すらりと長い足を組んでソファに座ったカミューは、正面から凝視する少女を一顧だにすることなく、傍らに立つ副長を見遣った。
「ランド」
「は、はい……カミュー様」
「顔色が悪い。体調が悪いなら、無理せず休め」
「い、いえ。お気遣い、痛み入ります……」
続いて控えていた部下たちに短く命じる。
「アレン」
「はっ、はい!」
「わたしの机の一番上の引き出しにある式典関連書類を、青騎士団のディクレイ殿にお届けしてくれ。各部隊より式典に臨む十名の選出が最優先であるとお伝えすること。それからランベルト……おまえはこれより、物品調達の相談役として青騎士団に助力するように」
「はっ、了解致しました!」
「心してつとめます!!」
二人はそれでも息を殺し、しばし身じろぎもせずにカミューを見詰めていた。気付いたカミューが表情も変えずに鋭く問う。
「どうした? 何か質問でも?」
「い、いいえ……その……」
「カミュー様……」
「……アレン、ランベルト。直ちにご命令に従わんか」
ランドは敬愛する青年の不機嫌を敏感に察し、静かに叱咤した。後ろ髪を引かれる様子で執務室を後にする騎士隊長らを溜め息混じりに見送ってから、改めて目前の騎士団長と少女を交互に眺める。
それから物憂げに顔を上げたランドは、やはり室内で所在なげに立ち尽くしている第一隊長ローウェルと目が合った。蒼白の顔つきから彼がカミューに事情を話し、何らかの結論──あまり芳しくない方向の──を得たことは明らかだ。薬によって幾分おさまっていた胃の痛みが微かにぶり返すのを感じるランドだった。
「さて」
カミューはそれまで綺麗に無視していた少女に初めて真っ直ぐに目を向けた。途端に両者の間に行き詰まる緊張が走り、副長と第一隊長は室内の温度が急速に冷えるような錯覚を覚えた。
「……似ていないな」
カミューはゆったりと背もたれに寄り掛かりながら呟いた。
「彼女は見事な銀髪だった。『銀鈴』の二つ名に相応しいくらいにね」
彼の視線は少女の栗色の髪から小さな顔へと移る。
「目の色も……違う」
「……何が仰りたいのか、よくわかりませんわ」
少女ポーリーンは青年を睨み付けるように言い放った。副長と第一隊長は未だかつてない怖気を覚え、思わず再度顔を見合わせた。これはもう、冷戦に近い。とてもではないが父──もし真実であるならば、だが──と娘の初対面などと称すものではなかった。
「そうだね、わたしにも分らない」
先に矛先を納めたのはやはりカミューだった。彼は柔らかな表情で言った。
「生憎、部下も混乱しているようでね。まだ詳しい事情を聞いていないんだ。もう一度、君自身の口から説明して貰えるだろうか?」
ポーリーンは思惑をはかるようにじっと向き合う琥珀の瞳を見ていたが、やがて小さく頷いた。
「わたくしの名はポーリーン、母がロックアックスを離れてから産まれました」
「……ミューズでかい?」
短く口を挟むと、少女はせせら笑うように首を振る。
「試そうとなさっても無駄ですわ。母の一座はこの街を離れてからグラスランドへ向かいました。その途中、ティントでわたくしは産まれたのです」
カミューはしどけなく溜め息を吐いた。
「───……続けてくれ」
「母は物心ついたわたくしに、ロックアックスでの思い出を語ってくれました。何故、わたくしに父がいないのか……そして、父が誰であるか」
ポーリーンはそこで一呼吸置いた。
「…………母は先月、亡くなりました。女手ひとつでわたくしを育てた無理が祟ったのでしょう、最後までこの世で愛した唯一のひとの名を呼びながら…………」
「死んだ……?」
そこでカミューが見せた表情は、二人の部下が初めて見るものだった。愛を交わした思い出の女性を喪失した驚きや痛みというよりは、言われたことが理解出来ない少年のような幼げなものだったのだ。
「リデアが…………死んだ…………?」
呆然と繰り返す青年が女性に『レディ』をつけないのも初めてのことだった。それは確かに踏み込んだ関係を窺わせ、眉を寄せて考え込んだカミューをひどく脆く見せた。
「母はあなたの世間体を考えて、決して多くを望もうとはしなかった……現実に、あなたは母が身ごもっていることさえ知らずにお別れしたのですものね、当然のことでしょう。あなたにとって母は束の間の恋の相手だったかも知れませんが、母がどんな気持ちで身を退いたか……。わたくしは、その苦しみも知らずに平然と過ごしている『父親』とやらのお顔を拝見しに参りましたの」
淡々と吐き出される断罪に無言を通すカミューを見かねて、終にランドが口を開いた。
「ポーリーン殿……あなたが真実カミュー様の娘御でおられるのか否か、わたしには判りかねる。しかし、リデア殿が何も告げずに去られたのだとすれば、あなたの誕生を知り得なかった責を問うのは酷ではなかろうか?」
ポーリーンは穏やかに言った男に目を向け、それから俯いた。
「……わかっていますわ。愛していたからこそ、母は重荷になるまいと黙って去った───それくらいわかります。でも……だったら母の想いは何処へ行くのでしょう? こうしてお訪ねしなければ、母が居たことだって忘れられて……」
「忘れてはいない」
長い沈黙を破ってカミューが重い口調で遮った。
「他のどんな女性を忘れても……リデアのことは覚えている」
虚ろに呟いたカミューに、二人の騎士はぎょっとした。同時に、少女ははっとしたように顔を上げて彼を凝視した。
「君は……わたしたちの娘だと……、そう言うのだね……?」
深々と考え込みながら途切れがちに洩れる声には、自らにこそ言い聞かせるような調子があった。やがてカミューは真っ直ぐに少女を見詰めた。
「知らぬこととは言え、長いこと苦労をさせてすまなかった」
ポーリーンは目を見開いて眉を寄せた。
「わたくしが娘だと……お認めになるの?」
一方、仰天したのは二人の部下たちである。
「カミュー様、お待ちを! 決してリデア殿を侮辱するつもりはございませんが、確たる証拠もないまま、そのような……」
勢い込んで言ったローウェルを制し、カミューは首を振った。
「ポーリーン……そう呼んでもいいのかな?」
「え、あの……」
それまでの攻撃的な姿勢と打って変わり、戸惑った顔を見せる少女は、こうも容易く相手が自分を認知するとは思わなかったのだろう。
「ここまで遥々訪ねてくれたのにすまないことだが、現在わたしは大切なつとめを抱えていてね。君を迎える屋敷の準備もすぐには取り掛かれない状態なんだ」
「カミュー様……!」
たまらずといった調子で割って入った副長に、彼は穏やかに命じた。
「ランド、すまないが従者の衣服を一着用意してくれないか?」
「は?」
あまりに脈絡のない突飛な命に、さしも切れ者の副長も面食らって聞き返す。
「従者の……衣服、でございますか……?」
「そう」
カミューは少女をちらりと眺めた。
「服を変えて、髪を束ねて……そうすれば見えないこともないだろう」
「……と、仰いますと?」
「従者に、さ」
三者三様、あんぐりと口を開いて美貌の青年を凝視する。
「……つ、つまり……ポーリーン殿を男装させて……」
「まさか、このロックアックス城に……?」
「今度の任務が片付くまで、従者を装ってわたしの私室で暮らしてもらう」
「な───何ですって?!」
少女はドレスを翻して立ち上がった。
「わたくしに、男の真似事をしろと仰るの?!」
「……リデアは時折男装をして楽しんでいたよ。動き易くて楽だと笑っていた」
真っ赤になって戦慄いているポーリーンは、カミューのあっさりとした一言に言葉を失った。
「案じなくていい、何も従者として使おうというわけじゃない。ただ……城内に年端も行かぬ娘がうろつくわけにはいかないだろう? 親子の名乗りをあげるにしろ、時期というものがある。青騎士団の叙位式典を終えるまで……我慢してくれるね、小さなわたしのレディ?」
───天性の詐欺師のようだ。
副長ランドは束の間思った。
はたまた女性を誑かす、言葉巧みな色事師か。
最愛の騎士団長をそんなふうに感じたことに狼狽え、慌てて自戒する。
カミューもおそらくは混乱しているのだ。どれほど冷静沈着な青年であろうと、いきなり娘を名乗る人間が現れれば平静ではいられまい。
同時に歌姫リデアが案じたように、これは醜聞だ。
若き騎士団長の私生児の存在。ランドには旅芸人を卑下する意識はないが、世間がどう見るかは瞭然である。今のカミューを地位から引き摺り下ろすには至らないかもしれないが、決して外聞の良いことではない。
出来ることなら周囲に洩れぬよう、何処かへ養女に出すのが一番の得策───そこまで考え付いて彼は愕然とした。
もう、ポーリーンがカミューの娘であると確定して考えている。それは第一隊長も同じであるらしく、見遣った先でローウェルは卒倒しそうなほど青ざめていた。
「ともかく、しばらくの辛抱だよ。わたしの部屋は城下に求める屋敷……とまではいかないが、君ひとりくらいは充分に受け入れられる。きちんと片をつける前に、お互いに理解し合うことが必要だと思うしね。それで構わないだろうか、レディ?」
すらすらと流れる言葉は柔らかに同意を求めるようであり、だが容赦なかった。そこでやっと二人の部下はカミューが少女が本物であるか否かを見極める策に転じたのだと思い至った。
少女ポーリーンはしばし唇を噛み締めていたが、やがて真っ直ぐにカミューを睨み付けた。彼女もまた、カミューの流暢な言葉の中の疑いを感じ取ったのだろう、負けないと言わんばかりの気迫のこもった答えが飛び出す。
「……それで結構ですわ、『お父様』」
端正な青年騎士団長は、そこで入室して以来初めて浮かべる艶やかな笑みで一蹴した。
「すまないけれど、まだ実感がないのでね。それは待ってもらえないか?」
「…………?」
「わたしのことはカミュー……そう呼んでくれないか、レディ?」
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