐れていた少年。
だが、ひょっとしたら彼は青年に身体を返そうとしたのではないか。同じ魂が求める相手と一緒に生きていくためには自らが不完全であると認め、青年にその場を譲ったのではないか。
抱かれている間中、切なくマイクロトフを呼び続けていた唇。
それは無意識の別れの言葉だったのかも知れない。
最後にマイクロトフの体温を知り、満足して消えていったのかもしれない……。

 

低い嗚咽を洩らしたマイクロトフに驚いて目を見張り、カミューは言葉を飲んだ。
「マイクロトフ、…………」
「十三のおまえはとても……可愛かったよ。無邪気で、意地っ張りで、素直で、泣き虫で。そして……とても強かった────」

 

輝くような笑みを浮かべて彼を呼んだ少年。
机に向かって書物を広げ、楽しそうに食事をとり、夜はマイクロトフにもたれるように眠った少年。
即座に開かれた心は、二人の運命が繋がれていることの証か。
迸るような情熱も、目も眩むような求愛も、今は青年の奥深く眠りについてしまった。
これから先、面影の欠片を見つけるたびに少年を思い出すだろう。決して忘れられるはずがない。

 

「おまえは────過去のわたしも愛せたのか……?」
似つかわしくないおずおずとしたカミューの問いに、マイクロトフは怒ったように断言した。
「当然だろう? おまえがおまえである限り────いつ、何処で、どんな形で出会おうと、おれはおまえを選ぶ」
「────わたしが……どんな人間でも?」
「……同じことを言うんだな」
マイクロトフはようやく微笑んだ。
「昔のおまえにも、何度同じことを言ったことか……。おれはおまえの優雅さや礼節に惹かれたわけじゃない。おまえの魂がおれを呼んだんだ」
「マイクロトフ ……」
真摯に男を見つめる眼差しは、少年とは別の深みがある。
しかしその輝きは、同じ心を持つ限り、変わることなくマイクロトフを魅了する鮮やかな色合いなのだ。
「カミュー……おまえはおれのただ一人の相手。生涯おまえと生きると誓った。誇りにかけて、おれは何度でもおまえを選ぶ」

 

聞いているか、カミューの中に存在する十三のカミュー。
おまえは消えてしまったわけではない。
確かにここに存在するのだ。
おれはおまえごと、このカミューと生きていく。

 

誓いを込めてくちづける。次第に激しくなる要求に、息を切らせたカミューが呟いた。
「いつ、何処で出会おうとも────か」
「そうだ」
「マイクロトフ、……ひとつ聞いてもいいか?」
「何だ?」
身体を離したカミューが、上目遣いに彼を見た。
「昨夜までわたしは…………十三才だったわけだ」
「ああ。まさかこんなふうに突然元に戻るなんて、思ってもみなかったぞ」
「────ならばおまえは、子供のわたしを抱いていたのか?」
ぎょっとしてマイクロトフは息を詰めた。
「そっ、それは…………!」
「……………………信じられない奴だ」
ぷいと顔を逸らすのに、マイクロトフは慌てて頬を挟んで向き直らせる。
「ゆ、昨夜が初めてだぞ! そ、それにっ、……無理矢理ではない! おれは一応、止めたんだぞ?」
「────止めた?」
「ああ! おまえが────その、求めてくれたんだ」
「……………………………………嘘だ」
冷たく遮られて、マイクロトフはおろおろと言い募った。
「嘘などつかない! おれだって、子供にそういうことをしていいか悪いかくらいはわきまえている! だが……何と言うか、つまり…………ずっと我慢していた上に、おまえから求められたんだぞ? それを撥ね除けられるほど、おれは聖人君子じゃない」
カミューは探るように男を見詰めた。
────この必死さ。
マイクロトフは嘘のつける男ではない。だとしたら彼の言う通り、幼い自分が彼を欲したということなのだろう。
それはカミューにとっても意外なことだった。過去の自分は、そんなにも気持ちに正直だっただろうか。
「…………わたしが……求めた────」
「ああ。とても素直に…………」
『ベッドの中では特に』と言い掛けて、マイクロトフはさっと顔を赤らめた。言葉にされなかった部分を敏感に察して、カミューもまた頬を染めた。
少年であったときにも、マイクロトフを欲する気持ちに変わりはなかった────認めるのに躊躇いはない。幼くても、それは自分自身であるのだから。
「そうか────」
俯いて考え込んだ彼を、マイクロトフは抱き寄せ、押し倒した。
「────何をする」
「会いたかった、カミュー」
身体を這い出す掌に動揺してもがくカミューだったが、鋼のような男の身体はびくともしない。
「よ、よせ。昨夜だって────し……したのだろう……?」
「過去のおまえと……だ。今度は今のおまえが欲しい」
「な、何を言っている! ……満足しなかったのか?」
マイクロトフは首を傾げて考えた。
「難しいことを聞くんだな……。昨夜はおまえを気遣うのに精一杯だった」
「し、しかし……『すまなかった、つい』とか言っていたじゃないか」
「耳聡いな、カミュー……。だが、いつだってそうだ。おまえを抱き締めるたび、冷静ではいられなくなる」
彼は優しく笑った。
「幸いなことに、休暇は残っている」
「そういう問題ではなかろう。事情が事情だ、早く登城した方が……」
「ランド副長らには申し訳ないが……この上、半日くらい遅れても大差ない」
「マイクロトフ!」
あとは言葉にならなかった。
カミューは激しいばかりのマイクロトフの情熱に攫われた。記憶にない抱擁の名残りが、抵抗する間もなく男を受け入れる。揺さぶられて啜り泣く青年の顔に、どこか幼げなものが混じっていた。
今度はマイクロトフは抑えることなく貪欲にカミューを貪った。
声も同じ、顔も同じ────だが微かに異なる反応。
だが、いずれも愛しいただ一人の相手だ。
マイクロトフは迸る情熱と共に、遠い面影の少年に誓った。

 

 

いつまでも忘れない────ずっとおまえを愛しているよ。

 

 

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長らく休息していた24赤、復帰です。
よく寝たなーって感じ?(笑)

青はこの歳にして父となる覚悟があった模様。
第二ラウンド突入はご愛嬌v
苦労したからご褒美です。

最終話分は長いので二話に分けます。
まずは前半、おぢさんたちとのご対面。

次回副題 『お帰りなさい、我らが太陽』
……まんまやん……

 

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