の後先 9


「な……何ですの、この方は?」
寝起きに見知らぬ人物と遭遇したポーリーンは凍りついたように扉付近に座り込む二人を凝視している。
一方のマイクロトフは、目の前の少女の存在がすんなりと思考におさまらず、殆ど自失状態だ。何しろ普段は男装していると言っても、就寝時の少女の夜着といったら可憐なピンク色なのである。豊かに肩に垂らした髪といい、これで少年と見紛うことは出来ない。
───もっとも、マイクロトフとしてはポーリーンが少年であっても同様に肝を潰したことだろうが。

 

やはり最初に我を取り戻したのはカミューだった。
「マイクロトフ、実は話さねばならないことが……」
「カミュー……、こんな年端も行かない少女が……どうしてここにいるんだ?」
逆にマイクロトフは問うた。どこから説明すればいいのだろうと事情を整理している間に、ポーリーンが震える声で呼び掛けた。
「だ……大丈夫ですの? お父様……」
それは慣れてしまったために洩れた罪のない呼び掛けであった。しかし、マイクロトフは打たれたように身を竦ませた。
「お……お父様???」
それからカミューと少女を交互に見る。単語がやっと理解出来た途端、マイクロトフは愕然と戦慄いた。
「お父様って……おまえの………ことか……?」
「ああ……まあ、何と言うか……今のところね」
少女の呼び掛けと同時に全身から力が抜けていったカミューは、細く答えた。
「今のところも何も……、おまえ……」
「順を追って説明するよ。数日前、彼女はわたしを訪ねてロックアックス城の門を叩いた。十一年前にこの街に滞在し、先月この世を去った伝説の歌姫、リデア・オコーネルとわたしとの間に産まれたのが彼女───ポーリーンだと主張して……ね」
「…………十一年前って、おまえ……」
口篭もったマイクロトフは、一応念のためカミューの年齢を逆算しているのだろう。それから再び呆然とする。
「おまえの……娘………………」
うわごとのように呟きながら向けられた視線に、少女は上掛けを引き上げながら断固として言い放った。
「そ……そうですわ! 娘が父の顔を見に訪ねて、何か問題がありまして? それは確かにこうしてお城に潜んでいるのはいけないことかもしれませんけど……『お父様』はわたくしのことを真剣に考えてくださっておりますわ! あなたにとやかく言われるようなことでは───」
「君は黙っていなさい、ポーリーン」
カミューが鋭く遮った。これまで聞いたことのない緊張した声音に少女はびくりと言葉を飲み込んだ。
「マイクロトフ……おまえの意見を聞きたい。わたしはどうすべきだと思う?」
のろのろと巡らされた顔は困惑で一杯だ。久々の再会を喜ぶ間もなく与えられた難問に青ざめている。カミューは辛抱強く待った。
「おれの……意見など……」
マイクロトフはやがて低く答えた。
「おれの意見など必要なかろう? 答えはひとつだ。カミュー……彼女が本当におまえの娘であるならば、おまえは父親の責任を果たさねばならない」
ポツポツと、だが重々しく吐き出された言葉にカミューは薄く微笑んだ。ポーリーンはそれが、やはり見たこともないほど寂しげな笑顔だと思った。
「そう───そうだね……」
「子供の存在を知らなかったのだろう、カミュー?」
「………………ああ」
「ならばやむを得ないことだ。今からでも遅くはない、父親として彼女の将来を見守ってやるべきだ」
「………………」
「城下の屋敷は引き払うことにする」
ひっそりと告げられた一言にカミューは愕然とした。
城下には二人で求めた小さな屋敷があった。何者にも邪魔されない時間を過ごすための秘密の住処が。マイクロトフの離別への決意は容易に知れ、それはカミューを打ちのめした。
「そろそろ行く。ゴルドー様がお目覚めになられる刻限だ」
穏やかに言って立ち上がる男に叫び出しそうな焦燥に駆られる。

 

それだけか───それだけなのか。
永劫を誓った想いも、かくも短い一瞬で過去へと葬られていくものなのか。

確かにマイクロトフはグリンヒルで家族と邂逅した。どれほど歓待されたかは想像に難くない。家族との絆と交わりを久々に堪能した男が、倫理に外れた関係を再考し直しても無理からぬことかもしれない。

だが───

マイクロトフならば責任をまっとうせよと判断するのは当然のことだったろう。
だが、驚きながらもこれほど躊躇なく関係を終わらせようとするとは思ってもみなかった。築き上げた二人の想いは、ポーリーンという男女の理の結晶の前にはこんなにも脆く儚いものだったのか。

 

「ポーリーン殿と仰ったか……驚かせてすまなかった。おれはマイクロトフ、青騎士団に所属している者だ。他言するつもりはないから安心してくれ」
彼としては意外なほど柔らかな口調で少女に呼び掛けると、マイクロトフはもう一度カミューに視線を落としてから静かに部屋を後にした。
残されたカミューは床に腰を落としたまま、力なく俯いた。
「どう……なさいましたの? 気分でも……?」
ポーリーンは上着を羽織りながら寝台を降りた。歩み寄ってカミューの脇に膝をつく。カミューは幼げに毛布にくるまったまま、弱く微笑んで首を振った。
「だ……大丈夫ですわ、他言なさらないと仰ってくださいましたし……」
「こんなものかもしれないな……」
「え?」
少女は自嘲気味に洩らす青年を見詰めた。常に白かった頬は朝日の中で青く透き通っている。
「他人を傷つけてまでして手に入れても……所詮はこんなものなのかもしれない」
「…………?」
「知りたがっていただろう? あれがわたしの生涯を賭けて守り通したかった唯一の相手だ」
少女の鳶色の瞳がこれ以上ないほど大きくなる。
「そ、それって……」
「たとえ倫理から外れていても……わたしにとってはただ一人の……」
そこでカミューは膝を立て、片腕に顔を埋めた。
「……あいつにとっても同じだと信じて───」
くぐもった声に失意と悲哀は隠せなかった。最初の驚きが通り過ぎた後には、少女の胸のどこにも嫌悪めいたものはなかった。たとえ世の理から外れていても、こうして人を想って心を痛める気持ちに何の変わりがあるだろう。むしろ少女を捕らえたのは激しい良心の呵責であった。
「お父様……」
「父親、か」
カミューはふと顔を上げてポーリーンを見た。そこには寒々とした空虚があった。感情の抜け落ちた声が小さく問う。
「レディ……もういいだろう? 君は誰なんだい……?」
昨夜までとはまるで違う琥珀が、硝子玉のように凍えた光を放っている。その冷たさに触れて、少女は彼の負った傷の深さに戦いた。
「わ、わたくしは……」
「リデアとわたしとの間に子が出来よう筈がない」
口調は穏やかで優しい。が、淡々とした響きにそれまでの親愛は失われていた。
「何故なら……わたしたちはそうした関係ではなかったのだから」
はっと口元を覆った少女を見詰めながらカミューは続けた。
「当時……彼女はロックアックスの多くの男に言い寄られていた。逃れようのない富豪からもね。彼女はそうした連中を遠ざけるために、ひとつの策を用いた───それがわたしだ」
カミューは懐かしげな眼差しを窓の外に投げた。
「リデアとは上官に招かれたパーティーで出会った。異郷で出会った同郷のよしみだろうね……わたしたちはすぐに親しくなった。そこで彼女が群がる男に苦慮していることを聞いたんだ。リデアはわたしに目くらましの恋人役を望み、わたしはそれを引き受けた───わたしたちの間に恋愛感情などなかったんだ。二人の関係は姉と弟のそれでしかない」
「……………………」
「ついでにもうひとつ、リデアは現在ゼクセンでご主人と一緒に暮らしている。二週間ほど前、二人目の子供が産まれたとのカードを貰った。わたしは君が娘でないことを知っていた、君の行動には何らかの理由があるだろうこともわかっていた。おそらくは……わたしの人と成りを見定めに来たのだろうということも」
ポーリーンはびくりと全身を強張らせた。
「穏便に事を運ぼうと努めたつもりが……こんな結果を招くとは、流石に予想していなかったけれどね」
そこでカミューは再び正面から震えている少女を見た。責めるでもない乾いた声が問う。
「ポーリーン、君の口から答えて貰いたい。君はいったい誰なんだい……?」

 

 

← BEFORE               NEXT →


まさか、ホントに赤の娘だと思ってらした方、
いらっしゃいませんよね?(笑)

さて、限りなく『アバヨ』に近い去り方をした青。
石はこちらをどうぞ(笑) → ο
次回は解決編その1です。

 

寛容の間に戻る / TOPへ戻る