の後先 5


従者の装束に身を固めた少女を一瞥するなりカミューは言った。
「……結構似合っているね」
「それって、褒め言葉ですの?」
陰にこもった応酬の後、彼は笑いながら自室の机に書類を置いた。大量の紙の束に挟まっていた小箱を取り上げ、憮然とソファに沈む少女に差し出す。
「…………?」
「甘いものは嫌いかい? 貰い物だけれど」
ポーリーンが小箱を開くと、そこには綺麗に包装された小粒のチョコレートが並んでいた。一瞬、嬉しげに顔を輝かせたが、すぐに小箱を膝に置く。
「……懐柔はされませんわ」
「ならば、好意と受け取ればいい」
カミューはゆっくりと部屋を横切り、寝台の脇にあるキャビネットの上にユーライアを乗せた。続いて肩当てを外し、騎士服の襟元を寛げているのに気付いた少女は、驚愕して細く叫んだ。
「な───何してらっしゃるの?!」
「何って、着替えを…………」
そこで彼もはたと表情を引き締めた。
「……なるほど、色々厄介はありそうだ」
苦笑しつつ着替えを諦め、そのまま執務机に戻って腰を下ろす。
「すまないね、片付けなければならない書類が山のようなんだ。食事は後でアレンが運んでくれることになっているから、しばらく寛いでいるといい。話したいことがあるなら、聞いているから言ってごらん」
「……お聞きになりたいとは仰らないのね」
そこでカミューは首を捻りながら顔を上げた。
「その口調は地かい? リデアと話すときもそんな調子だったのかな。出来ればもう少し砕けて欲しいものだけれどね」
ポーリーンはしばしカミューを見詰めていたが、やがて答えた。
「ろくな礼儀も躾られていないと見なされて、母様を侮辱されたくありませんもの」
「そうかい?」
カミューは笑いながら揶揄した。
「わたしには、高等教育を受け始めたばかりの貴族の令嬢のように聞こえるけれど。案ずることはない、わたしは……わたしの部下たちも、そのようなことで人を卑下するような考えは持ち合わせていないよ」
言うだけ言って再び書面に視線を戻した青年に、ポーリーンは気まずさを覚えたように小さく問い掛ける。
「母様のこと、お訊きにならないの……?」
「君がつらくないならね」
それが母を失くした子を気遣ってのことだと気付くまで時間が掛かった。ポーリーンは俯いて、小箱のチョコレートをひとつ口にした。
「グラスランドからはどうやってここまで?」
「……隊商に同行させてもらいました」
「同じだ」
ポーリーンが懐かしげな声に顔を向けると、カミューは書面にペンを走らせながら続けた。
「わたしもそうやってこの街に来た。ロックアックスは初めてかい? ならば明日、いいところへ連れて行ってあげよう」
「いいところ……?」
「城を出て東に行くと、街全体を見下ろせる見晴らし台がある。わたしの一番好きな景色だ。君にも見せてあげよう」
常に好戦的に振舞ってきた少女だが、相手が軟化するとそれまでの態度を守るのは難しい。口の中に広がる甘さと共に、だいぶ和らいだ口調が零れる。
「さっき、副長さんに言わました。存在が明らかになったら、わたしは部下の方に闇討ちされかねない、って。可笑しなほど慕われていらっしゃるのね」
「ランドが……?」
吹き出したカミューは手を止めてポーリーンを見詰めた。
「わたしは手が掛かる団長らしいからね。まあ……気にしなくていいよ、君はわたしが守ろう」
「わたしが娘だとお認めになるの?」
「……どうだろうね」
謎かけのように呟く青年の顔色から思惑を窺い知ることは不可能だ。ポーリーンは溜め息をついてカミューから顔を背けた。
「……歌姫リデアを愛していた……?」
「好きだったよ、とても」
「結婚はお考えにならなかったの?」
「───考えなかった」
少女らしくない、ひどくおずおずとした問いが洩れた。
「これまで……結婚しようと思ったことはあります……?」
初めて沈黙が降りる。
やがてひっそりとした声が短く答えた。
「……あった。一度だけね」
カミューから背を向けた少女の小さな拳が膝の上で大きく震えた。着慣れない男装束の布を掴み締め、ポーリーンは掠れた声で聞いた。
「何故、過去系なの……?」
「……終わったからさ」
少女が再び視線を巡らせると、カミューはペンを止めて立ち上がり、窓の外を見遣ったところだった。
「リデアがロックアックスを去ったように……出会いがあれば別れもある。終わったことを悔やむ生き方はしたくないが、どうしようもなく思いが残ることもある。わたしとたずさわったために傷を負った人間がいるならば、出来るだけのことはせねばならないと思うし、そうする覚悟もある」
「……………………」
振り返った琥珀の瞳は、彼こそが傷ついた者のような痛みを浮かべている。ふと胸を突かれてポーリーンは言葉を失った。だが、その表情はほんの一瞬で、カミューはすぐに穏やかな笑顔に戻った。
「何も心配しなくていい。君が居心地悪いようなら、わたしが誰かの部屋に転がり込めばいいだけのことだ。どうせ今は仕事が山積みだし……資料室で夜明かしするという手もある」
「……………身体を壊しますわ」
「それほど柔ではないよ」
「……いいえ、あなたにはここに居てもらわなくては」
少女は改めて強い眼差しでカミューを凝視した。
「『父親』たる人間がどんな人物なのか、この目で見定めなければなりませんもの。逃げようとなさっても無駄よ、『お父様』」
年若い騎士団長は苦り切った顔を見せた。だが、その中に紛れもない親愛を見たポーリーンは敵意を向け続けられない自分にも気付いた。
騎士たちがあれほどまでに心酔している訳がおぼろげながらわかるような気がする。カミューには人を惹きつける何かがある。それが何なのかまではわからないが、容貌や振る舞いの優美さだけでないことだけは確かだ。
「とにかく、同居するなら穏便に付き合うのが理想だとは思わないか、レディ?」
「同感ですわ」
「ルールを決めよう。お互いの生活習慣には極力干渉しないこと、君がこの部屋を出るときには必ずわたしか、事情を知る部下を伴うこと。わたしもここに彼ら以外は入れないように心掛ける。火急の場合で他の騎士と顔を合わせるときは……ないとは思うが、精一杯男の子の振りをしてくれるとありがたい」
「醜聞ですものね」
「君の存在を醜聞とは思わないけれどね」
その一言にポーリーンは怯んだ。見詰める眼差しに嘘は感じられない。
「他には……何かあるかな?」
「………………着替えの際には後ろを向くこと」
流石に部屋の主に出て行けとは言い難く、苦し紛れに言ったポーリーンだったが、思いがけず洩れた朗らかな笑い声に戸惑った。カミューは肩を震わせながら、楽しそうに指摘する。
「父娘の関係というのは思ったより複雑なようだね。了解した、お互い着替えのときにはしっかり目を閉じることにしよう。夜着などの持ち合わせはあるかい?」
軽く持参の鞄を叩く少女に満足し、カミューは浴室に向かう扉を指した。
「わたしが一日のつとめから戻る前に入浴を済ませてくれるとありがたい」
「お……お風呂の用意はどうすれば……?」
膝の上で握られた少女の手を一瞥し、カミューは微かに苦笑した。
「わたしがやろう。夕方、執務室を抜け出してくる」
「あ……あなたが?」
意外そうに瞬くのに、彼はにっこりした。
「……我ら騎士は苦労知らずのお坊ちゃまではないからね、身の回りのことくらい自分でするさ」
ポーリーンは目を細めた。
多くの騎士に傅かれる騎士団長。けれど、彼も生まれながらに人の上に立つ絶対者だった訳ではないのだ。そんな瑣末なことに気付いて唇を噛む。
だが───
もう後には退けない。少女は光る瞳で青年を見詰めた。
「わかりました。以後、よろしく……『お父様』」

 

───そうして規約は成り立った。

 

 

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さて、このあたりで気付く方も
いらっしゃるかも……??
この回、幾つかポイントを散りばめてます。
ちなみに先読みしたサブちゃんは
『わかった、青の隠し子だ!』と主張(笑)
……んなわけあるかい……。

 

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