最も近くに位置していた頭目が、呆気に取られたようにマイクロトフを凝視して、やがて吹き出した。笑いの発作は次々と伝染してゆき、終には総勢挙げての大爆笑となった。
「う、巧いもんだな」
頭目が腹を抱えてマイクロトフの肩を叩く。
「生憎と見たことはねえが、騎士団長ってのはそんな感じなんだろうな。兄ちゃん、ただの無口かと思っていたら……案外と演技派だなあ」
「ち、違う」
マイクロトフは紅潮して一歩踏み出した。
「演技ではない! おれは青騎士団長マイクロトフ、おまえたちの企みは───」
だが、いっそうの笑い声が必死の糾弾を掻き消す。ただ一人、店の奥で所在無げに佇んでいた店主だけが呆然と目を見開いていた。
「分かった、分かった。これなら確かに役に立ちそうだ。良いぜ、組もうや。この仕事を終えたら、儲かりそうな策でも考えるとしよう」
まるで相手にされず、それでいて怒りばかりを募らせている上官を眺め遣り、メルヴィルは苦笑した。無言のまま、一番近かった無頼漢の顔面に向けて左拳を繰り出す。ぎゃっと叫んで床に転がる仲間の醜態が、一味の笑いを瞬時に奪った。
「……このくらいせねば、冗談ではないと理解していただけそうにありませんぞ、団長」
頭目をはじめ、商人までもが注視してくる。メルヴィルは毅然と宣言した。
「紹介しよう。こちらが我がマチルダの青騎士団長、マイクロトフ殿でおられる」
「な、何……?」
「不埒きわまりない企みもここで終わりだ。捕縛に甘んじるか、痛い目に遭うかを選ぶといい」
男たちはざわめきながら二人を代わる代わる見詰め、床に昏倒した仲間に目を遣り、最後に身構えた。息を飲んで頭目の背後に隠れた商人が蒼白になって呻く。
「まさか……まさか、そんな」
「騎士ってのが丸腰でうろつく人種だったなんざ、知らなかったぜ」
頭目が憎々しげに吐き捨てた。
「おまけにお偉い団長様ともあろう御方が、こんな場末に顔を出すとは、な。城で踏ん反り返って高い酒でも食らってるもんだとばかり思ってたぜ」
「無論、そういうときもあるがな。こうして河岸を変えた御蔭で思い掛けない事態に行き合った。不運だったな、さっさと白旗を振ってくれ」
マイクロトフの代わりに淡々と返すと、男は忌ま忌ましそうに顔を歪める。
「てめえも騎士か。そのクソ度胸は結構気に入っていたんだがな」
「何しろ、おれの上官は飛びっきりの武勇を誇る騎士でおられるからな。度胸を据えずに随従なんぞ勤まらんさ」
自らの言を引用された店主が歓喜に瞳を輝かせた。彼の立ち位置を目の端で計り、メルヴィルはゆっくりと、気取られぬように移動を開始する。再びマイクロトフに向き直った頭目が背後の商人に囁いた。
「どうするよ、旦那」
振られた商人は、怯えた鼠からトゥーリバーに生息すると称される同種の魔物・ペストラットへと変じていた。企みが露見した以上、もはや打つべき手は一つと心得たように無頼漢たちから距離を取る。
「相手はたかだか二人だ、武器もない。何があっても計画は果たして貰う」
「だがよ。騎士二人、一人は何と団長様だ。高くつくぜ?」
「構わん、殺れ。殺ってしまえ!」
待ってましたと言わんばかりの突撃が開始された。無頼に生きる身として、こそこそと街に火を点けて回るよりも生身の流す血の方が余程嗜虐を煽るのだろう。どうせなら価値のある方を、と一斉にマイクロトフに向かう男たちを潜り抜け、メルヴィルは素早く店主を目指した。
最初の拳を揮った青騎士団長が鋭く叫ぶ。
「メルヴィル、戸口を!
一人も逃がすな、全員ここで捕える!」
「御意」
短く応じて、竦み上がっている店主を手招いた。我に返ったように小走りに寄ってきた男がはっとするのを見て敵の接近を知る。振り向きざまの殴打によって、背後から急襲した無頼漢は呆気なく仰臥した。
「こちらだ、来い」
呼び掛けて店の扉へと促す。閂を下ろしたメルヴィルと並んで店内に展開する乱闘を見物するかたちになった男が、おろおろと声を上げた。
「や、やはりあの御方はマイクロトフ様でおられたのですか」
「悪事に加担する類似品の汚名を返上なさりたいそうだ」
「あなた様も騎士様で……?」
「まあな、団長の雑用係といったところだ」
次々に掴み掛かる男たちを右に左にと殴り飛ばしている青騎士団長に目を戻し、店主はごくりと喉を鳴らす。
「心配しなくてもいいぞ。壊れた物品に関しては、我が青騎士団が弁償する」
「そ、そのようなことを心配している訳ではありません」
彼は袖を引きそうな勢いで続けた。
「幾らマイクロトフ様でも……剣もお持ちではないのでしょう?」
「剣を使えないのは奴らも同じだ」
ちょうどメルヴィルが指摘したように、頭目が怒鳴っていた。
「馬鹿野郎! てめえ、味方を斬る気か!」
仲間の一人が剣を抜こうとしたらしい。人が密集した店内では間合いも何もあったものではない。マイクロトフを狙って振り上げた剣が別の仲間を掠める恐れがある。自然、男たちは肉弾戦に頼るしかなかった。
「でも……しかし、それでもあの数が相手では……」
既にマイクロトフは男たちの影に埋もれてしまって目視し難くなっていた。肉を打つ鈍い音、低い苦痛の呻きを耳にして、店主は案じるあまりか、すっかり硬直している。
「くそっ、一斉に押さえ込め! ナイフで仕留めろ!」
奥で上がった怒声にいっそう戦き、店主はメルヴィルに縋り付いた。
「行って加勢して差し上げてください!」
「戸口を守れと命じられている」
「そんな……!」
彼は乱闘と騎士を交互に見詰め、ふと思いついたように唇を震わせた。
「あなたはマイクロトフ様をお嫌いなので……? だから御味方なさらないのですか」
「おれが?」
ひどく不思議な言葉を聞いた気がした。
メルヴィルは埃を上げる店の奥に視線を移し、包囲密度を増した男たちが勢いよく跳ね飛ばされるのを確認する。並の騎士なら、数人で掛かれば押さえ込むのも可能かもしれないが、生憎マイクロトフは並ではない。振り払われて体勢を崩した男たちが片端から拳の洗礼を受けていた。
「とんでもない」
メルヴィルは笑みながら悠然と扉にもたれた。
「心底惚れ抜いているさ。命を献上してもいいくらいだ」
訳が分からないといった様相で瞬く男は、けれど押し黙った。騎士団長を見守るメルヴィルの眼差しに偽りなき真実を見出したからだろう。
「……いいんだ。このところ机に縛られていたからな、たっぷり欝屈が溜まっておいでだ。体術訓練では、こうまで緊張感は得られないだろう。気晴らしと街を護るつとめと、一石二鳥の良い運動、と言ったところだな」
「で、でも……」
それでも心配そうにマイクロトフを窺う店主に破顔した。
「あんたが言ったんだぞ。飛びっきりの武勇を誇る騎士団長が、たとえ丸腰だからと言って、ゴロツキの十や二十に後れを取ると思うか? おれとしては、店の修繕費の方がずっと気掛かりだ」
派手な炸裂音を上げて皿やグラスが砕け散っている。自団の経費から弁済するという意識からか、マイクロトフは店の損失について完全に頓着しなくなったようだ。テーブルごと打ち倒された男は、数人の仲間を巻き添えにして動かなくなった。
そこでメルヴィルは、ふと、店を訪れた最初の目的を思い出した。
「そうだ、確認しておきたいんだが……あんたと一緒に店に出ているもう一人というのは美女か?」
この混乱時にいったい何を───そんな面持ちで店主は目を丸くする。それでもじろりと睨み付けると、おずおずと搾り出した。
「ええと……五十年前くらいは美女だったと自分では申しておりますが。母です」
「……御母堂? 細君とか娘御ではなく?」
「鰥夫ですから。子供は……せがれが一人、街道の村に暮らしております」
堪らず吹き出した。
「店を手伝っておられるのか。元気な母君で何よりだ」
これで誤報確定である。幾ら赤騎士団長の女性への礼節が並外れていても、まかり間違ってマイクロトフに対する不義を冒すにしても、五十年前の美女は流石に守備範囲の外だろう。
「……ガセか、赤騎士め。誤った情報に浮き足立ちやがって……どんな諜報をしているんだ」
下っ端騎士から得た情報だけに、最初から眉唾ものの話ではあったけれど、ほんの少しだけ『まさか』と思わされたのは日頃の赤騎士団の諜報活動に一目置いていたからだ。多少むっとしたが、マイクロトフにとっては朗報だろうと思い直すことにした。
それにしても、と溜め息をつく。
「物凄いな、これは……」
猛牛、あるいは手負いの虎───大猪。
色々と浮かべるものの、今の青騎士団長を形容するに足る呼称がない。剣も持たず、けれど着実に敵を討ち果たしてゆくマイクロトフの闘魂は正に凄まじいの一言に尽きる。
騎士団にて行われる体術訓練では、相手を押さえ込む手法や効果的な痛手の与え方など、同じ訓練から身に付けた技がぶつかるために、全く予期出来ぬ攻撃というものは生じにくい。
だが、無頼の輩相手では話が異なる。彼らには闘いの作法など成立しない。隙を見て得物を揮おうとする敵を前に、マイクロトフは実に見事に立ち回っていた。
翳される短い刃を掻い潜り、間髪入れず逆襲に転じる動きのなめらかさ、大柄な体躯を裏切る素早い反応が、徐々に男たちを飲み込もうとしている。彼の拳と蹴りは、騎士団の体術など超越した、闘争本能が導く技であった。
「相手に合わせた闘いぶり……と言うより、あれでは喧嘩だ。無頼の道に進まれても、超一流を極めただろうな」
半ば呆れ混じりに呟くメルヴィル目掛けて、闘争の輪を抜けた数人が寄せてきた。予想を上回るマイクロトフの力に恐れをなして、逃げを決め込んだようだ。彼は店主に囁いた。
「さて、仕事だ。何だったら目を閉じているといい」
言い置いて進み出て、最初の攻撃をかわした一瞬に相手の鳩尾を拳で抉る。悲鳴も上げずに踞った男の傍ら、仲間たちは急停止して息を詰めた。メルヴィルは朗らかに言い放つ。
「おれは団長ほど加減が巧くないのでね。死んだらすまない」
無頼漢らは哀れなほど慌てふためいた。
さながら、恐ろしい猛牛から逃れる途中で毒蛇に鉢合わせてしまったといったところか。束の間互いを突き合っていたが、最後に自棄になったように大声を上げながら一斉に襲い掛かってきた。
一人に足払いを仕掛け、勢い余って転げたところを踏み付ける。間髪入れずに次の男の喉頸に二の腕を減り込ませると、吹き飛んだ男は別の一人に当たって仰向けに倒れた。揃って起き上がり掛けたところへ一発ずつ靴先を食らわせると、派手な二重奏の悲鳴が上がった。
踏まれた衝撃から這って唸っていた最初の男を力任せに引き上げ、拳を振り上げたまま固まっている最後の一人へと叩き付けたところでメルヴィルの仕事は完了した。
再び並んで扉に背を当てた彼を、店主が恐々と見上げてくる。
「あのう……連中は……し、死んだのですか?」
「冗談じゃない。店で人死になんぞ出たら、今後の商いに障るだろうが。うちの団長はそういうのをたいそう気に病む質だからな、骨くらいは折れたかもしれないが、殺しちゃいないさ」
はあ、と困惑した面持ちで、店主は床に積まれた男たちを憐憫混じりに見遣った。
奥の方でも粗方勝負がついていた。
未だ戦闘可能な敵は頭目を含めても僅か三人。微かに息を弾ませるマイクロトフが、残った首領格の存在からか、幾分慎重に出方を窺っている。
メルヴィルは目を細めた。残る敵は全員佩刀している。殆どの男が床に伸びた今、武器を振り回すに十分な空間が開けていた。剣を抜かれれば殴り合いよりは危険が増す。
「団長、参加致しましょうか?」
声を掛けると、マイクロトフは男たちに当てた視線を動かさずに応じた。
「必要ない。店主殿を護れ」
「……仰せのままに」
静かに答えたところで、メルヴィルは戸外に小さな物音を聞いた。喧噪の狭間、静寂が下りた店内ではあるが、それは彼の位置でしか聞き取れなかったようだ。マイクロトフ、そして対峙する男たちは気付かぬようで、尚も互いを睨み合っている。
「他にも来客の予定が?」
店主は一瞬何を言われたのか理解出来ないような顔を見せ、それからはっとした。
「あ……、赤騎士の……」
「そうか」
呆然とした独言を聞くなり、ひっそりと笑い出した。
───そうか、そういう訳だったか。
何処をどう間違って噂が歪んだのかは分からないが、やはり赤騎士団長がこの店に御執心なのは事実だったのだ。
ロックアックスに害為す計画を抱く者らが集う店。
彼は美女などにではなく、潜んだ悪意に引き寄せられていたのだ。
「団長、速やかに片付けておしまいなさい。あなたにはその権利がある」
最愛なる恋人の穏やかならぬ噂。そして、図らずも望んだ助力を成し遂げようとしている青騎士団長。
明るい声援に応えるように、マイクロトフの四肢に緊張が駆け抜けていった。
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