彼らの選択 ACT3


赤騎士団長が如何にして従騎士ミゲルを服従させたか。

それはロックアックス城中の噂だった。
先日来より、ミゲルは黙々と城の床磨きに励んでいる。
時折見回りに来る第一部隊の騎士たちに叱責されても、以前のように生意気に言い返すこともせず俯いているところから、騎士たちには何やらカミューが魔術を使ったように思えたようだ。
これまで散々ミゲルに苦い思いをさせられてきた騎士たちが、ここぞとばかりに嘲笑したりもしたが、少年が歯を食いしばって堪えているうちに、次第にそれも納まっていった。
もともと彼らは礼節を重んじることを厳しく叩き込まれている。相手にならないものを嘲笑うことの空しさを、すぐに悟ったのだろう。
ミゲルはバケツとモップを手に、屈辱の日々に耐えている。
無論、心底従順に掃除になど勤しんでいるわけではない。顔つきにも、その動作の一つ一つにも渋々という心情が現れている。カミューの握っている弱みがなかったら、即座にバケツを蹴飛ばして、ロックアックス城を水浸しにしたいくらいには憤っているのである。

 

白騎士団を追い出されることは願ったりだった。
彼はゴルドーが嫌いだった。あの尊大な態度、自分が一番でなければ耐えられないといった風情には少しも尊敬できるところが見つからなかったからだ。
出来れば青騎士団に行きたかった。そこには唯一、彼の尊敬する男がいたから。
第一部隊長・マイクロトフ────。
彼が立場や権威に阿る人間でないことは騎士団中の人間が知っている。それでも若くして地位を得ているのは、彼の実力が飛び抜けているからだ。
無骨で無鉄砲な性格を、青騎士の誰もが苦笑しながら愛しているのを、ミゲルは噂に聞いていた。マイクロトフの下に配置されたなら、生まれ変わって勤めたいとさえ思っていたのだ。
ところが、思惑は外れてしまった。赤騎士団に配置換えされたのは、ミゲルにとって不本意以外の何ものでもなかった。
この赤騎士団を率いるカミューは、確かにマチルダ騎士団史上最年少で団長に上り詰めた人間だ。ただ、ミゲルには彼の容貌や物腰が屈強な騎士団の上に立つ器とは思えなかった。
カミューの剣技は見たことがない。ただ、駆け引きや謀り事の天才であるという噂は嫌というほど聞いてきた。
してみれば、ミゲルにとってカミューは最も嫌悪する、権力に阿って自らの地位を得る政治家タイプの男ということになる。
初めから馬鹿にして、白騎士団に居たとき以上の悪童ぶりを発揮すると、最初は予想通り黙認が続いた。結局カミューは揉め事を避け、自らの立場の安寧を図っているのだろうと決めつけていた。
このままいけば赤騎士団を出され、念願の青騎士団に行けるかもしれない────そう思い始めたところで手痛い報復を受けた。
あまりにあっさりと弱みを握られ、すでに怒りを通り越していた。カミューに対する腹立ちよりも、まんまと騙された自分に腹が立つ。
その上、彼を引き受けた第一隊長ローウェルは、まったく容赦ない男だった。カミューに宣誓した通り、ミゲルを使用人のように扱うのだ。

 

────廊下の掃除など、従者だってしない。

 

彼は溜め息を吐いてモップを動かした。
騎士士官学校の後輩の少年たちが、このところずっと城に詰めたまま戻らない自分を不思議に思っているだろうと考え、憂鬱になる。彼らはミゲルがこんな無様な真似をしているなど、想像もしていないだろう。
「ああ、もう…………畜生っ!」
誰かに聞き咎められてカミューに報告されたらと思うと、罵りの声まで小さくなるのが情けない。苛立ちに任せてモップを突っ込むと、パシャンと飛んだバケツの水がミゲルのブーツを濡らした。
ふと顔を上げた彼は、向こうから並んで歩いてくる二人の男に気づいた。その一人を認めた途端、胸が熱くなる。
────青騎士団、第一部隊長マイクロトフ。
上背の高い、がっしりした体躯。きびきびとした動作に漲る自信と誇り。大股で歩いてはいるが、横の人物に合わせて歩調を押さえているのが感じられる。
その傍ら、優雅な歩を進める青年を見ると、今度は苦いものが込み上げた。
尊敬する男と肩を並べて歩くにはあまりに異質な赤騎士団長。
軽鎧の肩当てによってかなり体型は隠されているが、明らかにマイクロトフに比べて見劣りする肢体。
硬質なマイクロトフと柔和なカミュー。騎士団において二人の友情を知らないものはいない。二人がかつて同じ日に騎士としてエンブレムを受けたというのは、騎士たちの伝説になりつつある。
ミゲルに気づいたのはカミューが先だった。彼は自団の従騎士がメイドのようにモップを持っているのを見て、一瞬苦笑した。
むっとしながらもミゲルが威儀を正して廊下の端に寄ると、そこで初めてマイクロトフが少年に気づいた。
「…………?」
怪訝そうにカミューを見遣る。カミューは薄く笑って立ち止まった。
「紹介するよ、マイクロトフ。これが噂の従騎士殿さ」
「────何故、掃除なんぞをしているんだ……?」
尊敬する男の素朴な疑問は、ミゲルの胸に突き刺さった。
「力が余っているようなので……な。こうして城に奉仕するのも、騎士の務めさ」
「……そういうものか?」
マイクロトフは幾度か瞬いた。
「ミゲル、闘技場の騎士の像も磨いておくように」
カミューは微笑みながら命じた。ミゲルは一瞬答えに躊躇したが、彼はその躊躇いを許さなかった。
「どうした、不満か?」
「────わかりました」
憮然として応じるミゲルを一瞥し、マイクロトフはカミューに視線を戻した。柔和に見える顔立ちが、だが決して逆らうことを許さない上官の顔になっているのに目を細め、小さく息を吐く。
「行こう」
促して歩き出すカミューに、マイクロトフはもう一度だけちらりとミゲルを見てから従った。
去っていく二人を見送りながら、ミゲルは切なげな顔で呟いた。
「…………畜生────」

 

 

 

マイクロトフはカミューの背中に尋ねた。
「あれが例の問題児だろう? 大丈夫なのか?」
「何がだ?」
カミューは小首を傾げてマイクロトフの追いつくのを待った。
「その……あんなふうに誇りを傷つけるような真似をして……恨まれないか?」
「────誇り?」
カミューは美しい顔を微かに歪めた。
「あいつの誇りなど、所詮は前・白騎士団長のご威光に基づいた紛い物さ。そんなものを潰すのに、何をいちいち気にする必要がある?」
「そうは言ってもな……」
マイクロトフはやや声を潜めた。
「────上官だろうが平気で殴るような奴なのだろう?」
「わたしがミゲルに殴られるとでも?」
カミューは朗らかに笑う。
「それこそ余計な心配だ。触れられる前に、わたしは十回はあいつを張り飛ばしている」
「ああ、まあ……それはそうだろうが」
カミューを守ってきたのはその天性の敏捷さだ。はるかに体格の勝る相手を捩じ伏せるだけの瞬発力────それは闘ったものでなければわからないだろう。
マイクロトフは素直に認めたが、それでも心配そうだった。
「────わたしは待っているんだ、マイクロトフ」
ふとカミューは口調を改めた。怪訝そうなマイクロトフに、微笑んで続ける。
「ミゲルがつまらない意地を捨て、自分自身の誇りを築くのをな。それも遠くないと思っている」
「自分自身の誇り…………」
「ルチアス様に支配されない、彼だけの価値観を見つけるのを────すべてはそれからだ」
「カミュー……」

マイクロトフは頷いた。ずっと一緒に歩いてきたからこそ、彼にはカミューの意志が理解できる。
ただ、自分にはそうして待つことはできないだろうという確信があった。カミューには、彼には思いもつかない忍耐強さがあるらしい。
「────張り倒すときは、加減してやれよ?」
苦笑しながら言うと、恋人は抱き締めたいほど綺麗な笑みを浮かべた。 

 

 

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今回はちと短め更新。
切り所が難しかったので〜。
今後、短いときと長いときの差が激しいです。
せめてこの連載はさくさく進めたい……。

さて。
赤、いぢわる姉さんが堂に入ってます。
こういうのは癖になると思われます(苦笑)
次回副題 『団長私室は闘技場』。

 

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