彼らの選択 ACT23


言われた通り、小走りに部屋を駆け、鍵をかけた。
それだけでは足りなくて、何か障害物を置きたかったが、役目を果たせそうなものは何もない。普通ならベッドの横にサイドテーブルがあるのだろうが、この部屋はベッドの頭部の部分が窪んでいて、そこに明かりや本が置ける仕組みになっているのだ。
────剣を置いてきてしまったのは失敗だった。
だから、あの男はあんなにも余裕があるのだろうか。
今更のようにカミューは歯噛みした。が、落ち着いて見えた男が、内心冷や汗をかき通しだったことまでは読み取れなかった。
落ちていた枕を拾って、少し悩みながらベッドに腰を下ろす。この広いベッドで、何度自分の身体があの男に組み敷かれたのかと想像するだけで、震え上がりそうだ。
自分にそうした嗜好があるとは到底思えない。合意だったと言われては、背筋が凍るようだ。グラスランドで邪な男の手に触れられそうになるたびに、吐き気を伴った嫌悪に襲われて股間を蹴り上げたことを思い出す。
昼間、城の部屋で抱き締められたとき、泣きたくなるほどの安堵を覚えた。あのときは優しく労られてほっとしたのだと思っていたが、あるいは違うのだろうか。十年後のこの身体が恋人を覚えていて、その抱擁に満足したのか。カミューは混乱の境地に立たされた。
────しっかりしなければ。
彼は自分を叱りつけた。
頼れると思えた男も、まして未来の自分さえ信じられないとなれば、気を確かに持つしかないのだ。
努めて冷静になろうと試みると、もともと自制するのが得意なだけに、少しずつではあるがまともな思考が追いついてきた。

 

────マイクロトフが正直であったことは確かだ。
あのとき、彼は宿屋に泊まろうと提案した。
きっと、こうなることを案じて切り出したのだろう。多分、色々なことが一度に襲いかかってきたので、自分たちの家がこういう状態であることを忘れていたのだ。間の抜けた話だが、彼はそういう無器用な男なのだろう。
後で説明する、とも言っていた。
逃れられなくなって覚悟を決めたからだろうが、少なくとも誠実に振舞おうと努めていたのはわかるような気がする。
何時の自分であっても、『カミュー』には変わりはない────何度も言ってくれた言葉が蘇った。
彼は隠し通す不実より、正直に打ち明けて受けるであろう侮蔑を選んだのだ。それが彼と『カミュー』の関係そのものだったのかもしれない。

────ふと、怒りが揺らいだ。
合意である以上、彼だけを罵倒するのは不当だ。罵るなら、未来の自分もそうされねばならない。それが自分であるから始末が悪いが、責任の一端は確かにこちらにある。
相変わらず納得するには程遠いが、カミューは肯定的に考えるようにしてみた。
女性と派手な噂を立てていた自分が、何時からかはわからないが、マイクロトフを選んだ。
それは生半可な選択ではなかったに違いない。現に、今の自分はこれほど動揺し、衝撃を受けているのだ。未来の自分がほいほい喜んで彼に身を任せたなどとは到底思えない。
魂の半分、と呟いてみた。
自分が言ったのだという。その言葉はとても優しいものに聞こえた。
────誰かと心を分かち合う。
笑いや涙を一緒に暖めて過ごす。
彼には未来の自分がどんなふうにマイクロトフと過ごしていたのか推し量れなかったが、そんな相手と寄り添うことは、幸福で穏やかな時間であろうという気がした。

 

彼を案じて、ひたすら馬を走らせて現れた男。
何も聞かず、ただ黙って抱き締めて泣かせてくれた広い胸。
太い腕に包まれて、信じられないほどに安らいだ自分。
あんなに強い腕は知らなかった。
……あんなに優しい胸は知らなかった。
────あんなに慕わしい声も知らなかった……。

 

カミューはマイクロトフを嫌うことの出来ない自分に行き当たった。
手出しをしない、そう約束したからには彼は必ず守るだろう。自分がこんなふうになっていなければ、再会して即座に愛を交わしても不思議でない関係なのに、彼はそれを耐えることを自らに強いた。何より、今の『カミュー』の心を傷つけないために。

あの目は信じられる。
あの微笑みは確かだ。

それはカミューの直感だった。ひどい衝撃を受けて恨もうとしても、マイクロトフに対する信頼を破壊し尽くすことは出来なかった。
そこでまた一つ思い出した。
彼はカミューの異変を知り、遠くトゥーリバーから馬を飛ばして戻ってきたのだ。疲れた、という言葉は冗談ではないだろう。なのに彼のために奔走してくれ、その上、寝心地の良いベッドを譲って出ていった……。

 

 

カミューは跳ね上がるようにベッドから降り、足音を潜めて扉に向かった。躊躇いながらも鍵を開け、そっとノブを回した。
そこにはちょうど風呂から上がった男が、ローブ姿で戻ってきていた。彼は顔を出したカミューに驚いた顔をしたが、すぐに優しい笑みを浮かべた。
「どうした? おまえも風呂に入るか? 一晩くらい入らなくても死にはしないだろうが……綺麗好きだったからな」
沈黙していると、穏やかな笑みが苦笑に変わる。
「……心配しなくても覗かない。何なら、ここで手足でも縛られておこうか?」
「────…………ヘンなの」
カミューは毒を抜かれて呟いた。
「……やっぱりあんたってヘンな人だね」
「そうか?」
マイクロトフは火を入れた暖炉の前に座り込んだ。問い掛けるような視線に促され、カミューはおずおずと歩き出し、少し離れて敷物の上に腰を下ろした。幼げに膝を抱えて、顔だけを男に傾ける。
「…………聞いてもいい?」
「説明は上手くないぞ。おまえはこういうことが得意だったが……おれは苦手なんだ」
火掻き棒で暖炉を掻き回す男の横顔は、これまで見た誰よりも精悍で生真面目だった。カミューは口籠りながらも切り出した。
「オレたち、最初から……そういう仲だったの?」
「まさか」
マイクロトフは静かに首を振った。
「いつ、出会ったの……?」
「騎士試験の最終試合で闘ったのが初対面だった。おまえが十五、おれはひとつ年下で────おまえは細いくせに滅法強くて……だが、おれよりも試合数が多かったんだ。おれは騎士士官学校の特待生だったから、試験では幾つもの優遇を受けていた。それで、何というか……おれは公平な条件で闘いたくて、その試合をおまえに譲った」
「────ワザと負けた、……ってこと?」
カミューが目を丸くすると、マイクロトフは頷いた。
「多分、おまえは怒るだろうと思った。案の定、火を吹きそうな勢いでおれを責めた。もっとも、その頃は丁寧な口調だったが」
笑われて、カミューは渋い顔をした。
「もう一度試合をしようと言い出したのはおれだ。後から考えたんだが、……何とかおまえの気を引きたかったんだと思う。おれという男を覚えてほしくて」
「…………それって…………その…………」
「ああ……違う、そのときは純粋に友達になりたいと思っていた……、思っていたんだと思う…………いや、どうなのかな。おれにも良くわからない。だが、抱き締めたいとか、キ……キスしたいと思ったのはずっと後になってからだぞ?」
赤面して必死に言い募る男に、言われている内容はともかく、カミューは思わず笑ってしまった。
────本当に嘘のつけない男なのは確かだ。
「二度目の闘いはおまえが勝った。あれほど素早い動きをする相手は初めてだった。おれはますます感動した。友達になってくれと頼んだら、応じてくれたが……妙な顔をしていたな」
「…………そりゃそうだよ」
その年頃の男がそんな申し込みをするなんて。今の自分が聞いても可笑しいのだから、さぞ『カミュー』は面食らっただろう。
「それからは────ずっと一緒だった。所属こそ違ったが……おまえ以上に心許せる友人はなかった。どんなことでも分かち合えた」
マイクロトフの言葉はたどたどしくて、とても滑らかとは言えなかった。それだけに精一杯の誠実を感じて、カミューはやはり男を嫌えない自分を思い知った。
「出会って……七年目……、くらいだったか。ちょっとした事件があってな」
「事件?」
「────おまえには言い難いが……当時の赤騎士団長が その、おまえに……つまり、……『変なこと』をしようとしているところに出くわして」
カミューは仰天して目を見張る。
「み、未遂だったがな。おれは逆上して、そいつに決闘を申し入れた」
「決闘?」
「頭に血が昇ると、止まらなくなるのがおれの短所なんだ」
彼は苦笑した。
「そのとき、初めて気づいた。自分が単なる友人として以上の感情をおまえに持っていることに」
「…………」
マイクロトフは再び暖炉を掻き混ぜた。弾けた炎が作る陰影が逞しい胸元を照らした。
「その男を決闘で叩きのめした夜……おれはおまえにすべてを打ち明けた」
彼は顔を曲げてカミューを見詰めた。
「────抱き締めて、……キスした。おまえが欲しかったから」
思わず頬を染めたカミューに笑いかけ、彼は続けた。
「驚いていたよ。当然だな……おれはそれまで浮いた噂の一つもない、朴念仁だと思われていただろうから。だが、あのときに全部わかったんだ。おれが探していたたった一人の相手はおまえだったのだと。他の誰にも目がいかなかったのは、ずっとおまえだけを見ていたからなのだと────」
「……………………」
「────股間を蹴り上げられるのを覚悟した」
彼は思い出したように顔を歪めた。
「本当に、そう覚悟したんだ……────」
「────オレは……そうしなかったんだね……」
カミューがぽつりと呟くと、男は炎に目を戻した。
「誰より、おれが信じられなかった。誇り高いおまえを傷つけた。自分の欲求に負けて、止められなかった。だが、おまえは────」
「………………受け入れた……」
ぼんやりと後を引き取って言ったカミューにマイクロトフは溜め息を吐いた。
「おれの望むものを自分も欲しいのだ────そう言ってくれた。おまえがあのとき、おれを……その、そういう意味で好きだったかどうか、確信が持てないが……おれを傷つけないよう、我慢してくれたのかもしれないが────」
「…………他人のために承諾できるようなことじゃないよ」
抑えた声でカミューが遮った。脳裏では理性と感情が激しく争っていたが、やがて言う。
「あんたのために受け入れた、って言うなら……それは『カミュー』が自分と同じくらい、あんたを大事に思ってたってことだ。他人の気持ちを気遣う、って範疇を超えてるよ、絶対」
「そ、そうか?」
少年に諭されてマイクロトフが瞬いた。
「おまえが言うなら……そうなのだろうな……。と、とにかく……そういうことなんだ。まあ、実際にはそれからも色々あったが……今、おれに言えるのは……おれたちが互いを何よりも大切なのだということだ────」

カミューは俯いた。
感情の波が溢れそうだ。 
────男の望むものを欲しい、と言い切った自分。
そこに葛藤はあっただろう。だが、そう言わずにはいられないほどの想いがあったのだ。
彼は両手で顔を覆った。心配そうな声が掛かる。
「……大丈夫か? いきなりで驚いただろう。できれば隠してやれば良かったな────ただでさえ環境の変化でつらいおまえに、余計な悩みを与えることはなかったのに……」
「…………だから宿屋に泊まろうって言ったんだね?」
「最初に思いつかなかった。駄目だな、おれは一度にあれこれ考えるのも苦手なんだ。思い立つと、一つのことしか見えなくなる」
「……『カミュー』を好きだと思ったら、それしか考えられなくなった……?」
「そうだな」
声が笑いを含んだ。
「おまえ────いや、十年後の『カミュー』にも良く言われる。行動する前に少しは考えろ、と。だが、性分というものはなかなか変えられない」
「きっと、『カミュー』は…………」

 

────そういうところも好きなんだよ、と口の中で呟いた。

そうだ。
きっとそうに違いない。
今、自分がほとほと困り果てながら男を嫌えないように、文句を言いながらも男の性質を愛している『カミュー』が理解できる。
────『カミュー』は自分自身なのだから。
「何か言ったか……?」
怪訝そうな問い掛けに、鋭く首を振った。
どうしたのだろう。いったい自分は何を考えているのだろう────

 

「カミュー、もう休め。完全に体調が戻っていないかもしれないからな」
「────あんたがベッドを使いなよ」
彼は囁くような声で言う。
「……オレがソファに寝るから」
「何を言っている。いいから、早く寝ろ」
「……あれはオレのベッドじゃないもの」
カミューは搾り出すように呻いた。
「あんたと『カミュー』のベッドだもの……」
「だから、おまえの────」
「オレじゃない!」
ぱっと顔を上げてカミューは叫んだ。
「あんたが好きなのは 、あんたと一緒に暮らしていたのは『カミュー』だ! オレじゃない!」
それが未来の自分との張り合いなのだとは考えたくもなかった。
目の前にいる男の心を占めているのは、間違いなく同じ名を持つ別の男だ。カミューは意外なほど胸を突き刺す痛みに驚きながら叫び続けた。
「オレはあんたと抱き合ってない、あんたとキスもしていない。好きだとも言われてないし、言い返したこともない。別人だよ、あんたが言ってるのはオレじゃ……………………っ!」
不意に伸びた手がカミューの首筋を掴んだ。はっとする間もなく額に湿った感触が走る。引き寄せられて触れた唇は額に炎を灯した。
「────おまえだよ」
マイクロトフは穏やかに言った。
「何度も言っただろう? おまえがどんなであろうと、おれにはカミューでしかない。昼間、おまえを抱き締めた。好きだとも言ったな。今、キスもした。好きだとは……『カミュー』もあまり言ってくれないから、必要ない。これで不満はないだろう?」
呆然としているカミューにマイクロトフは微笑んだ。
「……手出しをしたことになるか……誓いに背いた罪で、命を絶つ必要があるか? それでも後悔しないぞ。おまえになら、命もくれてやる」
マイクロトフの目線が己の剣に向くのにぎょっとして、慌ててカミューは首を振った。
「……い、嫌がることはしない、……って言った」
「────今のは嫌がる暇がなかっただろうが……許してくれるか? おやすみのキス……ということで?」
「う、うん────」
触れた唇があまりに優しかったので、押し切られた形だが頷いた。それよりも額が燃えるように熱く、そちらの方が気になってたまらない。
「さあ、もう寝ろ。明日からみっちり騎士団のしきたりを学ばねばならないのだから」
「マ、マイクロトフさん……」
久々に名を呼ぶと、胸の奥の方が温かくなった。更に狼狽えながら彼は続けた。
「あんたがベッドを使いなよ、疲れてるんだろ?」
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃないよ。オレの方が多少は小さいし……ソファで寝るの、楽だから」
「つまらないことを聞き咎めているな」
マイクロトフは笑った。
「心配するな。それとも、一緒に寝るか?」
一瞬絶句したカミューに、彼は朗らかに言った。
「……冗談だ。おれはおまえより少しばかり頑丈にできている。気にしないで、早く寝ろ」
カミューは幾度も唇を噛み、やがて搾り出すように告げた。
「ホントに…………何もしないなら……、……一緒に寝るよ」
これにはマイクロトフが驚いた。じっとカミューを見つめる。その視線の強さに彼は戸惑い、目を伏せた。
「オレ……まだ信じられないんだけど……、でも……あんたのことは信じるよ。だから────」
「無理するな」
マイクロトフは優しくカミューの頭を掻き回した。途端に乱れた髪の中で、端正な青年の顔が妙に幼げに歪んでいる。
「今のおまえに、事実を受け入れろと無理強いするつもりはないんだ。おれに合わせる必要などない」
「でも……オレ────」
「それにな」
マイクロトフは悪戯めいた表情で続けた。
「言っただろう? おれは自制とか忍耐というものが苦手なんだ。剣に誓いを立てても、かなりつらいものがある。何しろ、おまえの寝顔はとても可愛いからな」
「なっ………………!」
カミューは一気に頬を染めた。
「あ、あんた、絶対ヘンだよ! 男相手にそんなこと……恥ずかしくないの?」
「そうか? 本当のことだから、別に…………」
マイクロトフはひとつ発見してしまった。
カミューはいつも、彼のそうした言葉にひどく狼狽して怒っていたが、照れていたのだ────恥ずかしかったのだ、と。
目の前のカミューは隠すこともできないほど赤面して、しどろもどろになっている。日頃取り澄ました男の本質を見たようで、マイクロトフはたまらなく幸福な気分になった。抱き締めて唇を貪れない無念はさておいて、やはり愛しくてたまらない。
「辛抱するあまり、寝不足になりかねない。今夜くらいはゆっくり眠ることにする。だから一人でベッドを使え、カミュー」
「バ、バ、バカみたい! 知らないよ、もう……じゃあねッ」
カミューは転がるように立ち上がり、寝室に駆けていく。鍵を掛ける音はしなかった。
マイクロトフはもう一度、扉に向かって微笑みかけた。
自分がそうであるように、あのカミューもいつかは自分に心を開いてくれるに違いない。
────同じ魂、同じ心。
いつ出会っても惹かれ合わずにいられない、それが魂の呼び合う相手である証拠なのだから。
マイクロトフが淡い期待に想いを馳せているのも知らず、カミューはベッドに身を投げ出していた。柔らかな寝床に横たわり、そっと額に指を伸ばす。
ほんの一瞬触れただけの唇。そこから痛みにも似た熱が広がり、すでに全身に行き渡ろうとしている。
『カミュー』の身体が願っているのだろうか────選び取った男の体温を噛み締めようと。
痛みはやがて一点に集中した。カミューは胸を抑えて息を詰める。
何故、こんなに苦しいのだろう。
────どうしてこんなに切ないのだろう。
何が、未来の自分にあの男を選ばせたのか。

 

寝苦しい夜になると思われたのに、不思議と睡魔に襲われた。
ベッドから立ち上る微かな男の匂いが安らかな眠りを誘ったのだとカミューが気づくのは、もう少し先のことだった。

 

 

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さて、今回出てきた昔話は
お初同人誌で書いたネタです。
一応コンテンツの自己設定+αの部分に
解説(……ってほどじゃないけど)アリ。
もう一度ちょこっと話が出るので、
「何じゃこれは??」な方は宜しければご一読を。

さて……。
すでにほだされまくっている13赤。
いいのか、それで。
青に余裕与えたままでいいんか〜〜(笑)
ま、子供だし……いいか。

次回副題 『剣のお稽古 謝礼は抱擁一回也』

 

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