誇り在る闘争・7


「違う! そうではない、何度言わせるのだ!」
澄んだ青空の下、鋭い怒声が響き渡った。
ロックアックス街外に広がる草原、心地よい風が吹き抜ける大地には戦直後のように蹲る騎士らの無惨な姿がある。立ち尽くした赤騎士団・第二隊長アレンは一同を眺め回して拳を震わせた。
「腕力だけで引こうとするな、腰だ、腰! すべての基本は腰にある!」
「しかし、アレン隊長……」
ぐったりと地に伏せていた一人がかろうじて顔を上げた。
「やはり無理です、我らには……」
「何を言うか!」
弱々しい声を洩らした騎士は、間髪入れずの一喝に倒れたまま竦み上がる。
「我らは選ばれた戦士なのだぞ! カミュー様の御期待に応えるため、死力を尽くすが我らのつとめ!」
そこを突かれると騎士たちは弱かった。疲れた身体を叱咤しながらのろのろと起き上がる様は、炎天下の街路でもがくミミズのようである。
赤騎士団の選抜部隊は現在すべての通常任務を解かれ、総指揮官アレンの許、街外に陣を張っての訓練三日目に突入していた。
街を離れて幾日にも及ぶ軍事演習に臨むことは珍しくないが、此度ばかりは長い騎士団の歴史でも例を見ない特殊訓練である。
青騎士団にも劣らぬ早朝から陣幕を抜け出て定められた筋力鍛練に勤しみ、それから晩まで綱引き三昧。
炊き出しと食料買い出しに割り当てられた僅かな騎士以外は、第七隊長ランベルトが地下倉庫から発掘した大綱を四六時中握り締めている。汗は近場の小川で流し、夜は泥のように疲弊して失神するかのように眠りに落ちる。
ロックアックス郊外に陣を張っての訓練───最初に計画を聞いた際は『何だか楽しそうだ』などと考えていた騎士たちだが、その認識に著しい過りがあったことを悟ったときには遅かった。僅か三日で死相を滲ませるようになった一行の思考は、残り半分の日数を如何に生き延びるかで埋め尽くされている。
「アレン隊長……、少し休みませんか? このままでは青騎士団と戦う前に総員討ち死にです」
地面に座り込んだまま訴えた第十騎士隊長に一同の感謝の目が集まった。アレンはむっとして若者を睨んだが、続いて巡らせた視線に映る赤騎士らの惨憺たる様相に微かに眉を寄せた。
「……よし。では、暫し休息時間とする」
途端に安堵の呻きを洩らしながら再びへたり込む騎士たちの中、休憩を進言したミゲルはうんざりした顔つきで自身の掌を見詰めていた。
「ああ、畜生。とうとうマメが潰れた……」
騎士に支給される手袋は既にあちこち破れている。破れ目から覗いた皮膚は酷使に耐え切れず、悲惨な状態に陥っていた。
『綱引き』を発案したのが自身であっても、もはや十分に処罰は受けた筈だ、そうミゲルは嘆息する。
辛くも与えられた休息。本来ならば訓練の過酷を愚痴り合ったり、此度の敵──青騎士団である──の出方を論じたりといった有意義な時間になるであろうものを、今の彼らには口を開く気力もない。青々とした草原に累々と転がり、ときおり苦しげにもがくばかりである。
ふと、伏していた一人が独言のように呟いた。
「……カミュー様、今頃何をなさっておられるかな……」
すると地面のあちこちで身じろぎが生じる。傷つき果てた今の赤騎士を復活させる呪文は、敬愛してやまぬ美貌の騎士団長の名だけなのである。
この訓練中、ロックアックス街中に踏み込むのを許されるのは限られた買い出し班のみ。彼らとて城まで足を運ぶことなく陣に舞い戻るのだから、到底慕わしい笑顔を見ることなど出来ない。
普段、騎士団長の傍近く接することは稀でも、彼らはカミューの動向には常に注意を払っている。その中で垣間見る優しげな微笑みを胸に納めては自らを鼓舞してつとめに励む、それが赤騎士団という組織なのだ。
任によっては長期に渡ってカミューを拝むことも叶わなくなる。これまではそんな切なさも見事乗り越えてきた一同がどうしようもなくロックアックスに在る青年を思ってしまうのは、やはり体力を削られて気弱になっているからかもしれなかった。
「たまにはおれたちのことを思い出してくださっておられるだろうか……」
「……全赤騎士中の六十人だからな……」
「居なくても目立たないよな」
何やら悲観的な意見が続く一群に、腹這いで躙じり寄る数名がある。
「何を言う。我々は赤騎士団の代表なのだぞ、カミュー様は常に我らを思ってくださっておられるに違いない」
「然様。ほら、耳を澄ませばカミュー様の激励のお声が聞こえてくるような気がしないか?」
一同は耳を峙てる気配を見せたが、残念ながら希望的想像は疲労を上回ることが出来なかった。
「……駄目だ。我らのことなどすっかり忘れてつとめに励んでおられる気がする……」
一人が言うなり、周囲は賛同を示す呻きを零して打ち菱がれる。嘆きの輪の端で密やかに首を振っていたミゲルであったが、そこでふと顔を上げた。
「……あ。カミュー団長……」
若くして騎士隊長職に名を連ね、今も選抜部隊の副官を勤めるミゲルが終に幻覚を見るようになったかと苦笑したものの、食い入るように一点を見詰める表情に一同は次々に身を起こし始めた。
細めた目の先に二頭の馬が在る。その片方、真紅の軍装を纏う優美な姿は遠目にも違えようのない艶やかさであった。
「カミュー様……?」
「幻覚ではないぞ、カミュー様だ!」
途端に屍の如きであった騎士らが整列を開始する。中には殆ど足の立たない哀れな騎士もいたが、そうしたものは両側から仲間が支えることで体裁を整えた。
そうするうちに見る見る近づいた馬は一同の前で歩を止めた。第一隊長ローウェルを従えた赤騎士団長が軽やかに下馬して、迎えた部下らにはんなりと笑み掛ける。
「休憩中だったのかい? 気を遣わなくていい、楽にしてくれ」
忠誠中枢を刺激する甘い声。疲労も忘れて陶然とする騎士らの間からアレンが進み出た。
「カミュー様……御用あらば、こちらから出向きましたものを」
うん、と小さく笑ったカミューは柔らかく目を細めた。
「用という訳じゃない。つまり、その……訓練の様子を見に来たんだ」
アレンはちらと騎士らを横目で窺い、息を吐いた。
先程までだらしなくへたり込んでいたのが幻であるかの如く、士気溢れる表情で屹立している男たち。その急変ぶりときたら、未だ余力を残していながら限界を装っていたようにも見えるほどだ。
もっとも、アレンも部下たちを疑っている訳ではない。力に絶対の自信を誇る青騎士団を敵に回す戦い、その不利を睨んでの訓練内容は苛烈を極めている。
彼らは良く耐え、良く励んでいた。ミゲルは『総員討ち死に』と称したが、実際、その一歩手前であることも否定し切れない状況である。
しかし、赤騎士にとってカミューはすべてを超越した奇跡だ。砂漠の水、飢餓時のパン、吹雪の中の火───麗しき赤騎士団長は赤騎士に眠る底力を掻き立てる存在なのである。
そこを認めたアレンは慰労に足を運んでくれた上官に深々と敬意を表した。
「一同を代表して御足労に感謝申し上げます、カミュー様」
「訓練は順調に進んでいるかい? 何やら皆、酷く疲れているようだけれど」
幾ら体裁を繕ったところで、洞察に優れた青年を誤魔化すには至らない。何と答えたものかアレンが躊躇している間に、ローウェルがポツと聞いた。
「……アレン。先程から気になっているのだが……、あれは何だ?」
そうして指した指の先には、草を食んでいる数十頭の牛の群れが在る。アレンは泰然と胸を張った。
「近くの村から借り受けてきた牛であります、ローウェル殿。日暮れには返却に赴きますので、御心配なく」
いや、とローウェルは眉間に皺を刻んだ。
「牛であるのは見れば分かるし、返却を案じている訳でもない。わたしが問うているのは、あれの使用法だ」
乳を絞って騎士らの滋養に役立てている……のではないことは一見して瞭然である。のんびりと鳴いている牛には個々に縄が掛けられ、それは手繰り合わされて一纏めにしてあった。そして更に、先端が綱引き用の荒縄に厳重に縛り上げられているのである。
詰問口調に気付いたアレンは口籠り、助力を求めるようにミゲルを見た。これも選抜隊副官のつとめなのだろうかと自問しながら彼は答える。
「あの牛たちはおれたちの訓練相手です。つまりですね、猛牛の群れみたいな青騎士団の馬鹿力に対抗するための秘策、とでもいうか……あの牛たちを動かすことが出来れば青騎士団にも勝てるとアレン隊長が………」
「………………」
日頃物に動じない第一隊長であるが、このときばかりは引き攣った笑みを浮かべることしか出来なかった。が、傍らのカミューは幼げに首を傾げている。
「牛は食事中なのに……可哀想じゃないか」
その牛相手に死力を振り絞っているおれたちの方を哀れんでください───喉元まで出掛かった嘆願をミゲルは必死に堪えた。ついでに、微妙なところで自制を保っている第一隊長にも気付いて慌てて話題を逸らせた。
「それよりも、カミュー団長。馬に括ってあるバスケットは何ですか?」
言われて一同は指摘された品に視線を集める。二頭の馬には二つずつ、藤のバスケットが積んであった。ピクニック時などに好んで使用されるそれは、勇壮なる軍馬の上にあって異彩を放っている。
カミューはにっこりして軽くバスケットを叩いた。
「差し入れだよ」
「差し入れっ?!」
途端に騎士らは身を乗り出す。その弾みで支えを失い、よろめく騎士もいた。
「我が赤騎士団を代表して戦いに臨むものたちが城を離れて訓練に勤しんでいるんだ。わたしも何か協力出来ないかと思ってね」
牛相手の壮絶な綱引き訓練、負傷・疲労で困憊し果てた男たちの胸はたちまち甘く切ない疼きで満ち溢れた。
「カミュー様御自ら差し入れに……」
「おれたちを気遣って……」
「もう死んでもいい……」
「いや、死ぬ前に牛に勝たねば我らが忠節は果たされぬ」
譫言のように呟きながら一歩、また一歩と前のめりに進んでくる一同を見回したローウェルがアレンに低く声を掛ける。
「休憩時ならば丁度良い。カミュー様の御心遣いだ」
「然様ですな。皆、座るが良い。ありがたくお受けしようではないか」
言葉が終わらぬうちに崩れ落ちた騎士たちは、バスケットを開くカミューを潤んだ眼差しで凝視している。それはさながら、長い飢えの果ての食料配給を待つ流民の集団、はたまた恋しい乙女を漸く自室に招いた男のようでもあった。
そうしている間にカミューはバスケットから小分けにした包みを取り出していく。
「疲労に効くと聞いたからね、檸檬の蜂蜜漬けなど作ってみた」
「何と! カミュー様の御手製ですかっ?」
驚愕のあまり目を剥く部下に、彼は照れたように笑った。即座に奪い合うような勢いで包みが回され、次には目眩く幸福に満たされる騎士たちであった。
「身体に染み渡るようです、カミュー様」
「この甘酸っぱさが何とも……」
「これほどの美味は生涯初にございます」
頬を緩めて檸檬を貪っている男を見据えながら、ローウェルは嘆息した。
この連中は、騎士団長が荘厳な騎士服の上に城のメイド用のエプロンを着用し、鋭い刃物捌きで檸檬を輪切りにしていたあの光景を見たら、感動のあまり卒倒するに違いない。
選抜騎士への差し入れに行くと言い出した上官を、一人草原に向かわせられぬと同行したものの、ローウェルには微かな怪訝が蟠っている。
少し前までやむなく綱引き競技を受け入れたとしか見えなかった青年が、俄然勝利に意欲を燃やし始めたこと。
自身の知らぬうちに、またしても青騎士隊長メルヴィルに厭味でも言われたか、それとも青騎士団長との間に何かあったのか。案じながら質せば、カミューのいらえは素っ気なかった。
やるからには勝つ、そのために出来ることを為す───実に分かり易く、それでいて疑問を一切解決しない答えである。
ただ、こうして部下たちに差し入れを渡して談笑している青年は如何にも楽しげである。それを見るだけでローウェル自身、疑問や『牛』が思考から押し出されてしまうのだから困ったものだ。
ひっそり苦笑した彼は別のバスケットを開いた。
「負傷しているものは在るか? 手当てしよう」
選抜部隊も薬箱は持参していたが、三日の苦闘で消毒薬も絆創膏も尽きかけていた。檸檬を咀嚼しながら数人の騎士が進み出る。それから彼らは、馬の横で仁王立ちになる第一隊長と他騎士と言葉を交わしている青年騎士団長を交互に窺い見た。
「……?」
不可解に眉を顰た男にミゲルが代表して訴える。
「ローウェル隊長……そのつとめ、出来ればカミュー団長と交代していただきたいのですが……」
「慮外者、贅沢を言うな!」
途端に険しい顔で若者を睨み据えるが、少し離れたところにいたカミューが穏やかに割り込んだ。
「順番に手当てしよう、並ぶがいい」
上手くいったら儲けもの程度に考えていたミゲルがまず呆け、続いて驚きの波が騎士たちを覆っていく。日頃は傍に寄ることさえ畏れ多い騎士団長に手ずから負傷を癒して貰える───これは檸檬を喉に詰まらせるほどの感激であったらしい。
「おい、おれの肘を見てくれ。確かに出血しているよな?」
一人が背後の騎士に確認すれば、別の一人が唸る。
「わたしはさっき転んで足を捻った。外傷がなくとも有効だろうか?」
「あああ、カミュー様の御手がおれの膝に……?」
一方、残念ながら無傷のものたちは唇を噛み締めたまま歓喜する一群を見遣っている。
憮然とした表情ながらカミューのために座を設えたローウェルは、そのまま薬品の詰まったバスケットを彼の横に置いた。何事か苦言したそうな男をちらりと一瞥したカミューが朗らかに笑う。
「たとえ同じ綱を引いていなくとも、戦いに臨む赤騎士団員の心は一つ。分かるな、ローウェル?」
「……はい」
「では、もう少し和やかな顔をするがいい。城の看護士たちは常に微笑みを絶やさないよ」
「───善処致します」
短い遣り取りの間に騎士は整列を済ませていた。幸福の一番手を射止めたのは、思い切って願望を言上した第十隊長である。
差し出された震える掌。潰れた血マメを見たカミューは痛ましげに美貌を曇らせたが、当のミゲルはそれどころではなかった。最愛の騎士団長にそっと握られた己の手に、どうにも緩んでしまう口元を抑えられない。
「痛むかい、ミゲル?」
「いいえ、カミュー団長」
男らしく虚勢を張り、久しぶりに間近で見詰めた青年の魅惑に酔い痴れる。天にも昇る心地だったミゲルは、だが続いて景気良く振り掛けられた消毒薬に危うく絶叫しそうになった。
端正で優美なる赤騎士団長───しかし彼もまた、死と隣り合わせて戦ってきた生粋の武人であった。
見てくれとは裏腹の容赦ない治療っぷりに、もがきながら苦鳴を押し殺しす若き騎士隊長の背後、それでも赤騎士らは幸せそうに微笑んでいた。

 

 

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…………。
何も言うことはございません。

 

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