PHANTOM・17


此度の敵は実体を持たない死者の魂魄である。
『烈火』を浴びた死霊は、ひとたび赤騎士の像を結ぶといった反応を見せたが、目視可能状態が今も続いているとは限らない。また、見えたとしても剣戟が有効な手段とならないのは確かだ。天蓋の布に映った影を一閃したマイクロトフの手には手応えが残らなかったのだから。
一方、攻撃魔法はどうか。
例えば、アンデット系の魔物には『破魔の紋章』が有効と伝えられている。効果が皆無という訳ではないかもしれない。だが、これも一時凌ぎにしかならないだろう。何故なら、相手が思念の凝縮体であるからだ。

 

「思念は一体に非ず。言ってみれば、風のようなものだ。攻撃魔法を受けると同時に霧散して、再び集まれば元通り、という訳だな」

 

マイクロトフは己の右手を睨みながら納得した。悲憤を込めて放った一撃は、虚しくも敵を捉えられなかった。それも道理だ。風を斬ることなど叶わない。
そこで死霊に身体を与えるという策に至る。
副長ランドが口にした『形代』という概念は、半分だけ当たっていたのだ。ただ、魔術師クロウリーには、忠義と友愛に身を捧ごうとしている男たちの誰一人として犠牲にするつもりなどなかった。彼の目論見は、領内に生息する魔物の肉体の奪取にあった。

 

「殺さずに捕えよとは、そうした意味だったのですか……」
呆然とした面持ちで赤騎士隊長が呟く。

 

肉体を動かす力を命と呼ぶならば、先ずは捕えた魔物の命を砕く。そして、謂わば抜け殻となった体躯を死霊に与える───斯くて、風の如き敵は目に映り、剣や魔法も通じるようになる、という訳である。
様々な知識や経験を吟味した魔術師は、そのための手法として五行の紋章の力を要しているのだった。

 

「そうそう、絞首の縄も用意して貰えまいか。術に念を入れたいのでな」
老魔術師の追加要求に騎士らは顔を見合わせた。代表するようにランドが難しい表情で応じる。
「ヘインの刑に用いた品でございましょうか。それでしたら、既に処分済と思われますが……」
「幾度も使い回すような性質の品でなし、道理よな。同種のものならば良かろう、代わりの縄を頼む」
更にクロウリーは強い調子で言い切った。
「留意せねばならぬのは、敵が思念であるという点だ。ひとたび形代に納めても、霧散して逃れようと抗うに相違ない。それを魔力の結界によって阻止せねばならぬ」
「つまり……、ヘインの思念を魔物の肉体の殻とクロウリー殿の魔力で、外側から包むといった状態を考えれば宜しいのでしょうか?」
控え目なカミューの問い掛けにクロウリーは笑み崩れた。
「やはり賢しいな、団長殿。然様、水と土の魔法を混合して編み出した我が秘術が結界の鎧となる。死霊を肉体へと封じる檻に、な」

 

けれど、一つだけ弊害があった。
魔術師の施す術は、一方で、外部からの攻撃に対する防壁ともなってしまうのだ。

 

「まるで無傷のままとは言わぬが、致命的な痛手も負わせられまい。然程に我が術は強力ゆえ」
揶揄めいた自尊を浮かべた老人は、必死に策の把握に努めていたマイクロトフを見遣る。はっと威儀を正した男は息を詰めた。
「何より、如何に外の鎧を傷つけようと、『中身』に打撃を与えねば意味がない。そこで『魔力吸いの紋章』の出番だ。魔物、死霊と呼び名に差異はあれど、彼奴らを動かす源は同じ魔の力……闇の力よ。『魔力吸いの紋章』は、わしが施す術もろともにそれを吸い取る。攻撃が功を奏すたびに魂魄の力は弱まろうぞ」
大剣と共に託された小さな封印球を睨み付け、ランドが喉を鳴らす。横から覗き込むローウェルもまた、同様の心地を覚えているようであった。
だが、とクロウリーは眉根を寄せる。
「何と言っても『魔力吸い』には発動確率というものがある。その点を鑑みれば、ある程度の弱体化は図れても、思念を完全に消滅させるのは至難であろう。そこで敵を余さず葬るには……」
強き眼差しがカミューに向いた。琥珀の瞳を細め、彼は頷いた。
「体躯という檻に封じたまま、浄化の炎で焼き尽くすのですね」
鋭かった魔術師の視線は、出来の良い生徒を褒めるが如き慈愛に満ちた。
「御主を要と呼んだ意味はそこにある。わしは火魔法発動の瞬間に、死霊を逃さぬ程度に結界を緩めて効力を浸透させるよう調整に専念せねばならぬ。よって、火魔法自体は御主に任せる他ない。良いか、団長殿。歪んだ妄執の成れの果てを消し去るのは御主の役目だ」
静かに、けれど決然と頷いた青年から騎士たちに向き直り、続ける。
「わしの魔力は結界の維持、その他、不測の事態に備えねばならぬ。攻撃魔法はおろか、回復魔法による援護も出来ぬと心得て貰おう。ゆえに、備えも考慮するが肝要」
副長ランドが背を正した。
「承知致しました。五行の封印球、及び絞首用の縄を用意する、マイクロトフ殿の剣に紋章を宿す、回復手段を用意する───以上が城で果たすべき我がつとめ、宜しゅうございましょうか」
「うむ、頼むぞ。して、副長殿。すべてを為し終え、身が空くには如何ばかりの時を要す?」
「他にも雑事を有しますので……昼過ぎまでには何とか戻って来られると思うのですが」
「封印球と縄を先に入手出来まいか。形代の確保は此度の策の初手ゆえ」
少し考えてランドは顔を上げた。
「ならば部下を遣わします。ここでお待ちくだされば、お届け申し上げましょう」
「遣いに信は置けるか」
聡明な瞳が横目でカミューを窺う。青年の苦境の隠匿は、この魔術師にも優先されるべき点となっているようだ。同様の配慮を抱く副長は直ちに言った。
「子細は明かしませぬ。宿の主人に品々を渡すよう、申し付けましょう」
「……役割の熟知は騎士の力を高めるのではなかったか?」
揶揄うように洩らした魔術師にはローウェルが生真面目に応じた。
「何事も臨機応変に。我が赤騎士団の信条にございます」
終に肩を震わせ、偉大なる老人は杖を握り締めた。
「まこと、洞穴に籠もっていては傑物を知り得ぬという訳だな。副長殿、ここへ戻る必要はない。万事片が付いたら、団長殿の部屋にて待つが良い。青いのと赤いのは準備を急げ。心構えが済み次第、出立だ」

 

 

 

 

 

副長ランドが部屋を出ていった後、二人の騎士隊長は慌ただしく装備を整え始めた。
愛剣を失った心許なさを隠せず、似合わぬ慎重を漂わせているマイクロトフを、カミューが黙したまま見守っている。支えられた腕に残る男の掌の温もりは、昨夜の夢の続きであるかのようだった。以前と同じ、あるいはそれ以上の熱をもって自らを包んだいたわりは、しかし今は戦いへの闘気によってか、窺えない。
やがて武具を装着し終えた男が躊躇いがちにカミューに歩み寄った。
「その、……剣を」
何処かぎごちない振舞いが胸を刺す。それでも彼が共に戦ってくれることに感謝しようとカミューは自らを励ました。
「赤騎士団の問題に巻き込んでしまって、すまない」
するとマイクロトフは目を剥いた。
「何を言っている? おまえが苦境に落ちたなら、何があろうとおれは戦う。逆の立場ならば、おまえも同じように戦ってくれる───そうだろう?」
「……勿論だよ、マイクロトフ」
「君を巻き込んでしまったのはわたしだ、マイクロトフ殿。申し訳ない」
少し離れたところからローウェルが詫びた。
「だが、たとえ助力など求めなくとも、君ならば共に立ち向かってくれた筈だとランド様は仰せになった。わたしも……そう思ったのだ」
「その通りです。寧ろ、隠し通される方が辛い。おれは力にならないのかと無念に思ったでしょう」
そこでマイクロトフはカミューを凝視した。闇色の双眸に宿る不可解な熱を認めて、カミューは言葉を捜し倦ねる。
「ユーライアを、カミュー」
差し出された細身の剣の鞘を握り締めた男は深い笑みを佩いた。
「……おまえと共に戦うのだな」
身の一部に等しい品を託された、そんな事実を表わすに最上の言である。胸を詰まらせたカミューに向けて強い声が宣言した。
「では、一足先に行く」
「戦地にてお待ち申し上げております、カミュー様。何卒、御自愛くださいますよう」
立ち上がって礼を返そうとしたカミューの肩を、何時の間にか横へ進んでいた魔術師の手が押し止めた。僅かな力も温存せよとの無言の厳命に、彼は座したまま威儀を正す。
「第一隊長ローウェル、青騎士団・第一隊長マイクロトフ、……剣と誇りの加護のあらんことを」
重く尊い祈りが響く中、クロウリーは杖を翳した。
「迷うても迎えには行けぬぞ。逸れぬよう、確と目標を思い描け」
刹那、二人は掻き消えた。騎士たちの去った部屋には、ただ厳粛にして穏やかな空気が残るのみ。
暫し迷った末、カミューは切り出した。
「お伺いしても宜しいでしょうか」
答えを待たずに続ける。
「何故、マイクロトフなのですか?」
三騎士を公正に比較した場合、剣腕だけを取るなら僅差ながらマイクロトフが秀でていると言えるだろう。赤騎士団の頂点を極めたカミューと互角に剣を交える、彼はそうした男なのだ。
けれど、魔術師は実際にその目で一同の剣技を見届けた訳ではない。にも拘らず、貴重な紋章を委ねる剣を些かの迷いもなく選んだ。剣才を見抜いたというよりは、何らかの意味があるのではないかとカミューは考えたのだ。
果たして老人は含み笑った。
「気丈ぶりは見事。昨夜に比べ、格段に回復したのも認めよう。だが……」
杖の先で寝台の一つを軽く叩く。
「こちらは未使用らしいな。横になれ、団長殿。御主の『気』の波動は、未だ攻撃魔法使用に耐えぬ」
躊躇を許さぬ声音に苦笑が浮かんだ。我がものとも思えぬほど重い四肢を奮い立たせて、のろのろと寝台に向かうカミューである。命じられるまま横たわり、小さくぼやいた。
「昨夜から睡眠は十分過ぎるほど取りました。これ以上は眠れそうにないのですが」
「では、魔法で眠らせて進ぜよう」
次いで揶揄の調子が言う。
「御主を寝かしつけたら、わしも一休みせねばならぬ」
「問いにはお答えいただけませんか」
「御主には分かっておるのではないかな?」
逆に問われてカミューは黙した。隣り合う寝台に腰を落とした老人が徐に切り出した。
「先程も説いたように、思念に剣は痛手となり得ぬ。青い騎士が斬りつけた際、死霊は凝縮を解いてそれを交わした。だがな、団長殿よ。不可解とは思わぬか?」
深淵を湛えた眼差しが真正面からカミューに注ぐ。
「生身の相手を拘束し、傷すら残す思念の化物。御主の精を食い、当初よりも力を増した筈の魔性が、何故に飛び込んできた男らに手傷の一つも負わせず退散したか。それは死霊が恐れたからだ」
「恐れた……」
「然様、斬りつけた青い騎士に脅かされたのだ。両者は似て非なるもの。如何なる意味合いであろうと、『情を抱く』といった根底で似通いながら、選んだ道はこれ以上ない程に遠い。相反する波動に竦み、死霊は逃げ去ったのだ」
「それは……」
枕の上、目を見張る青年を見詰めて老人は笑んだ。
「少なくとも、死霊は感じたのだ。己を否定する意志の力、強靱に満ち溢れた親友殿の誠を、な。そうした意味では、青い騎士の剣は敵に損傷を与えたと言えよう。それが紋章を託した理由だ」
マイクロトフが自らに寄せる仄かな情愛は察していた。けれど、よもやそれが戦いの力となるとは想像していなかった。
クロウリーの言は、マイクロトフの自覚を望んで胸に閉ざしてきた恋情すらも暴くかのようだ。僅か一晩で自身の心の奥底を覗いた魔術師を、カミューは畏怖を込めて眺め返す。
「……今ひとつだけ。如何様にして死霊を捕え、形代に宿すおつもりなのです?」
「御主の部屋に網を張る」
さらりとした答えに眉が寄った。
「今宵、確実にヘインが部屋を訪うと御思いになられましょうか」
「来る」
揺らがぬ自信が滲む。
「羽虫が光に引き寄せられるように、どうあっても死霊は抗えぬ。求め餓える糧が其処に在るからだ」
困惑気に瞬く美貌の青年を見据え、クロウリーは表情を引き締めた。
「執着ゆえに死してなお留まらずにはいられなかった、御主という甘美な糧が……な」
死者による凌辱という辛酸を舐めた身に、今また囮としての役割を任ずる声は、微かではあるが掠れていた。

 

← BEFORE               NEXT →

 


どうやら我が家のお爺ちゃん、
人の名前を覚える気がないようです。

そんな訳で、キリキリと作戦開始。
でも、赤だけはおやすみなさい……

 

隠蔽の間に戻る / TOPへ戻る