PHANTOM・19


「やれやれ、それにしても……わしも、よう無事に辿り付けたものよ」
何気なく洩れた休心の響きに二人の騎士隊長は困惑げに瞬いた。すぐに気付いて老人は苦笑う。
「転移魔法は本来、過去に訪れた場所にしか発動しないものなのだ。言ってみれば、経験のつけた轍を辿っているようなものよ。わしは考究の果てに、意識の道を利用することを覚えたがな」
「意識の……道?」
「然様、御主らに此の地を思い描けと命じたのは、そのためだ。そうすることで御主らは此の地へ向けて意識下で道を通す。それを転移魔法で辿るのだ。が、生憎わしには未訪問の地ゆえな、団長殿の記憶を頼りに飛んできた。無事に到着出来て良かったわい」
朧げながら理解して二人は頷く。クロウリーはマイクロトフを見ながらポソと付け加えた。
「……目測を誤ってあの宿屋に飛んだのも、そんな訳だ。洛帝山とやらを知るものが周囲におらんかったのでな、書物などから得た知識を手繰り集めてみたものの、うっかり『街が近いか』などと過ぎらせたものだから、途中で道が切れてしまった」
「そ、……そうだったのですか……」
何と慰撫したものか迷った後、マイクロトフはただそう短く答えた。
会話を打ち切って、起き上がろうと蠢く魔物を再度一瞥したクロウリーは、それから施術に取り掛かった。
離れているよう騎士らに命じ、苦悶する肉体に向けて丁重な礼の仕草を取る。命を摘み取り、体躯を使うことに対する陳謝であるようだった。
概念上では人と魔物は敵として分けられる。けれど利用するための殺傷に痛みを覚えるのは魔術師も同様だったのだ。騎士たちは、またしても彼に寄せる尊崇を増した。
たっぷりしたローブの懐から出した小さな球体を魔物の身体を囲むように五角の形に並べ置いたところで、長い指が複雑な印契を組む。それから今度は東西南北を指すように封印球を並べ替え、余った一つを魔物の胸元に乗せた。
滔々と流れる呪法の文言は何処とも知れぬ異国の音曲のようで、得も言われぬ荘厳だ。固唾を飲む騎士らの畏怖に見守られ、やがて閃光が渦巻いた。
猛々しい炸裂音と共に魔物の身体に乗った封印球が砕け散る。咄嗟に目を伏せた二人がそろそろと視線を戻したときにはすべてが終っていた。
魔術師の背後から歩み寄った彼らが見たのは、抜け殻と化したファントムである。今や物体に過ぎない体躯が大地に横たわるばかりであった。
「……初めての割には首尾良ういった」
ポソと独りごちる魔術師を仰天して見遣り、次に苦笑する騎士たちだ。
「命のみを奪って肉体を利用する───そうそう機会も必要もないでしょうからな」
ローウェルが言うと、老人は重々しく賛同した。
「傲慢なる術よ。斯様な事情でなくば、試みたいとは思わなんだ」
そこでマイクロトフが魔物を睨みながら呟く。
「まるで騎士の像が寝ているようだ……」
全身に鎧甲冑を纏ったようなファントムの形体がそう思わせるのだ。そうした物体を形代に使えなかったのだろうかと過った疑問を、魔術師は正しく言い当てた。
「無論、『物』に魂魄を宿して封じる呪法もあるが、何と言っても無機物は形代に不向きなのだ。『命が宿ったような』といった形容を使うときがあるが、あれは作り手、持ち手の鋭気や鍾愛が、ごく稀に『物』に定着した状態を言う。元が命の受け皿となっていない無機物に魂魄を定着させるには暦や方位、そうした様々の助けが要る。詰まるところ、時間も準備も莫大を要すのだ」
迅速を優先と心掛けたのだといった自負を感じたマイクロトフは慌てて頭を下げた。
「此奴を捕えるに相当苦労したと見えるな」
笑いながら残った封印球を取り上げた老人は二人に食事を取るよう命じた。包みを抱え、ローウェルが気遣わしげに問う。
「その……、カミュー様は御食事を召されましたでしょうか」
「砂を食むような面構えであったが」
思い出しているのか、クロウリーは可笑しそうに返した。
「食わねば力が戻らず、死霊を滅するに足る魔力も回復せぬ。御主らが案じずとも、団長殿は己のつとめを理解しておるわ」
そういう男だ───胸を締め付ける感慨にマイクロトフは瞑目する。
どんな窮地にあっても沈着に務め、自らの最善を果たす。自らが愛した青年は、そうした誇り高き騎士なのだ。
ローウェルと並んで地に座り込んで折詰を開く。黙々と咀嚼に勤しむ二人に満足したのか、魔術師は改めてファントムに向き直った。
片付けた封印球の代わりに手にしているのは長い縄だ。副長に命じて用意させた絞首用の縄だと察した騎士らは、食事の手を休めず注視を続ける。
魔術師は魔物の喉首を横断するかたちに縄を設えていった。興味津々の視線に気付いた彼は、淡々と説明を開始した。
「人は死に際に様々を思う。幸福、悔恨……それはもう、膨大な意識が瞬時にして巡る。此度の騎士の場合は団長殿への執着が最期の念となって留まった」
だが、と深い色の目が縄に注ぐ。
「意識とは別に、誰しも死出への恐れを内在し、ときには死した後にも消えぬことがある。それは即ち、己の命を絶つ原因、凶器といったものへの恐怖と言って良いかもしれぬ」
「それは例えば、剣によって死んだ者には剣への恐れが遺る、と……?」
「然様。明白な理由なく水を恐れる者が稀に居るな。そうした者は、前世において水で命を落としたのやも知れぬ。御主らは吊るされた騎士の影を見たと言うたな、死霊は今も絞首の縄に囚われている。彼奴にとって絞首の縄は未だ消えぬ恐怖、鬼門なのだ。怯んだ隙を衝いて形代に押し込む、そのための良き備えとなる」
成程、と納得する二人である。同時に、遠く離れたロックアックス城を徘徊している死霊をここまで引き摺ってくるのは例の転移魔法なのだろうとも考えた。
「時に、聞き漏らしてしまったのだが……団長殿の『烈火』は何処まで封印が解けておるか知っているか?」
唐突に話題を変えられて顔を見合わせたが、これにはローウェルが丁重に答えた。
「第二レベルまでと伺っております」
するとクロウリーは表情を歪めた。
「それは異な……あの者、生粋の剣士にしてはそこそこ魔力は高いと見たのだが。第二レベルで停滞しているとは些か意外だな」
「我ら騎士はどうしても剣技を第一と致しますゆえ」
苦笑して弁護する。
「カミュー様は滅多に紋章を使われませぬ。それゆえ、第三の封印も解けぬままなのではないでしょうか」
「ふうむ……」
如何にも不満そうに唸る老人を見詰めていたマイクロトフが、おずおずと続けた。
「カミューは『烈火』の魔法を人に向けるのを厭うのです。一瞬で複数の命を奪う威力を持つだけに、虐殺めいて感じるのではないかと……」
「確かにわたしも威嚇以外の使い方を目にした記憶がないな。御立場上、複数の魔物に囲まれて窮地に陥ることは有り得ぬし」
赤騎士隊長の補足に魔術師は渋々と頷いた。
「成程、己なりに規を定めている訳か。しかし第三の封印が解けていないとなると、使える第二レベル魔法も二度が精々といったところか……」
どうやら芳しくない成り行きらしい。騎士らに募った不安を、だが彼は柔らかく振り払った。
「考えても詮無きは忘れておこう。では、今後の手筈だ。ささと飯を進めながら確と覚えよ」
そうは言われても咀嚼は止まる。食い入るような注目に曝された魔術師は枯れ枝のような指を折りながら説いた。
「これよりわしは宿にて待つ団長殿を伴って城へ飛び、代わりに副長殿をこちらへ送る。そうそう、団長殿の剣を返せ。御主の剣は副長殿に持たせる」
マイクロトフから細身の剣を取り上げ、声音に力を込める。
「ここからが重要だ。わしと団長殿はあの部屋にて死霊の訪いを待つ。彼奴の波動を感じたら合図に団長殿の剣を飛ばすゆえ、戦いに備えよ。死霊が完全に団長殿を捉えたと同時に、転移魔法を発動する。後は……分かるな、ファントムが動き出す」
二人の騎士隊長は息を詰めた。
「お、お待ちを。死霊がカミュー様を捉える、とは……?」
「何度も言うたように、思念は一体とは言い難い代物よ。ふわふわと舞う大気を捕まえるようなものだ。取り零さずに移すには、可能な限りに凝った状態へと導く必要がある」
そこでマイクロトフが呆然とした。
「つまり……昨夜と同じ状況を作り上げるという意味ですか?」
「恋しき対象を手中に納めんがため、死霊はより実体に近づこうと試みる。そこを狙うのだ。それでも包囲の術は幾重にも張り巡らせねばならぬのだぞ、睨むな、青いの」
悪夢の再現を強いられる青年を過らせて表情を歪めていたマイクロトフは、機微を衝かれて唇を噛んだ。
ローウェルにも葛藤がない訳ではなかった。けれど僅かばかり思慮にてマイクロトフに勝る彼は、それが交情までを意味するのではないと理解している。
焔の魔法で異端を摂理に還す、それが策の終着だ。そのために思案を巡らせてきた魔術師なのである。交情によって死霊に奪われる魔力を許す筈はなく、まして清廉なる青年に対する再びの非道を認める筈もない。
「───承知致しました。我らは合図を待ちます」
丁寧に礼を払ったローウェルに、漸くマイクロトフも心を鎮めた。毅然と老人を見詰めて言う。
「カミューにお伝えいただけますか。志、有り難く馳走になった、と」
折詰の包みを眺め遣りながらの言上がクロウリーを破顔させた。
「ならば、更に存分に働けるよう、今のうちに回復魔法も施しておいて遣わすか。忘れるな、ファントムの体躯に与えた損傷は解消されるも同然……真っ新の、活きの良い敵と対峙すると心得よ」
軽やかに言いさして老人は杖を振った。

 

 

 

 

 

 

一方、ロックアックス城では。
任を果たし終えた副長ランドが団長私室を目指していた。
他団の副長たる人物に騎士隊長マイクロトフの病欠を伝えられた青騎士団長は、やや怪訝そうではあったけれど、すぐに数日の休暇を認めた。
もともと鷹揚な人物である。マイクロトフやランドの実直な質も知っている。街路で体調不良に陥っていたところへ行き合い、近くの宿にて休ませたという説明を、彼には疑う理由がなかったのだ。
配下の青騎士を差し向けると言い出されたときには困ったが、そこは画策に天与の才を持つランドである。既に看護の者を付き添わせていること、更には、部下を向かわせたりすればマイクロトフの性格からして無理を押す、などといった適当な理由を並べ立てて申し出を退けた。
五行の紋章の封印球を用意し、次いで絞首の縄を取りに走った。これは管理を任された騎士の目を翳めての作業だったが、いずれも無難に果たし終えた。外見から分からぬように念入りに梱包し、殊に口の堅い部下に宿までの遣いを命じた。
マイクロトフの剣に紋章を宿す任だけは若干の問題を要した。騎士団中が持ち主を知る大剣であるだけに、鍛冶屋も興味を隠さなかったのだ。
そこで彼は微笑みながら短く言った。『瑣末を気にせず、ただ任に臨め』と。
赤騎士団副長の温厚は筋金入りと噂されている。上官カミュー同様に、滅多に声を荒げることもない。騎士ばかりか、城に出入りする者すべてに穏やかに向けられる笑みは、時に恫喝よりも恐ろしい脅しとなる。鍛冶屋は以降、無言で仕事に終始した。
念を入れてランドは告げた。『先々も城に勤めるなら、無用の関心を抱かぬが肝要』───にこやかな忠告に震え上がった男は、ただ従順に頷くばかりであった。
一切の手筈を整えた後、彼は食事のトレイを手にカミューの部屋へと向かった。
赤騎士団長は急を要す執務のため自室に籠もっている、そう周囲には言い含めてある。息抜きもせずに籠もり続ける騎士団長を案じる顔つきの張り番に見送られ、ランドは廊下を進んだ。
騎士はおろか、従者にすら立ち入りを禁じた室内に当の主人が不在であるなど、誰一人として気付くべくもない。それでもこうして食事を運ぶのは、猜疑を抱かれぬための入念なる策であった。
団長私室に滑り込み、小さく息を吐く。
昨夜とは打って変わって明るく映る室内を巡る視線が、最後に寝所に向かった。昨夜カミューが眠った隙に運び入れておいた真新しい寝具で床を整え、裂けたままになっている天蓋の布を取払う。
見た目には暴行の痕跡は窺えぬようになったものの、ランドの胸は依然として重かった。万難を排して事態が終焉を迎えても、ここに眠る限り、カミューは悪夢を蘇らせかねない。
いっそ部屋替えに臨むべきか。だが、騎士団長たる者の私室を移すに足る理由付けが可能だろうか。そうして外を取り繕ったとして、果たしてカミューの心は如何ばかり救われるのか。
そこで、ふと精悍な青騎士の顔が思い出された。決意と闘志に満ち溢れた今朝方のマイクロトフの精悍な面差し。刹那、ふわりと安堵が込み上げる。敬愛する上官の心はマイクロトフが護る、そんな確信が閃いたのだ。
先を愁うよりも目先の責務を遂行せねばならない。初心に立ち戻ったランドは、卓に置いたトレイと対峙した。今一つ食欲はなかったが、力を貯えねば戦いに支障を来す。よって、正午も過ぎての遅い朝食を取ろうと決めたのだった。
味気ない食事を終えた頃、ランドは得体の知れぬ気配の接近とも言うべき不可思議な感覚を覚えた。咄嗟に卓を離れ、部屋の中央に移動する。
よもや、こんな昼日中から死霊が出没しようとしているのか。それでは策の一切が崩れてしまう───焦燥を覚えつつ、利き手を剣の柄に掛けたランドだったが。

 


唐突に目前に現れた細身を反射的に受け止め、勢いのままに床へと転倒した。辛うじて受け身こそ取ったものの、身体のあちこちが痛む。呻きながら開けた目が慕わしき青年を捉え、硬直を誘った。
「……着地点を過ったようだ。すまないね、ランド」
覆い被さった赤騎士団長が困惑げな面持ちで言う傍ら、仁王立ちの老魔術師が申し訳なさそうに肩を竦めていた。

 

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今回の幸せ君、
赤に押し倒された赤副長の心境。
「光栄にございます、カミュー様……」
いや、それとも
「な、なりません〜、カミュー様〜〜」
……か?(笑)

 

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