「これは……目がどうかしているのだろうか? わたしには『綱引き』と読めるのだが」
うっすらと笑みを絶やさず、厭味たっぷりに言った青騎士団・第一隊長であるが、その発言に重ねるように生真面目な騎士団長が言ってのけた。
「いいや、メルヴィル。おまえの目の所為ではないぞ、おれにも『綱引き』と読める」
やや出鼻を挫かれたのに苛立ったのか、メルヴィルはじろりとミゲルを睨む。
「これは何かの冗談かね?」
「ですから『大らかなお気持ちで』と言ったじゃないですか。無論、冗談などではありません。赤騎士団の指定する対戦手法です」
予定された攻撃に、今や若者もすっかり開き直っていた。
事情はどうあれ、決定は決定だ。ここで青騎士団の合意を得ねば、伝令──渋々請け負った任ではあるが──のつとめを果たしたことにはならない。仮にも赤騎士団の代表たる身が無様に引き下がる訳にはいかず、何より戻ったときが恐ろしかった。
「では……本気で誇り高きマチルダ騎士に児戯にて勝負しろと?」
「児戯とは心外です。これは立派な闘技種目です」
ミゲルは虚勢に胸を張った。このあたりは先程、第二隊長が周囲を言い包めた論述を参考にすべきところであろうが、体温の低そうな青騎士隊長に赤騎士の熱血が伝わるとは思えなかったので、敢えて言及は控えた。
ただ毅然として睨み返す若者に嘆息したメルヴィルは、一応の譲歩か、静かに問うた。
「一つ聞きたい。『綱引き』は貴団長殿も了解しての策かね?」
「……カミュー団長はこの件に関して、我ら赤騎士隊長にすべて任せると仰せです」
「───つまり、投げられたのだな」
実に的確な洞察である。そんな気配だった、と胸の中で同意しながらミゲルは無言を通した。メルヴィルは疲れたように首を振る。
「では聞こう。『綱引き』という闘技が、果たして騎士たるものに役立つと君は思うかね?」
「……え」
思いがけない方向からの一撃に一瞬ミゲルは硬直した。が、自団の誇りをを背負ってここに立つ身、彼は己を奮い立たせた。
「む、無論です」
「例えば?」
「え、ええと」
若者の脳裏には美貌の騎士団長が微笑んでいる。何としてもメルヴィルに言い負かされておめおめと戻る訳にはいかないのだ───取り敢えず、カミューの期待の有る無しには関わらず。
「どちらかと言うと、役立つ、役立たないではなく……要は気構えの問題かと」
「ほう……気構え、ね」
腕を組んで鼻先で嘲笑う男に、第二隊長が口にした『顔を見たら足を踏みそう』という発言が納得出来てしまうミゲルだ。
何処か軽い、からかうような調子は最愛の赤騎士団長の言い回しに似ていると言えなくもない。が、カミューならば幸せで胸が熱くなるのに、メルヴィルが相手だと憤慨に頬が熱くなるのは何故だろう。
ミゲルは自らを叱咤し、真向から青騎士を睨み据えた。
「そうです。騎士団は領民を護るために組織された一団。一致団結して外敵に対峙する、それこそ何より重要な気構えでしょう」
『外敵』のあたりに微妙に感じるものがあったのか、メルヴィルは苦笑した。
「ならば敢えて問う。何故そこで『綱引き』なのかね?」
「た、確かに騎士は剣に生きる存在……、しかし戦場で常に武器が手に在るとは限りません。体力・腕力が物を言うこともあります」
如何にも苦しげな理屈に、すかさず逆襲が飛んでくる。
「……体術では物を言わないと?」
「仲間の団結と連携こそが重要なのです!」
内心『そうなのかな』などと思いつつ、ミゲルは叫んだ。寧ろ、ここまで来てはそうであって欲しいというのが本音である。
よもやカミューが引き当てるとは思わず、右に倣えで珍妙な闘技手段を記してしまった。その点への悔恨はともかく、メルヴィルの小馬鹿にした物言いが次第に彼を闘争へと駆り立てていく。
「……分かりました、メルヴィル隊長。あくまで承服しかねると言われるなら、戻って報告します。『青騎士団は我々の決定に臆し、戦術の変更を希望している』、と。宜しいですね?」
それを聞いて青騎士隊長は更に唇を綻ばせた。
「怒らせて煽ろうとしても無駄だよ、わたしは君たち赤騎士隊長陣のように熱い人間では───」
「待て、メルヴィル」
それまで押し黙っていた青騎士団長が口を開いた。二人が見遣る先で、マイクロトフは神妙な顔で空を睨んだまま腕を組んでいる。
「団結……確かにそれは騎士団に欠くべからざる重要な気構えだ……」
「……は?」
思わず、といった調子でメルヴィルが声を洩らす。ミゲルは沈着な青騎士隊長が呆気に取られる様を初めて見た。
「頼るものは己の腕力と仲間への信頼のみ……、素朴ではあるが、新鮮な戦いでもある」
目を剥いたメルヴィルとは裏腹に、ミゲルの肩は震えた。青騎士団長マイクロトフ、彼の思考はカミュー絡みで燃え上がったときの赤騎士隊長に似ていることを改めて痛感したのだ。
「何を仰せか、マイクロトフ団長。冷静におなりなさい、どう言葉を繕ったところで『綱引き』ですぞ?」
詰め寄る部下を穏やかに遮り、マイクロトフは瞑目した。
「先程から考えていたのだ。例えば……おれとカミューが崖から転落し、僅か一本の綱で吊るされているとする。そのとき、どちらの部下が先に引き上げてくれるだろう、メルヴィル?」
「何なのです、その例えは」
「やはり団結を重んじる赤騎士団ではないか、おれにはそう思えるのだ」
「……それは確かに赤騎士団でしょうな。我らとて団結を軽んじるつもりはありませんが、どう考えてもあなたの方が重い」
げんなりとした顔つきの部下の意見も祿に聞かぬまま、マイクロトフは淡々と紡ぎ続ける。
「特別の装備を要するでもない、敵味方の間に在るのはただ一本の綱のみ……まさに身一つの戦いだ。けれど、それだけに味方の魂の結びつきが勝敗に大きく関わってくる」
「……そんな大袈裟な」
「メルヴィル! 何と言ってもカミューが認めた戦いなのだぞ。我が青騎士団は力に絶対の自信を持つ猛者揃い、どちらかと言えば機動力重視の赤騎士団が敢えて呈示してきた力勝負を避けるは、臆したと取られてもやむなしではないか! おれは誇りに懸けて挑戦を受けるぞ!」
立ち上がり、拳を震わせながらの熱弁に呆然と見入っていた第一隊長は、冷めた笑みを消して無表情と化していた。傍らで苦笑を噛み殺しているミゲルを一瞥した後、低い怨嗟の息を零す。
「……では、団長。後はお任せします。わたしは戦いを辞退させていただきたく……」
「何を言っているのだ! メルヴィル、おまえは此度の発端ではないか。赤騎士団に勝利するため、共に励んで貰わねば困る!」
男は微かに顔をしかめた。
「団長の戦意が旺盛なのは真に結構ですが、わたしの士気は著しく低下しました。とてもではないが、戦力としてお役に立てそうにない」
「うむ……そうだな、腕力ならおまえに勝るものもいるかもしれない。選抜騎士というかたちでなくとも、作戦参謀という立場で臨めばいい!」
「……人の話を聞いておられますか、団長」
噛み合わないまま行き来する青騎士たちの発言。
とは言うものの、結局メルヴィルはマイクロトフに押し切られるだろうとミゲルは思う。
物事は勢いのあるものが勝利する、そんな人生の縮図を見たような気がして、彼はほんの少しだけ厭味な青騎士隊長に同情したのだ。だが、続いて横から洩れた言葉に感傷は四散した。
「ところで……聞きたいことがあるんだがね、坊や。『綱引き』を発案したのは誰だろう?」
ぎく、と強張りながら、かろうじて聞き返す。
「ど、どうしてそんなことを気になさるのです?」
「闇討ちにしてやろうかと思ってね」
再び悪党然とした薄笑いを復活させた男にミゲルは震えながら答えた。
「……は、話の流れで、誰からともなく、……です……」
「そうか、成る程」
頷いたメルヴィルはにっこりした。
「教えてくれて感謝する。当分、夜歩きには気をつけたまえ、ミゲル君」
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