蒼き森の物語 9


十五を迎えた日、カミューは男から一枚の上着を与えられた。
森に住むようになってから、かつてマイクロトフが語ったように洞に剣先で傷を入れて密かに日を数えていたカミューだった。気付いた男に生まれ日を問われ、何の気なしに返したところ、彼はそれを覚えていたらしい。
身体よりも少しだけ大きめに作られた上着は、鮮やかで美しい真紅だった。羽織ってみて、くるりと身を翻してみると、石に腰掛けて見守る男の目が満足げに笑んだ。
「よく似合っている」
「女の子みたいではないかな?」
照れ臭い表情で我が身を顧みるカミューだが、抜けるような紅とマイクロトフの纏う濃蒼は不思議な調和が取れて美しかった。
「むささびが何処かから布を失敬してきたのでな。ああ……大きさも丁度だったな、少し大きく作りすぎたかと案じたが」
カミューはふと男を凝視した。怪訝そうな黒い瞳が見返す。
「マイクロトフが作った? これを?」
同意と共にますます寄せられた太い眉にカミューは唖然とした。
「おれが裁縫をしたら可笑しいか?」
「え……いや、ええと………………少し」
憮然としてそっぽを向いた男の横に歩み寄って微笑み掛ける。
「嘘だよ、少し意外だったけれど……嬉しいよ、ありがとう」
言いながら男の乾いた頬に羽根のようなキスを落とす。見詰め返さぬことがマイクロトフなりの照れなのだと察したカミューは努めて朗らかに話題を変えた。
「マイクロトフの服は? それも作ったのかい?」
「いや……」
彼は己の上着を摘み上げて首を振った。
「これは十五の時に着ていたものだ。一緒に呪いでもかかったのかもしれん。破れもしなければ痛みもしない」
言葉に詰まりかけたカミューだが、すぐに気持ちを切り替えた。
「青がとても似合っている」
マイクロトフは薄く笑った。
「マチルダに居た頃……おれは青騎士だったんだ。騎士団を束ねる団長ともなると、丈の長い群青の上着を翻す勇猛な姿で……それは見事なものだった」
懐かしい記憶を探りながらゆっくりと語る男の横顔には失われたものを悼む切なさがある。カミューは黙したまま耳を傾け続けた。
「あんなふうになりたかったのかもしれない。青はおれの憧れの色であり、日頃から好んで身に纏っていた。それが不名誉な魔王の象徴とされたのは心外だがな」
「マイクロトフ……」
「騎士団には三つの色があった。白と赤と青……おまえには赤が良く似合う」
それまでの沈んだ調子とは異なる明るい声音に応え、カミューはにっこりした。
「わたしにも……騎士の装束は似合うだろうか?」
「そうだな────多分」
しなやかな獣のように再度軽やかに一回りしてみせたカミューは、小首を傾げてマイクロトフを見詰めた。
「マイクロトフ……気付いているかい?」
「何をだ?」
「わたしたちは同い年になった。これからは『おまえ』と呼んでもいいかな?」
一瞬、虚を突かれたように瞬いたマイクロトフだが、直ちに苦笑した。
「肉体の年齢に過ぎないだろう? それに……」
ゆらりと立ち上がって歩を進めた彼は、カミューの正面で胸を反らせた。
「おれよりも小さい、細い、力も弱い。相変わらず泳げない────」
揶揄されてカミューは頬を染めた。
「まだまだ、だな。もう少し鍛えたら考えてやる」
言いながら腰に回った腕が力強くカミューを引き寄せた。不満を述べようと開いた唇が塞がれる。
「ん……」
僅かに身じろぐと拘束が強まった。強張りを宥めるように忍び入った舌先がやんわりとカミューの内部を探る。絡め取られた舌が甘く吸い上げられるうちに膝が砕けそうになる。それを知ってか、なお強く抱き締められて息が詰まった。
「マ、イクロトフ……」
貪られる合い間に切れ切れに呼ぶと、ようやく戒める腕が緩んだ。熱をもって潤む瞳に、男の無感動な面差しが映る。いったい何を考えているのか、こうしたときのマイクロトフの胸のうちは読むことが出来ない。
「……暗くならないうちに狩りをしてこよう」
独言のように言うなり男は背を向けた。慌てて呼び止めるカミューだ。
「わたしも行く」
「必要ない。薪でも拾っておいてくれ」
決して冷たく振り払われたわけではない。だが、閉めた扉のように入り込めない何かを感じて、見送るしかなかった。逞しい後ろ姿が木陰に消えていく。そこでカミューは詰めていた息を吐いた。
気の所為などではない。
最近、マイクロトフは時折こうして距離を取ろうとする。親愛の情は疑うべくもないが、確実に以前とは違う気がした。
何も考えずにまとわりついていた頃、マイクロトフは常に優しかった。大きな掌で頭を撫でてくれ、寒さに震えれば抱き締めてくれた。夜はしっかりと腕を回して横になり、闇に怯える心を慰めるために物語など聞かせてくれた。
今も変わらず優しい男だと思う。
隊商で過ごしていたときを考えても、誕生日を祝って貰った記憶などない。無骨な男の心遣いは痛いほど胸を打つ。無愛想ではあるけれど、彼の温かさは偽りないものだった。

 

カミューは指先でそっと唇をなぞってみた。
────あれからだ。
初めてマイクロトフにキスされた夜、あの日から彼は何処となく変化した。
それまで夜毎寄り添って眠っていたのに、洞の中に別の寝床を設えた。不審に思って尋ねると、大人になり始めたものがいつまでも幼子のように抱かれて眠るのはおかしい、との答えだった。
魔物を宿したマイクロトフの体温は低い。そこからカミューが暖を取ることは出来ない。けれど彼の匂いに包まれて眠ることに慣れた身には深い喪失感があった。
眠れぬ夜も増えた。それに気付いたときにだけ、稀に男が傍らに横になってくれる夜があった。そのたびにカミューは男の存在にどれほど安らぎを得ているかを思い知るのだ。
そして────
以前のように軽々しく抱き締めてくれなくなった代わりに、キスが与えられるようになった。
額や頬に触れる親愛や感謝のしるしとは異なる、強く激しい熱。
マイクロトフは未だカミューを子供として扱うばかりだ。肉体年齢は並んでも、二人の間には遥かな刻の大河が流れているのだからやむを得ないことだろう。なのに、さながら恋人に与えるようなそれを施す男の心だけが理解出来ない。

 

カミューはのろのろと歩き出した。命じられた通り、薪を求めて森の小路に足を踏み入れる。腰に差したユーライアはすでに身体の一部のようにしっくりと手に馴染み、魔物への恐怖は殆ど感じない。
それでも心の中にひっそりと棲みついた寂しさのようなものは、森の薄暗さよりも彼の心に影を落としていた。

 

 

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この話は4部構成となっております。

赤編→青編→救済編→完結編

これより救済編に入りました。
次回、救済面子のご登場〜(除・約1名)
今度は凄いぞ!! スポンサーを含めて
平均年齢39.75歳……しくしくしく。

 

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