彼らの選択 ACT22


行き付けの店で早めの夕食を取っている間、カミューは終始ご機嫌だった。
自分が好きだったという料理に舌鼓を打ちながら、ほんの少しだけ許されたワインを楽しみ、これまでなら滅多に見ることのできなかった弾けるような笑みを見せた。
一方のマイクロトフは、料理の味など感じている余裕がなかった。黙々と咀嚼を繰り返しながら、どうやって彼にとって手痛い事実を話そうかと悩んでいる。
「ねえ、普段オレたちってどんな話をしていたの?」
店の一番奥の席、やや隔絶された一角なので、カミューの口は軽い。店主が挨拶に来たときに、教えられた通りの丁寧な礼節を通した唇とは異なる調子に戻っている。
「────そうだな……最近では、あの赤騎士団の問題児の話題が多かったかな」
「ああ……ミゲルって奴────」
カミューは顔を曇らせた。
「どうした?」
「オレ……何か、あいつにはバレたんじゃないかって思うんだ……」
「何?」
マイクロトフも眉を寄せた。
「しかし、他の騎士隊長たちは誰も気づいていないのだろう?」
「うん……ランドさんも大丈夫だって言うんだけど……」
デザートのプリンを突きながらカミューは打ち明け始めた。
「物凄い目で睨んでたんだよね。疑ってたのかもしれない」
「────反抗的だったのか?」
「ううん、逆。気味悪いくらい丁寧だった」
光景を思い出しながらか、カミューは小首を傾げている。
「反抗的な奴だって聞いてたのにさ、最初に『これまでのことはお詫びします』とか言って、凄く慇懃だった。そのくせ目つきが鋭くてさ。オレ、怖かった」
ミゲルの口調を真似ての言葉に、マイクロトフは苦笑しながらも考え込んだ。
「必ず騎士になるから赤騎士団に入れろだの、あんたとの約束を取り持てだの、わけのわからないことばかり言うから……オレ、焦っちゃってさ。ヘンだよな、何度も試験に落ちてるのに自信満々なんだもの」
「剣技だけなら、すでに騎士レベルなんだそうだ。あいつは態度が悪くて叙位されなかった。その気になって真面目に受ければ、騎士試験はた易く通るだろう」
「……そうなの?」
カミューは納得したように頷いた。
「ねえ、あいつに剣を教えてやるとき、さり気無く確かめてみてよ」
「そうだな、そうしよう」

 

マイクロトフの胸に沸き起こった懸念はカミューの抱いたものとは別の方向だったのだが、彼は敢えてそれを殺した。
────確かめるのは後でいい。問題はもっと複雑なことだ。

 

食事を終えて、馴染み深い家に戻る道程において、マイクロトフの口はいよいよ重くなった。
────決意したら迷わない。
それが彼の信条なのだが、さすがにこれからの大仕事を考えると足が鈍る。
「……ここだ」
着いたのは、カミューの思っていたよりも小さな家だった。厩舎と庭によって周囲の家から少し孤立している。ただ、小さいながらも良い家なのは確かだった。まだ新しく、物語に出てくるような綺麗な壁をしている。
鍵を開けるなり、カミューは室内に飛び込んで、物珍しそうに辺りを眺め回した。そう言えば、こうして周囲を見回すのは彼の癖だったとマイクロトフは思った。
「へえ……思っていたより小さいけど……」
「そうか? おれは週に二度は城に泊まるし、おまえは二度くらいしか戻れないからな……豪邸である必要がなかったんだ。だが、家具はいいものを置いてあるんだぞ」
覚悟を決めて、自らを落ち着かせるために説明を始めた。
「その衝立の向こうが台所だ。まあ、たいがい食事は外で済ませるし、湯を沸かすくらいしか使わないが……その棚の下に買い置きのワインがある」
部屋の中央にはソファ・セットが置かれ、間にテーブルがある。窓の横には机が一つだけあった。
「……机は一つだけなの?」
「あまり必要ないしな……おれが前に使っていたものをそのまま持ってきたんだ。おまえが本を読むときは、だいたいソファに寝そべって読むし、書類を持ち帰ったときくらいにしか使わない」
何よりカミューの目を奪ったのは、壁に設えられた暖炉の一角だった。
煉瓦を使った造りの暖炉はとても高価そうだったし、その前に敷かれた毛皮の敷物は絨毯の色彩と見事に調和していて、素晴らしく美しかった。
「ああ……その敷物の上は土足禁止だぞ。前にひどく怒られたことがある。高かったんだそうだ」
「へえ……────」
カミューは感心したように屈み込んで敷物を撫でていたが、マイクロトフは別のことを思い出してしまっていた。

 

トゥーリバーへ行く少し前、彼が戻ってくると、湯上がりのカミューが濡れた髪を暖炉で乾かしていた。
ローブ一枚でしどけなく敷物に座り込み、ほんのり身体を紅色に染めた彼は衝撃的なまでに魅力的だった。
カミューの制止も間に合わず、即座にマイクロトフは行動を起こしていた。僅かの後には、二人は敷物の上で熱い身体を絡め合っていたのである。

 

赤らんでいるマイクロトフに気づかず、カミューは部屋にある幾つかのドアを指した。
「あれは?」
「入り口の側から順に浴室、洗面所、それと…………寝室、だ。ああ────風呂の用意をしないとな。何しろ、トゥーリバーから駆け戻ってきたから、凄い埃と汗だ」
「駆け戻った……?」
「……おまえが怪我をして記憶が混乱している、とローウェル殿の手紙があってな。訳が分からなかったが、とにかく大慌てで帰ってきたから……」
微笑みながら言うマイクロトフに、カミューは少し俯いた。
「家自体は小さいが、細かいところは結構なものだぞ。風呂も最新の設備を使っているしな。ちょっと水を入れてくるから、待っていてくれ」
彼はカミューを残して部屋を横切り、浴室の扉を開けた。湯船に水を溜め、沸かすという設備を使っているので、風呂に入るまでには時間がかかる。その間に問題を終わらせられるだろうか────まったく気の重い仕事だった。
自分がカミューと違って、こういう役目が苦手なのは確かだ。彼ならば上手いこと相手を丸め込めるかも知れないが、幼くてもカミュー相手に理で勝てるだろうか。
湯船に溜まっていく水を睨み付けながら、それでもやらねばならないのだと自らを叱咤する。
隠し事はしない、そう胸に誓ってどのくらい立つだろうか。今の自分には、誠心誠意を説いて受け入れてもらうことしかないのだ。
準備を済ませて部屋に戻ったとき、マイクロトフはカミューの姿が見えないのに気づいた。はっとして横の扉を見て、またもガツンときた。
────寝室のドアが小さく開いている。
弾かれたように走り、扉を開け放つ。そこに呆然と佇むカミューを見て、またも後悔に襲われた。
部屋には二つのタンス、そして大き過ぎるベッドが一つだけしかない。
これもマイクロトフの失点だった。ベッドを選ぶとき、カミューは散々二つ買うべきだと主張したのだ。だが、結局はマイクロトフの勢いが勝った。後先考えずに行動するとよく文句を言われるが、こういう末路をたどるのかと実感する。
カミューはゆっくりと顔を上げた。
「……────どういうこと?」
声が掠れている。よほど呆気に取られているのだろう。
「寝室、……って……ここひとつ?」
答えられずにいるマイクロトフに、次第に顔が歪んでいく。
「オレ…………オレ、まさかあんたと……────」
やはり聡明な少年には一目で事情が飲み込めたようだ。彼はほとんど悲鳴のように叫んだ。
「────…………ウソ!」
「カミュー、聞いてくれ」
歩み寄ろうとしたマイクロトフに、彼は一気に飛び退った。
「寄るなよ! 親友だなんて…………嘘つき、オレを騙したんだな!!」
「違う、そうではない」
ずんずん近寄るとカミューは狼狽え、彼の横を抜けて扉に向かって走り出そうとした。敏捷な動きだったが、マイクロトフの反応はそれを上回った。掴み止めるように腕を取ると、カミューは激しく身悶えた。
「離せ、離せよ! …………畜生!」
「落ち付け、カミュー」
「優しかったのって、そういうことかよ!」
精神は少年でも、力は青年の肉体のものだ。しかも遠慮なく全身で抗うので、自然マイクロトフの力も強めざるを得ない。掴んだ腕が痛んだのか、カミューは顔をしかめた。
「……触るなったら!」
泣き声混じりに吠えたてるのに、マイクロトフは閉口した。剣を部屋に置いてきてくれていたのはもっけの幸いだ。もし佩刀していたら、即座に抜いていただろう。それほどまでに彼の拒絶は凄まじかった。
「いいから、聞け!」
負けず劣らずの怒鳴り声に、カミューはびくんと身体を硬直させた。あまりに怯えた反応に、思わずマイクロトフが力を抜くと、カミューはすかさず寝室の隅に逃げ込んだ。できれば外に飛び出したかったのだろうが、大柄な男の身体が戸口を塞ぐように立っていたので叶わなかったのだ。
ベッドの横で縮こまるように立つカミューに、深い溜め息を一つ零して彼は語り始めた。
「……こんな形で知らせるつもりではなかったんだ。許してくれ、カミュー。これはおれのミスだ、言い訳はしない」
男がそれ以上近寄れば、すぐに反応しようと身構えていたカミューだった。しかし、あまりに悄然としたマイクロトフの声に、やや怒りが削がれた。それでも相手を睨み付けることだけはやめない。
「……ちゃんと説明するつもりだった」
「説明、ってどういうことだよ! オレが……あんたとこういう関係だったって?」
口にするのも苦痛だと言わんばかりに、カミューの表情は歪んでいた。
「信じられない……何で…………」
最初の怒りが過ぎると、次には困惑が襲いかかり、カミューは青ざめた。
「────あんた、男が好きなの?」
「馬鹿な」
マイクロトフは苦く笑う。
「なら、オレが……────?」
言ってしまってから、カミューは寒気を覚えたように身体を震わせた。
「それも違う。むしろおまえは女性との派手な噂が多かった」
「じゃ、何で…………」
泣きそうな顔でカミューはマイクロトフを凝視した。
「オレたち、親友じゃなかったのかよ? こ……こ……こ、恋人だったの?」
マイクロトフは苦笑した。確かに、この反応は仕方ないだろう。知らない間に親友ができたというのは喜べても、同性の恋人がいたというのは決して嬉しいわけがない。
「友……恋人……、そういう言葉では言い表せない。おれたちは────ひとつだったんだ」
マイクロトフの苦手分野の一つに恋愛問題を論じる、というものがある。カミューに対してなら幾らでも情熱的で雄弁な男になれたが、第三者に論じるとなると別だ。まして、相手がまったく事実を覚えていない当人と言うのでは、マイクロトフの頭が混乱しても無理ないことだった。
それでも、彼は必死に言葉を探しながら語った。
「おれもおまえも、別に男が好きだったわけではない。互いでなければ、そんなことは考えるのも嫌だったろう」
「────わかんないよ!」
マイクロトフはその場に立ち尽くしたままだった。これ以上カミューを脅かさないようにとの配慮だったのだが、カミューから見ると、ドアを塞いで仁王立ちになっている男は恐怖の対象でしかなかった。
これまで感じなかった体格の違いが見えてくる。力づくでこられたら、とても敵わない。彼は男同士の恋人がどういう行為をするのか、完全に理解していたわけではないが、故郷で幾度か見舞われた危機により漠然とは察していた。
相手がマイクロトフなら、彼が主導を取ることは間違いない。自分が絶体絶命の窮地にいることは確かだ。
何よりカミューを傷つけたのは、現れてから今までの男の優しさがすべて下心に裏打ちされたものだったのだという思いだった。
最初からするりと心に滑り込んできたマイクロトフの存在。
力強い腕と、頼もしい声。
疲れ果てた心を癒してくれた暖かな抱擁。
親友だと言われて、嬉しかった。どういう男かわからなくても、素直に信じることができた。グラスランドで散々人を警戒することに慣れていた自分が、こんなにもすんなり受け入れられることに驚くほど。
────なのに偽りだった。裏切られたという意識は、カミューを打ちのめした。
「……おれたちは、互いを選んだんだ」
やがて静かな男の声が呟く。怒りと悲しみにささくれ立ったカミューの心にそっと落ちた言葉はマイクロトフの真実であった。
「選んだ……?」
「おれたちは、どちらかが欠けては駄目なんだ。魂の半分ずつを持っているんだよ」
「────どういうこと?」
マイクロトフは首を振った。
「すまない。おれには上手く説明できない……前におまえが言った言葉だ」
「オレが、じゃなくて『カミューが』……だろ?!」
彼は自分にも裏切られたような気分だった。口調は憎々しげになっている。マイクロトフも、彼が十年後の自分を言い分けているのに気づいた。
「ああ、『カミュー』が言った。おれたちは分けられた心を持っているのだと……離れれば壊れてしまうのだと。必ず相手の許に戻ろうと願う、一つの魂なのだと────」
マイクロトフは薄く笑った。
「おれたちは誓った。生涯、互いをただ一人の相手として生きると。互いの背を守り────騎士として生き抜こうと」
たどたどしい言葉だが、マイクロトフの誠実さの溢れる訴えだった。憤るばかりだったカミューの頭が少しずつ冷えていく。それでも事実を受け入れるのは容易なことではない。
「だから……あんなに一生懸命にしてくれたんだ……オレが早く元に戻らないと困るから! そういうことなんだろう?」
それはカミューにとってもジレンマだった。
恋人なのだといわれても困るだけだが、十年後の自分の方がマイクロトフには必要なのだと認めるのも、素直に受け入れられない。
マイクロトフは優しく首を振った。
「そうではない。確かにおれが生涯を誓い合ったのは十年後のおまえかもしれない。だが、おまえはカミューだ。いつ、何処で、どのようにして出会っても、やはりおれはおまえを選んだだろう。おまえのために力を尽くそうと思うのは当然だろう?」
「……オ、オレを代わりにしようっての?」
カミューは今度こそ怯えて自らを抱き込んで壁にへばりついた。その仕種に、マイクロトフは思わず笑ってしまった。
「違う、違う。誤解するな、おれが言っているのはそういうことじゃない。確かにおれとカミューは……その、『そういう』関係だった。しかし、それをおまえに要求しようなどとは思わない。嫌がることを無理強い出来るわけがないだろう?」
「……じゃ、じゃあ、『カミュー』は嫌がってなかったのか────」
「すまないな……一応、嫌がってはいなかったと思っている」
笑いながら答えた男に、カミューは愕然とした。
強引にモノにされたのなら、まだ自分を許せただろう。しかし進んでか喜んでかわからないが、男に身を任せた十年後の自分を恨みたいような気がした。
「おれは自制とか忍耐とかが苦手な男だが、年端も行かない子供に手出しするほど獣じゃない。その点は安心してくれていいぞ」
「子供じゃない! オレの身体は大人じゃないか。あんたにもう、その……、色々…………」
されてしまった身体なのだろうと言えなくて、カミューはおろおろと口籠った。言葉に詰まるカミューなど見たこともない。マイクロトフは緊張が解けて吹き出してしまった。
「わ、笑うな!」
「心配するな。おまえの嫌がることは決してしない。我が剣、ダンスニーにかけて誓う」
彼は腰から剣を引き上げて見せた。それから、ゆっくりと足を踏み出す。びくんとカミューが強張るのを横目で見ながら、タンスの奥から毛布を一枚取り出した。
「こちらのタンスがおまえのものだ。着替えなども入っている。疲れただろう、ゆっくり休めよ」
「え…………え?」
「風邪気味だったと聞いたぞ? しっかり布団を掛けて寝ろ」
「あ、あんたは……?」
「おれはソファで寝る。心配するな、寝込みを襲ったりしないから」
真っ赤になったカミューが枕を投げつけるのをかわして、マイクロトフが部屋を出ていこうとした。
「────ああ、どうしても気になるなら鍵を掛けろ。おれも疲れた、ドアを蹴破る力はない」
揶揄しながら出ていくのに、今度は室内履きを投げる。室内履きは閉じたドアに当たってぽとりと落ちた。
カミューはそのまま崩れ落ちた。あまりの衝撃にパニック寸前である。

────目覚めると、見知らぬ土地に放り込まれ、しかも十以上も年を取っていた。

それだけでも身に余るのに、親友と名乗って現れた頼もしい保護者が、実は油断のならない征服者だった。
……いったいこの先、何を信じたらいいのか。
カミューは途方に暮れた。

 

 

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お子様のヒスに青が結構余裕……。
うーむ、それにしても
つくづく赤のギャップが……。
書いておいて言うのもアレですが(笑)

次回副題
 『それを「ほだされる」と人は言う』

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