献身


ある平穏な春の日。
朝一番のつとめを終えて赤騎士団長執務室に戻った若者を仲間の要人らが迎えた。
「ご苦労だったな、ミゲル」
慰労の言葉を掛けた男をはじめとして、居並ぶ騎士隊長らの表情は苦虫を噛み潰したように険しい。そんな彼らに申し訳なさそうに会釈して、若き騎士隊長は一同が集まる副長席へと進んだ。

 

 

赤騎士団・騎士隊長職に在る男たちに課せられた朝のつとめ、それは騎士団長カミューの起床を促す任、即ち胸弾む目覚まし係である。
彼らの敬愛する青年は比の打ち所のない騎士団長であった。優美・聡明・沈着と、カミューを飾る言葉ならば止め処無く想起可能な部下たちだが、そんな上官にして唯一の欠点──あまり欠点として認識されていない感もある──が朝寝の慣習だ。
宵っ張り人間の例に洩れず、赤騎士団長は朝が苦手であった。黙っていれば昼近くまで温かな褥で眠りを貪る。そのため夜は遅くまで睡魔が訪れず、自然、活動時間がズレたまま維持されてしまう。
無論、この寝汚なさは平時における慣習だ。いざ、緊張下ともなれば凛然とズレを正してみせるのだから、一種の甘えと言っても良い。が、敢えて諫言する者もないあたり、赤騎士団の体質もまたズレているのかもしれない。
要人一同は自団長の慣習を改めさせる代わりに自身らに任を設けた。騎士団における通常のつとめの開始時間よりも早く集合を果たした後、交代で騎士団長を補佐する任に就く───要するに、カミューを起こしつつ、普段は毅然とした彼の寝惚け姿を鑑賞するという崇高にして情けない任である。
それでも自団長の可憐なる素顔に触れる日々の起床係は彼らの間で垂涎の的たる任だった。そのため、起床係を決めるために騎士隊長らは一つの手段を用いていた。
副長を除いた十人の騎士隊長によるアミダ、それが公平を目指す彼らの選んだ道である。時折つとめで城を空けるものもいるが、彼らはほぼ毎朝のように十択アミダに勤しみ、悲喜こもごもの人間模様を繰り広げるのだ。
真に公平を期すなら完全交代制でも取れば良いものを、と副長ランドは密かに考えているのだが、カミューが絡むと真っ当な思考すら働かなくなる騎士隊長らの混迷ぶりが可笑しいのか、そこは敢えて口を閉ざしている。
彼がアミダ参加を辞退しているのは、立場上、他の誰よりもカミューと近しい関係に在るためだ。
カミューが騎士団長に昇るのと同時に副長職に就いたランドは、当初この起床係を一人でつとめていた。やがて騎士隊長らの羨ましげな視線に気付き、彼らに任を譲ったのである。
それが彼の寛容の為せる仕儀か、あるいは保身の本能であったかは微妙なところだが、その気になれば寝姿どころか、望むだけ密にカミューと接することが可能だという余裕が最たる理由であったかもしれない。
斯くて赤騎士団・騎士隊長らは、籤運だけが味方する朝の一戦に臨んでいるが、半年程前から様相が変じてきた。隊長職就任によって新たに任に加わるようになった若者が男たちの均衡を揺るがしているのだ。
自団長カミューを初恋の人と崇め続ける第十隊長ミゲル。方向性こそ違えど、似通った情感を抱くことから、そこは他の騎士隊長らも穏和な心で見守るつもりであった。
ただ、己の利害が絡むとなれば別である。
ミゲルは異常な強運の持ち主だった。
十択アミダにておよそ二回に一回は勝利をもぎ取る凄まじき勝率。並外れた籤運の若者が一人参入したがために、他の騎士隊長が起床係から洩れる率が跳ね上がってしまったのだ。
アミダという素朴な手法に不正が割り込む余地はなく、正当に権利を得たミゲルの運を非難することも出来ない。
そんな訳で、意気揚々と騎士団長自室へ向かうミゲルを見送る眼差しには、いつしか羨望を上回る怨嗟が漂うようになっていたのだった。

 

 

「……で、如何であった? 今朝のカミュー様のご様子は」
副長の執務机を囲むように並んだ要人の中から勢い込んで第二隊長が乗り出した。つとめを終えた騎士を囲んでの簡易な報告会───とは建前上の呼び名で、半ば詮議の場にも似た鋭い緊張が漲っている。
「隠し立てをすると為にならんぞ。嘘偽りなく、詳細に渡って包み隠さず報告せよ、ミゲル」
ミゲルの就任以前から8カ月連続でアミダに負け続けている第九隊長も血走った目で詰め寄った。若者はひとつ息を吐いて口を開く。
「あんなに寝起きが悪くて、良く今日まで騎士としてやってこられたものだと感心します」
「それは昨日も聞いたぞ! 新たな発見はないのか、気の利かない奴め」
すると若者は憮然と顔をしかめた。
「そう言われても……そうそう変わった感想など出ません。一度くらい速やかに目覚めてくれないか、とは思いますが」
そこで第五隊長が静かに割り込んだ。
「今朝は如何様にしてお起こししたのだ?」
首を傾げながら彼は指を折り始めた。
「先ずは……通常通り『朝です』と声を掛けました。次に、思い切って『敵襲だ』と耳元で叫んでみたけれど、まるで効果皆無でした」
「緊迫感が足りなかったのであろう。もう少し演技力を身につけよ、ミゲル」
「……と言うより、それではカミュー様が心穏やかに御目覚めになれないではないか」
至極もっともな第一隊長の意見が挟まれる。顔をしかめたまま続きを促されたミゲルは小声で付け加えた。
「最後に……思い切り揺さぶって、何とか任を果たしました」
刹那、騎士隊長らは目を剥いた。
「ミゲル! 貴様、畏れ多くもカミュー様の御身体に触れたのではあるまいな?」
「触ったのは布団です」
若者はげんなりと嘆息する。が、そこに無念そうな響きが含まれるのに気付かぬ男たちではない。即座に疑わしげな眼差しが注ぎ、ミゲルは頬を染めた。
「本当です! あれほど蓑虫みたいに上掛けを巻き付けていたら、身体になど触れようがありません。御覧になれば分かります」
「蓑虫の如く上掛けを巻き付けられたカミュー様……」
一人が陶酔気味に呟けば、別の一人が真面目に論じる。
「お寒かったのではないか? 昨晩は少々冷えたからな、おいたわしいことだ」
しかし、それには副長ランドが首を振った。
「真夏に同様のお姿を拝したことがある。それはあるまい」
「もしかすると、不届きな接触を目論む誰かから身を守ろうとなさっておられるのではないか?」
笑みながらの揶揄に釈然としない表情を返してから、ミゲルは上官に向き直った。
「以前から副長にお聞きしたかったのですが……カミュー団長のあれは昔からですか?」
「あれ……と言うと?」
「あの凄まじい寝相です」
直ちに、各人は己が起床係を勤めた日々を思い起こそうと思案に入る。が、どうやらミゲルが言うほどの姿を見たものはいないようで、怪訝な面持ちが広がるばかりだ。そんな要人らに彼は悄然と言い募った。
「おれが見ているだけでも、三度に一度はベッドから落ちておられます。何とかならないものでしょうか」
端正で優美な赤騎士団長は、ミゲルの破れ去った初恋の相手である。容姿や所作だけに魅かれた訳ではないが、夢見がちな若者としては恋しい人のあまりに大胆な寝相に思うところが多々あるらしい。
真剣に考え込んでいた第三隊長がポツと切り出した。
「思うのですが……御身体に布団を巻き付けられるのは、落下の衝撃を抑えるためのカミュー様の自衛の策なのでは?」
「単に左右に転げておられるうちに巻き付いたのでははないと?」
ええ、と頷く男に周囲から同意の声が洩れる。
「確かに……布団を巻いていれば、ベッドから落ちても衝撃は軽減される」
「何事にも先手を打たれるカミュー様ならば有り得るな」
そういうものかと納得しようと務めたミゲルだが、今朝の自団長の様子を思い出した途端に否定が零れた。
「残念ながら、あれは計算とは思えません。ぐるぐる巻きの上掛けが余程苦しかったのか、うなされていたくらいですから」
仰天した騎士隊長らは息を飲み込んだ。
それぞれに自戒しつつも、苦悶の呻きを洩らす美貌の青年の艶姿など想像してしまっていたのだが、現実は彼らの夢想する図とはかなり異なっている。
ベッド脇の床に落ちて丸まった上掛け布団。そこから覗く乱れ果てた薄茶の髪と、うんうんと唸る苦しげな声によってかろうじて存在が確かめられる───従騎士時代から暴れ馬と称され、規律や厳格といったものを今一つ苦手としているミゲルでさえ、『これでいいのか』と思案せずにはいられない光景なのである。
副長ランドは首を捻った。
「以前はそれほどでもなかったと思うが……。長椅子で仮眠を取られるときには、おとなしくなさっておられるのだがな」
「なまじベッドが広いために、些か奔放になられておいでなのでは?」
部下の意見に暫し考え込んだ後、彼は深刻な面持ちで一同を見回した。
「いずれにしても由々しき事態だ。これから暖かくなれば、上掛けも薄手の品になっていく。下手に巻き付けられて、御首でも締まっては……」

 

───寝ながらにして絞首の刑。
そんな恐ろしい想像が騎士隊長たちを震撼させた。

 

「ふ、副長! 何とかせねば!」
「しかし……御諫言申し上げたところで、寝相というものは意識して何とかなるというものでは……」
「気弱なことを仰せになっている場合ではありませぬぞ! 斯様な理由でカミュー様の御命が危機に曝されるなど、部下として見過ごせませぬ!」
「この際、『夜間抱え込み係』でも新設されたらなあ……」
白熱した座に洩れた小さな独言であったが、ミゲルはたちまち総勢からの叱責を浴びた。
「貴様! 己の籤運を逆手に取った卑劣なる野望……、断じて認めぬぞ!」
「然様、眠られるカミュー様を夜通し抱え込もうなど、何たる不埒な下心だ。言語道断!」
「確かに……確かに崇高なるつとめかもしれぬが、首尾良くアミダに勝ったとしても、畏れ多くて身が竦む」
「素晴らし過ぎて、任に当たったものは寿命を縮めそうだ」
口々に若者を責め立てる男たちを眺めつつ、ランドはひっそりと溜め息をついた。
騎士隊長らの脳裏からは、部下に押さえ込まれる就寝模様などカミューが認めまいといった点が抜けている。
この熱し易い連中を常識の檻の中に繋ぎ止めねばならない自身の立場に、幾許かの哀愁めいた感慨を覚えたランドであった。
騒然とした室内に机を叩く音が響く。一同は即座に黙して副長に注目した。
「……論点がズレている。ミゲル、おまえの切ない願望は理解しないでもないが、カミュー様は今年で御歳二十七歳、添い寝が必要な時期は疾うに過ぎておいでだ」
「は、はあ……すみません」
穏やかな諫めに素直に頭を下げた部下から目を逸らして彼は続けた。
「しかしながら、現状を放置する訳にも行かぬ。我らはカミュー様の御為、部下としての誠を尽くさねばならない」
「ランド様……では、何かお考えが?」
進み出た部下たちに軽く頷き、背を正して机上から書面の束を取り上げる。つとめの予定を記した日程表であった。
「来週末、恒例の丘上会議が行われる。随従は……第一部隊であったな」
「はい、ランド様」
副長は厳しい表情で一同を見詰めた。
「第一隊長ローウェルを除く騎士隊長に任を与える。これは他団の騎士に洩れぬよう、内密に運ばねばならぬ困難な任である。総員、心して掛かるように」
堅い口調を受けて赤騎士団・騎士隊長らは一斉に礼を取った。
言われるまでもなく、騎士団長カミューのためとあらば死力を尽くす覚悟は出来ている。同時に、彼らの胸には思慮深き副長への信頼が溢れているのだ。
「───では、任の内容だ」
重々しい切り出しに引かれたように、男たちは副長席に向けて更に距離を詰めていった。

 

中編 →


あ、あれ?
青も赤もいない……けど、
珍しくもないことの方が問題かー(笑)

 

SSの間に戻る / TOPへ戻る