彼らの選択 ACT31


「────好きな人いる? ミゲル」

いつだったか、同じことを聞かれた────あのときとは違う。
ミゲルは切なく微笑んだ。
「────ええ」
「キスしたこと、ある……?」
「……あります」

一度だけ。
騙し討ちのような一時の熱。
あのときにはわからなかった────ただ一度のくちづけで、人生を変えるほどの想いを植えつけられることがあるなんて。

「嬉しかった……?」
ミゲルは苦笑した。
「……あんまり突然だったので────そう思う暇もなかったですね」
「ふーん……されちゃったんだ」
カミューは不思議そうに笑った。
「情熱的な恋人だね」
そういう訳ではないのだが、とミゲルは心で付け加えた。
「普通は……キスしたら、幸せな気持ちになるのかな……」
怪訝そうなミゲルに、カミューは躊躇いながらも語り始めた。
「マイクロトフさんはね……オレのことをカミューだ、って言う。何処も変わらない、同じ人間だって言ってくれる。だけどオレ、みんなの言う『カミュー』と今のオレってあんまり別人みたいで……ずっと嫌だったんだ」
「……………………」
「────おまけに、知らない間に男の恋人ができてるし」
それはそうだろうな、とミゲルは苦笑した。確かに、驚くだろう。
「最初はね……とんでもないって思った。カミューの野郎、何で男なんかと────って」
その調子が可笑しくて吹き出しそうになったのだが、カミューの暗い眼差しに気づいて笑いを納めた。
「『カミュー』とオレは違う、そう思い続けてた。なのに……やっぱり、オレ……」
またもミゲルの胸は痛んだ。
「────好き、……なんですね……マイクロトフ隊長のこと……」
洩らした言葉に、カミューは俯いた。
「……『カミュー』が戻りたがってる。あの人にキスされてから……ずっと戻りたがってるんだ」
「────キス……?」
「……一度だけね」
カミューは自嘲気味に笑った。
「してくれ、って頼んだ。あの人が未来のオレばかり見てるのが我慢できなくて────自分と張り合おうとしたら、罰があたっちゃった」

ミゲルは唐突に理解した。
魂が呼び合う相手、と以前カミューはマイクロトフを称した。そして今、たとえ精神的に幼くても、カミューの心はマイクロトフに呼ばれ、繋がれてしまったのだ。
カミュー自ら気づかぬほど、二人の絆は強かった。しかし、そのことが少年の心を追い詰め、今や崩れる一歩手前まで来てしまっている。

「あの人がキスしたのはオレじゃない、『カミュー』だった。オレの中に眠ってる『カミュー』が、それに応えようとしてる────」
「団長……」
カミューは唇に手を触れて呻いた。
「ずっとあの人の感触が消えない……あの人が『カミュー』を呼んでる。だから……オレは消されちゃうんだ……必要ない存在だから」

震える細い肩。
気高く鮮やかな存在感で赤騎士団を率いる男とはまったく別の、それでも惹かれてやまない相手。
ミゲルは目眩を覚えた。

 

「……おれと…………キスしてみますか?」
「────えっ?」
驚いたカミューがミゲルに目を向ける。その表情は、初めてミゲルという人間の存在に気づいたような、困惑し切った子供のものだ。
「マイクロトフ隊長の……感触を消せるかもしれませんよ……?」

────卑劣だと思った。
相手の弱みに付け入るようで、最低だとも考えた。
しかし、もう二度とはない機会であることも事実だった。
たった一度で灯された炎は、今も胸に燃え続けている。若いミゲルに想いを抑えることはできなかった。

 

 

────愛してる。
おれは、この人を愛しているんだ────

 

 

反発を覚えながら、ずっと魅かれていた。
一つずつカミューを知るたびに、心は激しく引き寄せられた。
終には誇りにかけた忠誠を捧げるようになった。だが、それを上回る感情にいつしか完全に捕えられていたのだ。
戸惑ったような顔で考え込むカミューに、想いが溢れてくる。

────そうだ、こんな顔も見てみたかったのだ。
おれは彼のすべてを知りたかった。
決して叶わぬ夢と知りながら、どうして人はこんな想いに落ちていくのだろう。

 

「……そう……かな────そうなのかな 。そうしたらオレ、このままでいられるのかな……」
このままでいいなどと、カミュー自身も思っていない。それでも、すでに混乱し切った精神は不安定に揺れている。ミゲルの申し出が、追い詰められた状況を何とかしてくれるのではないかと漠然とした希望が頭をもたげる。
ミゲルは悲しげに微笑んだ。少年の心を騙す罪悪感はある。それでも、誘惑は御し難かった。
「……いいんですか?」
「────う、うん……でも……」
「嫌なら、やめます」
「いいの……? ミゲルは好きな人、いるんでしょう……?」
幼げに瞬くカミューに、彼は頷いた。
「────いいんです」

 

あなたなのだから。
おれが剣も心も捧げたいのは、あなただけなのだから。

 

まだ迷い続けるカミューの腕に両手を掛けると、ミゲルはそっと引き寄せた。泣きそうになっていた琥珀の目が伏せられる。ミゲルは薄い唇に触れた。
────最初は触れるだけの優しいくちづけ。
不意に、焼けるような激情がミゲルを貫いた。
ただ一度、口止めのために与えられた奪うようなくちづけ。混乱の中で官能を掻き立て、疼くような衝撃を溢れさせたカミューの唇。
次の瞬間、ミゲルは力の限りにカミューの背を抱き寄せていた。
「…………!」
突然荒々しくなったミゲルの動きに、カミューの身体が強張った。急に恐れを感じて、逃れようともがく弱々しい動きがミゲルを挑発した。
掻き抱くようにきつく相手を腕に押さえ込むと、ミゲルはカミューの唇を貪り始めた。不馴れな、技巧のない荒っぽいくちづけは、どこかマイクロトフを思わせるものだったが、不意に目が覚めたようにカミューの頭が冷えた。

────違う。

マイクロトフの存在を消し取るつもりだった。なのに、いっそうマイクロトフを蘇らせる。これは別の唇だ、別の人間なのだと実感させることになったのだ。
「ちょ……っ、やめ…………!」
マイクロトフではない男に触れられた唇からは、もはや戸惑いと怯えしか生まれない。しかも激しいばかりのミゲルに、次第に恐れが募った。
ミゲルには抑えることができなかった。相手が本能的な抵抗を始めたことは感じたが、二度目はないという崖っ淵の心境で、解放してやらねばという理性が消し飛ぶ。
彼はきつく抱き込んだカミューをソファに倒した。体重を掛けて押さえ込むと、カミューの抵抗はみるみる弱まっていった。
カミューもまた、突如として自制を失ったようなミゲルに驚き、経験にあるように相手を蹴り上げて逃れようとした。
しかし、自分の身体は随分大きくなったはずなのに、不自然な体勢に押さえ込まれた身体はびくともしない。それが騎士団での鍛練による格闘術なのだと知ることもできず、ひたすら身悶えながらくちづけから逃れようと足掻いた。
「やっ……、待っ────ミゲル!」
「────カミュー団長」
苦しげに吐き出される吐息の熱さに、カミューは心底震えた。叫ぼうとした唇がまたも激しく塞がれ、侵入してきた舌が遠慮なく這い回る感触に目眩を覚えた。

────嫌だ。
あの人でなければ、嫌だ。

そう改めて思い知らされ、ミゲルの唇が首筋に移動するのと共に、涙が溢れ出た。
そのときだった────身体にかかる重みが消え、唐突に解放されたのは。
はっとしたカミューの目に床に振り飛ばされるミゲルの残像と、顔色を変えて剣を抜き去る男の横顔が見えた。
マイクロトフのダンスニーが振りかざされる。突然のことに混乱しながらも、カミューは必死に起き上がって叫んだ。
「待って、マイクロトフさん!」
「止めるな! こいつは────」
うちひしがれたように床に蹲ったまま、男の剣に無防備に身を曝すミゲルに、カミューは重ねて叫んだ。
「ち、違うんだ! ミゲルは悪くない」
「────どういうことだ?」
相変わらずミゲルを睨み付けたまま、振り返りもせずにマイクロトフが低く問う。その口調には抑え切れない怒りが潜んでいた。
「オ、オレが頼んだんだ────キスしてみて、って」
正確には微妙に違うが、マイクロトフの凄まじいまでの怒りをミゲルに向けたままなのは危険な気がしたので、そう口走った。案の定、マイクロトフは鋭く反応した。きつい眼差しでカミューを見てきた。
「……どういう────ことだ?」
あまりの怒りと驚きで、マイクロトフは冷静ではいられなかった。
「おまえは…………誰でも構わず、そうして誘うのか?」
あの夜自分を挑発したように、ミゲルをも誘ったのかと誤解したのである。それは捩じ伏せられてキスされていた恋人を見た衝撃による一瞬の判断の誤りだったのだが、カミューの胸には深く突き刺さるような一言だった。
ミゲルもまた、マイクロトフが言ってはならないことを口にしたのに気づいた。弁護しようと口を開きかけたとき、カミューが悲鳴のように叫んだ。
「────何も知らないくせに!」
その声があまりに切なく苦しげだったので、マイクロトフとミゲルは思わず動きを止めて彼を見詰めた。
「オレのことなんか、何一つわかってないくせに! オレが……オレがどんなに────……っ」
見る見る新しい涙を溢れさせたカミューは、起き上がったソファの上でマイクロトフを睨み付け、そのまま駆け出した。敏捷さと、あまりに凄まじいカミューの叫びに驚いて、マイクロトフは呆けたように扉から飛び出していくカミューを見送ってしまった。
「マイクロトフ隊長!」
ミゲルが鋭く叫んだ。はっと我に返ったマイクロトフだったが、すでに怒りが困惑に取って変わられようとしている。眉を寄せる彼に、ミゲルは必死に言い募った。
「今のキスは、おれが誘いました。カミュー団長が悪いのではありません!」
再びマイクロトフの怒りに火が点く前に、更に続けた。
「あの人が────あの人が想っているのはあなただけです。おれを斬っても構いません。でも……誤解しないでください、あの人は苦しんでいます」
マイクロトフは更に混乱した。
ミゲルがどうやら自分たちの関係を知っているようだとか、互いを庇い合っているようだとか、そんなつまらないことしか考えられない。その間にも、戸外で馬のいななきが聞こえている。
焦るばかりでどうしたらいいのかわからず、マイクロトフは扉とミゲルを交互に見つめ、唇を噛むばかりだった。
カミューを押さえ込んでいる人間を見たとき、すぐに殺意が沸いた。しかも、それが自分とカミュー、二人が目を掛けた男だったのに逆上した。ずっと感じていた本能的な懸念が当たったことよりも、裏切られた悲憤が勝った。
だが、跪いて見上げるミゲルの目は真っ直ぐだ。マイクロトフを見つめても僅かも揺らぐことはない。あるいは本当に斬り殺されても構わないほどの信念を持っているのだろう。そう思うと、マイクロトフは握った剣をミゲルに使うことができなかった。
「カミューが 苦しんでいる……? おれのために、か……?」
ほとんど独言のように呟いたマイクロトフに、ミゲルは大きく頷いた。
「追ってください、おれは逃げも隠れもしません。早く────追い掛けて、あの人を…………」
続けられずに言葉を切ったミゲルに、もうマイクロトフは構わなかった。即座に身を翻すと、激しい音をたてて飛び出していく。
ミゲルはのろのろと立ち上がった。

 

────殺されても後悔しない。
たった一度のくちづけに、命を捨てても満足だった。
人を愛するということを初めて知った。
切ない痛みも、狂おしい情熱も、すべてカミューに教えられた。
恋の始まりはあまりに突然で、終宴はもっと突然だった。
ミゲルの頬に涙が走った。
流れる涙を拭おうともせず、彼はいつまでも立ち尽くしていた。

 

 

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はいはい、青に石投げてくださいね〜(笑)

姉妹に『ここで切るのは顰蹙よ〜』とも
言われたが……(苦笑)
心優しいオオカミ君は
かくして敵に塩を送ってしまうのでした。
しょうがないよな、負け戦だもん……。

次回副題 『少年は思い出に導かれる』
(メロウだ……初めて……笑)

 

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