の後先 4


ロックアックス城内にて騎士団長に与えられる私室は、所属騎士から見れば聖域のような場所である。自由に出入りを許されるのは騎士隊長以上というのが通説であり、一般の騎士が室内に立ち入ることは滅多にない。
この赤騎士団長私室は城の西棟の最上階、もっとも奥まった場所に位置しているため、普段から騎士が行き来することはまずない。が、一応念のためと副長ランドに伴われ、頭からすっぽりとローブを被せられた少女は入室するなり大きな溜め息をついた。
「こんなに厳重に気を使う必要がありますの?」
「それは已む無いことだよ」
温厚な人柄の副長はポーリーンからローブを受け取りながら苦笑した。
「何しろ赤騎士団長カミュー様と言えば、赤騎士の崇拝と憧憬を一身に背負う御方。そんな方に君のような人物が現れたと知れたら……君は闇討ちを覚悟せねばならんだろうね」
「…………冗談を仰ってるの?」
「真面目な話だ。我が赤騎士団にとって、それくらいあの御方は神聖な存在であるということだ」
少女が憮然としているところへ、遅れて第一隊長が入ってきた。
「ランド副長、これで宜しいでしょうか……?」
差し出したのは従者が身に付ける衣服だ。通常の騎士服よりも上着が短くデザインされている。これは細々とした雑用をこなす少年たちを考えてのものだろう。
「大きさは……ふむ、丁度良いようだな。ではポーリーン殿、申し訳ないがこれに着替えていただこう」
手渡された衣服を胸に抱き締め、ポーリーンは二人を睨み付けた。だが、やがて諦めたようにポツリと訊いた。
「何処で着替えればよろしいの?」
問われて、副長と第一隊長は室内を見回した。そして改めて嘆息する。
騎士団長私室は居住も充分に可能な広さと設備を持っている。しかしあくまで一人用の部屋、間仕切りは一切なく、個室といえば洗面所くらいしかないのである。妙齢の女性とはいかずとも、これから先、カミューがいったいどうやって少女と同居するのか。しかも二人には冷たい緊張が流れているのだ。それを思うと自然に胃のあたりに手が行ってしまう副長であった。
「それでは我らは退室致しますから、どうぞご存分に……」
副長の顔色を見ながら告げたローウェルだったが、即座にポーリーンの逆襲に遭った。
「お待ちになって! その間にあの……あの、『あの人』が入ってきたら困りますわ!」
「……外で張り番をしよう。終わられたら、声を掛けていただきたい」
弱々しく答えて歩き出す副長に続いて、大慌てで第一隊長が扉を閉めた。そのまま扉の外に並び、しばし無言で廊下の一点を睨みつける赤騎士団の中枢騎士ふたり。
「胃の具合は如何ですか?」
「……波のようだ」
「は?」
「寄せては返す」
呟いた副長は長い息を吐いた。それから部下を見遣り、気になっていたことを訊いた。
「どんな反応をなさったのだ?」
ローウェルは深々と考え込み、ぽつぽつと答えた。
「……リデア殿という方への紛れもない情を感じました。生憎わたしはカミュー様の、れ……恋愛遍歴には詳しくありませんが、これまであの方が女性をあのように語るのを目にしたことがありません」
「おまえはリデア殿を知らないのだな。それは美しい女性だった……だが、カミュー様はそんな女性の隣に立っておられても、何ら遜色ない御方だった」
そこでローウェルはぎくりとして副長を見遣った。
「……『銀鈴の女神はひとりの若い赤騎士によって人となった』───当時、流れた噂だ」
カミュー様が、と呆然と口にする部下に向けて副長は柔らかに微笑んだ。
「もし……もし、あの少女がカミュー様の令嬢であるとしたら……おまえの忠節に変わるものはあるか?」
第一隊長は真摯に考えた上で首を振った。
「いいえ。話を聞いた限り、カミュー様に不誠実な振る舞いがあったとは思えませんし……それに」
真っ直ぐに副長に向けられた目は、熱い決意に漲っていた。
「わたしは、わたし自身の目と価値観を信じております。剣を捧げた日より今日まで、そしてこれからも……我が忠誠は如何なることがあろうと揺らぐことはありません」
「ありがとう」
拳を握り締めて熱弁を振るっていた第一隊長は、背後から掛かった涼やかな声にぎょっとして振り向いた。そこに立ち尽くす美貌の青年は、やや面映そうに苦笑していた。
「立ち聞くつもりはなかったのだけれどね、二人揃って部屋の外でどうしたのだろうと……」
両腕に大量の書類を抱えて重そうに持ち直した彼に、ローウェルは即座に手を貸そうと歩み寄った。やんわりとそれを断り、怪訝な声が訊く。
「それで、おまえたちは何をしている?」
「その、ポーリーン殿が着替え中ですので……」
「なるほど」
カミューは可笑しそうに顔を歪め、信頼する二人を交互に眺めた。年頃の乙女でもない子供の着替えに雁首そろえて追い出されている男たちの不器用さと誠実さ。そんな彼らがどれほど今回のことに頭を痛めているかは痛いほど感じるカミューである。
「……おまえたちには心配ばかりかけてすまないと思っている。もういいから、二人とも平常任務に戻ってくれ」
「カミュー様、そのような……! 我らではお力になれぬと?!」
食い下がるように言い放ったローウェルに、カミューは小さく俯いた。騎士としての忠誠だけではなく、こうして私事にまで心を砕いて助力を申し出てくれる部下を持った喜び。果たして彼らは自分の何処にそこまでの価値を見ているというのだろう。
一方で、二年に渡って副官を勤めてきたランドには、今回ばかりはカミューの機微が克明に感じられた。
彼らの騎士団長は一切の助力を求めない。出来得る限りひとりで解決しようと努め、正面から他者を頼ろうとはしない。その潔さも魅力のひとつなのだろうが、差し伸べた手を取ってもらえないのは些か寂しいことでもある。
それでも、カミューはそうして地位を上り詰めた人間なのであり、易々と気質は変わるまい。それに彼は決して独断だけで動く暴君ではない。周囲から寄せられる誠意と忠義を深く理解し、感謝している。けれど、それに甘えることを良しとしない厳しさを己に強く───それが赤騎士団長カミューという青年なのだ。
彼がひとりで解決すると決めたなら、あれこれと口を挟むのは野暮だろう。自分たちの役割は影から彼を補佐することだ。カミューが何を考えているのか完全に理解し得なくとも、その意志に沿うよう努力することは出来る筈だ。
しばらく無言で見詰めていた副長は静かに口を開いた。
「……カミュー様、ひとつだけお忘れになりませぬよう」
「ランド……?」
「如何なるときも我らがお傍に在ることを」

 

如何なるときも共に在る───
それはマイクロトフが幾度となく口にする想いの呪文。

 

カミューは一旦目を伏せ、それから鮮やかに微笑んだ。
「最高の口説き文句だな。頼りにしているよ、二人とも」
副長の温かな視線が真っ直ぐに注がれる。彼はまだ何か言いたそうな第一隊長に向き直り、声を掛けた。
「行くぞ、ローウェル」
「は、はい……」
心配そうに眉を寄せていたローウェルだが、常と変わらぬ笑顔を浮かべている騎士団長と、促した副長に思い直したのだろう。姿勢を正して胸を張る頃には不安げな様子は一掃されていた。
「では、カミュー様。何事かございましたら、いつなりとお呼びを」
「ありがとう。あ、ランド……」
呼び止めたカミューは実直な副官に心からの労いを送った。
「さっきアレンから聞いたが……胃が悪いそうだな。療養食を用意するよう、指示しておいた」
「………………ありがとうございます」
───この胃の痛みは暴食によるものではないのだが。
そう思いつつ、青年の気遣いが嬉しいランドであった。

 

「お話中ですけど……よろしいかしら?」
扉から小さな顔が覗いた。着替えを終えたポーリーンは、そこにカミューを見つけて顔を引き締めた。
「ご希望通り男の子の真似事を致しましたわよ、『お父様』」
あくまで反抗の意志を示す少女に、カミューは艶然と微笑んだ。
「それでは拝見しようか、小さなわたしのレディ」

 

礼を取って並んで廊下を進みながら、二人の騎士は背後から迫ってくる冷気に身を竦めた。
「……ところで、副長。マイクロトフ殿が戻られたら、どうなるのでしょう……」
あの倫理の塊のような青年は、友の私生児疑惑をどう受け止めるのか。思わず口にしたローウェルに返ったのは、敬愛する上官の力ない声だった。
「……言わんでくれ。胃痛がぶり返す」

 

───まったく、こんな日常はありがたくない。
心から思う忠実なる部下たちだった。

 

 

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赤の忠実な犬たちの一幕でした(笑)
そして番犬は今頃グリンヒルで肉食いながら
カミングアウトでもしている……んだろうか??
赤のまわりは犬だらけ。
某漫画の犬橇レースを思い出します……。
次はコブラ対マングース、束の間の休戦ってところ??

 

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