複雑なる忠節・5


推察の大枠が出来上がった頃には料理も綺麗に片付いていた。首謀者とやらが現れるまでの手持ち無沙汰をどうしたものかと考え出して程無く、幸いにも店の扉が開いた。
無頼漢の頭目の更に上を行く豪傑を目算していたメルヴィルは、漸く登場した主役を見て幾許かの落胆を覚えた。
小綺麗な身なりをした闖入者は、何処をどう見ても大物とは呼べない。そわそわと落ち着かない眼差しで集まった男たちを見回す様からも、恐々としているのが瞭然だ。
「───鼠」
「何?」
聞き咎めたマイクロトフが乗り出してくる。
「何だ?」
「いえ……鼠みたいな男だと感想を述べてみただけです」
途端に脱力したマイクロトフだが、表情は硬いままだった。
「それより、おれはあの男に見覚えがあるような気がするのだが」
「え……?」
しきりに記憶をほじっている様子に目を見張る。
「何処でです?」
「それを思い出そうとしている。直接顔を合わせた訳ではない、だが何度か見掛けたような……」
マイクロトフは痛みを堪えるような仕種で頭を抱え、低く唸った。鼠紳士は首領格の男に歩み寄り、何事か言葉を交わしている。メルヴィルは目立たぬように椅子を傾け、男たちから上官を隠そうと試みた。
「いつ頃です? 最近ですか? 昼の間か、それとも夜でしたか」
「せ、急かすな」
「そうはいかない」
苛立たしげに一閃し、小声で告げる。
「ここ暫くのあなたは、日中は殆ど城に詰めておられたのですぞ。昼のうちに見たのだとしたら、城内の可能性が高い」
はっとして、マイクロトフは空き皿で埋まった卓上を凝視した。
「城……そうだ、城だ」
譫言じみた調子で呟き、やがて霧が晴れたような表情を浮かべる。
「……思い出したぞ、商人だ」
「商人?」
「接見室に向かう廊下で一度、それから幾度か城門付近で見掛けた。最後に見たとき、おれはカミューと一緒だった。それで……教えて貰ったのだ。新規商いを持ち掛け、通い詰めている商人だと」
不快な塊が喉を伝い落ちていくのに似た感触がメルヴィルを襲った。
鼠紳士が最初から無頼漢を引き連れて商談に臨んだとは思えない。厳粛なるロックアックス城に立ち入るには、それなりの手続きや身元の保証を要する。新規取り引きを持ち込む商人にも同様だった。騎士団の品格にそぐわぬ商い人には、入城の許可すら下りないのである。
実際、『雇主』とは呼ばれているが、鼠紳士と男たちの間には長い交友の気配は感じられない。両者には飽く迄も金絡みの、形ばかりの友好の匂いがした。
「その商談とは……カミュー団長相手に持ち込まれたのですか?」
騎士団が用いる武具や資材といった品々を納める商人は各団ごとに自由に選べるようになっている。一括取引を行わないのは、不測の事態で必要物資が一度に欠乏するのを避けるためだ。戦や災害で交易路が封鎖された場合でも、各地・複数の商人と取り引きをしていれば直ちに困窮する恐れはない。よって、それぞれの騎士団は個別に商人と契約を結び、物資を調達しているのである。
不穏を秘めた商人が赤騎士団長を商談相手に求めていたなら、メルヴィルとしても愉快な展開ではない。自然、弱くなった語調は、だが邪気なく一蹴された。
「いや、ゴルドー様だ。『連日熱心なものだ』とカミューも呆れていた」
「……そうですか」
幾許かの安堵を覚えた背に、無頼漢の頭目が呼び掛ける。
「兄ちゃん、紹介するぜ。おれたちの雇主様だ。さっきの話、頼んでみちゃどうだ?」
ぴく、と俯いたまま戦慄く上官を一瞥してからメルヴィルは振り向いた。
男たちの輪が割れる。初めて真正面から顔を合わせた男は、高価な身なりにも拘らず、何処かうらぶれて見えた。白騎士団の最高位階者を全体的に縮めたような小太りの人物だが、面差しには窶れ、あるいは倦怠といったものが見え隠れする。薄く隈の浮いた目許は充血した瞳とあいまって、並ならぬ危険を醸していた。
「何だ、こいつらは……仲間ではなかったのか?」
商人はじろりと頭目を睨む。部外者が同席していたのを責める口調だ。どうやら青騎士団長の顔は知らないらしい。運はこちらに味方している。
「仲間になるのを希望してる、とさ。何でも騎士団長の一人に瓜二つらしいぜ。騎士団とお近づきになりたい旦那としちゃ、役に立つんじゃねえか?」
鼠紳士が胡乱に見詰めてきた。取り違えたのか、俯いたマイクロトフではなく、メルヴィルに目を当てたまま首を振る。
「今更……今更だ……」
半病人のような様相で呻くなり、不意に商人は激昂した。
「騎士団なんぞ、墨屑になればいい!」

───おいおい、それはまた穏やかじゃないぞ。

メルヴィルは表情も変えずに心中唸った。必死に自制に努めているマイクロトフに、もう少しだけ堪えてくれと祈るような心地であった。
「あんた、騎士団に恨みでもあるのか? 面白いな、デュナンでも屈指の軍事力を誇るマチルダ騎士団に喧嘩でも売るつもりか?」
軽やかに揶揄すると、商人はふらふらと歩み寄ってきた。間近に立ち尽くしてメルヴィルを覗き込んでくる。
「そうだ、……と言ったら?」
「金が貰えりゃ、力になる」
「腕に自信が?」
そうだな、と小首を傾げた。
「あんたが集めた連中くらいには役に立つと思うがな」
商人は値踏みの視線を強め、面白くもなさそうに顔を背けた。
「人手が多いに越したことはない。金なら払う」
「それはどうも。で、何をしたらいい? 騎士と殺り合えばいいのか」
マイクロトフが上目遣いに見詰めてくる。芝居とは分かっていても、不愉快きわまりないのだろう。商人は陰湿に含み笑った。
「悪くはないが……騎士など数人殺したところで何になる。もっと効果的に、デュナン中の嘲笑を集めてやる」
ますますもって穏やかではない。幾分嘆息気味にメルヴィルは問うた。
「随分と恨んだものだな。何かされたのか?」
そこで鼠は獰猛な獣と化した。顔を真っ赤に染め、彼は二人の座るテーブルに拳を叩き付けた。
「ゴルドーめ!  ゴルドーめ……ゴルドーの奴め!」
マイクロトフが驚いたように顔を上げた。が、あまりにも凄まじい商人の激昂ぶりに言葉が出ないらしい。メルヴィルも同じだ。普段から好意を抱かぬ最高指導者の名とは言え、耳元で恨みの連呼をされるのはたまらなかった。やや引き気味になったのを見て、頭目が息を吐きながら補足説明を施した。
「名前くらいは聞いたことあるだろ、ゴルドーってのはマチルダ騎士団の一番のお偉いだ」
どうやら商人の爆発には慣れっこになっているらしい。男たちのうんざりした顔は、『またか』と言いたげだった。
「それで、そのゴルドーがどうしたって?」
「あの男……欲の皮の突っ張った……わたしが、わたしがあれほど……」
意味不明に呻き続けている商人の代わりに頭目が仕方なさげに切り出す。
「つまり、だ。この旦那は剣だの防具だのを扱う商人ってやつで……騎士団に売り込みに行ったんだな。何度か商談してみたが、ゴルドーって団長はのらりくらり、気があるんだかないんだか分からねえ。で、言葉の端々にアレを要求されたのさ」
「あれ?」
「……袖の下、ってやつよ」
今度こそ青騎士団長は愕然とした。それも道理だ。メルヴィルも頭を抱えそうになった。
新規の取り引きを持ち掛ける商人が賄賂めいたものを持参するのは珍しくない。以前から続く商いを押し退けて割り込むには気を引くための策が必要だ。人柄や人脈といったものを武器にするものもあれば、直接金品に訴えるものもある。
無論、騎士団では賄賂の受理を禁じている。それでも物品を差し出す者は後を絶たないのが現状であるし、中には単純な好意から贈られる品もある。そんな理由から、『良識に任せる』といった風潮が騎士団には根付いていた。
しかし、こちらからの積極的な働きかけは別だ。賄賂の要求、それは歴とした罪に問われる行為だった。
メルヴィルは眉を寄せて慎重に訊いた。
「……そういうのはまずいんじゃないのか、普通……」
まあな、と頭目は未だ狂人のように打ち震えている商人を哀れむように窺い見る。
「が、そこは巧いものさ。直接寄越せとは言わない。何気ない世間話の中で、あれが欲しい、これを手に入れたい……でもって、この旦那は御希望に添うため奔走したって訳だ」
「成程ね」
あの御仁ならば然も有りなん、鈍重そうに見えてしたたかな白騎士団長ならば、露見したところで言い逃れるすべは熟知している。商人は愚かにも策に乗ってしまったという訳だ。
「私財の多くを費やしたのだぞ。それを……それをあの男はせせら笑った。いい加減、商業権を認めて貰えまいかと訴えたわたしを虫螻のように退けた。進物も、要求した訳ではない、勝手に貢いだだけだと……わたしが、わたしがどれだけ苦労して……」
彼がわなわなと拳を震わせるお陰で、同じように卓上で怒りを押し殺す青騎士団長の手の戦慄きは掻き消されている。もう長くは持たないと判断して、メルヴィルは本題に入った。
「理由は分かった。気の毒だったな……。それで? どうやって恨みを晴らすつもりだ?」
今の商人はそんな小さな慰撫にさえ胸を締め付けられるらしい。弾かれたように身を起こしてメルヴィルを凝視し、彼は言った。
「……燃やす」
「何?」
「この街を燃やしてやる。ゴルドーに思い知らせてやる」
思わずあんぐりと口を開いて、燃え上がる商人の怒りと対峙する。
「……正気か?」
「無論だ! 統治する街が火の海になれば、奴はデュナン中の笑い者だ」
「ここは石造りの街だ、そう簡単に火の海には出来ないぞ」
冷静に突っ込むメルヴィルの横、マイクロトフは蒼白になって唇の開閉を繰り返している。頭目が薄く笑った。
「建物は石だろうが、何かしら燃えるものはあるさ。外に油が用意してある。火の海……ってのは大袈裟だが、一度に複数の火の手が上がれば騎士団には不名誉だろうさ」
「成程……」
多少の感心を込めてメルヴィルは頷いた。
成程、そうした攻め手があるか。確かに石で覆われたロックアックスの街を火攻めにするのは難しい。だが、人の住む場所である限り可燃物は存在する。
設えられた街路樹、軒先に置かれた樽や薪、そんなものが一斉に燃え上がれば、住民は狂乱に陥るだろう。無頼漢らが家から飛び出した民の数人でも殺せば、十分過ぎるほど騎士団の恥辱となる。
「……だが、そう巧く行くか? 騎士が街の様子に目を光らせているだろう。夜は特に警戒しているんじゃないか?」
言いながら、次第に憂鬱が増した。何故、男たちの集合場所がここであったのかに思い至ったのだ。案の定、無頼漢たちは笑い出した。
「そこは抜かりない。おれたちゃ金に見合うくらいの働きはしているんだぜ。このあたりはな、あんまり騎士が回ってないんだ。街の出口も遠くない。火を付けて回って逃げ出すには実に都合がいいって寸法よ」
やれやれ、と肩を落とした。
まったくもって不快な結末だ。つまりは、何もかも白騎士団の不始末から生じた脚本という訳か。
尻拭いは面白くない。が、罪もないロックアックスの街人が炎から逃れようと右往左往する構図は、それにも増して面白くなかった。
メルヴィルは商人に目を向けた。
「整理しよう。白騎士団長ゴルドーへの恨みから、あんたはならず者を雇って復讐を図った。この周辺の巡回が甘いのを知って、火事を起こして混乱を煽り、騎士団に汚名を着せようとしている……間違いないな?」
すらすらと言われて商人は顔を上げた。束の間、困惑したように瞬いたものの、魅入られたが如く首肯を示す。刹那、マイクロトフが低く唸った。
「メルヴィル……」
「はい」
「限界だ。もう良いか?」
「ええ」
青騎士隊長メルヴィルは、座したまま丁寧に礼を払った。
「見事な自制でした。事実確認も終わりましたし、店の損失は保障するということで……予算に響かぬ程度に、存分になさるが宜しいかと」
長く辛い忍耐を果たし終えた男は椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、居並ぶ者すべてを圧倒する大音響で言い放った。
「街に火を放つなど、我が誇りに懸けて断じて許さん! 貴様ら全員、この場で捕縛する、覚悟しろ!」
高らかな絶叫に男たちは唖然とした。
この展開は如何にも芝居じみて見えるだろう───上官に倣ってゆるゆると立ち上がったメルヴィルは、そう小さく笑んだ。

 

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青よ。
一応はあなたの方が上官ですよ、
……と、ひっそりと言ってみる。
漸くリミッター解除許可が出ましたが、
次回、初っ端から挫け気味。

 

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