「お、お呼びくださってありがとうございます、マイクロトフ隊長!」
かちかちに緊張したミゲルが姿勢を正して言い放った。
マイクロトフは直ちに彼が意識を改めたということを認めた。以前一度だけ顔を合わせたときにはなかったものが、彼の表情に溢れている。高みを目指す者だけが持っている、強い信念の光だ。不貞腐れたようにカミューを見ていた瞳が、今は輝くような意志に溢れていた。
「……前に一度、すれ違ったな」
彼が言うと、ミゲルは頬を染めた。
「お恥ずかしいところをお見せしました」
「カミューに対する反感は捨てたのか?」
その問いにミゲルはいっそう背筋を正した。
「おれが愚かでした。カミュー団長には無礼の数々を……深く反省しております」
そうか、とマイクロトフは呟いた。
「何故、突然考えを改めたのか聞かせてもらおうか」
剣の稽古をつけてもらえると聞いて、慌てて飛び出してきたミゲルだった。思いがけず会話を持ちかけられて戸惑った目をしたが、すぐに気を取り直して答えた。
「誤っていたと気づいたからです。カミュー団長は尊敬に値する方だった。おれはずっと、曇った目であの方を見ていたのです。おれがカミュー団長を危険に遭わせてしまったことは…………ご存じですよね?」
「ああ、ランド副長から聞いている」
苦しげにミゲルは顔を歪めた。
「安否が確かめられるまでの謹慎期間中……生きた心地もしませんでした。おれの所為で団長にもしものことがあったら、と────
」
「危ない目に遭わせたことで、気づいたと?」
「いえ、それだけでは…………おれは、つまり────」
ミゲルは必死に言葉を探した。
「……おれは、ずっとマイクロトフ隊長に憧れていました。白騎士団を追い出されたのは幸いで、もし青騎士団に行けたら……そうしたら態度を改めて、いつかマイクロトフ隊長の部下になれたら、……そんなことを考えていて」
彼は俯いた。
「でも────赤騎士団に移されて……正直、不満でした。おれは……その、カミュー団長を見誤っていたから」
窺うマイクロトフの視線に、いっそう声が低くなる。
「……剣と誇りだけで団長になったとは思えなかったんです。世渡りが上手い、というのは聞いていたし……世事に長けただけで昇進したと思い込んでいて────」
「────だから、反抗した」
はい、とミゲルは小さく頷いた。
「それだけの人物じゃないと、すぐに気づきました。でも、なかなか認められなくて────そのうちにあんなことになって……おれは心底後悔した」
次に顔を上げたとき、ミゲルはすでに少年とはいえない男らしさの溢れる笑みを浮かべていた。
「カミュー団長は剣を捧げるに躊躇うことなき、素晴らしい団長です。おれは早く騎士に叙位されて、これまでの分まで剣を振るいたい────」
自分の聞きたい一点をはぐらかされたようで、マイクロトフは眉を寄せた。しかし、あるいは本人も気づいていないのかも知れないと思い直した。ならば、藪を突いて蛇を出す危険は冒せない。
「……わかった。おまえの決意に期待する」
ミゲルは紅潮して頷いた。
「では、剣を見てみよう。打ち込んでこい」
すぐにミゲルは構えに入った。それを見てマイクロトフはおや、と思った。
確かに自分の構えによく似ている。カミューが自分に教えを受けろと助言したのも頷けた。だが、その中にほんの微かに見える別の気配を見逃すことはない。
────カミューの構えだと即座に察した。
一見ではよくわからない。けれど、ここ数日、連日カミューの剣の相手をしている彼には、微妙な点でミゲルがカミューを模倣しているのが感じられた。
打ち込んできたミゲルの剣は重い。自分そっくりな力配分だ。振り下ろす角度まで、見事にマイクロトフの癖を捉えていた。しかし、そこに含まれた素早い防御の姿勢はカミューのものである。彼ほど巧みではないし、まだまだ練習途中といった感じであるが、防御から払いに転じた攻撃は、まさにカミューの剣技をそのまま取り入れたと言えた。
不意に感情が揺れた。
適度に相手に合わせていた剣先が、次第に力任せの打ち込みに変わる。たちまち防戦一片となったミゲルは、やがて鋭い一閃に構えを崩した。そこへ更に打ち込まれた攻撃に、ミゲルは仰天した。
「うわっ……────!」
叫びと共に受け止めた剣が鈍い音を上げる。火花が飛んだかと思われるほど、マイクロトフの攻撃は重く、強かった。
マイクロトフはようやく剣を止めた。
「────いい腕だ」
正直な感想だった。ミゲルの剣はまだ方向性が定まり切っていないながらも、現在のカミューと同等、あるいはそれ以上だった。
「悪くない」
「あ、ありがとうございます……」
やっとのことでミゲルは礼を述べた。全身が微かに震えている。今の一撃、本気で殺されるかと思うほどマイクロトフの剣には鋭いものが感じられたのだ。
「確かにおれの剣技に似ている気がする。防御が不完全のようだが……」
「は、はい。訓練を始めたばかりなので────」
ミゲルはつっかえながら説明した。
「マイクロトフ隊長に近づけるよう、剣技を磨いてきたつもりです。でも、攻撃にばかり重点を置きすぎているとカミュー団長に指摘されました。マイクロトフ隊長と同じ腕ではないのだ、と…………ならば防御にも努めねばと最近は────」
「カミューに、か……」
マイクロトフは考え込んだ。やはりわだかまりが消えない。
「────なるほど。それでカミューの防御を真似たわけか」
ミゲルはさっと紅潮した。
「そ、そういうわけでは……ただ、とても見事な防御なので、つい……」
言ってみれば、ミゲルの剣技はマイクロトフとカミューのそれを足して割ったようなものだった。まだ熟練されていないが、短時間でここまで自分のものに出来るならば、彼に合った型なのだろう。マイクロトフはそう認めた。
「────わかった。ただ、防御に気を取られすぎて、攻撃とのバランスが悪い。特に、払う剣で決めようとするときの防御がちぐはぐで、かえってそこをつけ込まれるぞ」
マイクロトフはしばらくミゲルの剣を見定めて、あれこれと注意をしてやった。一時間もすると、彼の動きは格段に進歩を遂げた。
胸に澱む感情はさて置いて、誰よりもこうした指導に夢中になる質のマイクロトフは、いつしかミゲルと同様に心地良い汗に濡れていた。彼は持っていたタオルで軽く汗を拭った。
「最初はこんなものだろう。どうだ、動きにくくないか?」
「いいえ」
ミゲルは感動ながら答えた。
「前よりずっと攻撃に移りやすいです」
試すように動きを繰り返し、喜色満面で微笑む。
「ありがとうございました、マイクロトフ隊長! おれ、精進します」
「うむ」
ミゲルの態度から、カミューの異変への疑念は感じられない。カミューはあれほど気にしていたが、やはり思い過ごしだろうとマイクロトフは胸を撫で下ろしたのだが────
もう一度丁寧な礼をした上で、ミゲルはふと切り出した。
「……カミュー団長はどうしておられますか?」
「どう、とは……?」
来たか、とマイクロトフは緊張を高めた。
「……何か気になることでも?」
「いいえ、そういう訳では────」
ミゲルは口籠った。マイクロトフは注意深く相手を見つめた。しかし、彼はすぐに首を振った。
「お元気ならばいいんです。その……、おれが真面目にやっていると……伝えていただけませんか?」
「────わかった、そうしよう」
マイクロトフは薄く笑って頷いた。
これが純粋な敬慕なのか、あるいは自分が危惧していることなのか、判断がつかない。
「ご苦労だったな。そろそろ戻れ、ミゲル」
「はい。本当にありがとうございました」
ミゲルは最敬礼して去っていくマイクロトフを見送った。
ずっと憧れていた人物である。
そんな男に稽古をつけてもらったのは素直に嬉しかった。腕を認めてもらえたことも彼を喜ばせたが、今はそれを見せたいもう一人の人物がいる。
────あの人は今頃どうしているだろう。
お荷物の問題児だった自分を、時には思い出してくれているだろうか…………。
過ぎったそんな思いに照れ臭さを感じ、ミゲルは足下に視線を落とした。そこで、落ちていたタオルに気づいた。マイクロトフが汗を拭いたものだった。
「あっ、マイクロトフ隊長────」
慌てて呼び掛けようとしたが、すでに彼は視界にいない。急いで見回すと、はるか彼方を行く男が見えた。
マイクロトフの歩調は早い。即座に追い掛け始めたミゲルだが、まったく追いつける気配がなかった。
騎士としての礼節から、街中を突進して駆ける習慣はない。急ぎ足で追えども追えども、マイクロトフとの距離は縮まらなかった。
それもそのはずである。マイクロトフは実に急いでいたのだ。ただでさえ早い足が、駆け出す寸前まで速められている。
昼前に戻ったとき、カミューは昨夜のことなど忘れたかのように朗らかに彼を迎えた。買って帰った昼食をテーブルに並べ、ソファに向かい合うまで、マイクロトフもカミューの変化に気づかないほどだった。
ところがカミューは食事がまったく進まなかった。もともと大食な質ではないが、ほとんど喉を通らないのではないかと思われるほど摘む量が少なかったのだ。
当然マイクロトフは指摘した。が、カミューは食欲がないのだと微笑むだけであった。
明るく振舞ってはいるが、やはり相当昨夜のことがショックだったのかと案じたが、少し違うようだ。カミューは決してマイクロトフを厭っていなかった。出掛けるときに見せた寂しそうな表情が、それを物語っていた。
本当はミゲルのことなど放って置きたいほど気になったのだが、こちらから呼びつけておいて反故にするのは、さすがに礼儀を欠いている。やむなく一人残して家を出たものの、一刻も早く様子を見てやらねばと焦っていたのだ。
ミゲルは結局、マイクロトフを見失わないようにするだけで精一杯だった。やがて街中から少し外れるような形で建っている一件の家の前で彼が立ち止まったとき、思わずミゲルは身を隠していた。扉を開けて出迎えたのが、懐かしい赤騎士団長だったからだ。
────しかし、様子がおかしい。
その表情が、ひどく幼げに見えた。その上、彼はマイクロトフの姿を見るなり躊躇なく腕に飛び込んで、男の胸に顔を擦り付けたのだ。
置き去りにされていた子供が父親に見せるような仕種は、ミゲルを面食らわせた。同時にマイクロトフの見せた顔が、あまりに包み込むような笑顔だったので、いっそう困惑した。
泣いているのだろうか────ミゲルは眉を寄せた。慰められるようにぽんぽんと背中を叩かれているカミューは、異質以外の何ものでもない。両腕でしっかりと男を抱き締め、幾度も頷いている姿はミゲルを混乱させるばかりだった。
確かにここは人通りの少なそうな一角だ。だが、まるで無人というわけでもないだろう。人目につく危険性も考えていないような行為は、まったくおかしい────不自然だ。
ずっと胸に押し込めていた疑念が、一気に膨れ上がった。それは殺そうにも殺せない勢いでミゲルを支配した。
やがてマイクロトフに押しやられるようにして家内に入っていったカミューの青白い横顔から、最後までミゲルは目を離すことが出来なかった。
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