の後先 2


「ゴルドー様、そろそろ退出しても宜しいでしょうか?」
穏やかな、だが否と言わせぬきっぱりした声に白騎士団長は渋々と頷いた。
ランドの予想通り、マイクロトフの青騎士団長就任式典の打ち合わせを早々に終了させ、現在は若かりし頃の武勇伝やら、最近収集した古美術品について延々と論じているゴルドーである。
かなり長いこと我慢していたが、流石に限界を感じた赤騎士団長カミューは、新たに青騎士団副長に任命される青騎士ディクレイを一瞥してから進言した。この男、どうやら非常に生真面目な質であるらしく、欠伸をこらえて与太話に付き合っているカミューとは違い、背筋を正していちいち相槌を打っている。
このままでは、いつまで引き止められるか分らない。ゴルドーが面倒な式典準備を放棄するのは予想された事態だったので、一応の流れを確認した以上はすぐにも準備に取り掛かりたいカミューだった。

 

 

───何しろ、待ちに待った日である。
騎士としてエンブレムを受けた頃から友情を温め、いつしかそれが恋情と変わり、今は密やかに愛を育むようになった生涯唯一の相手、マイクロトフ。
共に騎士団の礎となろうと誓い合ったのはいつのことだったか。一足先に地位を極めながらも、カミューはこの日がくるのを信じていた。
生真面目で誠実、勇猛で実直。
騎士の鏡を地でいきながら、彼がカミューに遅れたのは、ひとえに世渡りの技術の差だったろう。それでも若干二十五歳の騎士団長就任はマチルダ騎士団でも立派に名の残る快挙である。
無論、カミューに地位にこだわる意識は毛頭なかった。けれど、騎士として叙位されたからには頂点に立ち、己の誇りと信念に基づく一団を築き上げたいとは誰もが思うことだろう。そうしてその位置に信頼のすべてを寄せる伴侶が並び立ったなら、どれほど素晴らしいことか。
カミューはマイクロトフが模索を繰り返しながら着々と後を追ってくる姿をずっと見守り続けてきた。そして終に二人の想いが叶う日が目前に迫っているのである。

 

当のマイクロトフは現在休暇を取っていた。
団長職に就いたが最後、当分の間は満足な休みを取れないだろうことはカミューの例で明らかだった。その前に、彼にはどうしても出向かねばならないところがあったのだ。
マイクロトフは若年期に両親が他界しており、叔父夫婦のもとで育てられた。その一家はマイクロトフの従姉妹にあたる少女が学業を開始する歳になって、グリンヒルに移住したのである。
もう二年あまりもご無沙汰している『家族』に、栄えある報告をすべきではないかと勧めたのはカミューだ。内示が下りてから引継ぎを果たして叙位式を待つ間、僅か十日あまりの休暇を得たマイクロトフは、今頃グリンヒルで叔父夫婦らと思い出話に花を咲かせている筈である。
彼が戻ってくるときまでに式典準備を滞りなく果たすこと、それが今のカミューにとって最も優先されるべきつとめであった。

 

 

「では、失礼致します。ディクレイ殿、参りましょう」
心残りな表情を隠さないゴルドーを窺いながら戸惑っている、自分よりははるかに年長である青騎士に笑い掛けて、カミューは軽やかに立ち上がった。先に立ってゴルドーの執務室を出てから後に続く男に丁寧に礼を取った。
「改めて……このたびはおめでとうございます。以後、よしなに───ディクレイ殿」
これからは彼がマイクロトフの傍で副官を勤めるのだと思えば、自然頭が下がるというものだ。カミューはそんな自分に苦笑を禁じ得ない。
一方のディクレイ──現在の位階は青騎士団第二隊長である──は、未だ緊張の抜けきらない顔で何とか笑み返そうと苦心しているようだった。
「こ……こちらこそ、何卒よろしくお願い申し上げます、カミュー様。何しろ突然のことで、何と申しますか、その……」
年長でありながら、今にも舌を噛みそうな調子の男にカミューは苦笑した。
無理もない。確かに突然の昇進なのだ。
青騎士団長を勤めていたコルネが体調不良を理由に辞職願いを申請した僅か二週間後、引継ぎも終わっていなかった副長が騎馬訓練中の事故で負傷した。それは突然の落雷で後ろ脚立ちになった馬から落馬するという不運な事故であったが、名誉なことでもなかった。しかも、その負傷によって以後は満足につとめを果たすことは不可能だと診断される不幸まで重なり、彼は騎士団を抜けることを余儀なくされたのである。
結果、青騎士団はトップ二人が一度に欠ける異常事態となり、第一・第二部隊長だったマイクロトフとディクレイが繰り上がり、団長・副長を任ぜられたのだった。
そんな経緯で施された今回の人事ではあるが、上官の戦没が絡むよりはずっといい───マイクロトフはそう言って笑ったものだ。
いずれ彼が団長職に就くに相応しい騎士であることは誰もが認める事実であろう。それが多少早まったところで支障はない。
上位の位階に欠員が生じれば、下位の位階が信任を経て繰り上がる。それはごく当たり前の流れだった。ただ、気構えという点では別だ。ディクレイは予想もしなかった突然の副長就任に困惑しているようだった。
「これも天命です、ディクレイ殿」
カミューはやんわりと諭した。
「あなたにはそうした役割が約束されていたのでしょう。どうぞ固くならず、おおらかに構えてゆかれますよう」
「……そうは仰るが……やはり……」
廊下を進む男の足取りは重い。
「どうか、カミュー様……本当に何卒、今後ともよろしくお願い致します」
念を押すような調子に小首を傾げたカミューに、ディクレイは必死の形相で言い募った。
「……わたしはマイクロトフ様を尊敬しております。あの御方は正に騎士の名に相応しい人物、心からの忠誠を捧げております、……天地神明に賭けて」
「はあ」
「職務に関しましても……おそらくはマイクロトフ様が不得手となさる細々とした事柄に関しては、わたしが補佐することも可能かと」
「…………ええ」
「しかしながら……万一の際、とてもあの御方を抑えられるだけの自信がありません……」
そこでカミューはぷっと吹き出した。
───成る程、そういうことか。
所属が違うので、普段のマイクロトフの騎士ぶりは想像で量るしかないが、それは容易く脳裏に浮かぶ。あの猪突猛進で一本気な男が周囲の思惑に反して走り出したとき、抑制することが青騎士団の懸案に挙げられているらしい。
融通の利かない性格と、真っ直ぐ過ぎるものの考え方が団長就任におけるカミューとの二年の差と直結するのかもしれない。そう思うと、これからの青騎士団の苦労が忍ばれ、笑いを噛み殺すのに苦労した。
「……最善を尽くすことをお約束しますよ、ディクレイ殿」
「カミュー様…………」
「そんなに案じないでやってください。マイクロトフも騎士団長という職務の重さは重々承知している筈です」
「無論、そう信じておりますが……」
どうやら騎士隊長時代、よほど突っ走る姿を見てきたのだろう。ディクレイはしばし難しい顔をしていたが、やがて吹っ切ったように首を振った。
「いけませんな、始まる前から案じていては。申し訳ございません、横事を申しました。我ら青騎士はそうしたところも含めてマイクロトフ様をお慕い申し上げていることを失念しておりました」
カミューは柔らかく微笑んだ。
───悪くない人物だ。多少覇気が薄くても、むしろマイクロトフのような男の副官には丁度良い。必要なのは、物事を冷静に見詰める目を持ち、柔軟で思慮深く、自分の考えをはっきりと公言できる人物だ。ディクレイはそれに適った男であるとカミューの目に映った。
「……わたしが団長に就任した折には、前任のラスタ様が行き届いた式典の準備を施してくださいました。今回は青騎士団長を欠いた状況ですので、僭越ながらわたしが指揮する形を執らせていただきます」
「はい、宜しくお願い申し上げます」
「必要な物品の手配は青騎士団にて行っていただきますが、第七隊長ランベルトを相談役におくりましょう。買い付け役にはうってつけの人物です」
「ありがとうございます」
「後ほど要項をお届けします。『心得』に則って執り行われる儀式ですから、それほど難しくお考えになる必要はありません」
最後に安心させるように言ってにっこりすると、ディクレイはほっとしたように微笑み返した。そのとき、前方からひとりの赤騎士が急ぎ足で向かってきた。
「カミュー様、ああ……丁度良かった」
心からの安堵を浮かべた第一隊長ローウェルに、青騎士はすぐに察したように礼を取った。
「それでは、カミュー様。わたしはこれで……」
「ええ」
ディクレイが去っていくのを待ちきれないといった様子で第一隊長は周囲を窺い、一番近くにあった扉を指した。
「カミュー様、どうかこちらへ……」
カミューは形良い眉を寄せた。
「しかし、そこは……」
城内の清掃用具を仕舞っておく物置である。だが、ローウェルはそんなことを気にしていられないと言わんばかりの勢いで、失礼、と断ってから彼を物置に向けて押し遣った。
「ど、どうしたんだ? いったい何が……」
モップやらバケツやらが所狭しと並べられた狭い室内で、何やら居心地の悪さを感じるカミューだ。ローウェルは閉鎖された空間であるにもかかわらず、未だ周囲を気にしていた。
「カミュー様……少々お伺いしたいことが」
「何だ、改まって」
───しかも、こんな狭っ苦しい場所で。そう心で付け加える。
「実に伺いにくいのですが……女性方面に関して少々………」
そこで苦笑が零れた。生粋の武人である部下に、終に春が巡ってきたのかと考えたのだ。だが、次の言葉にカミューは首を捻った。
「真に不躾ながら……カミュー様。十年ほど前、女性と……ふ、深い関係を持たれた記憶がございましょうか?」
「は?」

いきなりそんなことを言われても。

即座に述懐できないあたりがつらいところだ。
マイクロトフが唯一の相手だと知るまで、彼は多くの女性と浮き名を流した。今になって思い返せば愚かな行為だったと思う。
女性から望まれれば拒まない、それが彼の恋愛の形だった。何故ならカミューは近寄ってくる女性たちから真実の愛情を感じなかったからだ。彼女たちは若く才覚に溢れた有望な騎士であるカミューを愛したのであり、将来への計算が常に敏感に感じられた。
結局は一夜限りで終わった関係もあり、長く続いた相手もない。身ひとつの自分を心から想ってくれた存在は、思い起こしても片手にも満たない───それがカミューの恋愛遍歴だったのだ。
ともあれ、無骨でおよそ女性の話題を持ち出すように思えない、その意味では限りなくマイクロトフによく似た第一隊長の質疑に首を傾げるばかりである。ただ、悪戯な興味本位でないことだけは顔色から察せられ、已む無くカミューは真摯に考えた。
「十年ほど前というと……わたしが十五、六の頃か……?」
真剣に考え込んだカミューに、ローウェルは青ざめた。幾らなんでもそんな早いうちに、と一蹴されることを願っていたのだ。次に彼は、崇拝する青年の指が一本、また一本と折られていくのに呆然とした。
「も、もう宜しゅうございます」
彼は三本目の指が折られかけたところでいたたまれずにカミューを制した。女性に関して華やかな噂に満ちていた青年だが、実際にローウェルが噂に接するようになったのはカミューが騎士隊長に任ぜられて以降のことだった。それ以前にもそういった事実があったと知った以上、もはや如何ともし難い疲労が押し寄せてくる第一隊長である。
「……リデア・オコーネルという女性をご存知ですか?」
ふと洩れた名に瞬いて、それからカミューは温かな眼差しで微笑んだ。
「『銀鈴の女神』か。意外だな……おまえも知っていたのか、ローウェル」
息を飲んでいる部下に気付かず、カミューは遠くに視線を向けた。
「もう十年……いや、十一年にもなるか……とても素敵なレディだった。美人で頭が良くて……彼女の歌声はそれはもう音曲の奇跡を感じさせたものだ。おまえも彼女の信奉者だったのかい?」
「い、いえ───その…………」
敬愛する上官の声には紛れもない情がこもっていた。これまで、と観念したローウェルは苦い口調で切り出した。
「カミュー様……どうかお心を静めてお聞きください。そのリデア嬢のご令嬢が接見を求めて執務室に……」
「え?」
カミューは困惑した顔で部下を見上げた。
「しかし、彼女は……」
「真に申し上げ難いことではありますが……ご令嬢・ポーリーン殿は、お父上がカミュー様であると主張なさっておいでです」

 

 

赤騎士団・第一隊長ローウェルは、常に冷静沈着である指導者が自失するのを初めて目の当たりにした。

 

 

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赤副長の胃薬仲間、青副長の登場です。
趣味は写経、得意技は泣き落とし、
必殺技はキレて説教(正座つき)
誰も聞いていませんね。ハイ、やめます(笑)

青の団長就任経緯、
赤の性遍歴は今回限りの設定ッス(多分)
青って副官のイメージがないんですよねー。
ちなみに『手を繋いだ』=『深い関係』なんて
誤解している赤なら可愛いかもv

 

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