PHANTOM・21


魔力の網に捕われたまま移動を強いられた死霊は、狙い過たず用意された形代に押し込まれたようだった。ぴくりと痙攣したファントムの身体から剣疵が消えていく。騎士らが見守る中で転生を果たした魔性は、夢から醒めた幼子のように束の間あたりを見回した。
不可解に耐えぬといった様相で自らの体躯を撫でる姿は人間そのものだ。やがて魔物は手中にある剣に視線を止める。自身がかつて騎士と呼ばれる存在であったことを、長い思案の果てに思い出したが如き所作だった。
「……ヘイン」
直属の上官であったローウェルの声は魔性の琴線に触れたらしい。死霊と成り果て、もはや真面な思考など失われていると想像していた男たちは、ゆるゆると向き直ったファントムに愕然とした。
「我らが分かるのか、ヘイン」
苦渋混じりにランドが問う。無論、魔物の口から答えなど返らない。ただ、騎士を思わせる立ち姿や剣の扱いが在りし日のヘインを滲ませるばかりだ。
ローウェルが後を引き取った。
「ヘイン、言葉が分かるなら己を恥じよ。大罪を犯し、あまつさえ忠誠を捧げた主君の御許へ彷徨い出るなど、許し難き不徳の極み! 我らは義に則り、今度こそおまえを死者の世へ送る」
赤騎士隊長の激昂に、だが魔物は反応を見せなかった。虚ろな眼孔が向かっているのは黙して剣を構える青騎士ただ一人だったのである。
唐突に、ファントムが剣を翳してマイクロトフに襲い掛かった。未だ形代に魂魄が馴染んでいないのか、やや緩慢な動作ではあるが、揮われた攻撃の重みは生半ではない。咄嗟に受け止めたマイクロトフは、剣を伝って全身を揺るがす振動に顔をしかめた。
距離を取ったところで最初の激突を見詰めていた魔術師が眉を顰る。
「……赤い連中は何をしておる?  一度に斬り掛かれば良かろうに」
置かれていた愛剣を取って支えにし、横に付き随ったカミューが苦しげに応じた。
「我らは単独の敵を囲み討つ行為を好しと致しません。魔物相手ならばいざ知らず、あれはヘインだと認識してしまっておりますし……」
するとクロウリーは舌打ち混じりに一蹴した。
「騎士の礼節といったものか。悠長に構えていると、手痛い目に遭うぞ」
その言葉も終わらぬうちに、マイクロトフに剣を止められた魔物が分裂し、二人の赤騎士の後方から斬り付けた。反射的に振り上げた剣で攻撃を防いだものの、騎士らは呆然とした面持ちを隠せなかった。
「───見るが良い。脱け殻と化したとは言え、形代が持つ特質が消え失せるとは限らぬ。彼奴はファントム同様、分散や転移が可能と考えるべきよな」
傲然とした解釈を聞いたカミューは小声で問うた。
「それを彼らに御伝えに?」
「……伝えておらんかったか、そう言えば」
「クロウリー殿……」
脱力気味に唸るカミューである。
一方、騎士たちも状況を把握し終えて、騎士の心得に相反する構えを開始していた。
本体のみに戻ったファントムの剣をランドが止め、その間にローウェルが斬り掛かる。しかし予め魔術師に諭されていたように、魔物の体躯は魔力の膜に護られており、手傷めいたものすら生じない。
剣戟の勢いで僅かに体勢を崩したところへマイクロトフが最初の一閃を浴びせたが、『魔力吸いの紋章』は発動しなかった。よろめく程度の衝撃しか与えられず、逆に魔物は飛び退るようにして騎士らから距離を取った。
妙だ、とカミューは息を詰めた。
ヘインの剣技を見た記憶はない。だが、次第に与えられた身体に馴染み始めたらしい魔性の動きは、騎士団の上位にある男たちに匹敵する敏捷だ。攻撃の鋭さ、防御の鮮やかさ、どれを取っても平騎士の実力を超えている。
「死霊の力と形代の力とが加算されているように見えます」
堪らず口にすると、クロウリーは重々しく頷いた。
「加算どころか、相乗よな。あの形代、思いがけず相性の良い体躯であったようだ」
そこでカミューはマチルダ領に伝わる伝承を過らせた。
この地方が一領としてさだまらぬ遠い昔、深い怨讐を抱いて死んだ剣士がいた。死者の憎悪は血涙となって大地に降り注ぎ、異端の生物を生み出した。
ファントム───鎧甲冑を纏った、怨念が生み出した闇色の剣士。
魔物誕生の逸話は数限りなく有るが、もしこの一説が真実に近いのならば、死んだ赤騎士にとって最も好ましい形代であったに相違ない。
騎士団でも抜きん出た剣士らの刃は、捉えても捉えても敵に痛打を与えられない。逆に、魔物の剣は刹那ごとに速さを増して三者を苦しめていた。一瞬の隙を衝いて間合いに飛び込む果敢、剣先を掠めて嘲笑うように退る防御の巧み、どれを取っても敵は『超一流』と名付けて良い剣士の力量である。
騎士たちも、相手が魔物の殻を纏った霊体以上の存在へと進化したのを認めざるを得なかった。それでも優れた敵と向き合うことで己の最大限が引き出されるのは騎士の本能か、三者の闘志は上昇の一途を辿る。
マイクロトフには確信が兆していた。
ファントムは赤騎士らに対しても剣を繰り出しているが、飽く迄も隙を衝かれまいとする戦法の一つとしか見えない。敵意は一環してマイクロトフのみに向けられていた。
同じ情念を抱きながら理性の淵に留まった清廉を憎んでいるのか、死した騎士は我武者羅にマイクロトフ目掛けて剣を振り翳し、その猛攻に幾度も窮地に陥った。
赤騎士らと共闘するのは初めてだ。しかし彼らは古くから剣を並べてきたかの如き見事な連携でマイクロトフの援護に努めている。秩序立った支援の前に不安は皆無だが、戦いの長期化は覚悟せねばならないだろう。マイクロトフは一刻も早い紋章の発動を祈って剣を握り直した。
「ふーむ……良からぬ展開だな」
暫し黙して戦況を見守っていた老魔術師が、幾分険を増した表情で周囲を窺う。言葉の意味は、すぐにカミューにも通じた。開けた平原の方々に無数の影が現れ始めたのである。クロウリーは杖を構えたまま、躙り寄る魔物の群れを眺め遣った。
「死霊めは夥しい力を放っておる。負の気配とでも言ったものよな、わしの魔力の鎧では抑え難い波動だ。どうやらそれに魅かれて魔物共が集まってきたらしい」
言いながら、彼は再び杖をファントムに向けた。魂魄を形代に封じる力が弱まろうものなら、直ちに結界魔法の追加を施さねばならない魔術師に、新たな敵を屠る余裕はないようだった。
四方から徐々に迫る魔物たちを、激烈な剣戦の渦中にある騎士らは気付けないままでいる。反射的にカミューは右手を掲げた。
「余計な魔力を使ってはならぬ!」
鋭い一喝が最も近くに位置していたランドに届いた。即座にあたりの異変を見定め、彼は赤騎士隊長を呼んだ。マイクロトフの左右に立ち、迫り来る魔物たちに対峙する。
「我らが護るゆえ、ヘインを!」
変事を知ったマイクロトフは、短い戸惑いの後に思い至った。魔性を弱体化させる唯一の手立てが己の愛剣に宿されていることに。
瞬きのうちに役割を量り終えた赤騎士らは、マイクロトフの意識をファントムに集中させるべく、無数の敵に打って出た。狙い澄ましたように分裂して背後を襲うファントムを一閃しつつ、魔物の群れに飛び込んで行く。
選択の余地のない、そして最善たる策。しかし、如何に優れた剣腕を持とうと多勢に無勢、その上、誘われ出でた魔物は彼らをもってしても一太刀で斃せる惰弱な種ではない。それでも迷わぬ部下たちの果敢は、見守るカミューの胸を裂いた。
浄化の炎で魔性を滅す、それが自らに与えられたつとめと理解している。だが、絶対の当事者でありながら闘いの場から隔てられる現状は耐え難い。
ファントムと剣を交えるマイクロトフから余計な敵を引き離そうと、赤騎士らは決死の奮闘を続けている。一体ずつならば確実に騎士たちの力量が上回るが、囲まれては苦戦は避けられない。まして数に勝る敵が、いずれ訪れる彼らの体力の限界を見逃す筈もない。
「……クロウリー殿」
悲痛な声が風を震わせるが、魔術師は冷徹な沈黙を守るばかりだ。青年の懇願を待たず、彼も思案を巡らせている最中であった。
突出した魔力を誇る老人は、長きに渡る精進と探究の果てに常人とは若干異なる魔法の使い方を編み出している。今の彼には紋章が司る魔法の一部だけを用いたり、複合的な力を生み出すのも造作無かった。
結果、魔法の消費の仕方も凡人とは異なる。どのレベル魔法があと幾つ、そういった数え方はクロウリーには無意味なのだ。その上で、自身が援護可能か否かを量っていたのである。
ただ、死霊の拘束に使う魔力は甚大で、予断を許さぬ先々を考えれば力を温存しておきたいのが本音だ。厳しい顔で考え込む老人から部下たちに目を移したカミューは懇願を重ねた。
「援護させてください、クロウリー殿! わたしには部下を護る責務があります。一人対岸で安穏としているなど、誇りが許しません」
その瞬間、細身の騎士団長から迸った激しい闘気を認めてクロウリーは目を細めた。にんまりと頬を緩め、赤騎士二人を囲む魔物を一瞥する。
「───第一レベルを一度だけ、それで誇りとやらには満足させよ。わしも倣おう、騎士らが一撃で斃せる程度に敵を弱体化させるぞ」
感謝に顔を輝かせ、カミューは詠唱を開始した。同様に、傍らの魔術師も握った杖に念を伝え始める。
その頃には、騎士らの剣が魔物の引き離しに成功していた。マイクロトフから少し距離を取ったところで展開する死闘に向けて、矢のような声が命じる。
「ランド、ローウェル……離れろ!」
凜とした騎士団長の指示が、思考よりも早く騎士らの体躯を従わせた。殆ど反射といった様子で二人は密集した魔物の輪を抜け出す。間髪入れずにカミューは焔の魔法を放った。
少し遅れて続いた魔術師の攻撃魔法も同じ炎系である。こちらは若干の手を加えてあるらしく、攻撃範囲の狭いカミューの第一レベル魔法を巻き込んで、押し広げるようなかたちで魔物の群れに落ちた。

 

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こういう系の話のたびに思うこと。
バトル中は切りどころが難しい……。

 

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