PHANTOM・10


マイクロトフを見送った後、二人の赤騎士の間に束の間の沈黙が下りた。やがてローウェルがゆるゆると首を振る。
「失敗ったような気が致します。親友という立場を理由に、多くを背負わせ過ぎてしまったようで……心が痛みます」
「そうだな、友人だからこそ知らぬ方が良いこともある。彼も辛いだろう」
副長ランドも困憊した調子で同意した。
「とは言え、蚊帳の外にされて甘んじる男ではあるまい。現実から目を背ける男でもないし、乗り越えるだけの精神力も備えている。何より彼にはカミュー様を思う誠がある」
それでも沈痛な表情を解けぬままローウェルは言い募る。
「わたしの監督不行き届きが斯様な事態を……申し訳ございません。部下から斯様な僻者を出した責は、すべてが終わった後に……」
「───必要ないよ」
部屋の奥から、くぐもった弱い声が遮った。
はっとした二人が見遣る先、寝台の上掛けが揺れる。ゆっくりと半身を起こし掛けた青年に気付いたランドが慌てて駆け寄って支えようとしたが、それを待たずにカミューは再び敷布に崩れた。
「……カミュー様」
同様に寝台横に進み出たローウェルが気遣いながら声を掛けると、青ざめた唇に自嘲めいた笑みが広がる。
カミューは、己が笑えるということに幾許かの驚きを覚えた。度を越した衝撃は現実からの遊離を誘うらしい。己の身に起こった異変を、何処か他人事のように感じる。憤怒は身体の奥に疼く鈍痛に絡め取られたままで、見守る部下を前に、羞恥といった感情すら沸いてこない。
「酷い様を見せたようだな……すまない」
「そのような……」
ローウェルは絶句し、両膝を折って頭を垂れた。斬首に臨む姿勢を横目で一瞥した青年が、今度は幾分強く言った。
「日頃おまえに言われている台詞をそのまま返そう。何もかも抱え込んでは持たないよ、ローウェル」
「しかし!」
狂おしげに上げた顔が歪み、改めて剣呑を増す。そんな男に与えられた声は慰撫すら含んでいた。
「おまえの責であろう筈がない。何程留意したところで、相手が狂気を抑えていれば知りようがない。ヘインは覚え書きとやらを記すことで、かろうじて表向きの自分を繕っていたのだろう」
ランドが痛ましげに眉を寄せる。
「聞いておられたのですか?」
「『本懐』の少し前あたりからね」
弱く息を吐いてカミューは目を伏せた。
「……ハイランドの少年はわたしの身代わりにされたのだな」
同じ痛みを舐めた身であるから分かる。
それは底知れぬ闇色の絶望であったに相違ない。爛れた欲望に踏みしだかれ、挙げ句、前途を積み取られた少年の怨嗟は、今も遠い夜空の下で行き場なく彷徨っていることだろう。
口調に溢れた哀憐を察して副長ランドは低く言った。
「後に、あらためて鎮魂の儀を取り計らいましょう」
そうだね、と短く同意してからカミューは逡巡しつつ続けた。
「服を着せてくれたのはおまえかい、ランド?」
どう応えるべきかランドは迷った。確かに夜着を整えたのは彼であるが、カミューが知りたいのは寧ろ『後始末』についてだろうと感じ取ったからだ。
青年から凌辱の痕跡を消したのはマイクロトフである。彼があの場に居合わせたのは隠し通せない。
「───マイクロトフ殿が」
控え目な返答にカミューはひっそりと嘆息した。
三者の会話の様子から漠然とは予期していたが、それはあらゆる想像の中で最悪の末路だった。
暴行を受けた身に、マイクロトフはいつもながらの誠意で接しようと努めたに違いない。
けれど、彼は気付いただろう。カミューが暴力のみならず、快楽にも屈伏させられたのだという事実に。
気高き赤騎士団長、何ものにも侵し難い威風を纏う騎士などと持て囃されていながら、実体も持たぬ死霊の愛撫に負けた。それも、長年友情を温めた男の面差しを浮かべるという忌むべき手段で。
己に擦り付けられた汚辱にも況して、こんなかたちで友を汚した痛恨が胸を染め上げる。マイクロトフが不自然な勢いで先触れの役を買って出たのは、この場に留まりたくなかったからなのかもしれない。表情など見なくても、声音で胸中は容易に量れた。
苦悩が疲労に相まって、長い息となって溢れ出た。
「カミュー様……すぐにでも部屋を移られる方が宜しゅうございましょうか?」
切り裂かれた天涯の布は否応なく悪夢を蘇らせる。心情を慮ったランドだが、青年は弱く首を振るばかりだった。
「マイクロトフが宿へ向かっているのだろう? もう少し休んでからにするよ。今は……眠りたい」
「御意。このままローウェルに警護を勤めさせましょう」
「……頼む」
部下たちの気遣わしげな視線にかろうじて笑み、カミューは静かに目を閉じた。

───いっそこのまま目覚めぬ夢に落ちてしまえたら楽だろうに。

忍び寄る悲哀の冷たさから逃れるように枕へ押し付けた眦には苦い雫が滲もうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

城下を進む馬の足取りは主人の心を読んだが如く重かった。
それでもやがて目指す宿が視界に現れる。屋号を確かめた上で据付の厩舎に愛馬を繋ぎ、扉を押し遣ったマイクロトフだが、帳場に主人の姿はなく、酒場となった奥の間からの喧噪が彼を迎えた。
目を凝らすと数人の人だかりが生じている。酒瓶を手に、一点を囲むように屹立する様から喧嘩騒ぎかと納得した。
城で余るほどの異質に直面して疲弊した心が他愛ない日常の光景に少しだけ癒される。しかし、事はそう呑気に構えたものでもなかったようだ。臨戦に入った顔の何れにも同一の思念が揺れている。
───恐怖。
武器を握った男たちは囲んだ何者かへの激しい怖れに竦んでいるのだ。誰が最初に飛び掛かるか、その瞬間を窺って互いを見回しているようでもあった。
「どうした、何があったのだ」
均衡を崩さぬよう、出来るだけ穏やかに声を掛けたところ、宿主と思しき男が蒼白の顔で振り向いた。
「騎士様……良いところに! お助けください、魔物が、魔物がわたしの宿に……」
「何だと?」
反射的に剣鞘を握り直したところで人垣が割れ、敵意に晒される対象が覗く。領内を棲息地とする魔物の姿を描いたマイクロトフの意に反して、それはたっぷりとした布を纏った大柄な老人であった。肩透かしを食って呆ける彼に四方から檄が飛ぶ。
「騙されちゃいけません、騎士様!」
「人の形をしているが、こいつは魔物だ! 何しろいきなり空中から現れたんですよ!」
「おれも見た、何もないところに急に出てきやがったんだ」
唾を飛ばして言い募る男たちの向こう、杖を手にした老人は泰然と呟いた。
「……流石は騎士の街と言うところか。転移の魔法だと何度言えば分かる」
「魔法……?」
マイクロトフは復唱して男たちを掻き分けた。街人らが背後に退るのを待ってから対峙した老人を詳らかに観察する。
奇っ怪な風体の人物ではあった。白とも銀ともつかぬ豊かな髪がフードの下に見え隠れする皺ぶいた面を覆い、その表情を判別し難いものとしている。
相当の齢を重ねているのは確かだが、マイクロトフも老人の年代を読み切ることは出来なかった。ただ、鈍色に輝く瞳の聡明は違えようもなく、声にも並々ならぬ威厳が漲っている。
「みな、瓶を下ろせ。この御老人は魔物などではない」
命じられた一同は即座に不安そうにマイクロトフを注視した。
「え、でも……騎士様……」
「おれも見たことはないが、一瞬で距離を移動出来る魔法の存在は聞いたことがある。おそらく、それを使われたのだ」
枯れ木のような指が握る杖は、魔術師が用いるロッドと呼ばれる品であるようだ。だが、如何せん魔道に疎い街人にとって突然現れた老人は魔性の類としか見えなかったのだろう。
相変わらず不審丸出しに互いを窺い合う人々の代わりに、マイクロトフは老人の前に片膝を折った。
「御無礼をお詫び申し上げる。どうか気を悪くしないでいただきたい」
真っ直ぐな礼節を好ましく思ったのか、老人の厳つい貌に朧げな笑みが浮かんだ。
「礼節に厚いと聞いた街での無作法……、再び『飛んで』消えても良かったが、己の無知を棚に上げて人を化物呼ばわりする者共に少々腹が立った。灸を据えてやろうかと思うたものの、殺さぬ程度に非力な魔法も持ち合わせておらぬでな、思案していたところよ」
滔々と言い放った直後、老人は杖を一閃した。刹那、マイクロトフと宿の主人、そして老人を除いて全員が掻き消え、酒場は静寂に包まれた。
「……!」
人気の失せた店内を見回し、主人は腰を抜かしてへたり込む。マイクロトフも仰天して立ち上がった。
「こ、これは……」
「知らぬものは己が身を以て味わうが良かろう。心配ない、今頃はそれぞれの家の前で呆けておるだろうて」
呵々と笑った老人をしげしげと見詰めるマイクロトフの胸に高揚が沸き立つ。これは正に降って湧いた僥倖、得体の知れぬ悪鬼と一戦交えねばならぬ自身らにもたらされた天の救いではないか。
改めて跪いた彼は、騎士の最大礼を払った。
「マチルダ騎士団・青騎士団所属、第一隊長マイクロトフと申します。どうか……どうか、御名をお聞かせいただきたい」
老人は、暫し量るような眼差しで足下の騎士を眺めていた。やがて仄かな温情の気配を湛えた唇が言う。
「何やら難題を抱えておると見えるな、騎士殿」
はっとして顔を上げた若き騎士隊長は、然程広くはない店内の隅々にまで満ちてゆく凄まじい覇気に打たれた。畏怖のあまり再び叩頭する彼の頭上、老いた声が淀みなく宣言した。
「我が名はクロウリー、巷では大魔術師などとも呼ばれているらしい」

 

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今回の助っ人には悩みました〜。
何しろ資料が皆無、検索しても情報ナッシング。
よって、御人柄は完全捏造です。
しかも捏造の材料が
『メイザース氏の師匠』だから、
これがまた何とも……(笑)
「こんなん、ちゃうよ〜」という御意見がありましたら、
どんな御人なのか教えてください。いや、本気で。
今ならまだ直せる……かもしれない。

 

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