彼らの選択 ACT24


カミューがマイクロトフとの接触に警戒を解いたのは、僅か一晩後のことだった。

 

目覚めて一瞬自分の立場を理解できなかった彼は、室内で元気に筋力トレーニングに励んでいる男によって迎えられ、それから温かなパンとスープだけの朝食をとった。
男の表情には忌まわしい欲望の色合いは一切なく、最初に感じた信頼がやはり揺らがないのを確認させられたカミューだった。
彼が眠り込んでいる間に買い出しを済ませ、その上習慣の訓練をすべてこなしたマイクロトフは、ベッドでゆっくり眠ったはずのカミューよりも晴れやかな顔をしていた。大きな図体を縮こまらせてソファで休んだ夜は苦痛ではなかったのかと案じたカミューだったが、テーブルを挟んで向き合う男から、疲労の匂いは感じられなかった。

それから開始された勉学は、カミューには楽しくてたまらないものだった。マチルダ騎士団の歴史から始まって、現在に至るまでの周囲列国の情勢、幾度もかわされた戦火、その折に騎士団が果たしてきた役割をみっちりと講義される。
時折、戦場での逸話などを盛り込んだ話はカミューを魅惑したし、またマイクロトフも、いちいち目を輝かせるカミューの反応に胸を踊らせた。

午後になって外に食事を摂りに行き、それからあの丘に登った。
今度は人目を気にしながらではあるが、従者や見習い・従騎士と、騎士に叙位される前の存在について詳しく教えられた。これまで理解不能だったあれこれが見えてくるようで、カミューはいっそう熱心に学び取ろうと耳を澄ませた。
最初から飛ばしすぎてていたが、カミューのあまりの真剣さに、マイクロトフは予定していた倍もの講義を終え、やがて首を振った。
「……一度に多くを詰め込みすぎだ。今日はこのくらいにしよう」
言われてカミューは不承不承頷いて、するりと立ち上がって丘からの眺めを見下ろした。気持ち良さそうに風に吹かれて目を細めながら。
────ふと、マイクロトフは気づいた。
相変わらず野性の敏捷さの溢れる動作だ。だが、その中に優雅で柔らかな動きが混じっている。昨日よりも更にそれが顕著だった。カミューの様子を見ていると、努めてそう振舞っているようには見えないのだが、確実に自らの矯正を始めている。
こうして未来の自分を作り上げていったのだろうか。

マイクロトフは切ない気持ちに襲われた。
今のままでもカミューは十分魅力的ではある。だが、確かにこれでは団長まで這い上がることはできなかったかもしれない。どこで彼がそれを自覚したのか不明だが、自分を変えることに抵抗はなかったのだろうか────

「ねえ、剣の稽古は?」
振り返りざまにカミューが問い、その眼差しにひどく穏やかな気配を感じてマイクロトフは呆然とした。口調の幼ささえなかったら、これは十年後の彼の表情だ。
「あ、ああ。それじゃ……家に戻るか」
「庭先でやるの?」
「広さは十分あるからな。それにあの家の周辺は滅多に人が通らないんだ」
斯くして、少し後に二人は自宅の庭で剣を手に対峙していた。
マイクロトフの胸に不思議な感慨が呼び覚まされる。
カミューとこうして向かい合うのは何年ぶりだろう。
あの、洛帝山に向かう草原で再試合をしてから九年あまり。その後、訓練として幾度か個人的に剣を交えたことはあるが、所詮二人は別の騎士団に所属していたこともあり、その数は多くなかった。
構えは当時と変わらない。
隙のない、緊張の行き渡った姿勢。鋭い光を宿す美しい瞳。既視感というのはこういうものかとマイクロトフは思った。
「では、打ち込んできてみろ」
軽く言われてカミューは早速間合いを計り始めた。腕力のない自分を十分に認め、彼はいつでも持てる最大の力をふるって敵に対峙した。その気高い意志の力を漲らせる顔は、マイクロトフの目眩を誘う。
繰り出されるカミューの剣は、マイクロトフの知る彼の腕に比べるとやや粗削りだが、同じ年頃の少年では遠く及ばぬ天賦の才だ。騎士試験でも感じた酩酊に震える。

────これはカミューだ。

年齢の分だけ未成熟だが、鋭い切先の端々に舞うようなリズムがある。それは優雅さとさえ言えるカミューの剣技の特徴だ。
試しに少し攻撃を仕掛けてみると、カミューはさらりと受け流した。小馬鹿にしたような敏捷さに苦笑した。繰り出す剣を避ける動きはなめらかで、体重を感じさせない。更にもう一段攻撃の力をあげると、彼はユーライアでしっかりと受け止めた。
が、受け止めた姿勢のままよろめいて、とさりと芝に尻もちをついた。
「痛っ……てー……」
彼はその場に足を投げ出し、大袈裟な表情で剣を握っていた右手を振り回した。
「何でそんなに馬鹿力なわけ? 手が痺れちゃったよ」
「ああ、すまない…………つい」
彼は笑いながらカミューの前に片膝をついた。
「相手が強いと、自然と本気になってしまう。それだけおまえがやる、という証拠だ」
褒められて少しだけ嬉しそうに微笑んだカミューは、すぐに渋い顔になった。
「……やっぱり、感じが掴めないなあ……身体が大きくなった分、ユーライアは扱いやすくなったけど……間合いが掴めないし、力の使いどころもわからないや」
「────そのうち慣れるさ」
「だといいんだけど────」
カミューは神妙に呟いて、不意に目をくるめかせた。
「ね、『カミュー』ってどんな剣士だったの? 何が得意だった?」
「そうだな……」
マイクロトフはカミューの剣を思い出しながら答えた。
「やはり速さを信条としていたな。相手の攻撃をやり過ごして、懐に飛び込んで一気に決める。打ち下ろすよりも、払う剣が多いな」
「それはそうだよ、その方が力を使わずに済む。体力温存を第一に考えないとね」
なるほど、と笑ってマイクロトフは続けた。
「一番の得意技は────そうだな、自分にわざと隙を作って、相手が攻めてくるのを逆手に取る、という戦法だろうか。おれも最終試合でそれをやられた」
苦笑が混じる。
────あれは実に巧妙だった。あのときカミューが手を痛めておらず、わずかに剣先が鈍っていなかったら、仕留められていたかもしれない。マイクロトフの追想は、カミューの朗らかな声に遮られた。
「なーんだ、それって今と同じ。みんな大体引っ掛かるんだよね。オレの見てくれに騙されるの。ここらが限界だろう、ってさ」
座り込んだままくすくす笑うと、カミューは少し考えた。
「随分大きくなったけど……そういうのって変わらないものなのかなあ……」
「腕力に頼らない分、頭のいい戦い方をしている、ということだろう? おまえはそれで頂点を極めたのだから」
「……あんたの剣は真っ直ぐだね」
カミューはにっこりした。
「そういうタイプと戦ったの、初めて」
「そうか?」
怪訝そうにマイクロトフが首を傾げる。
「おれは力任せだからな……そういう意味ではおまえと正反対だが」
「ランドさんが言ってた。あんたと『カミュー』は正反対だって。性格のことだけじゃなかったんだ」
カミューは膝を抱えた。
「あんたを一言で語り尽くせないって言ってたけど……本当だね。単純そうに見えたけど……度の過ぎた単純は奥深くなるんだってわかったよ」
「何だ、それは」
マイクロトフは笑いながら首を傾げた。
「さあ、そろそろ日が落ちる。この時期のロックアックスは冷えるからな、油断しない方がいいぞ。一度汗を流して、それから食事に出よう」
「うん」
ふと、カミューは目の前に差し出された手に瞬いた。起き上がるのに手を貸されているのだ、と気づくまで少し時間が掛かる。
この手は『カミュー』に触れた手だ。唇をなぞり、肌を撫でた手だ。一瞬そう思った。
しかし、掌は大きくて、その手がとても温かいことを彼はすでに知っている。
微かな躊躇いをどう取っているのか、マイクロトフの表情は優しいままだ。手を引っ込めることもなく、早くしろと促すでもなく、カミューの判断を待っている。
やがてそろそろと伸ばした手を握った男の掌は、やはり温かかった。
そこから色々な感情が流れ込んでくるような気がする。カミューには自分の感じている想いに名前をつけることが出来なかったが、強いて挙げれば慕わしい、というものに思えた。
強い力が一気に彼を引き上げた。まだ自分の身体を制することに慣れていない彼は、反動で男の胸に倒れ込んだ。広い胸は固く厚く、カミューを受け止めても揺らぎもしなかった。
「あ…………」
唐突に、胸が焼けた。
カミューは慌てて跳ね飛んで、小さな距離を取った。必死に見上げた男の顔は、どこまでも穏やかだった。
カミューの反応を拒絶と取ったのか、彼は苦笑して両手を挙げる。手出しはしないよ、との示意行動である。カミューは決してそういう意味で飛び退いたわけではなかったのだが、説明することもできずに苦し紛れに言った。
「あ……汗かいちゃった。早く風呂の用意をしてよ」
「了解した」
頷いて踵を返す男の後ろ姿。
幅の広いがっしりした肩、見事な上背、生真面目に伸ばされた背筋。動作は鍛え抜かれた剣士のもので、固い、きびきびした動きである。
男性としての誇りの滲み出るような、険しく厳しい美しさだとカミューは思った。見惚れているのに気づいたときには頬が熱くなっていた。

────これも『カミュー』のせいなのか。

あの男を見て胸に沸いてくる切ない苦しさ、甘いときめき。自分が男に見とれるなんて、そうでもなければ理由がつかない。
「どうした、カミュー? 早く来い」
振り向いた男に笑いかけられて、カミューはますます感じる痛みに胸を押さえて溜め息を吐いた。

 

 

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ちょっと平和な生活のひとこま(笑)
赤は真性ではありません、念のため。
『抱擁』は弾みだったのでした〜。

次は………青の忍耐切れてみたり(苦笑)
13赤もちょっと切れてみたり。
これは…………修羅場…なのか……?

次回副題 『誘った代償は高くつく』

 

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