最初に重苦しい沈黙を破ったのは副長ランドだった。
「では、カミュー様……最初からポーリーン嬢が娘御ではないとご承知だったと……」
一連の流れを知る人物が揃った赤騎士団長執務室。
マイクロトフがカミューの部屋に向かってから、ずっと案じて待ち続けていた忠義の部下たちは、従者の格好をした少女を伴って現れた上官に一旦は安堵の息をついた。
しかし、カミューの様子がいつもと微妙に異なるのを見過ごすには、あまりにランドは近しく彼に接してきていた。
上官の唇には柔らかな笑みが浮かんでいる。未だ少女の正体は明かされぬままだが、これで騎士団長の私生児発覚という最も恐れていた醜聞は回避されたのだ。なのに諸手を挙げて喜べない───何故なら、カミューの笑みには感情が窺えなかったからだ。
「そうだ。おまえたちには隠し立てをするような真似をしてしまい、すまなかったと思っている」
丁重に詫びる騎士団長に、騎士隊長らは頭を悩ませ続けていたことも忘れて即座に首を振る。
「いや、よもやとは思いましたが……安堵致しました。いや、たとえ事実がどうあれ、我らの忠誠には何ら変わるものなどございませんが……やはり、焦りましたぞ」
第二隊長が真っ正直な意見を口にすると、他の男たちも苦笑を洩らしながら同意を示す。カミューは一同をゆるりと眺め回して静かに頷いた。
「……わたしの娘などではない、そう両断してしまうことは容易かった。だが、少女ひとりで騎士団の門をくぐるなど生半可な決意ではなかろう。出来ることなら、そう決意するに至った目的を遂げさせてやりたかった」
一旦言葉を切った彼は、膝の上で両手を震わせている少女を見遣る。細い声がひっそりと呟いた。
「……最初からご存知だったから……歌姫の話を持ち出そうとなさらなかったのですね……」
カミューは少し考えて目を伏せた。
「君はリデアに関して多少の知識はあったようだが、多くを語れば必ず綻びが明らかになっただろう。追い詰めるようなことはしたくなかったからね」
悄然と項垂れたままの少女は固く唇を引き結ぶ。
「……問題を放置するつもりはなかったが……すべてを明らかにするなら彼女自身の口から───それが一番だと考えていた。結果として、おまえたちには余計な心配と負担をかけてしまったが……」
「いいえ、カミュー様。負担などとは思いませぬ」
第一隊長が微笑んで遮る。やはり副長の予想通りカミューには事の見通しが立っていたのだと実感出来て、我知らず声音に喜びが滲んでいた。
「すると残るは……ポーリーン殿の目的、ということになりますが……」
一同の注視に、少女はますます身を強張らせた。彼女がこれまでの強気な姿勢を突然崩したのを訝しく思い、それ以上の追求が躊躇される騎士たちだった。
互いの顔を窺う一同の中、ランドは違和感の理由を必死に探っていた。ポーリーンに目的意識があったのだとしたら、たとえ事実の半分が明らかになったとしても、これほどまでに変貌するのは不自然だ。
最初にこの部屋を訪れたとき、少女はカミューに対して挑戦的な眼差しを注いでいた。彼の部屋で過ごすようになってからはハリネズミのような殻が少しずつ溶け、仄かな親愛さえ見え隠れするようになっていたのだ。より密にカミューに接するランドだからこそ、彼女の変化が見て取れた。彼としてみれば、最愛の青年騎士団長に向けられる如何なる負の感情も耐え難いものだ。ポーリーンの心が次第に和らいでいくのを歓迎こそしていたが、ここにきての変化までは予想していなかった。
おそらく何かあったのだ、マイクロトフ絡みで。
思考が辿り着くまで然程時間は掛からない。カミューの感情の抜けた微笑みや少女の憔悴は、穏やかに凪いでいた水面にマイクロトフが何らかの一石を投じた結果だろう。
だが、そこで思案に暮れる。
この変化はどう考えても良いものでは有り得ない。誰よりも固い絆に結ばれている親友が、よもやカミューの過去を詰るとは考え難い。ならば少女を責めたのか───それはいっそう考えられない。
だとしたら、何が二人を変えたのか。
聞くに聞けないもどかしさにランドは歯噛みした。
「失礼致します」
不意に執務室の扉が開き、張り番の若い騎士が顔を覗かせた。
「カミュー様、接見をご希望なさる御方がお見えですが……」
「後にしろ、取り込んでいる」
鋭く言った第一隊長だが、騎士は困惑げに続けた。
「しかし、その……」
まだ叙位から間もない騎士は厳しい上官たちの視線に怯んだが、その彼を押し退けて現れたひとりの来訪者によってすべてが明らかになることとなった。
「カミュー、すまない……失礼するよ」
言いながら入室した人物を見て、カミューは直ちに礼を取った。部下たちも一瞬呆気に取られながらも続いて丁寧に威儀を正す。
「お久しぶりです、ラスタ様」
先代の赤騎士団長は懐かしげにカミューに笑み返したが、続いてソファに腰掛けた少女を一瞥して声を上げた。
「コレット! 君は……こんなところでいったい何をしているのだね?!」
ポーリーン───コレットと呼ばれた少女は、ソファから飛び上がった。一同が困惑して見守る中、小さな唇から弱々しい声が洩れた。
「ラスタ叔父様…………!」
「お、叔父様?」
呆然と繰り返す騎士隊長らに向けて、ラスタは申し訳なさそうに告げた。
「……わたしの姪なのだ、諸君」
従者に運ばせた茶を啜り、ようやく落ち着きを取り戻した前・赤騎士団長ラスタは、まず第二隊長アレンに詫びた。
「昨日はすまなかった、留守にしていたものでね」
「い、いえ…………」
アレンは自分が届けた書状を受け取る人物が不在であり、使用人にそれを託したことさえ忘れているような驚きぶりであった。
「カミュー様、これは……?」
美貌の青年は苦笑混じりに答えた。
「昨日の書状でお尋ね申し上げたんだ、『貴下の縁故に年の頃十歳ばかり、栗色の髪に鳶色の瞳を持つ利発な令嬢はおられるか』、とね」
「すると、カミュー様はポーリーン……いや、コレット嬢がラスタ様の縁であることを……」
第七隊長の言葉を少女が遮った。
「わたくしが……歌姫のことよりも反故になったご結婚にこだわったことで察しをつけられたのですね」
「ご明察、恐れ入るよ」
カミューが柔らかに返したが、部下たちはその一言に激しく反応した。
「ご結婚?!」
「ご結婚なさろうとしたことがおありだったのですか?」
それにはラスタが困ったように笑い、ゆっくりと語り出した。
赤騎士団長ラスタの団長就任は、前任騎士団長の失脚によってもたらされたものだった。
彼は誓いに則って誠実につとめを果たしたが、自問する日々が続いた。一騎士団を率いる自身の力量に、常に疑問を抱いていたのだ。
騎士団長という象徴的存在には、絶対の支配力と有無をも言わさぬ強い求心力を持つものこそ相応しい。そう考えていたラスタは、副長職を勤めていたカミューにこそ、早くからその輝きを見出していた。
やがて彼は単なる騎士団における後継者として以上に、カミューを欲するようになった。一人娘エレンの入り婿として、家名を継ぐ者として彼を求めたのだ。
無論、ラスタは強要するつもりなど毛頭なかった。万一婚姻が成立しなかった場合の二人の将来も考えた上で、交際を固く隠蔽し通したのである。
「なるほど……、それで我らの耳には一切入ってこなかったという訳ですな……」
副長ランドは今更のように思慮深い前騎士団長の配慮に感嘆した。
カミューとエレンの交際はしばらく続いたが、かつての青騎士団長ユーリが病没した直後、正式にカミューの方から断りが入った。ラスタとしてみれば無念極まりない決意であったし、カミューを愛していた娘の失意は相当なものだった。
けれど、いつ命を落としても不思議のない騎士が後顧の憂いを持つまいと独り身を通すのは珍しいことではないし、青騎士団長の死を目の当たりにしたカミューが独身で生涯を終えようと決めても無理からぬことだとラスタは納得した。彼は私事の確執など委細構うことなくカミューに団長職を譲り渡し、騎士団から身を退いたのである。
「それにしてもわからないのは君だ、コレット。君はグリンヒルに居るとばかり思っていたよ」
ラスタが説明するには、彼の妻と少女の母が姉妹であり、少女の実家はミューズにあるということだった。
ジョウストン都市同盟下でもっとも高い教育水準を誇るのはグリンヒル市にあるニューリーフ学院である。寮制をとっている為、他都市からも毎年多くの子息・令嬢が高度な教育を求めてグリンヒルを訪れるのだ。
ラスタもミューズの姪が今年より同学院に入学する話は聞いていた。そんなとき受けたカミューからの書状で即座に姪を連想し、朝っぱらから駆けつけた訳であるが、グリンヒルに居るはずの少女が従者の格好をして騎士団に居座っているのが不思議でたまらなかったようだ。
「好機だと思いましたの……」
コレットは弱く切り出した。
「ミューズに居たときには、両親の目を盗んで家を出ることなど出来ませんでしたし……」
「どうやってここまで来たんだね?」
副長がやんわりと問うと、少女は薄く笑った。
「前にお話した通りですわ。グリンヒルに立ち寄った商人の一行に同行させていただきました。ロックアックスに生き別れた父がいると……そうした身の上話はとても効果がありますのよ」
彼女は一旦言葉を切り、深い溜め息を吐いた。次に顔を上げたときには何もかも吹っ切れた様子で、最初にこの部屋に現れたときと同じ、毅然とした少女に戻っていた。
「叔父様……二年前、わたくしがお屋敷に伺ったときのことを覚えていらっしゃる?」
不意に話題を振られてラスタは困惑したように眉を寄せたが、すぐに大きく頷いた。
「勿論だ、一家で訪ねてくれることは珍しいからね」
「あのとき……エレンお姉様の婚約が間近だと仰ったことは?」
これにはラスタは苦笑してカミューを窺った。家の中ではすでに決定事項と見なしていたことを照れたのだろう。
「ああ、まあ……ね」
「とてもお幸せそうだった」
少女はじっとカミューを見詰めた。
「エレンお姉様はわたくしの憧れの女性でしたわ。美しくて優しくて、頭が良くて……お姉様こそ貴婦人中の貴婦人、この世の幸せを一身に受けても不思議はないと……そう信じておりました。いつか心から愛する殿方と結ばれて、幸福に一生を過ごされると───」
偽りない想いを込めて自分を見上げていた乙女の眼差しを思い出し、カミューは目を伏せた。
「あのとき、お話してくださったの。とても素敵な御方とおつきあいしている、カミュー様は本当に素晴らしい方、心の底から大好きよ、って……」
少女の瞳に見る見る涙が溢れた。
「ミューズに戻ってから……わたくし、結婚のお祝いを選びましたのよ。カミュー様がお酒をたくさん召されると聞いたから、お姉様と御揃いのグラスを……ずっと溜めていたお小遣いを全部使って」
そこで少女は一気に声を荒げた。
「なのに、しばらくしてお姉様から届いたお手紙には『ごめんなさい、あのお話はなくなってしまったの』───そう一言だけ書かれていたわ! どうして?! あんなに幸せそうに笑っていらしたのに……『まだ正式に求婚されたわけではないわ』と仰りながらも、あんなに幸せそうだったのに! 傷ついているのはお姉様なのに、どうしてわたくしに謝ったりなどなさるの? あなたの所為よ、あなたがお姉様を裏切ったりなさるから……!」
カミューは断罪を無言で受けた。いつもなら割って入る部下たちも、少女の悲痛な叫びに言葉を挟むことが出来なかった。
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