彼らの選択 ACT20


カミューの部屋で待っていたマイクロトフは、ラウルという少年が手際よく荷造りした鞄を見つめ、溜め息を吐いていた。

────長い禁欲となりそうだ。

トゥーリバーに向かう数日前に肌を合わせて以来、あの中庭でのくちづけが最後の触れ合いだった。
戻ったら、まずきつく抱き締める。それから貪るように唇を奪い、全身に触れ、肌にくちづける。
────甘い吐息を吐き出させ、狂おしく燃え上がる獣と還り…………と、あれこれ妄想を膨らませていたマイクロトフだったが、予想外の事態にすべて吹っ飛んでしまった。
死にそうなほど息を切らせた赤騎士がトゥーリバーに駆け込んできたときの衝撃は、思い出したくもないものだ。人馬共に憔悴し果てた様相に、目も眩むような不安に襲われた。
他騎士団の人間が伝令に来る。
これは異例で、嫌でも良からぬことを連想させた。彼が持っていたのは青騎士団長コルネの命令書と、そして赤騎士団の第一隊長からの親書だった。
ローウェルの手紙はひどく手短で、しかも筆跡も乱れていた。相当急いで書いたとしか思えない代物だったのだ。それによって、よくわからないがカミューに異変が起きたのだと知るなり、マイクロトフは足下が揺らぐほどの恐怖を覚えた。
────何一つ怖いものなどなかった。
自分がただ一つ恐れるものがあるとしたら、カミューを傷つけること、失うことなのだと思い知った。
恐らく伝令の赤騎士に負けぬほどの勢いで馬を飛ばし、ロックアックスに戻った。気の毒な馬は城の近くで倒れて息絶えた。たまたま近くを通った非番の青騎士に亡骸の処理を頼めたから良かったが、可哀想なことをしたと思う。
そうしてランドらに一連の事情を説明されたわけだが、そこでもカミューへの想いを痛感させられた。彼が血塗れで倒れていたと聞いたときには、床が抜けて底のない暗闇に墜ちるような錯覚を覚えたものだ。赤騎士たちも衝撃を受けただろうが、自分がその場にいたらどうだっただろう。
ならば記憶が遡ったことくらいは幸運だと思わねばならない。
失ってしまう事を考えれば、確かにここにカミューはいるのだから。
そこでマイクロトフは苦笑した。

 

────しかし、あのカミューはどうだろう。

 

普段、カミューは冷静な顔を守り続けていた。マイクロトフの前でこそ感情を吐露するが、それでもあんな風に感情のままに泣いたり笑ったりはしない。
堪え続けてたまらず流れ落ちる涙とか、情事の合間に生理的に溢れる涙とか、そうしたものに慣れて久しいマイクロトフには、手放しで号泣するカミューなどまったく意表を衝かれたとしか言えない。

 

────何と可愛いのだろう。

 

笑いが堪えられなくなった。

いつもあんなふうでもいいのに。
あいつはいつも自分を抑えすぎる。何でも一人で抱え込んで、見えない盾で武装している。
たまにはそうしたものをすべて取り払って、縋り付いて欲しいのに。

 

その可愛い相手を抱き締められないことに思い至ると、途端にマイクロトフは意気消沈して項垂れた。
確かにあれはカミューだが、マイクロトフと生涯を誓い合った恋人のカミューではないのだ。先程のように慰めの抱擁くらいなら疑問には思わないだろう。精神的には年長であるマイクロトフが、宥めるために用いる手段としては、さして不自然と言えないはずだ。
だが、これまでカミューを目にしただけで疼くような欲求に満たされてきたマイクロトフには、今後の生活が慣れない自制の毎日になるだろうとの予測ができた。────それは少し重い事実だ。
まして、あんな無防備な姿を見せられては、これまで以上に自分を抑えねばならない。相手は二十四歳の肉体を持つ子供なのだから。
この現実にほとほと弱り果ててマイクロトフが、またも深い溜め息を洩らしたときだ。

 

「────……ねえ、何やってるの?」
背後から慕わしい声が尋ねた。慌てて振り返ると、カミューが怪訝そうに彼を見ていた。
「あっ、いやっ、終わったのか?」
後に続くランドたちにいっそう狼狽えながら、マイクロトフは姿勢を正した。
「一人で笑ったり、溜め息吐いたり……面白いから、ちょっと見てたんだよ」
くすくす笑うカミューの背後で、赤騎士たちが苦笑している。大方、想像がついたのだろう。彼らも同様な悩みを抱えているのだろうから。
────但し、欲望抜きでの。
「…………悪趣味な奴だ。そういう陰険なところはそのままだな」
渋い顔で呻いて、マイクロトフはぼやく。
「それで、上手くやれたか?」
「ちょっとヤバかったけどね」
軽く肩を竦めて答えるカミューの表情は明るい。もうすぐこの城から解放されるのだと実感しているようだ。
マイクロトフが目を向けると、ランドが補足した。
「ミゲルを知っているかな」
「ああ、あの問題児────」
「来月の騎士試験までに、一度、彼の剣技を見てもらえまいか」
「……何故です?」
「わからん。カミュー様がそう約束なさっておられたようだ。君には事後報告ですまないと思っているが……」
「そうなのか?」
思わず問い直してしまって、苦笑した。
「…………と、わからないか。仕方ないな、近いうちにそうしよう」
「うん、ごめんね」
カミューはひらひらと舞うように室内をうろついて、最後に纏められた荷物に目をやった。
「ねえ、ラウルは?」
「もう下がらせてありますが────」
「じゃ、オレが礼を言ってたって伝えて」
「承知しました」
マイクロトフの出現だけで、これほど柔軟で大らかな気分になるのかと騎士たちは改めて感心した。
「では、マイクロトフ殿……後を頼みます」
「心得ました。そちらも、よろしく頼みます」
一端の保護者ぶった言い方が可笑しかったのか、カミューはまたくすくすと笑った。
「では、行こう。いいか、カミュー……おれと二人の時は構わんが、誰かが傍に来たときには────」
「優雅な仕種、上品な言葉遣い。わかってるって、マイクロトフさん!」
マイクロトフの騎士服の腕を両手で掴んで引っ張るカミューに、赤騎士団の面々は一斉に頬を染めて目を逸らせた。

 

 

 

 

ミゲルは闘技場に向けて歩いていた。
謹慎が解けて最初に命じられたのが、この草むしりの罰則である。洛帝山の麓でカミューが思いついた罰則なのだと聞かされて、思わず苦笑が零れたが、もう反感は感じなかった。
一歩間違えば深刻な事態になっていたのだとミゲルも痛感している。兵舎に押し込められて、年下の見習いたちの日々憔悴していく顔を見ながら自分を責め続けた。
────自らの判断の誤りが、彼らも巻き添えにして追い込んだ。この上カミューにもしものことがあれば、死んでも許されないだろうとも思っていた。
久しぶりに見たカミューの姿に、改めて確信した────彼は真なる指導者だ。剣技とか世渡りとか、そういう問題を超越している。

カミューには輝きがある。

洛帝山で馬上から炎を放った姿にも感じたが、崇高なまでの威厳があるのだ。
彼は生まれながらに選ばれた人間だ────正に騎士団長に相応しい。そう思った途端、零れるように忠誠を捧ぐ言葉が出た。ミゲルが初めて心から跪いた瞬間だった。
カミューなら、皮肉めいた言葉の一つも洩らすかと思われたのだが、彼はじっとミゲルを見据えたままだった。物足りなくも感じたが、彼が砕けた態度を取るのは二人だけの時だったと思い直した。
騎士になる自信はある。これまではわざと失格になるような態度をしたのだから。
騎士となり、赤騎士団に入りたいと切望したのはミゲルの最大の真実だったが、カミューの返答は理に適っていた。
いつもにもましてゆっくりと言葉を発する、無事であった騎士団長の声を、もっと聞いていたくてマイクロトフの話を持ち出した────

 

────そのときだ。ミゲルが最初の違和感を覚えたのは。

 

マイクロトフに剣技を見てもらえと言い出したのはカミューの方だ。ミゲルが本気になったのを誰よりも喜んで、即答してくれると疑わなかった。
ところがあの一瞬、カミューの顔を過ったのは戸惑いに見えた。言ってみれば、まったく予想外のことを言われた顔に思えたのだ。まわりの騎士隊長たちが、努めてカミューに話をさせないようにしているように感じたのは気の所為か。
最後の方では何やら困惑しているようにさえミゲルには映った。

 

────あの違和感は何だったのだろう────

 

ミゲルの鋭い野性的な勘は、他の騎士隊長の誰もが感じなかった微かな異質を感じ取っていた。それだけミゲルが必死にカミューを見つめていたということなのだが、彼はその理由を考えるのが恐ろしかった。
やっと心から敬服できるようになったのだ。自分の感情の答えを出してはならないと無意識の歯止めがかかっていることにミゲルは気づかなかった。

ふと、廊下の窓から外を見た。
城門から出ていく二人連れが見えた。カミューとマイクロトフだ。
ミゲルは足を止めて二人に見入った。礼を正して見送る門兵に軽く応じ、歩き出そうとしたカミューの顔がちらりと見えた。
そこで、はっとした。
これまでもカミューがマイクロトフに対してだけ見せる情を見てきたミゲルである。だが、今カミューが見せた笑顔はミゲルには信じられないほど無邪気で、天真爛漫なものだった。

頼り切った眼差し────あんな目は知らない。
たとえ恋人同士だとしても、多分二人の関係は対等であるはずだ。なのに、あれでは庇護者に対する視線だ。まったくカミューには似つかわしくない────。

ミゲルの違和感は膨れ上がった。その中に嫉妬めいた感情があることだけは認められなかったが、彼の脳裏には今見たカミューの無心な笑顔がこびりついて離れそうになかった。

 

 

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いつまでたっても正直でないミゲル君と
正直すぎる青でした。
しかし、一人笑いしてる青は
はっきり言って不気味ですがな……。
さて、次からは青赤に焦点が絞られます。

次回副題 『初っ端から がけっぷち』

 

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