彼らの選択 ACT29


久しぶりに自由時間を与えられたミゲルは、ローウェルを探していた。
通常、従騎士には騎馬訓練は行なわれない。馬を自由に使うことを許されるには騎士以上の位が必要なのだ。
しかし、ローウェルはミゲルに意外な寛大さを見せていた。洛帝山の事件以来、彼はミゲルに乗馬の訓練を始めていたのだ。
あのとき、もっと巧みに馬を操れていたならカミューの危険を回避させられたのではないかと自責にかられるミゲルを敏感に察していたのかも知れない。ローウェルは時間を裂いては熱心に彼に馬を仕込んだ。
その好意に答えるため、必死だった。今日も、一人で馬を操ってみようと思ったのだが、それには一応ローウェルの許可がいる。
城をうろついて、ふとランドのもとだろうかと思いついた彼は、足早に騎士団長執務室を目指した。
ちょうど廊下を曲がったとき、執務室に入っていく人影を認めて眉を顰た。
アレンがいるのはわかる。しかし何故、他騎士団の人間であるマイクロトフが一緒なのか。
────答えは一つ、カミューに何かあったのだ。
「どうしたんですか、ミゲルさん?」
不意に背後から呼ばれて飛び上がった。そこにはラウル少年がにこにこ笑って立っていた。手にお茶のセットを乗せたトレイを持っている。
「あ、ああ。その……ローウェル隊長を探してるんだが……」
「ローウェル様なら、執務室です。でも、これから打ち合わせですから……入室はちょっと無理だと思います」
カップの数は五つ。ミゲルはますます不思議に思った。
「ぼく、これからお茶を運びますけど……何か伝言できることだったら……」
「そ、それじゃ……馬を使わせていただきます、とだけ……頼めるか?」
「馬ですね? わかりました」
可愛らしく微笑んで頷き、歩き出そうとした少年に慌てて声を掛けた。
「何かあったのか?」
「え?」
「その……カミュー団長に何かあった、とか……」
自団の騎士隊長たち、その上マイクロトフが呼ばれているとなってはそれくらいしか思いつかない。必死のミゲルにラウルはきょとんとして、すぐに首を振った。
「いいえ、まさか。ゴルドー様がお戻りになられるようなんです。きっと、その件だと思います」
「そうか……」
言葉巧みに流したようなラウルの答えに一応頷いてはみせたが、納得したわけではなかった。だとしたらマイクロトフがいる理由にはならない。
執務室に入っていく少年を見送って、しばらく考え込んだ。それからふと思いついた。
ということは今、カミューは一人であの家にいる。
あの日、戸口でマイクロトフにしがみついていた彼を見てから、ずっとミゲルは胸の蟠りと戦い続けていた。
どうしてもわからない。とにかく、異質なものを見た後味の悪さだけが残っている。

 

────訪ねてみようか。

 

そう思いついたとき、目が覚めるような気がした。
考えてみれば、カミューをあんな目に遭わせてしまった自分が見舞いに行くのは左程不自然ではない。体調は悪くないと言っていたが、あれもひょっとすると周りを気遣っての偽りであるのかも知れなかった。
だとしたら、ゴルドーが戻ることで休暇を繰り上げねばならないという理由から上官たちが困惑していても頷ける。カミューの状態を知るためにマイクロトフが呼ばれたのだと結論付けることもできた。
思いつくと、いてもたってもいられない。ミゲルは騎馬訓練を諦め、踵を返した。足は真っ直ぐに城門に向かっていた。

 

 

 

「しかし、参った。ゴルドー様の気紛れには……」
ランドが憮然とした表情で唸る。居並ぶ赤騎士隊長らも同様だ。
「つい先日、滞在が長引くと連絡があったばかりなのに……肩透かしを食らった気分だ」
「正式な伝令がきたのですか?」
マイクロトフが問うと、しばらく赤騎士たちは顔を見合わせていたのだが、やがて代表する形でローウェルが答えた。
「実は……事後報告ではあるが、カミュー様の休暇取得をお知らせしたのだ。その際に、伝令に走らせた我が隊の騎士を数名、そのままグリンヒルに潜ませておいたのだよ」
「────え?」
「ゴルドー様の気紛れは、今に始まったことではない。こんなこともあろうかと……動向を探るためにな」
ランドが補足した。
マイクロトフは苦笑した。よりによって赤騎士団は、マチルダ騎士団の最高司令官をスパイしていたと言う訳だ。
「昨日、知らせが来た。どうやら来週開け早々にも戻られるようだ、と」
「それは、また……────」
「休暇自体は認められているので問題ないが、これまでのカミュー様であれば、ゴルドー様のご帰還となれば休暇の繰り上げくらいはなさるだろうと……」
「なるほど」
確かにカミューならばやりそうだ。マイクロトフも難しい顔で頷いた。
「どうでしょう? カミュー団長は職務に復帰しても問題ないと思われますか?」
アレンの問いに、ますます渋い顔になる。
「知識や心得は問題ないと思う。ただ────」
「ええ、今のカミュー団長はゴルドー様のことを全くご存じないのですからね……それはどうにも厄介です」
「いや、実はそれだけでは…………」
言い難い思いで一杯になり、声が掠れた。
「ここ数日……カミューの様子がおかしくて……」
「おかしい? お、おかしいとはどのように?」
エドが目を剥いた。
「非常に不安定になっている。打ち沈んでいて……どうにも元気がない。食欲も落ちてしまって……」
「ど、どうなさったのか」
あの一度だけのくちづけだけが原因だとも思えなかった。しかし、説明することなどできない。マイクロトフは困り果てて首を振る。
ランドが考えた挙げ句、口を開いた。
「本来、最初にそうなるべきだったのが今になって起きた……、ということかな」
「?」
一同が彼に注目した。
「考えてもみるがいい、カミュー様の置かれた立場はまったく複雑で、途方に暮れるような事態だ。あの方は実に前向きに、必死に我らに応えようと努力なさってくださった。しかし、普通なら落ち込んだり悩んだりしてもおかしくない状況だ」
「これまで耐えてこられた反動、ということでしょうか」
ローウェルが重い口調で返すと、ランドが苦く唇を噛み締めた。
「よりによって一番最悪の時期に……いったい、どうしたらいいのだ」
「わ、我らが励ましに行ってみたらどうでしょう」
エドの提案は、即座にアレンに却下された。
「そういう精神状態の時に、ぞろぞろ押し掛けてみろ。ますます追い詰めてしまうことになる」
「わたしもそう思う。週明けまであと四日、何とかカミュー様のご気分が戻るよう、祈るしかないが……こればかりはなあ……」
ランドが深い溜め息を吐いてマイクロトフを見上げた。
「何か……こう────カミュー様をお慰めできるような手段を知らないか、マイクロトフ殿?」
「慰める手段、ですか────」
マイクロトフも必死に考えた。しかし、彼の思いつく手段といったら、いずれも人に言えないものばかりだ。
これまでカミューが沈んでしまうには、大抵自分に絡んだ理由があった。だから、それを癒すには優しい抱擁が一番効果的だったのだ。
苦い思いで首を振るマイクロトフに、一同は困惑したまま溜め息を吐いた。彼が思いつけないものを、他の誰が思いつけよう。
「────やむを得ない。やはり体調が思わしくないということで通すしか……」
「しかし、あまり体調を崩し続けているというのも……解任の材料にはならないでしょうか」
一同は再び答えの出ない堂々巡りに入った。

 

 

 

ミゲルは悩んでいた。
カミューを訪れるために城を出て、道中あれこれ考えていた彼の目に、ふと飛び込んだ色鮮やかな花の群れ。ロックアックスでも一、二を争う大きな花屋の店先である。
ミゲルの目を引いたのは、目の覚めるような大輪の紅いバラだった。華麗で、鮮やかな中に風雅な香りを漂わせる真紅は、これから訪ねる人の姿を思わせた。
立ち止まって真剣に見入るミゲルに、奥から出てきた店主が気づいた。あまりに真剣そのものの若い男の表情に、店主は何事か思い至ったように微笑んで声を掛けた。
「お目に止まりましたか? 素晴らしいでしょう、これだけのバラはなかなか手に入りませんよ」
「あ、ああ」
不意に掛けられた声にミゲルは狼狽えたが、それでも目が離せずにいると、店主が横に並んでまだ開きかけの一本を抜き出した。
「鮮やかな紅でしょう。普通はもう少しくすんだ色が多いんです。でも、こいつは違う。選び抜かれた原色の紅、といった感じでしょう?」
「本当に……」
店主は悪戯っぽく目を細めた。
「贈り物ですか?」
「え…………え?」
思いがけない言葉にミゲルは目を見開いた。確かに、カミューを思い描いていたのは事実だが、そこまで深く考えていたわけではない。
「この花は誰にでも似合うというものではありません。よほど高貴で美しい方なのでしょうねえ……いや、羨ましい」
年若いミゲルが乙女に贈るための花を選んでいるのだと、店主は勝手に勘違いしてしまったようだ。心底感心しているような店主に、ミゲルはおろおろするばかりだった。
「い、いや、そういうわけでは……」
「これだけのものを贈られて感動しないお嬢様はおりませんよ。よろしい、特にお安くしておきましょう!」
「あ、あの────」
「今日は特別の日なのでしょう? ええ、わかりますとも。若いというは良いことですなあ」
にっこりされて、違うのだと言い出せなくなった。結局商売上手な店主の相手ではない。ミゲルの小遣いは真紅のバラの花束に変わってしまった。
初めての家を訪問するのだ。手ぶらではまずいだろうと彼も思っていた。しかし、これではまるで恋しいレディの家を訪れる若者のようだ。今更のように苦笑しながら、ミゲルは花束を抱え直した。
改めて見ても美しいバラだ。あの華麗な団長にはよく似合っている。
彼ならば、この花に見劣りしないだけの華やかさをもっているし、あるいは喜んでくれるかもしれないと思い込むことにした。
一度だけ向かった家だが、あの日の記憶はミゲルに焼き付いている。迷うこともなく、僅かに街路から外れた一角に足を入れた。
見覚えのある屋根が見えてくると、ミゲルは緊張の高まりに足が震えそうになった。

 

マイクロトフは伝えてくれただろうか?
自分がカミューの期待に応えようと必死に努力していることを。
そしてあの若い団長は、それを認めてくれるだろうか……?

 

ドア口に立ったときには、彼の胸は早鐘のような音を立てていた。執務室を訪ねた頃のように、赤騎士団長は親しげに迎えてくれるだろうか────
そんなことを考えていたミゲルがノックしようとした途端、扉が大きく開かれた。
「マイクロトフさん? 早かったね!」
綺麗な笑みを浮かべた端正な顔が、唐突にミゲルの前に現れた。
「!!」
足音を聞きつけたのか、家人と誤解して開かれた扉の向こう側の笑顔は、ミゲルを認めた瞬間に凍りついた。眼差しに緊張が駆け抜け、慌てて扉を閉ざそうとする。
ミゲルは反射的に閉じられるドアの隙間に爪先を挟み入れ、同時に片手で扉を掴んだ。
「ま、待ってください!」
足を挟んだまま、彼は大きく力を込めて扉を引いた。
力ではミゲルの方が上だった。支えきれずに扉が開かれる。刹那、怯えたようにカミューは室内に逃げ込んだ。
ミゲルは呆然としたまま、同様に室内に足を踏み入れた。部屋の中央まで下がり、警戒と後悔を浮かべて睨み付けるカミューを見詰める。
「カミュー……団長……?」
ミゲルは一瞬で理解していた。
このところずっと感じてきた違和感。

────これはカミューであって、カミューではない。

ミゲルに心情を隠し通せず、竦み上がっている彼は、冷徹な騎士団長であろうはずがなかった。
カミューの目に苦悩が過った。長い対峙の後、彼は終に震える声で言った。
「…………言わないで」
「え?」
「頼むから、黙っていて。でないと……みんながしてくれたこと、全部無駄になっちゃうんだ 」
弱々しく訴えたカミューに、ミゲルは眉を寄せた。
どういうことなのかなど、まったくわからない。しかし、彼のこんな口調を聞いて詰問することなどできはなしない。
言葉もなく凝視するミゲルに、カミューは儚げに笑った。その笑みには確かに彼の知っている青年の面影が残っている。
「……全部、話すから────だから……お願い」

 

 

ミゲルは静かに後ろ手に扉を閉めた。

 

 

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ぬう。
先日のキリリクとアップの順番を誤ったかも(笑)
一応普通に働いてるときもあるんですよ。

さて、終にミゲル君と13赤の遭遇です。
へっへ、羊の皮を纏ったオオカミ君が来たよ〜〜
狩人のお兄さんはまだお城だよ〜〜。

次回副題 『リミットブレイクへの秒読み開始』
(……何つータイトルじゃ……)

 

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