「オレの、しっ……、親友なの?」
まだ嗚咽の止まらぬまま、カミューは幼げに問い掛ける。マイクロトフは苦笑した。
「────……そうだ」
今のカミューに真実はとても言えない。マイクロトフは久しぶりに顔を見る恋人に口付けることもできない事態を呪ったが、今は庇護欲が勝った。
「オレ、オレっ、あのね…………」
「ああ、大丈夫だ。だいたいのことは聞いた。大変だったな、カミュー」
「大変……だったか……どうかも、よく……わから、ないんだけど……」
話の合い間に啜り上げるものだから、それがまた妙に可愛らしくて、マイクロトフは目眩がしそうだった。
「気がついたら、訳がわかんなくって、それで、……っ……オレ……」
「いきなり団長だなどと言われて驚いただろう?」
マイクロトフも口調を普段とは少し違えて、十三の子供に対するように柔らかく努めていた。それがカミューの心を慰めたのか、ぽつぽつと彼は訴える。
「みんなよくしてくれるし、がっ……頑張ろうとしてるんだけど……」
「ああ、よくやっているそうだな。みんな感心していたぞ」
「……ホント?」
縋るように仰ぎ見られて、思わずマイクロトフはうっと息を止めた。
────普段、カミューの態度はとても沈着だ。抱擁の間でさえ、自分を抑えているように見えるほど。こんなふうなカミューの眼差しは、マイクロトフにとって刺激的すぎる。
「あ……ああ。おまえに無理な要求をしてしまっているのではないかと、案じているくらいだ」
「うん…………」
「学問の方は問題ないそうではないか」
「勉強は好きだよ。やりたいと思ってたことだもの。でも、オレ……」
カミューはまたも涙を溜めた。
「どうした? 何でも言っていい。おれに隠すことなどないんだぞ?」
励まされるように言われてカミューは顔を上げた。必死の瞳に、マイクロトフは唾を飲み込む。
「マイクロトフ……さん……」
「……………………さん? 呼び捨てていいぞ?」
「うん…………マイクロトフさんはさ……────」
注意してもカミューは精神的年長者を呼び捨てることができないらしい。
「……マイクロトフさんは、オレのこと嫌じゃない?」
心底驚いてマイクロトフが目を見開く。
「誰がだ? 誰か、おまえを嫌だと言ったのか?」
「ち、違うよ、そうじゃないけど」
勢いよく反応されて、カミューは慌てて首を振った。その仕種も見慣れない。ますます可愛くて、抱き締めたくなる衝動をこらえるのに必死のマイクロトフである。
「オレは優雅でも上品でもないし…………みんなが大事なのは十年後のオレだろ? あんたも嫌なんじゃないかって…………」
「馬鹿な!」
不意に怒鳴られてカミューはぎょっとしたように身を退こうとした。が、マイクロトフは焦りながら首を振り、『すまない』と詫びた。
「────おまえはおまえだ。嫌なわけがないだろう?」
「だけどさ…………」
「おれは別に、おまえが優雅だとか上品だからという理由で好きになったわけではない。おまえは立派な騎士だし、誰より誇り高い男だ。そういうのをすべて引っ括めて好きなんだ」
「────好き…………?」
「そう、好き………………────」
言い掛けて、はっとマイクロトフは頬を染めた。
「ゆっ……友愛だ! おれたちは親友だから!!!」
「…………親友…………」
カミューは繰り返して、それから照れ臭そうに涙を拭った。
「オレ、親友なんかできたの初めてだよ」
「そっ、そうか?」
「うん────あんまり他の人といるの、好きじゃなかったから」
ぽつりと告白したカミューに、マイクロトフは眉を寄せた。
「何故だ?」
「…………優しくしてくれる奴には気をつけないといけなかったから」
「気をつける?」
「────だって」
カミューは真っ赤になって小さく答えた。
「……へ、ヘンなことしようとしたりとか────」
「変なことっ??!」
仰天して再びマイクロトフが大声を上げると、カミューは慌てて静かにするように身振りした。
「あ、ああ、すまん。へ……変なことって
カミュー、いったい …………」
「この城の人たちは違うよ? オレが言ってるのはグラスランドの────」
「ああ、だから……変なことって……」
「────オレ、見てくれがこうだろ?」
カミューが溜め息混じりに言って、それから思いついたように続ける。
「こう……、って言ってもわかんないよね。オレ、小さい頃からよく女の子みたいだって言われてたんだ。細っこくって、食べても肉がつかないし」
「あ、ああ……」
「オレ────その……、親いなくってさ」
探るように見上げるカミューに、マイクロトフは頷いた。
「……そう聞いている」
「ホント? そう……」
カミューは感慨深げに頷いた。
「じゃ、本当にあんたと親友だったんだ
。オレ、あんまりそういう話するの好きじゃなかったから」
「…………そうか 」
ならばカミューは自分がする、暖かな家族の話をどんな気持ちで聞いていたのだろう。
突然マイクロトフは切なさに襲われた。
彼はいつも笑っていた。だが、彼の過去の話を聞いたのはずっと後になってからだ────肌を重ねるようになってからも更にずっと。
「物心ついた時には、何て言うか…………盗賊団ってのかなあ…………そんな感じのとこに居た」
「盗賊……────」
マイクロトフは絶句した────これは初耳だ。
「育ててくれた頭が剣の稽古をしてくれて。スジがいいって褒められてたんだよ」
「ああ、おまえの剣技は素晴らしい」
「その人が十の時にユーライアをくれた」
「ほう…………」
「自分の身は自分で守れって。子供用の剣じゃないから扱うのに苦労したけど、小さな剣だと相手を仕留めるのに間合いに入らないと駄目だから、って。捕まったら終わりだろ?」
「ああ、その通りだ」
少女のように細かったカミューでは、確かに遠くから剣を飛ばさないと腕力で敵に捩じ伏せられてしまっただろう。マイクロトフは盗賊の頭とやらの判断に満足した。
「その、それで……変なこと────というのは……?」
何時の間にか微妙に話題が逸れてしまったのを思い出し、マイクロトフがおどおどと尋ねると、カミューはまた頬を染めた。
「……その後すぐに頭が死んで、みんなバラバラになったんだけど……それからは商人の警護とかを仕事にしてたんだ。ミューズからゼクセンへ行く交易商人とかのね。で、その…………、たまにヘンなおっさんが居てさ……」
カミューの言葉はますます小さくなる。
「旅の途中で、その…………夜とか、オレに触ってきたり────」
「触られたのかッ?!」
怒声にカミューは竦み上がる。
「だ、だから、その────」
「何をされた、カミュー! 畜生、おれの…………いや違う、カミューに何て事を…………!!」
動揺して訳もわからず怒鳴るマイクロトフに、カミューは苦笑した。その笑みがあまりにいつもの彼だったので、一瞬マイクロトフの怒りが途切れた。
「……そういうときには股間を蹴り上げて逃げた。オレ、結構すばしっこいんだよ」
唖然として次第に力が抜けた。そういえば、前にカミューの口から同じ言葉を聞いて驚いた記憶がある。
「あ、ああ…………そ、そうか…………良かった────」
カミューはくすくす笑った。
「大抵優しくしてくる奴には気をつけるに越したことなかったから。勿論、ここでは別だけどね」
────すまない、カミュー。
マイクロトフは心の中で詫びた。
……自分はそれ以上のことを散々してしまっている。
だが、合意なのだ────わかってくれ。
「────マイクロトフさんって、面白い人だね。正反対って言われてたけど……話し易いよ」
「そうか……?」
自分が現れるまでずっとこらえていた反動だろうと思ったが、マイクロトフは素直なカミューの言葉に微笑んだ。
「────つらいか、カミュー……?」
「何?」
「みんなの前で気を張っているのが。正直に言ってみろ」
マイクロトフの真摯な声に、カミューは沈んだように考え込んだ。
「────ランドさんたちの気持ちは嬉しいよ。オレが騎士団長を降ろされないよう、無理な協力をしてくれてるんだ」
「そういうことを言っている訳じゃない。おまえの気持ちを聞いているんだ」
「だって……みんなが頑張れって言ってくれるし……騎士になりたかったし、望みが叶ったわけだし」
「────カミュー」
「……………………」
見る見る涙が盛り上がる。マイクロトフはカミューの横に座って肩を引き寄せた。
「────……オレ、負けたくない」
ぽつりとカミューが呟いた。同時にぽろりと涙の粒が膝に落ちる。
「負けたくないけど────怖い。いつバレるかって、ビクビクしてる。みんながオレを見てるって思うと……」
「……おまえは無理をしすぎている」
マイクロトフは膝の上で握り締められているカミューの手に自らの手を重ねた。
「ランド副長たちの心情は理解する。だが、急激に環境の変わったおまえに、一度に何もかも求めるのは酷だとおれは思う。休暇を取るか、カミュー?」
「休暇…………?」
涙の溜まった瞳がマイクロトフに向いた。
「学問ならどこでもできるだろう? しばらく他の騎士の目の届かないところで、マチルダそのものに慣れた方がいい」
「で、でも…………」
よし、とマイクロトフは大きく頷いた。
「訳の分からない書類にサインしたり、報告を聞いているのは無意味だ。休暇を取って城を出よう。たまに訓練の見学くらいするのはいいだろうが……今のおまえに必要なのは休養だ。学問付きの、だがな」
「ね────ねえ、ちょっと待ってよ」
「待ってろ、カミュー。ランド副長を呼んでくる。その…………顔を洗っておけよ、綺麗な顔が台無しだ」
言うなり、マイクロトフは飛び出すように部屋を出ていってしまった。
残されたカミューは嵐のような男の勢いに目を丸くするばかりである。最後に、ふと形良い眉が顰められた。
「────…………綺麗な顔?」
それから言われたように顔を洗うために浴室に向かいながら呟いた。
「………………ヘンな人だなあ……」
それははからずも、二年後に彼がマイクロトフに抱いた印象そのものだった。
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