呼ばれてやってきたランド・ローウェル・アレン・エド、そしてラウル少年は、マイクロトフの説明に即座に頷いた。
「申し訳ございません、カミュー様。確かに我らは一度にあれこれと求めすぎました」
ランドが深々と頭を下げる。マイクロトフに比べ、こういう丁重さがカミューを落ち着かせないのだが、これはもう習性なので如何ともし難い。
「あ、あの、そんなんじゃ……」
言い掛けて、慌てて言い直す。
「頭など、下げないでくれ。オレ……じゃない、わたしがはっきり言えば良かったんだ」
やれやれとマイクロトフが首を振った。
「よせ、カミュー。おまえは他の騎士の前でも気を遣っているんだ。彼らは事情を知っているんだぞ、せめてその前くらいでは気を抜け」
「そ、そう……?」
おずおずとマイクロトフを一瞥するカミューに、ランドは苦笑した。
まったく、敵わない。こうもはっきり言われては、自分たちの立つ瀬がない。数人で頭を付き合わせて良かれと策を弄しても、マイクロトフの本能の一言には所詮負ける。
その証拠に、カミューの様子は格段に落ち着いている。泣きはらした目が痛々しいが、マイクロトフを見つめる視線には頼り切ったものがあり、それは決して自分たちには向けられなかったものだった。
「マイクロトフ殿の言う通りです。最初からそう申し上げれば良かった……お許しください」
「急ぎすぎておりました。我らが焦って、どうなるものでもない。カミュー様が一番お苦しいのはわかっていたというのに……どうか、我らの前ではお楽になさってください」
ローウェルも頭を下げる。倣うように一同が深く頭を垂れた。マイクロトフはそうした丁重すぎる態度も気に入らなかったが、赤騎士団のことに口を出すほど無粋ではなかった。
「如何です? 休暇の件は……」
「やはり、それが一番のようだ。今は例のワイズメル市長の件というもっともらしい理由が使えるし、ゴルドー様の不在も幸いだ。取り敢えず、二週間ばかり様子見の休暇ということでどうだろうか」
「それはありがたいことです」
マイクロトフはにっこりカミューに笑い掛けた。つられたように笑み返すカミューに、騎士隊長たちは見惚れた。ここしばらく、こんな笑顔を見ていなかった。カミューにとってのマイクロトフの存在の大きさを今更のように思い知る。
「しかし、マイクロトフ殿。ひょっとして君も休暇を取るつもりか?」
ローウェルの疑問に、マイクロトフは当然だろうといった調子で笑う。
「カミューを一人にしておいてどうなるというのです。少なくとも、騎士隊長までの務めや習慣は教えてやれる。物事には順序があります。いきなり団長の責務を与えるより、騎士団という組織自体をしっかり学ぶべきではないでしょうか?」
「そうだな……確かに基本の伴わない知識は危うい」
「しかし、大丈夫か? 青騎士団の方は…………その、カミュー様の状態を知られるわけには……」
「心配ない」
マイクロトフは鷹揚に笑った。
「帰還の報告に行ったとき、コルネ様にも言われた。『記憶が混乱しているとは、さぞ大変なのだろうな』、と。ついでにおれも休暇を取って、じっくり看病したらどうだと勧められたくらいです」
「こうした病というのは納得し難いものがあるだろうに……コルネ団長は心の広い方だな」
心底感動したようにアレンが言う。
「戦時下ならそうも行かないだろうが……ここは一つ、コルネ様のお心を受けよう」
「では、おれは一度戻って報告してきます」
ローウェルが進み出た。
「マイクロトフ隊長、ご一緒する。赤騎士団からもお礼を申し上げておいた方がいい」
頷いて、マイクロトフはカミューに目をやった。
「そういう訳だ。支度をしておけよ」
「し、支度って何すればいいの?」
「だから、身の回りのものを纏めるとか……」
「あ、ぼくがお手伝いします!」
ラウルが飛び出した。
「夜着とか、装備とか、城をお出になるときには、いつも決まった物をお持ち帰りになられてました。ぼく、覚えてます」
「そ、そう? ありがとう」
「いいえ!」
初めて口調を崩したカミューに、ラウルはにっこりした。途端にカミューの中に張り詰めていたものが解けた。ずっと互いに気を遣い合ってきたが、もっと早くこうしていたらラウルと友達になれたのに、と微かに後悔もした。
「ああ、それともう一つ……」
エドが切り出した。
「あの連中の謹慎は何時までにするので?」
ランドが怪訝な顔をして、それからはっと瞬いた。
「────忘れていた」
「ああ、すっかり忘れてましたな。そう言えば連中、あれからずっと……」
カミューが運び込まれてきた夜、取ってつけるように問題を起こした少年たちに謹慎を命じたが、それからの異常事態に誰も彼らのことは一度も思い出さなかった。かろうじてエドが思い出したのは、その連中の殆どが自部隊の所属だったからだろう。
「謹慎?」
カミューが不思議そうにランドを見る。
「ええ……お話した、あの肝試し連中です。謹慎させたまま忘れておりました」
「へー、ランドさんでもそういうポカするんだあ」
ケラケラと笑うカミューに、男たちは一斉に破願した。見慣れない団長の朗らかな笑い。だが、彼らはそれを好ましく思った。
「昨日、兵舎の方に様子を見に行ったのですが……それがもう」
エドは渋い顔になった。
「────死体の山のようで」
「何?」
「よほど気になっているようで……その、カミュー様直々のお叱りがないだけに、相当具合がお悪いのか……、と」
「なるほどな」
ローウェルが眉を寄せたまま腕を組んだ。
「……あいつの様子はどうだ?」
「ミゲルですか? あれは死人の親玉です」
言っておいてエドは苦笑した。
「あれが、ああいう殊勝な顔をしているのを初めて見ました。今度という今度はこたえたようです。もう二度と問題は起こさないのではないでしょうか」
一番ミゲルに対して反感を持っていた男が言うのだ、相当なものに違いない。
「弱ったな…………だからといって……」
「ねえ」
カミューが横から身軽に男たちの間に割り込んだ。不意に密着されて、男たちは思わず息を呑む。
「オレ、会おうか?」
「え?」
「顔出して、ちょっと挨拶すればいいんだろ? それくらいならできるよ」
一同は顔を見合わせる。
「それがいいかもしれないな……年端もいかない子供たちに、長いこと心労を与え続けるのは良くない。多分、十年後のカミューも同じことを言うだろう」
マイクロトフが同意すると、騎士たちは一斉に頷いた。もはやマイクロトフの意見に従うのが、一番カミューらしい行動を選び取れるとの確信がある。
「では、カミュー様。少しだけ練習をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「うん、お願い」
「カミュー、おれは今のうちにコルネ様にご挨拶をしてくる」
「わかった、またね!」
笑ってひらひらと手を振るカミューに、マイクロトフは苦笑した。まったくやりにくいのだが、何故か可愛くて目が離せない。
並んで部屋を出たローウェルが、物憂げに口を開いた。
「────やはり君には敵わない」
「え?」
「我らは心からカミュー様を敬愛している。あの方が団長となられた時から、命も捧げた唯一の御方だ」
「ええ」
「我らの忠誠は固い。いずれの団にも負けることはないと自負している。そして、カミュー様もそれを信じてくださっていると思っていた」
「そうでしょう?」
マイクロトフが怪訝そうに問うと、ローウェルは力なく息を吐いた。
「……今度のことでも、カミュー様が団長の座を逐われることが万一にもないよう、必死に皆で画策した。これがカミュー様にも第一なのだと信じて……」
「ローウェル殿?」
「だが、結局我らはあの方を追い詰めるばかりだったようだ。我らには、あの方をあんなふうに安らがせて差し上げることはできなかった」
「それはおれが、カミューとの付き合いが長いからで……」
口を挟んだマイクロトフに、ローウェルは首を振る。
「確かに君はカミュー様の長きに渡る親友だ。だが今のカミュー様には、さっきの君は初対面なのだぞ。なのに君が入ってすぐに、あの方は心を開いた。我らの前で一度として零さなかった涙を流してまで────」
マイクロトフは苦笑した。確かにあの号泣は凄かった。彼も驚いたが、外にいた赤騎士たちはもっと驚いただろう。
「……あれは多分、カミューが限界に来ていたのだと思う」
「いや、それでも君がいなかったら……。我らは束になってかかっても、君には到底及ばないのだな……」
「ローウェル殿、そんなことはない」
彼は強く遮った。
「カミューが何故、あれほど一人で耐えていたか。あなた方の期待を裏切りたくなかったからです。自分のために不自然な工作までしてくれている人たちを、喜ばせたかったからです」
ローウェルははたと瞬いた。
「あなた方に涙を見せるわけにはいかなかった。無理をさせていると後悔させたくなかった……だから一人で気を張っていたのです。カミューはそういう奴なんだ────」
「ならば、我らを疎ましく思っておられないだろうか?」
「当然でしょう?」
マイクロトフは明るく笑った。
「それより、おれは嬉しい。あなた方が、今のカミューを受け入れてくれて」
「今の……というのは、その……何と言うか、前のカミュー様と違う点か?」
言い難そうに紡ぎ出す赤騎士隊長に頷く。
「優雅で上品でない、カミューです」
「そ、そのような!」
ローウェルがぎょっとしたように目を剥く。
「カミューが気にしていました。自分は優雅でも上品でもないから、嫌われるのではないかと」
「────馬鹿な」
ローウェルはきつく首を振った。
「そのようなことは考えもしなかった。まあ……正直言って、最初は驚いた。あのカミュー様の口から『アンタ』などという言葉が出るとは想像したこともなかったし。だが、だからといって何故我らがカミュー様を見違えることがあろうか?」
「良かった」
マイクロトフは赤騎士たちの心からの誠意を信じられた。
「……あの方は、僅か二年で騎士隊長になられた」
ローウェルは少し考えてから呟いた。
「正直に言おう。君も知っているかもしれないが、わたしは最初あの方をよく思っていなかった」
「…………」
「恐ろしい早さで位を上げていく……我らが必死に手に入れた以上のものを、後から現れて奪っていく。そう、わたしは……幾度も考えた。あのご容姿に、この男所帯……」
「不当に上官に取り入った、と……ですね────」
マイクロトフも思い出していた。かつて、同じことを言って自分を激怒させた男のことを。だが、その時のような怒りは沸いてこない。すでにローウェルの真摯な敬愛は疑うべくもなかったからだ。
「間違いだったと気づいてからも……自分が一度でもそうした醜い考えを持ったことが許せなかった。あの方を汚した気がして……それを償うには、誠心誠意お仕えするよりなかった」
彼は苦く笑った。
「今度のことでいっそう理解した。あの方は、我らなどが想像も及ばないほどの努力をして、ご自分をマチルダ騎士団に相応しく生まれ変わらせたのに違いない。十年後のあの方には、今のお姿の片鱗もない」
「────そうでもないと思う……」
マイクロトフは遮った。
「おれには、あのカミューが十年後のカミューだと言われても納得できるものがあります」
「本当か?」
ローウェルは心底驚いたように目を見張り、それから口元を緩めた。
「……不思議だ。我らも驚いたが、君はその比ではないと思っていた。君は誰よりもカミュー様の近くに居たし、その違和感の大きさを一番認め難いと考えていたのだが」
マイクロトフは微笑んだ。
「おれがあいつに出会ったのは二年後……カミューが十五の時だが……
その時には、すでにカミューは礼儀正しい優雅な男でした」
彼は遠い記憶に今も鮮やかな少年剣士の面影を蘇らせた。
「だが、あの負けん気の強さはありました。騎士に叙位されてからは極力抑えて、他人に見せないようにしていたようだが……確かにあれはカミューだ────」
「……言われてみれば、時折カミュー様の気配を感じることがある。そうか、まったく別人となってしまわれたわけでもないのだな……」
彼は感慨深そうに溜め息を吐いた。
「いくら騎士団長としての知識を得たとしても、心は少年
。歪みは彼を傷つけるだろうし、どう考えてもまともじゃない。早く以前のカミュー様に戻っていただきたいと思うが────」
そこでちらりとマイクロトフを見た男には苦笑が浮かんでいる。
「……正直、あのカミュー様も見ていたくてたまらんのだ。これまでのカミュー様がああした御方だっただけに、今の彼は何というか……危なっかしくて可愛くて、微笑ましいばかりだよ」
マイクロトフは頷きながらも考えていた。
確かに、今のカミューは愛しい。
だが、もし────もし、戻らなかったら……?
赤騎士団は精一杯の補佐をする覚悟を決めているようだが、それでも子供の心を持った団長などが長期間に渡って在位することができようか。
政策の会議はどうするのか?
────万一、戦にでもなったら……?
ゴルドーが戻ってくるだけでも、カミューの立場は危うい。ゴルドーはカミューを気に入っている。彼一人を傍において語り込むことも多いのだ。そうなったら、たちどころに偽りは暴かれてしまうだろう。
マイクロトフもまた、カミューの立場を守るために与えられた役割を果たさねばならない。そのためには一切の恋情をも殺すことを覚悟せねばならないのだ。
それはひどく苦しい現実になるだろうが、彼と一緒に生きていくためには必要なのだと何度も自分に言い聞かせるマイクロトフだった。
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