誇り在る闘争・6


「いいかい?」
戸口に佇む美貌の青年に即座に満面の笑みを浮かべて。
それからマイクロトフは表情を引き締めた。
「いや……、まずいだろうか? 勝負を前に団長同士が馴れ合うなど……」
「本気で言ってるなら、帰るよ?」
やや憮然としたカミューの表情を見るなり、男は苦笑して大きく扉を開いた。さっさとソファに腰を落ち着けたカミューは用意されようとしている酒も待たずに切り出す。
「マイクロトフ、此度の勝負のことだけれど……」
大きな手にグラスを二つ掴んで向かいに座った男が揶揄の瞳を向けた。
「なかなか面白い手法を選んだものだな、カミュー。よもや『綱引き』でくるとは思ってもみなかったぞ」
「わたしだって思ってなかったよ」
はんなりと溜め息をついてカミューは姿勢を崩す。柔らかな髪を掻き上げて唸る青年を暫し見詰めていたマイクロトフだが、グラスを満たしながら明るく笑った。
「大方、アミダか何かで決めたのだろう? だが……良いのではないか?」
怪訝を浮かべる瞳に向けて、彼は訥々と言い募る。
「騎士は常につとめ本位の日々を送っている。およそ集団での娯楽らしい娯楽には縁がない。手法はどうあれ、娯楽を兼ねた勝負で互いの親睦が図れるなら、それはそれで良いのではないだろうか」
カミューは瞬いた。困惑いっぱいの眼差しでマイクロトフを凝視して小首を傾げる。
「……おまえにしては穿った意見だね。それとも、メルヴィルの御説かい?」
いいや、と否定して、勢い混じりにグラスを干す。
「メルヴィルは相変わらず不貞腐れている。だが、そこそこ同意見ではないかと思う。それに……実はおれは子供の頃、綱引きが大好きだったのだ。最初から戸惑わなかったと言えば嘘になるが、この歳になってこんな機会を得るとは思わなかったぞ。たまには童心にかえって仲間たちと汗を流すのも良い」
「へえ……」
後半の思いがけない一節にカミューは微笑んだ。
「何だかんだで部下たちが同意したのも、もしかするとそんな理由からなのかもしれないな……。おまえも『綱引き』競技をしたことがあるのか」
「……おまえはないのか?」
感嘆気味に言われて思わず聞き返すマイクロトフだ。カミューは掌でグラスを揺らしながら頷く。
「グラスランドでは周囲が大人ばかりだったし、そんな娯楽を味わう機会はなかったな。マチルダに移り住んでからも同じだね。わたしはロックアックス在住の一般的な子弟のように学び舎には通わなかったから、同年輩の仲間と交流することがなかったし……」
マイクロトフははっとして息を詰めた。
十三にて異邦からの移住を果たしたカミューは、ロックアックスにおける正規の基礎教育過程を受けなかった。彼の知識や教養の殆どは従者としての生活を送りながらの独学、あるいは騎士団が執る座学に拠るものなのだ。
同じ年頃の少年たちと日暮れまで転げ回って遊んだ記憶もなければ、学び舎が催す運動祭の興奮や歓声も体感したことがない。口調こそ穏やかであったけれど、そこに一抹の寂しさを感じ取ってしまったマイクロトフは拳を震わせた。
「ならば初めての体験だな、カミュー! おまえも十二分に『綱引き』を堪能すると良い!」
そこでカミューは苦笑した。
「それが駄目なんだよ、わたしは選抜から外されてしまった。まあ……どうしても参加したかったかと問われると難しいところだけれど、今回は見学なんだ」
「そ、そうなのか」
確かに優美で艶やかな赤騎士団長に泥臭い競技は似つかわしくないかもしれない。これを言うのは些か憚られるが、赤騎士団には彼より力で勝る男が多々在るだろう。そんな理由から丁重に選抜陣から除外されたのだろうと察しはつく。
勢いを挫かれて居心地悪く座り直すマイクロトフだったが、すぐに言い改めた。
「しかし……消沈するには及ばないぞ。あれは声援を贈るだけでも力が入るものだ。おまえの分までも、おれは死力を尽くす。見ていてくれ、カミュー」
「……おまえは敵方だよ」
しっとりと息を吐いたカミューは、改めて身を乗り出した。
「今宵訪ねた理由はそこだよ。マイクロトフ、おまえ……自ら『綱引き』に参戦するというのは本当なんだね」
「無論だ!」
マイクロトフは胸を張って深い声で宣言する。
「どのような戦法であろうと、騎士団長たるもの、部下に率先して任を果たさずにいられようか。これは統率者としての気構えであり、指針なのだからな」
そこまできっぱりと言い放ってから、カミューの表情を一瞥して、ふと青ざめる。
「い、いや……だからと言って、参戦しないおまえを非難している訳ではないぞ?」
「微妙にそう聞こえたよ」
「違う! おれはどんなときにでも部下と共に血と汗を流したいと考えて……あ、別におまえがそう思っていないと言っている訳でもなくて、だから───」
「……要するに、『綱引き』をしたいんだろう?」
「……………………うむ」
肩を竦めたカミューはまじまじと男を見詰めながら続けた。
「第一隊長殿に言われたよ。おまえが腰を痛めても文句を言うな、とね」
「メルヴィルが……?」
馬鹿なことを、と無邪気に笑っている伴侶を前にカミューは嘆息する。
他の者ならいざ知らず、相手はメルヴィルだ。負傷を案じる言及の焦点が『腰』であるあたり、やや問題である。
隠し事の下手な男の周囲で、何程の人間が二人の関係に気付いていることか。
たとえ気付かれてもマイクロトフはびくともしないだろうが、カミューとしては好奇の眼差しに曝されるのは耐え難い。その辺の釘を刺しておこうかと思ったものの、次の台詞にどっぷり脱力せずにはいられなかった。
「大丈夫だ、足腰は充分に鍛えてある。全力で臨むとも、そう易々と負傷退場などしないぞ、おれは」
「……そうか、それは何よりだよ」
力なく笑い、ひっそりと首を振る。
今のマイクロトフは誇り在る一戦──『綱引き』だが──に向かう闘志で固まっている。ここで何を言おうと馬耳東風といったところだろう。
腹心の部下に関係を気付かれている恐れがある云々といった警告も、今は然したる重要案件になりそうもない。諦めて、恋人らしい意見に方向を変えることにしたカミューだった。
「でもね……、おまえは頭に血が昇ると無茶をする。赤騎士団の選抜騎士たちも同様だ。折角の親睦の機会が、ともすると流血の惨事になりかねない。そのあたりは自制と礼節をもって臨んでほしい」
「そうだな」
マイクロトフは鷹揚に頷いて、再び拳を握った。
「戦いの後、両騎士団員が肩を叩いて健闘を讃え合う……そんな戦いにしたいものだ」
───とは言いつつ、いざ『綱引き』が始まれば熱くなるのは見えている。無駄な忠告だったかと自嘲して、カミューはゆらりと立ち上がった。退室の意思を悟るなり、慌てて呼び止めるマイクロトフだ。
「カミュー、そんなに急いで戻らなくとも……。折角なのだから、その……」
赤らんだ頬に願望は明白である。そんな男の真っ正直さに微笑んだものの、カミューは軽く往なした。
「やはり、戦いを前に団長同士が馴れ合うのは望ましくないからね」
「い、いや……さっきのは冗談で……」
慌てて首を振るマイクロトフに肩を竦めてから、彼は穏やかに続ける。
「おまえの話を聞いて、わたしも考えを改める気になったよ。統率者として、もう少し本気で此度の戦いに臨むことにする。戦士としては除外されてしまったから……そう、応援部隊長としてでも誠実に任に励もうと思う」
「応援部隊長……?」
「そう」
カミューはにっこりした。
「『綱引き』の鍛練に勤しむ部下らに差し入れなどしてみたり、負傷者に絆創膏を貼ってあげたり、ね。確かに連帯を強化するにあたって、団長の腰が引けていては如何ともし難い。色々と学ばせられたよ、マイクロトフ。そういう訳で、戦いが終了するまで我々は敵だ。『夜』の方も暫し控えることにしよう。では、おやすみ」
呆然としていたマイクロトフだったが、華やかな笑顔が扉の向こうに消えたと同時に戦慄き出す。押し殺した独言は情念に塗れていた。
「差し入れに絆創膏だと……? くそう、赤騎士団選抜騎士は何と恵まれた環境に……」
脳裏には、差し入れに訪れるカミューを子供のような歓声をもって迎える赤騎士たちの姿が浮かんでいた。更には、頬を染めながら彼の前に擦り剥いた手足を突き出す赤騎士も回っている。
「おれとておまえの差し入れを食したり、優しく絆創膏を貼って欲しいぞ、カミュー……」
ふるふると震える男は、摘み取られた甘い夜への落胆も手伝って、いっそう薄暗い思考に陥った。羨望のあまり顔つきまで一変させ、彼は拳を掲げて宣言する。
「否、逆境にあってこそ真の力量も発揮されるというもの! 篤と見るがいい、我が闘志を……赤騎士団選抜騎士!」

 

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罪作りな男、
赤騎士団長カミューさん。
花の20代、独身。
レモンの蜂蜜付けなど研究中。

 

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