決戦当日。
良く晴れた青空の下、ロックアックス城の中央騎馬闘技場に集った戦士らは対峙する『敵』を睨みながら闘志に燃え盛っていた。
十分な休息なくしては満足に戦えまいという第一隊長の温情溢れる進言に従って、昨日のうちに郊外での訓練を終えて城に戻った赤騎士団・選抜騎士。数日に及ぶ過酷な訓練で削げた頬は、それでも誇らしげに輝いていた。
一方、青騎士団一同も硬い表情である。奇抜な特殊訓練に勤しんだ赤騎士団選抜騎士とは異なり、至って現実的な、且つ正統な訓練に応じてきた彼らであるが、やはりその凄まじさは言語に絶するものだったのだ。
しかも昨日、作戦参謀・メルヴィルが洩らした一言が一同を凍らせている。
赤騎士団同様、疲労を残さぬようにと早めに訓練を終了させた男は、誰にともなく楽しげな独言を呟いていたのだ。『さて、負けたら如何したものか』、と。
これは青騎士らにとって下手な激励などより遥かに強烈な発火剤だった。奮い立たねば我が身が危ない、己を護るためにも勝たねばならない───やや崇高な戦いの信条に反するものの、騎士たちも人間、心は正直であった。
闘技場の右左翼に自陣を構えた両騎士団。
この対戦は白騎士団員には内密のため、闘技場の入り口に張り番騎士が置かれるという万全が期されている。それでも場内の至るところに、この刻限に然したるつとめを持たぬ騎士らが自団の応援に駆けつけていた。否応なく決戦への気勢が高まる様相である。
やがて進み出たのは各団の代表者たちだ。
赤騎士団からはカミュー、第一隊長ローウェル、そして選抜騎士代表・第二隊長アレン。青騎士団からはマイクロトフとメルヴィルである。
アレンは早くも此度の争いの元凶である青騎士隊長に敵意を剥き出していた。
「これで漸くあの日の借りを返せますな、メルヴィル殿」
低い怨嗟が言うと、男は軽やかに肩を竦めた。
「何の話ですかな? わたしは人にものを貸すほど気前の良い人間ではないが」
一触即発の二人を分けたのは、こういうときのために配備されたローウェルである。
「よさぬか。それよりも、闘技の委細について打ち合わせねば」
真摯な面持ちで言うなり、これで良いかとばかりに自団長を窺った第一隊長であるが、もう片側でも別の一組が真っ向からぶつかっていた。
「たとえ共に血や汗を流さずとも、わたしの心は部下たちと一つだ。負けないぞ、マイクロトフ」
「カミュー……頼む、いつまでも根に持たないでくれ……」
相当に分の悪い青騎士団長。上官の懇願模様にメルヴィルはやれやれといった顔で首を振る。彼が懐に手を入れた刹那、ローウェルとアレンは咄嗟に剣の柄に手を掛けた。
「何か?」
怪訝そうに睨み付けた男は、小さな砂時計を取り出しながら問う。
よもやと思いつつ、どうにも彼が敬愛する騎士団長に危害を加えるのではないかと恐れてしまう赤騎士隊長たちなのだ。彼らの懸念は察したものの、委細構わずメルヴィルは続けた。
「古式慣例によると、本来は時間による制限を行わぬ闘技のようですが……キリがないので、砂が落ちるまでを一勝負と致しましょう。勝敗の決定は、味方10名が相手陣営に引き込まれた時点、または時間内で優勢であった方ということで。休息を挟んでの三本勝負、先に二戦を得た方の勝利───それで宜しいか?」
「了解した」
「勝負の開始と終了の合図を出すのは……」
「ああ、それなら」
やっとマイクロトフを解放して向き直ったカミューが微笑む。
「予備戦士の中から青・赤両騎士を一人ずつ出せばいい。そうすれば公平だろう」
「然様ですな」
一同は大綱と共に用意されていた弓矢を一瞥する。
実際の戦時において使われる矢。先端が特殊な形態をしているため、風を切って独特の音を発するのだ。
どんなに激しい闘争の中にあっても、聴覚に染みついている音を聞き洩らすことはない。騎士らへの合図には最も相応しい品であった。
早速選び出された騎士二名は、栄え在る役目に胸を張りつつ、互いを厳しく睨み据えている。その様を見たマイクロトフは、やや首を傾げずにはいられなかった。
勝負とは、真摯なる戦いなれば両騎士団の親愛を深めることになろう───確かメルヴィルはそう言っていなかったか。
なのに今、騎士らが相手に見せているのは親愛などといった類の感情ではない。
そして、と幾分哀しい気持ちで思う。
最愛の赤騎士団長でさえ、マイクロトフに向けて頑なな闘志を燃やしている。自業自得とも言えなくないが、これは大きな誤算であった。
───この戦い、遺恨を残さず終わることなどあるのだろうか。
マイクロトフにしては珍しく、そんな消沈した心地に暫し陥る。が、何処までも事務的な青騎士隊長は淡々と話を進めていた。
「カミュー団長、そしてわたしが判者として中央に立つということで宜しいですな?」
するとローウェルがすかさず身を乗り出した。
「待て、メルヴィル。わたしも同伴させてもらう」
「……三人も必要ないだろう?」
見上げるカミューの無防備な琥珀に口元を歪めつつ、男はメルヴィルを凝視する。
「どうあっても認めてもらうぞ」
青騎士隊長は溜め息をついた。
「わたしがカミュー団長に害為すとでもお疑いか? そういきり立たずとも、ご自由になさるが宜しい。では……互いに準備が整い次第、勝負に入りましょう」
言い捨てて、控えていた馬の手綱を握って大綱に歩き出すが、ふと気付いて低くマイクロトフに声を掛ける。
「何をぼんやりしておいでです。青騎士らを鼓舞するのは団長のつとめですぞ」
「う、うむ」
後ろ髪を引かれる思いで美貌の青年を一瞥するも、愛しい人はそっぽを向いたまま馬に跨がり、第一隊長と共に所定の位置に向かってしまっていた。
メルヴィルが再び厳しく言う。
「たかだか数日、顧みられなかったからと言って情けない顔をしている場合ですか。正々堂々と勝利して、団長の御力を認めさせて差し上げれば宜しいのです。あの御方のこと、たとえ負けたとしても団長を恨まれることはない。寧ろ、見事だと褒めてくださるでしょう」
「そ、そうか?」
前半、的確に心情を暴かれたことには深い疑問も抱かず、ただマイクロトフは後半の言及のみに奮い立った。
「そうだな、今はとにかく勝利することが第一だ。やるぞ、おれは」
「……その意気です。準備が整ったら赤騎士団への伝令を予備騎士に命じることをお忘れなく」
頷きながら拳を握る青騎士団長に、作戦参謀たる男は微かな疲れを滲ませた面差しで笑うのだった。
さて、赤騎士団選抜騎士の陣営では───
戻った第二隊長アレンを囲んで、最後の打ち合わせが進んでいた。
「みな、目を閉じよ。あの訓練の日々を思い出せ」
途端に顔を歪める男たちを見回しながら、彼は切々と説いた。
「苦しかった……けれど我らは一丸となって耐えた。この結束こそが我らを勝利に導く力だ」
一人が低い呻きを洩らす。
「食事を邪魔されて怒った牛に追われたことは終生忘れられませぬ……」
別の一人も唇を噛んだ。
「騎士なのに、牛に踏まれて最期を迎えるのかと……あの嘆きと恐怖は、今も胸に胸に鮮やかです」
アレンは重々しく頷いた。
「だが、その苦難に我らは勝利したのだ。牛の群れを引き摺り動かしたときの感激と自信を忘れるな」
そして、と力強く拳を振り上げる。
「何よりも、我らがカミュー団長が苦闘を見守ってくださっておられることを忘れてはならぬ!」
そこで一同は激しい高揚に酔い痴れた。
敬愛してやまぬ騎士団長、カミュー。多忙なる身を押して、二度も──赤騎士らには僅か二度でも十分過ぎるほどの幸福だった──郊外の陣に足を運んでくれた人。
「……おれはどちらかというと、団長の手荒い負傷治療の方が忘れられません」
ポソと呟いた第十隊長ミゲルであるが、美しい思い出に酔う一同には聞こえなかった。
「カミュー様の御為! 我らの力と結束を青騎士団に見せるのだ!」
「やります、アレン隊長!」
「打倒、メルヴィル殿!」
目を開け、一斉に叫び出す男たちの中、相変わらずミゲル一人が妙に冷静な面持ちだった。
「どうした、ミゲル。よもや闘志を逸したという訳ではないだろうな?」
きつく詰問するアレンに若者は慌てて首を振る。
「いえ、そういう訳では……」
「ならば何だ。何を一人で柄にもなく落ち着き払っている」
はあ、と頭を掻いた彼は小声で切り出した。
「考えていたんです。この勝負……勝ったらカミュー団長が何か褒美をくれるかな、と」
男たちははたと瞬く。たちまち思案に暮れながら、頭を突き合わせて論じ始めた。
「恩賞を期待して戦いに臨むなど……」
「いや、だが……訓練にも差し入れてくださったし……」
「檸檬にジンギスカン、二度目のご来訪の際には弁当……これは少しは期待しても良いのでは?」
次第に歪んでいく戦いへの決意。アレンは厳しく一同を諫めた。
「目先の欲に捕われると足下を掬われるぞ! 我らの勝利にカミュー団長が微笑まれる、それで十分ではないか!」
それもそうだと納得してしまう赤騎士は、実に無欲な忠誠の化身であった。
片や、青騎士団の陣営。
雄々しき指導者を囲んで、屈強の男たちが泣きを入れていた。
「マイクロトフ様……よもや敗北を喫した場合、メルヴィル隊長は我らを如何処分なさるおつもりでしょうかっ?」
「何と申しましょうか……これといった罰則を予め設けられぬあたり、不安でなりませぬ……」
「ウサギ飛びにて闘技場を50周かもしれませぬな」
戦々恐々としている部下たちを眺め回したマイクロトフは苦笑する。
「そう怯えるな、おまえたち。メルヴィルはあれでも心温かな男だぞ」
どのあたりを指しておいでです───そんな質疑の視線が一斉に向かったものの、鈍感な青騎士団長は気付かなかった。
「第一、負けを前提に考えるなど言語道断。戦う以前の問題だぞ。最善を尽くして勝利する、それがおれたちのつとめだ」
至極もっともな檄に、かろうじて騎士らは我を取り戻した。
「さ、然様ですな……これではメルヴィル殿の術中にはまるようなもの」
「我らを動揺させて奮起を促す策やもしれぬ……」
「おそらく恐怖からの回避のため、一丸になれとの激励かと」
今一つ分かりにくい激励だが、と純朴なる青騎士らは納得することにした。
彼らも一応、青騎士隊長の尽力は認めている。
過酷を極める鍛練計画は無論のこと、彼は綱を握る配置まで事細かに取り決めていた。
ただ、それが単に青騎士団の勝利のためだけでないこともまた、誰もが承知している。
メルヴィルは楽しむことにしたのだ。
マイクロトフに押し切られ、不本意な作戦参謀の任を負わされた。受けたからには己の欲望に忠実に振舞おうと決めたのだろう、と。
ならば彼に感嘆の言葉のひとつも吐かせたい───そう思うことで闘志を取り戻した青騎士は、これまでの怯懦を捨ててマイクロトフに向き直った。
「勝ちましょう、マイクロトフ様! メルヴィル殿の思い通りにはなりませぬ!」
「我ら選抜騎士の誇りに懸けて!! 何があろうと青騎士団長たる御方にウサギ飛びなどさせませぬぞ!」
「う、うむ。頼んだぞ」
やや闘志の矛先がズレているような気もしないではないが、漲る勝利への渇望は心地良いものだ。マイクロトフは部下らを間近に集め、円陣を組ませた。
「我らに勝利を! 必ずや、カミューにおれの力を認めさせてやる!」
───青騎士団長の決然たる闘魂も、微妙にズレていた。
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