「……で、これはいったい……?」
自失気味に洩れた掠れ声に赤騎士団の要人らは深々と頭を垂れる。
「すべてはカミュー団長の御為に」
朗々とした第二隊長の声が返るなり、美貌の騎士団長は引き攣った笑みを浮かべた。
ジョウストン丘上会議に参席した三騎士団長らは、予定よりも三日ほど早くロックアックスに帰還を果たした。
赤騎士団長カミューは心地良い疲労の中に在った。
此度は親友マイクロトフが青騎士団の頂に昇って初めての丘上会議である。幸い危急を要する事案もなく、閣議は滞りなく進行し、最終的には繰り上げ閉会に至った。
心を分けた男と二人、空いた時間を使って開催地ミューズの街を探索した数日間。束の間の解放感を堪能したカミューは満ち足りた心地であった。
久々の遠出に疲れたらしい白騎士団長ゴルドーが帰還の儀もそこそこに自室へと退いた後、マイクロトフとも別れ、彼は真っ直ぐに執務室を目指した。不在中の報告を受けるためである。
馴染み深い部屋に入った途端、妙に畏まった要人らに出迎えられた。問題事でも生じたかと微かな懸念を過らせたカミューだったが、これは杞憂に終わった。
副長ランド、そして第十隊長ミゲルが不在だったが、これは一行の帰還が早まったためであり、未だ領内の査察の任の途中であるらしい。
部下たちは実に見事に留守を守っており、つとめの数々にも一切の遅延がない。男たちの勤勉に満足したカミューは解散を宣言して自室へ戻ろうとした。
そこで、不可解な事態を迎えたのである。居合わせた要人一同が丁重な礼を払いながら部屋まで同行すると言い出したのだ。
『甚だ遺憾ながら、御不在中に私室の物品に触れさせていただきました。裁可も取らずの仕儀……平にお詫び申し上げます』
その場における留守居の筆頭、第二隊長アレンの粛々とした謝辞に苦笑せずにはいられなかった。
他者の入室が制限される団長私室とは言っても、カーテンの交換や壁の塗り替えといった作業は恒常的に行われている。瑣末事に形式張った裁可は必要ないというのがカミューの認識であるし、物品に執着する質でもない。
信頼する部下たちが真に必要な品を無断で廃棄する迂闊を為すとも思えず、だからカミューは彼らの陳謝を鷹揚に流した。
が、次の言葉には首を傾げた。
『御身の安全の為、斯様な手立てを打つ他なかったのです』
───身の安全。
すると、刺客の侵入でも案じて窓に格子でも張ったのか。けれど先刻の報告には、そんな緊迫を感じさせるものなどなかったのに。
暫し考え込んだものの、一見するに越したことはなかろうと、取り敢えず部屋へ向かうことにした。自身らが為した行為に対する上官の反応が気になるのか、騎士隊長らもゾロゾロと後に従った。
扉を開けて、先ず窓に目を遣ったカミューだが、大きな硝子の向こうには見慣れた木々が揺れるばかりだ。
安全のためとは言っても、窓に格子など設えられては罪人のようではないか。そんな懸念が生じていたため、知らず安堵の息が洩れる。
そうして改めてゆっくりと室内を見回した彼は、最後の最後に『それ』に気付いたのだった。
「……アレン、これは何だい?」
「団長のために御用意申し上げた新しいベッドにございますぞ」
幼げに顔を歪めて説明を求めたカミューは、泰然とした回答に頭を抱えそうになった。
「……おまえたちの心は良く分かったよ」
「嬉しゅうございます」
「そんなに腹に据えかねているなら、言ってくれれば良いものを……」
背を向けた青年が次第に肩を震わせる様を見た男たちは怪訝そうに顔を見合わせる。
「カミュー様……?」
「分かっている。確かにわたしは朝寝を過ごしてばかりで、おまえたちに余計な手間を掛けている。だが……そこまで不快に思われているとは考えていなかった」
はて、と首を傾げながら第三隊長が進み出た。
「相済みませぬ、仰せの意味が判りかねるのですが……」
カミューは小さく首を振って呟く。
「毎朝毎朝、手を煩わせてすまなかった。これからは一人で起きるよう努める。起床係を撤廃してくれ」
刹那、騎士隊長らは顔色を変えた。互いに同僚を押し退けるようにして口々に言い募る。
「なっ、何を仰せになられます!」
「然様、カミュー様を御起こしするつとめは我ら赤騎士隊長の至上の喜びですぞ!」
「あまつさえ煩わしいだの不快だなどと、何ゆえ我らが……斯様な御物言い、悲しゅうございます!」
そこで僅かに振り向いたカミューが、男たちには見慣れぬ心細げな面差しで問うた。
「……わたしの朝寝を不快に思った訳ではないと……?」
「無論にございます! たとえ少々出遅れたとしても、お目覚め後の凄まじき御働き……まことに見事なる挽回ではございませぬか」
では、と純白の手袋に包まれた指先が寝台を指す。
「これは……嫌がらせ、ではないのかい?」
仲間の狂乱の渦中で呆気に取られたような顔をしていたアレンが改めて口を開いた。
「どうやら齟齬があるようです。ベッドを変えたからとて御体質が変わる訳でなし、まして何ゆえ我らがカミュー団長に嫌がらせなど……。これは我らの手によって細工を施した特別の品、団長の身を案じる誠の結晶にございますぞ」
静かな声音に誘われたように再び視線を戻したカミューは、暫し寝台を凝視した後、疑わしげに眉を寄せた。
「……これが……?」
「はい」
悠然と言い放つ騎士隊長を一瞥し、深々と考え込む。
寝台の周囲を覆っていた風雅なる天蓋の布は綺麗さっぱり取り払われてしまっている。が、問題は一見の変化に留まらなかった。
───まずは上掛け。
四隅に紐が縫い付けられていて、その先端に大振りの林檎ほどの布袋が括られている。屈み込んで、床すれすれに垂れ下がる布袋を片手に乗せたカミューは弱く訊いた。
「これは?」
即座に第四隊長が胸を張る。
「上掛けがズレぬよう施した重石にございます。中には砂が入っております。……が、御安心ください。大きさを揃えて厳選した砂粒、更には寝苦しさをお感じにならぬよう、幾度も試みた末に最適なる重量を割り出しましたゆえ」
困惑げに瞬き続ける青年を諭すように第五隊長が切り出す。
「畏れながら、カミュー様は御就寝中に動かれる質でおられるようで……。先日もズレた布団を巻き付けられて、たいそうお苦しみだったとか。拠って、万が一にも呼吸困難に陥られることのないよう、布団の固定を図った次第です」
「如何に寝返りを打たれても、重石によって四隅に引かれた上掛けがカミュー様に巻き付く恐れはなくなります」
「……ああ、そういう細工か……」
指摘された朝をカミューも覚えていた。
息苦しいほど強固に全身を縛り上げていた上掛け、そしてそこから救出してくれた若き騎士隊長。
すると、事態の発端は第十隊長ミゲルということらしい。冷えた琥珀が恨めしげに煌めいたが、目標の不在──ミゲルにとっては幸いなる任務続行中──によって、視線は立ち並ぶ男たちの間を彷徨うばかりだった。
「上掛けの方は分かったよ。しかし……こちらは……」
ゆるゆると指先を突き付けられた寝台本体は、更に異様な変貌を遂げていた。
壁に接した頭部の面を除く三面に木製の低い柵が施されている。一枚板ではなく、梯子を寝かせたような設えは、さながら天井のない檻のようだ。
「上掛けの細工で就寝中の窒息といった悲劇は防げましょう。残るは寝台からの落下による御負傷……それは、この柵が阻みます」
ちなみに、と第二隊長は付け加えた。
「ランド副長の御息女が幼少でおられた頃に使用していたというベッドを参考に作成致しました」
「流石に我らの中で唯一の妻帯者、御子が無くては浮かばぬ発想でございますなあ」
───幼児と同列に扱われた騎士団長。
しかも、どうやらそれが全幅の信頼を与えた男の発案であるらしいという衝撃がカミューを放心させた。
その合間にも騎士隊長一同は次々と労苦を披露している。
「慣れぬ作業ではありましたが、我ら、誠心誠意つとめました」
「ランベルトが大工職人から調達した板を、他団の騎士に見取られぬよう城に運び入れるのには苦労致しました」
「入手した板に鋸を入れるウォールの雄姿、是非カミュー団長にも御覧いただきたかったですな」
「いや、そんな……わたしなど……」
「御謙遜なさるな、実に巧みな鋸さばき……わたしも惚れ惚れ致しましたぞ」
「間違ってもカミュー様の御身を傷つけることのないよう、釘打ちには特に細心を払いました。複数回に及ぶ精察を果たしましたゆえ、安全性には絶対の自信を持っております」
「ノミ掛けはわたしが担当致しました。どうぞ触れてみてくださいませ、艶やかな肌の如き手触り……我ながら満足の行く仕上がりにございます」
「シュルツ殿は丁寧に丁寧に、心を込めて磨き上げておいででしたからな」
「それはもう。カミュー様の御為、己のすべてを費やす覚悟で臨みましたぞ」
言葉を挟む隙もなく繰り広げられる柵付き寝台製作過程。解説が終了する頃には、ただでさえ疲労気味の赤騎士団長の気力は尽き果てていた。
「おまえたちの気遣い、心から感謝するよ……」
ポツと零れた響きに、一同は直ちに威儀を正した。
「感謝などと……カミュー団長!」
「勿体無い御言葉にございます」
「不測の事故によってカミュー様を失うなど、耐え難きこと。これで我らも安心して朝を迎えられます」
うん、と俯きがちに柵付き寝台を見遣りながらカミューは思った。
これは部下たちの誠意なのだ。
万一にも彼の身に危険が及ばぬようにとの献身の結果なのだ。
───だが、幼子と同種の寝台に眠らねばならない今宵からの己に僅かばかりの憐憫を覚えたとて、それは致し方ないことではないだろうか。
艶々と磨き上げられた檻の如き柵に手を掛けたまま、赤騎士団長はひっそりと苦悩を飲み込んだ。
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