複雑なる忠節・4


並べられた料理は、時間に急いていたのもあってか、前置きに違わず、間に合わせで作ったといった代物であった。
それでも、味そのものには期待していなかったメルヴィルには十分に及第点を出せる品であったし、今のところ最愛なる伴侶と気まずい鉢合わせをせずに済んでいる青騎士団長にも同様らしい。
再び勘定台に戻った店主は、疲れたように椅子に座り込んで、所在無く視線を泳がせている。様子を窺いながら食事を進めていたメルヴィルが、ふと思いついて呼び掛けると、店主は弾かれたように背を正した。
「こういう店ってのは、昼は食堂としてやってるんだろう? 小さな店には思えないが、親父さん一人で切り盛りしているのか?」
いよいよ訪問の核心である美女の存在に探りを入れ始めたとでも思ったのか、マイクロトフも強張った面持ちで手を止める。
店主は小さく首を振った。
「確かに人は雇っているが……このところ、ずっと暇でな。休みを取って貰って、わしともう一人でやっている。夜は輪をかけて閑古鳥だ、人手なんていらんよ」
してみると、美女存在説は消えた訳ではない。ここで更に追求するのも不自然に思われて、どうしたものかと考え込んでいた、正にそのとき。
店の扉が鳴った。
外から丸太を打ち付けたような荒々しさに目を剥いている間に、体格の良い、見るからに無頼の男たちがわらわらと乱入してくる。
「な、何だね、早いじゃないか」
店主は勘定台から飛び上がるようにして一団に駆け寄った。仲間を掻き分けた頭目と思われる男が、嘲笑混じりに店主を小突く。
「細かいことを言うもんじゃないぜ、小腹が空いたのよ。さっさと酒の支度を───」
そこで男は奥まったテーブルに着く二人に気付いた。たちまち剣呑を浮かべる様に息を飲み、店主は庇おうとするかのように両者の間に立ちはだかった。
「約束の時間には間があったから……す、すまない、少しだけ待ってやってくれ」
無頼漢らは不快と戸惑いを滲ませ、頭目を見遣っている。値踏みするような視線を背に感じたメルヴィルは、向かいの上官が嫌悪もあらわに青ざめているのに気付いて眉を寄せた。
マイクロトフを扉に向き合うかたちで座らせたのは失敗だったかもしれない。これは上官を上座、しかも万一の危急から少しでも遠く位置させるための仕儀だったが、そのため彼には起きている事態が丸見えなのだ。
メルヴィルには音でしか想像出来ない店主への振舞いや、自身らに向けられる表情といったものが、マイクロトフの席からは余すところなく見て取れる。ただでさえ熱し易い青騎士団長が弱き民人の受ける理不尽を見過ごせる筈もなく、爆発は時間の問題と思われた。
一団に見えぬよう、そっと片手を上げて自制を促し、殊更に朗らかを装って振り返る。
「悪いな、予約があるとは聞いていたが、どうにも腹が減って動けなかったんだ。詫びは入れるぜ、一杯奢らせて貰おう。代わりに、こいつが終わるまで待ってくれないか」
半分ほど片付けた皿を持ち上げて笑むと、一団は毒を抜かれたように互いを見回し始めた。一際大柄な頭目格が短い思案の末、にやりとする。
「気前がいいな、兄ちゃん。おれたちは少しばかり舌が奢っているが、懐具合はどうなんだ」
「金ならある。この店の酒を買い占めるくらいには裕福さ」
男は破顔した。
「だったら有り金全部置いて消えな、……と言いたいところだが、気に入った。おまえさん、素人じゃねえな」
───あまり嬉しくない褒め言葉である。が、メルヴィルは気分を害すれば害するほど、にこやかになる男であった。言葉を返す代わりに素早く一団を検分する。
相手は総勢二十余名、中には剣を持つ男もいる。丸腰に見える者も暗器の一つ二つは持っていそうだ。つまりは先程マイクロトフが推察した通り、まったくありがたくない客という訳である。
数名ずつに分かれてテーブルに着き、おろおろとする店主を押し退けて勝手に酒瓶を持ち出す無頼漢たちを、マイクロトフは戦慄きながら見据えていた。僅かに身を寄せて噴火目前の上官を諫めるメルヴィルだ。
「もう少し我慢なさい。様子を見定めねば」
だが、マイクロトフはギリギリと唇を噛む。まずいことに、店主が男の一人に突き飛ばされてよろめいたのだ。肩越しにそれを確かめたメルヴィルはいっそう声を潜めた。
「事と次第によっては、上手く連中を街から追い出せるかもしれません」
「う……」
それと、と幾分語調を改める。
「連中が開けている酒ですが、経費から捻出していただけますな?」
そこでメルヴィルの目論見通り、憤慨は度を越したようだ。マイクロトフは力なく笑い、心を鎮めるのに成功した。半ば引き攣り、忌ま忌ましげに呟く。
「おまえのそういうところは本当にカミューに似ている」
「光栄です」
低く返して、再びメルヴィルは一味を窺った。
タダ酒に気を良くしたのか、はたまた取るに足りない小物と見下したのか。男たちは二人に気を払うでもなく、片端から酒を開けては煽っている。
「……一杯奢る、と言ったんだがな。一杯どころの騒ぎじゃないな」
憮然と独りごちたところで、頭目が目を向けてきた。
「おまえさんたち、この街のモンか?」
「いいや、今日着いたばかりだ。ここがあんたらの縄張りだと知っていたら、遠慮していたんだがな」
ふうん、と興味深げに睨め回してから男は続けた。
「何でまた、ロックアックスに?」
「街を流れる理由なんて一つだろう。儲け話がないかと思ってな」
その答えは頭目を満足させたらしい。喇叭飲みした酒瓶をテーブルに打ち付け、男はずいと身を乗り出した。
「おれたちも御同様だ。金に釣られて滞在中、ってな」
途端に周囲から陰湿な笑いが起きる。ここぞとばかりにメルヴィルは畳み掛けた。
「そういう話なら、ひとつ乗せて貰いたいものだな。何でも、この無愛想な相棒が騎士団長とやらに生き写しらしいんだが……役に立たないものかね」
『無口』に『陰気』、挙句、『無愛想』まで追加されたためか、悪事への加担の示唆に仰天したのか、マイクロトフがこれ以上ないというほど目を剥いて見詰めてくる。委細構わず頭目と向き合っていると、相手は気を引かれたように首を傾げた。
「へえ。そりゃあ儲け話になりそうなネタだが……今回のおれたちの仕事には使えねえな。畜生、惜しいぜ」
仕事、と密やかに復唱する。予期したように、一団は単なる流れ者という訳ではなく、何らかの企みの許に集められたのだ。そのあたりはマイクロトフも察したようで、今は慎重にメルヴィルの包囲の行方を見守ることにしたらしい。
「あんたらの仕事ってのは人手が要るものなのか?  おれたちも仲間に加えて貰えたらありがたいんだが」
刹那、目の端で店主が呆然として強張った。敬愛する青騎士団長に似た男とその連れが、多少は気を許して言葉を交わした相手が、傍若無人に振舞う一派に与しようとしている。それは裏切りにも似た衝撃で彼を打ちのめしたようだ。
悪いな、と胸中で詫びていると、頭目が困ったように顔をしかめた。
「度胸もあるし、見たところ腕も立ちそうだ。が……、どうだろうな、雇主が何と言うか……」
「雇主?」
「まあいい、直接頼んでみるんだな。あと少ししたら現れるだろうぜ」
「雇主、ね……」
酒肴の不足に気付いたのか、頭目はそれで会話を打ち切って店主を急かし始めた。竦んだように立ち尽くしていた男がよろめくように厨房に向かうのを見送ってから、そっとマイクロトフに囁いた。
「如何です? 忍耐で得るものもあると思われませんか? 首謀者の存在が割れました。何やら良からぬ策が進んでいる」
「手際の良さに感心しているところだ。確かに事を荒立てるばかりでは巧くない」
だが、と無念そうに唇を噛む。
「店の主人の反応には心が痛むぞ。似た顔を持つ男を演じた身としては、何とか汚名を雪ぎたいものだ」
「同感です」
ともあれ、今は首謀者とやらが現れるまでに退出する必要がなくなったのを歓迎すべきだろう。どのみち事を荒立てるなら、折角の心尽くしの料理を味わってからだと二人は皿に向かい直した。
騒々しい濁声、乱暴な扱いで割れる食器。予め用意してあったらしい酒肴は、粗野な咀嚼で床に飛び散る有り様だ。夜間、この一団が占拠した店内で酒を楽しもうという猛者はそうはいないだろう。
こんな連中をのさばらすに至ったのも、すべては白騎士団・第一部隊の怠慢からだと思うと、普段は冷め気味のメルヴィルの心にさえ義憤めいた感情が煮える。目前で黙々と料理を頬張る青騎士団長には尚のこと、耐えているのが奇跡だった。腹のうちで必死の攻防が繰り広げられているのを想像すれば、此度の自制は手放しの賞賛に値する。
「それにしても……間近の悪事の気配に不確かな女の影を失念する───褒めるところなのだろうな、これは……」
「その件だがな、メルヴィル」
独言を耳聡く聞きつけたマイクロトフが、男たちの注意が向いていないのを確かめてから小声で言った。
「カミューはこの者たちを探るために通っていたのではないだろうか」
図らずも同じ結論に達した上官に微笑み、肩を震わせながら応じる。
「そうであって欲しいといった希望的観測の顔をなさっておられる。が……、賛同致します。噂通りに通い詰めておいでと仮定して、ではありますが。美しい酌婦の幾倍も、あの御方の想い人として相応しい連中だ」
言い回しが琴線に触れたようだ。マイクロトフは不愉快そうに眉を寄せる。
「だが、だとしたら何という無謀な真似を……」
「どなたかの御性情が伝染されたような行動ですな。あまり見習っていただきたくはないのですが」
「……誰のことだ」
メルヴィルは答えず、肩を竦めることで往なした。
マイクロトフの懸念はもっともだ。赤騎士団長カミューが、優しげな姿からは想像も及ばぬ卓越した剣士なのは事実だが、無頼漢が横行する、まして他団の管轄地域に独りで踏み込む無謀は明らかである。
自身でさえマイクロトフを単独で向かわせるのを躊躇った。あの親衛隊もどきの赤騎士団員が、自団長の危険な夜歩きを黙認するとは考え難い。『麗しきカミュー様に万一があってはならぬ』とばかりに、集団で随従を果たしそうなものだ。
───それはそれで鬱陶しい。ほんの少しだけ赤騎士団長に同情しなくもない。
まったくマイクロトフという男は厄介な伴侶を得たものだと感心せずにはいられなかった。

 

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嬉々としてチンピラを演じるイヤミ君、
黙々と無口な相棒を演じる青。
それなりに良いコンビ……なのだろうか。

 

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