PHANTOM・9


「事の始まりは例の査察の任だった」
赤騎士団副長ランドが重い口を開いた。
部下からもたらされた子細に驚愕させられたであろうが、そこは流石に騎士団の第二位階者、表向き動揺は窺わせない。ただ、眉間を割る苦悩の皺が彼の悲嘆を語るばかりだ。
悪夢の襲った部屋からカミューを連れ出したい心情は一同の総意だったが、昏睡している彼を動かすのも憚られ、結局寝台を横目に睨みながらの談義となったのである。
「殺されたハイランド間者の少年は、十代の頃のカミュー様の面差しに何処か似ていた」
ローウェルが後を引き取るように続けると、マイクロトフは椅子から乗り出した。
「何ですって?」
けれど男は遮って続けた。
「処刑の直前、ヘインは言った。『どうせ死ぬなら本懐を遂げれば良かった』とな」
つまり、と不快そうに吐き捨てる。
「あの男はカミュー様に懸想していたのだ。死んだ少年には……哀れなことだ」
呆然とするマイクロトフを一瞥し、ランドが小さく息を吐いた。
「騎士団は男所帯……、優美で礼節に厚くておられるカミュー様に恋情に近い崇拝を抱くものは少なくなかろう。その感情自体は責められない。履き違えさえしなければ、な」
先程過った醜い激情を見透かされたようで、マイクロトフは知らず俯いた。そこでローウェルが口調を改める。
「ヘインには身寄りがなくてな。兵舎に残された所持品は同室の者が整理して破棄するのが慣習だ。だが……死に際の言葉にわたしは不穏を覚えた。それで自ら、彼の私物をあらためたのだ」
特に歴とした理由があった訳ではないのだが、という独言めいた呟きと共に卓上に数冊の冊子が並べられた。それはマイクロトフと鉢合わせたときから男が抱えていた品だった。
「これは……?」
「今日になって見つけた。寝台のマットの下に隠してあったものだ。雑記帳というか、騎士に叙位されてからの日々の覚え書きというか……案外とマメな男だったようでな」
最後の皮肉には嫌悪が滲み出ていた。怪訝を覚えつつ手にしたマイクロトフは、続く声音に眉を顰る。
「最初のうちは日常の記録に過ぎぬが、後半がカミュー様への想いで埋め尽くされている。それも、穏やかならぬ妄想と願望の羅列だ。ああ……、読まぬ方が良いぞ」
頁を捲り掛けていたマイクロトフを制すようにローウェルが命じた。
「……わたしは途中で胸が悪くなった。巷に流布する猥本とて、これよりは品性に勝るだろうといった内容だからな」
初めてその存在を知ったらしいランドも卓に残される冊子を不快げに睨む。
「さっきも言ったように、わたしは城に出没する亡霊とやらがヘインではないかと考えていた。そこへこの冊子を見つけたのだ。行き着くべき予想だったと、これで理解して貰えるだろう」
ええ、と短く頷いた。
経緯が少しずつ明らかになっていっても、少しの出口も見えない。寧ろ、自身に生じた衝動への嫌悪が加わり、更なる暗澹に苦悶するばかりだ。
「マイクロトフ殿?」
ローウェルが覗き込むようにして呼ぶ。別れたときよりも格段に憔悴しているマイクロトフを訝しく思ったらしい。不審を払拭する必要に駆られてマイクロトフは顔を上げた。
「カミューの様子が変じたのは昨日から……そうお聞きしましたが」
「そうだ」
ランドは長椅子に沈みながら同意する。
「即ち、死霊が最初にカミュー様を脅かしたのはその前夜であろうかと思われる」
「故に昨夜、カミュー様は部屋で休まれなかったのですな」
自らに言い聞かせるようにローウェルが補足した。
「しかし」
膝の上で拳を戦慄かせてマイクロトフは言った。
「ヘインが処刑された夜から従者たちの幽霊騒ぎが起きていたなら、この時間的な差は何なのでしょう?」
勢い込んだ疑問にランドは落ち着いて応じた。
「以前、何かの書物で読んだのだが……霊というものは視界が利かぬのだそうだ。信憑はさだかではないが、否定する材料もない。死霊となってカミュー様に害為すことを目論み、御所在を求めて城をうろついていた、そう考えれば辻褄は合う」
あるいは、とローウェルが呟く。
「ヘインが死霊と化した自分に慣れるまでの時間であったとも考えられますな」
賛同の表情を見せたランドは苦しげに唸った。
「いずれにしろ、この敵は我らの常識を超えている。剣も攻撃魔法も効かぬとあっては、どう戦えば良いのか……」
「……グリンヒルは如何でしょう? デュナン一の学識の街、何ら対処の手法が見つかるやもしれませぬ」
だが、赤騎士団副長は柔らかく提案を退ける。
「事が事だ、何があってもカミュー様の身に起きたことは伏せねばならぬ。情報収集に多くを投じれば綻びも生じよう。かと言って信を置ける者だけに任せれば時間が掛かり過ぎる」
「然様ですな……」
ここロックアックスは良くも悪くも騎士の街なのだ。何よりも重んじられるのは剣技を初めとする目に見える武力、魔道の類に関する文献も決して多いとは言えない。部屋の奥の寝台へと視線を巡らせたランドの温厚な面差しにも、隠しようのない不安が浮かんでいた。
「───ともかく」
彼は腹心の部下とマイクロトフを交互に見詰めて切り出した。
「この部屋が標的と定まったのは確かなようだ。二度と再びカミュー様に穢れた亡者を近寄せることは罷り成らぬ。一先ず何処かへお移しし、その間に対処を考慮しよう」
「しかし……何処へ?」
マイクロトフは虚ろに問うた。
本当はこう訊きたかったのだ───対処などあるのか、目に見えぬ、剣にも斬れぬ亡者からカミューを護るすべが果たして有り得るのか。
赤騎士団の要人らが必死に善後策を模索している傍らで独り後ろ向きな思案に陥っている己を恥じる。それもすべて、先の説明のつかぬ情動に通じる自虐かもしれなかった。
「街の外れにわたしの息が掛かった宿屋がある。あそこなら他者に漏れぬよう、カミュー様を御留め出来る。ローウェル、先触れとして赴き、宿主によしなに計らうよう伝えよ。わたしは明日よりのつとめの調整を終えてからマイクロトフ殿と共にカミュー様をお連れする」
「拝命致します」
先も読めず、解決の糸口が見えた訳でもない。けれど、歩を進め始めた騎士らには張り詰めた緊張と決意が満ちていく。少なくとも、二人の赤騎士は死霊という未知なる敵への竦みを克服したようだった。
当然のように共闘の輪に組み込まれた己を、此度ばかりは苦い思いで噛み締めるマイクロトフだ。再びカミューと二人残されるのを恐れ、口を開かずにはいられなかった。
「待ってください、先触れにはおれが行きます」
「マイクロトフ殿?」
「行かせてください」
重ねた懇願に徒ならぬものを覚えたのか、赤騎士らは顔を見合わせた。ローウェルが何事か口を開き掛けたが、ランドが先んじて立ち上がった。執務机でさらさらと地図を記し、紙片をマイクロトフに差し出す。
「これが宿の場所だ。わたしの名を出し、最も人目につかぬ部屋を用意させてくれ」
「はい」
それから彼は慈愛を込めた瞳でマイクロトフを見た。
「……すまぬな、青騎士隊長として君が抱える責務も重々弁えているのだが……我らだけではとても立ち行かぬ。つとめに障るようなら言ってくれ、配慮する」
いいえ、と消え入る声で返すしかない。
「カミューはおれの……大切な友ですから」
───友、という言葉が微かに震えた。
「それに今は特に急を要す案件もありません。つとめの方は何とかなると思います。では、おれはこれで」
言いさして腰を上げた彼をローウェルが短く引き止める。
「大丈夫か、マイクロトフ殿?」
「え?」
「酷い顔色だ。本当にすまなかった」
凌辱の後始末を請け負わされたための憔悴と見たのだろう、深々と頭を下げた男にマイクロトフは歪んだ笑みを浮かべて首を振る。けれど返す言葉もなく、項垂れたまま部屋を出た。

 

もう戻れないのかもしれない───そう思った。
カミューと向き合い、微笑みを交わした温かな日常には。
積年の友情を裏切る醜悪な渇望に捕われた一瞬を消すことは出来ない。身体中に沸き立つ、凶暴で甘やかな、そして煮えるような欲望を。
カミューへの好意が単なる友人としてのそれを超えた深遠に接しているとは──意識の外ではあっても──日頃から感じていたが、肉欲を伴うものだなどとは思いも寄らなかった。
思いがけず外壁を削ぎ落とされた心の内には、斯くも浅ましい薄汚れた願望が眠っていたのか。

 

進める歩の分だけ遠ざかる友に向けて小さく呻く。
「……許してくれ」
居城の上空には早い雲の間に見え隠れする月が心許なげに光っていた。

 

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謝っても駄目〜。

 

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