献身


「少し城を空けている間に斯様なことが……」
騎士団長の帰還に遅れること二日、領内査察から戻った副長ランドは第一隊長の報告を受けて顔をしかめた。
「事態の異様に、わたしもつい口を挟むのを失念してしまいました」
肩を落とすローウェルを悲しげに見詰め、壮年の副長もまた首を振った。

 

カミューのミューズ出立に前後して、領内査察に向かった第十部隊に随従を果たしたランドだが、帰還早々もたらされたのは脱力するような報である。
あの日、彼が部下たちに与えた任は、上掛けに重石をつけて固定するというところまでだった。敬愛する自団長が布団に縛られて苦しむことのないよう、尚且つ、あまり見苦しい様にならぬようにと細心を払った策であったのだ。
およそ滑稽なまでに青年の安全を祈る───ランドにとって、それは愛娘が誕生した頃の心境に酷似していた。懐かしき記憶を過らせ、つい子供用の柵付き寝台の逸話など口に昇らせてしまった訳だが、どうやらそれがまずかったようだ。
部下たちは実に熱心に話に聞き入っていた。赤ん坊とは今ひとつ縁のない独身者の興味とばかり思って懇切丁寧に講義した一説が、よもや作業の図面となろうとは。

 

「本気で柵付き寝台の製作を実行するとは……何が行き違ってしまったのか」
途方に暮れた口調で呻く副長の傍ら、第一隊長も渋い顔で頷く。そこで同席していた第十隊長ミゲルがおずおずと口を開いた。
「確かに副長は『赤ん坊なら良い品がある』と前置きしておられましたが……あれほど詳細を説かれては、推奨しているようにも取れるかと。最初に『他団には内密に』と強調しておいででしたし、そのあたりが原因なのでは?」
「……馬鹿な。内密にしたいのは、平時のみとは言え、カミュー様が御起床に部下の手を借りているという点のみだ」
いよいよもって深刻な面持ちと化したランドは机上に両手を握り合わせた。
丘上会議の準備に多忙をきわめていた赤騎士団長。
その目を掻い潜り、部下らの画策は開始された。その後、彼らの献身は首謀者であるランドの手を離れ、暴走したまま実を結んでしまったのだ。
このままでは『柵』の発案者と誤解されかねない───それはランドにとってあまりに不本意な結末である。
考え込んでしまった男をよそに、ふとミゲルが口元を綻ばせた。
「でも……カミュー団長にはお気の毒ですが、これで落下の危険もなくなった訳ですし……」
───柵にへばりついて眠る美貌の青年。
それはそれであどけない光景かもしれない。胸のうちに膨らむ想像は抑え難く、綻んだ若者の唇は締まり無く緩み続ける。
頭抜けた籤運に味方されるミゲルの明日からの野望を、いち早く察知したローウェルが冷めた調子で一蹴した。
「甘いぞ、ミゲル。現在カミュー様は起床係の入室を固辞しておられる」
「えっ?!」
たちまち顔色を変えて強張る若者を見遣りながら騎士隊長は溜め息をついた。
「無理もなかろう、何処の成人男子が幼児用ベッドに眠る姿を他者に見せたがろうか」
「そ、そんな……第一、自力で起きられるんですか?」
「……さながら戦時下の如き、見事なる御起床ぶりと言えよう」
ついでにローウェルは、代わりに失意のどん底に落ち込んでいる他の騎士隊長らも過らせた。
確かに起床係は公務ではないし、謂わば戯言感覚のつとめである。しかし、平騎士には到底望めぬ騎士団長の寝所への接近は、彼らにとっていつしか任を超越したひとときと化していたのだ。
アミダという博打的な任官方法も騎士隊長らの熱を煽る要素となった。敗北に涙を飲むものたちを後目に、敬愛する自団長の部屋を目指す。己の望みを勝ち取る優越が、騎士の闘争本能に相通じていたと言えるかもしれない。
そんな役目を唐突に奪われた男たちの落胆ぶりは筆舌に尽し難く、この二朝、赤騎士団要人らの姿は生ける屍の如きだった。
事態もやむなしと認めるローウェル自身、行われぬ朝の一戦──アミダである──に、幾許かの物足りなさを覚えているのだから状況は深刻である。
「ふ、副長……」
早くも屍の仲間入りを果たしそうなミゲルを鬱陶しげに一瞥した後、ランドはがっくりと肩を落とした。
「……やむを得ぬ、同じ寝台を購入して交換することにしよう。幸いこの週末、カミュー様は街道の村の視察に出られる。御留守中に古い寝台を解体して運び出し、新しい品を入れるのだ」
更に低くなった声が続ける。今度こそ過たぬよう、自らが直接指揮を取るといった決意に溢れた声音であった。
「……この件も他団の騎士に洩れぬよう、くれぐれも内密に、な」

 

 

 

 

「成程、これはまた……」
独言気味に唸った青騎士団長が言葉を探して黙り込む。見開かれていた黒い双眸に、やがて愉快そうな色が溢れ、それは苦笑となって零れ出た。
ミューズ帰還後、初めて訪れた想い人の部屋。
戸口で入室を拒むカミューに一抹の怪訝を覚えたものの、そこは勢いで押し切った。滑り込んだ室内で迎えたのは、優美な天蓋を失い、代わりに柵を設けられた寝台である。
幼少時に両親を失くしたマイクロトフは叔父夫妻に引き取られた。数年後、夫妻の許に娘が生まれたが、今、目前に在る寝台は大きさこそ違うものの、従姉妹がオムツを当てていた頃に使っていたそれに酷似している。
悄然として語られる成り行きに耳を傾けていたマイクロトフの胸に過ったのは、複雑な感慨であった。
二十代も後半になって幼児と同列に扱われることへの同情は、的を外した赤騎士らの誠意へ対する微笑ましさへと移り、最後は不満たらたらな赤騎士団長の表情もあいまって耐え切れぬ可笑しさと変じたのだ。
「これを見せたくなかったのか」
恋人の訪いを、扉を押さえ込んで阻もうとしたカミュー。必死の様相を思い返しながら肩を震わせると、彼は無言のままそっぽを向いた。
「だが……実に見事だ、素人技とも思えぬ出来ではないか」
今度は心からの感嘆を込めて寝台を窺う。試みに柵を手にして揺らしてみるが、頑丈に取り付けられた木材はびくともしなかった。
「この砂袋に使われている布地も、おまえの好みそうな柄だな」
「人事だと思って……笑っているがいいさ」
恨みがましげに寝台を睨んだ青年が小さく息を吐く。
「この歳でこんなベッドを与えられてみろ、わたしの気持ちが分かるだろう」
道理だと納得しながらマイクロトフは首を傾げた。
「それにしても……確かにおまえの寝相は良いとは言い難いが、何故ここまで念の入ったことを……」

 

それは幾度も褥を共にしたものとしての疑問であった。
騎士団長私室に設えられた寝台は、常人の使用する品の倍はあろうかという広さの代物だ。この幅を転げて落下に至るというなら、共寝を果たす身に尋常ならざる被害があっても不思議はない。
幸いなことにマイクロトフは満ち足りた就寝中、想い人に身体の上を通過された経験はなかった。

 

頷いたカミューが低く応じる。
「そこが誤解なんだ。幾らわたしだって、ベッドから落ちるほど酷い寝相ではないよ」
「だが、こうして柵を付けられたのは落ちたからだろう?」
そして悲運にも、その光景を誰かに目撃された───続けようとしたところを鋭い調子が遮った。
「落ちたのではなく、降りたんだ」
「……?」
「だからね」
カミューは苛立たしげに首を振って続ける。
「わたしとて、起床に人の手を借りる現状に甘んじてばかりいる訳ではない。毎朝、自力で起きようと努力はしているんだ」
「……それで?」
「ベッドの端まで這っていって、そのまま床まで滑り降りる。が……、そこで力尽きてしまうんだ。部下が見たのは、そうした努力の終着地点という訳さ」

 

ふん、と胸を這って言い切る赤騎士団長。
───これが世間の親友同士の会話であるなら『威張って言うな』くらいの台詞が出ても良いところだろう。
けれどマイクロトフはそんなカミューの妙に子供染みた一面もこよなく愛しているため、生真面目に頷くに留まった。

 

「成程。苦労しているのだな、カミュー……」
「まったくだよ。こんなことなら無駄な努力などせず、起こされるまでおとなしく寝ていれば良かった」
「いや、それは違うぞ」
マイクロトフは青年の両肩に手を乗せ、力を込める。
「どれほど無益に思えようと、人間、精進を怠ってはならない。日々の努力がいつか花開く未来を信じねば」
熱を込めて揺さぶられたカミューは軽く肩を竦めた。
「……花開かぬまま強風で散ったような気分だけれどね。このところソファで寝ているんだ。お陰で熟睡出来ず、毎朝速やかに起きられるよ」
それを聞くと、たちまち男は顔を歪めた。
「感心しないな、身体に悪いぞ」
「仕方がないよ」
端正な貌に微かな疲労を漂わせながら彼は言う。
「あのベッドで眠ったら、投獄された夢でも見そうだ。起きようと努力した挙げ句、柵に激突する恐れもある。起こしに来た部下に幼児姿を連想されるのも御免だ」
「そこまで不満ならば、やむを得ない。買い替えたらどうだ?」
そこでカミューはこれまで以上に深い溜め息を零した。
「……わたしだってそうしたい。でも……これは部下たちがわたしを思って精一杯を尽してくれた品なんだ。軽々しく捨てるなんて出来ないよ」

 

一時は嫌がらせとしか思えなかった寝具の変貌。
けれどよくよく聞いてみれば、すべては部下たちの度を越した──ズレているとも言う──献身の為せる仕儀だった。
彼らがつとめの合間をぬって慣れない木工作業に勤しんだと思えば、誠意の結晶とも言える品を無下に捨て去ることも難しいのである。

 

「優しいのだな、カミュー……」
迫り上がる感動のまま、マイクロトフは強く彼を抱き締めた。
「それほどまでに部下の心を思い遣るとは……騎士団長たるもの、見習わねばならぬ見事な姿勢だ」
「いや……そう大袈裟なものでも───」
逞しい腕に抱かれた青年の脳裏には、忙しなく作業に臨む部下たちの姿の他に、もう一つ、今期の予算残額も飛び交っていた。
赤騎士団は他団よりも蓄財の才に長けているため、会計的には買い替えに問題はない。が、こんな理由で経費を使うことを自ら懸案に上らせるには躊躇いが勝る。カミューは実に財布の紐の固い、堅実な騎士団長であるのだ。
「まあ……そのうちに何とかなるよ」
薄い笑みを浮かべながら、彼は今後の展望を描いた。
椅子での就寝で眠りは浅い。
そのうちに誰かが自団長に蓄積する寝不足に気付くだろう。彼らが『繊細な青年騎士団長が環境の変化に対応出来ずにいる』といった結論に達するのに時間は掛かるまい。
あるいは、家具商人と懇意になるという手もある。
これまでの経験上、彼が儚げな面持ちで『寝具が合わないのか、最近眠れない』とでも洩らそうものなら、即座に寝台の一つや二つは貢がれる筈だ。
部下たちの献身がありがたいのは事実だが、どうせならもっと騎士らしい行動で忠節を尽してもらいたいものである。やれやれと首を振った後には、いつもながらの苦笑が浮かんだ。
「それはさて置き……気は進まないけれど、やはり折角作ってくれた品を一度も使わないというのも礼に反しているかもしれない。今宵はこのベッドで休もうかと思う。御一緒にどうだい?」
「そうだな、滅多にない機会だ」
柔らかな提案に重々しく同意したマイクロトフは、抱き締めた想い人の細い顎を引き上げて唇を重ねた。
次第に深くなるくちづけ。一歩足を進めたマイクロトフは、不意に鋭い声に情熱を塞き止められた。
「───待て、マイクロトフ!」
接触を解いて僅かに身を離せば、カミューは珍しく狼狽えた表情である。
「どうした?」
「どうしたもこうしたも……わたしを押し倒すつもりかい?」
眉を寄せていると、更に顔を歪めて彼は言い募った。
「柵があるのを忘れないでくれ。そのまま倒されたら背骨が折れる」

 

抱き締め合いながら、寝台に倒れ込む───のが、彼らの房事開始の手順である。
しかし、新たに設けられた柵は、この行動に制限をつける代物であったのだ。

 

人事でしかなかった柵付き寝台の弊害に直面したマイクロトフは、未だ完全に抱擁を解かぬまま、おろおろと周囲を見回した。
「ど、どうすれば良いのだ?」
「飛び越えるしかないだろう? 合図と同時に、出来るだけベッドの中央に向かって飛ぶんだ」
「よ、よし。分かった」
寝台の傍らにて寄り添う二人は、全身に緊張を漲らせ、息を整えた。
「では……行くよ。一、二、三!」
───この世の最後の恋人同士のように固く抱き合ったまま、呼吸を合わせて柵を飛び越え、寝台に沈む。
反動で揺れる敷布の海に漂う二人は暫し無言であった。
やがて、どちらからともなくポツと口を開く。
「……カミュー」
「……何だい?」
「やはりこれは子供向けのベッドだな……」
「分かってくれて嬉しいよ」
見事に寝台の中程まで飛翔したものの、既に甘い空気は四散してしまっていた。
端正な美貌が虚ろに微笑む。
何が悲しくて、最愛の伴侶と過ごす夜に背面飛びなど果たさねばならないのか。かと言って、柵を跨ぐ姿も同じ程に間抜けている。
すっかり萎えてしまった心地を抱え、赤騎士団長は静かに囁いた。
「───仕方がない。今宵は童心にかえって、二人並んでおとなしく眠ろう」
誠実な青騎士団長も悲しげに笑った。
「そうだな……たまには良いかもしれない」

 

 

 

二十代半ばを過ぎた騎士団長らの清らかな夜は、その後、新たな天蓋付き寝台が届くまで続いたらしい。

 

← 中編


普段は良識人っぽい赤副長。
「ヤバイ、このままでは自分が悪人に!」と
己に正直になった時点で立派な赤騎士団員。

ところで、この柵はそれほど高くはありません。
1mもあった日にゃ、助走なしでは飛べない(笑)
っつーか、清々しいバカップルだな……。

 

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