誇り在る闘争・3


一方、同日・同時刻の青騎士団長・執務室。
赤騎士団同様集められた騎士隊長らが第一隊長の報告に目を丸くしていた。
「赤騎士団と勝負……」
「事の経緯は分かり申したが、メルヴィル殿……いったい何故また、そのような挑発的なお言葉を……」
「挑発的?」
言った騎士隊長を冷ややかな顔で一瞥し、彼は鼻先で笑った。
「『的』ではない、挑発したのだ」
呆気に取られている男たちに淡々とした口調が言う。
「ああでも言わねば到底あの場は納まらなかっただろう。酔っていたとは言え、青騎士たちはマイクロトフ団長と我が団の名誉のために必死だったのだ。その点を見過ごす訳にはいかん」

 

───とは言っても、と一同は首を捻る。
その場には赤騎士団・第二隊長もいたのだ。互いに頭を下げ合って、『うちの連中が申し訳ない』『いやいやこちらこそ』『此奴らは斯様なことを口にしているが、日頃から貴団を尊敬しているのだ』『それはこちらの台詞、貴団の武勇には常々感服している。酔いは怖いな、ははは』、などと美辞麗句合戦で終わらせることは出来なかったのだろうか。
そこまで考えた挙げ句、彼らは小さく嘆息した。
何を考えているのか今一つ理解し難い青騎士団・第一隊長に、それを求めるのは無意味であろう、と。

 

「我らは過去三十年あまりの中で、三騎士団中もっとも数多く戦場に足を運び、武勲を立ててきた。にも関わらず、たまたま序列が上というだけで赤騎士に軽んじられるは誇りが許さぬではないか」
「……しかし、話を聞けば『軽んじる』などという悪意あるものではなく、ただの酔っ払いの口喧嘩に過ぎぬのでは?」
「然様、我が青騎士団員も似たり寄ったりのことを吐いておりますし」
おずおずと数人が提言するが、真摯なそれは綺麗さっぱり無視された。
「わたしとて事を荒立てようという気はない。が、良い機会ではないか。どちらがより優れた武力を持つか……赤騎士団に存分に知らしめようと考えたのだ」
「……メルヴィル殿」
年長の騎士隊長が一人、恐る恐るといった調子で問う。
「誤解でしたらば相済みませぬ。もしや、面白がっておいでですかな?」
「面白いに決まっている」
目を細め、不敵に口元を緩めながら第一隊長は言い切った。楽しげな笑み、と称されるべきものなのであろうが、この場合は悪党のほくそ笑みとしか形容出来ない表情であった。
「……まあ、ここまでは冗談として。如何です、団長? 我らは昨年末の合同演習で大敗を帰しております。雪辱の機会を得ぬまま今日までが過ぎました。この辺で一矢報いたいとはお思いになりませんか?」
それを聞いて、漸く一同はメルヴィルの真なる意図──かもしれないが、やはり一抹の疑いは残る──を知って笑みを浮かべた。それならば彼らも望むところだ。
部下の弁術のなめらかさにすっかり感心していたマイクロトフが慌てて姿勢を正した。
「事情は理解した。序列や軽視といった論旨はさて置き、赤騎士団と一戦を交えたいという意見には賛同だぞ」
「……あの敗北時、マイクロトフ様はたいそう悔しがっておいでしたからな」
誰かが小声で独言を洩らしたが、途端にメルヴィルが声の方向に振り向いた。
「十六回」
「は?」
「『無念だ』『口惜しい』系の愚痴を十六回に渡って口にされた」
「か、数えておられたのですか……」
にこりともせず再び自団長へと向き直る男へ、得体の知れない畏怖を感じる騎士隊長たちだ。
「雪辱は果たしたいと思う。だが、カミューが認めないかもしれんな。確かに時世は落ち着いているが、このような諍いの延長のような勝負など……」
「ご案じなさいますな」
再び第一隊長はにんまりと笑った。
「カミュー団長の御性情は団長が最も存じておられるのでは? あの御方は優しげな姿に似ず負けを厭われる御方、挑まれた勝負に背を向けるなど考えられません。第一、周囲が黙っておりませんな。あの側近連中は熱し易く、熱したままの質。副長殿がご不在の今、もはや冷ます要素は皆無でしょう」
居並ぶ青騎士隊長らは身を寄せ合って恐ろしげにメルヴィルを見遣っていた。
確信犯、知能犯、愉快犯。様々な形容が脳裏を過るが、どうしても『悪党』に落ち着いてしまう。自団長の表情を窺う男には抑えようと努めているらしいほくそ笑みが見え隠れしていた。
「……そうだ、な」
やがて重々しくマイクロトフは頷いた。それから退き気味の騎士隊長らに目を向ける。
「どうだろう、おれとしては勝負に異存はないのだが……」
「さ、然様ですな」
「特に赤騎士団に含むところなどありませぬが、ただ我らの日頃の鍛練を発揮する場と思えば良い機会かと」
「年越しの雪辱を晴らしたいものですしな」
極めて常識的である青騎士隊長らの意見はすぐに纏まった。
もともと彼らは赤騎士たちを好意的に見ている。
真にメルヴィルが思っていながら口にせぬ相手、最高序列であることを背景に尊大に振舞う白騎士たちに比べれば、彼らへの親愛の度合いは雲泥だ。
理由はどうあれ、そうした相手と自団の威信を懸けて一戦交えるというのは爽快である。白騎士団長の裁可を仰ぐという堅苦しい演習でないことも手伝って、何処か開放的な意欲が溢れてくるのだった。
「して、メルヴィル殿。対戦の手法は如何に?」
「それは赤騎士団に任せると言い置いた」
「すると……やはり騎馬戦でしょうか」
一人が難しい顔をする。
青騎士団員とて騎馬による戦いが不得手という訳ではない。日々の訓練にも余念はないし、これを好む者も多いのだ。
しかし赤騎士団は別格である。馬術を得意とするものが多く所属してきた歴史があり、それが騎士団長カミューの許で花開いたという感がある。戦場を風の如く駆け抜けて行く現・赤騎士団は、マチルダ史上最も優れた騎馬軍と称されているのだ。
「……確かに、あの火事場泥棒並みの速さと統制の取れた動きは見事だ」
誉めているのか否か、やや微妙な持論を述べた上でメルヴィルは目を伏せる。
「だが、おそらく騎馬戦はない。手法を任されたからといって、自らの得意戦法を指定するには誇りが許すまい。となると、こちらには好都合……真向勝負の乱戦ともなれば利は青騎士団にある」
何処までも悪党然と呟く男に改めて一同は薄ら寒いものを感じるのだった。
「まあ、今頃は総出で思案していることだろう。知らせが来たら通達する、拠ってひとまず解散……そういうことで宜しいですかな、団長?」
一方的に仕切った第一隊長に、だがマイクロトフは鷹揚に笑うことで応じて一同を見回した。
「では皆、心を一つにして勝負に臨もうではないか。各部隊騎士らにもそのように伝えておいてくれ」
は、と丁寧に礼を取った騎士隊長たちが次々に執務室を出ていった。
残ったのは執務室の主人・マイクロトフと第一隊長である。自身と一緒になって部下たちを見送った男をマイクロトフは怪訝そうに椅子から見上げた。
「メルヴィル? おまえも下がって良いぞ」
いえ、と彼はそのまま副長席に向かう。
「副長の仰せです。御自身が長期休暇など取れば、その間に書類の山が崩れ落ちる惨状に至るは必定。戻るまで現状維持に協力せよ、と」
「そ、そうか」
手回しの良い壮年の副長の面影に心で手を合わせてマイクロトフは微笑んだ。憮然とした顔つきで積み上がった書類の前に座る部下を見守り、徐に口を開く。
「感謝している、メルヴィル」
「何のことです?」
素っ気無いいらえに苦笑し、それから幾分表情を引き締める。
「確かに昨年末の演習以来、雪辱戦を希望していた。だが……どうもカミューが乗り気にならず、果たせなかったのだ。あいつに限って臆するとも思えんのだが……こんなかたちでも対戦が果たせるのは嬉しい」
するとペンを弄びながら第一隊長は息を吐いた。これまでとは打って変わった穏やかな瞳がマイクロトフを見詰める。
「……然様でしたか。流石に思慮深くておられる御方ですな」
不可解そうに首を傾げたマイクロトフに苦笑を誘われたのか、彼は静かに続けた。
「時世が落ち着いているときには、たとえ日々の鍛練に余念なきつもりでも無意識に惰性へと陥りがちです。そうしたときこそ、通常訓練とは比較にならぬ緊張と闘志を要求される他団との合同演習実施が望ましい。あの一戦、大敗こそ喫しましたが、学ぶことも多かった。他団との合同演習は真に価値有る訓練です」
一気に言って、ひとたび口を閉ざす。マイクロトフの反応を窺うように一瞥した後、メルヴィルはやや声を潜めた。
「そして、訓練を超えた価値もある。マイクロトフ団長、あの戦いにおいて赤騎士団を如何思われましたか?」
「如何、と……?」
怪訝な表情で考え込んだマイクロトフだが、促しの視線を受けてポツポツと零した。
「見事だった。接近から攻撃に転じるまでの速さ、夜陰の中での攻撃の正確さ……波状攻撃の展開の巧みといい、実に訓練されていると思った」
「負けて悔しいとは思われても、実力を遺憾なく発揮した相手に敬意が残りましたか」
うむ、と重々しく同意して彼は言う。
「敵にすれば恐ろしいが、味方ならばこれほど心強いものはない───そう思った」
メルヴィルは満足したように笑った。
「優れた武力には勝敗を超えて敬意が生まれる……それは一騎士にも言えること。演習を繰り返すたびに両騎士団員は相手を認め、信頼を深めます。自団への自信や誇りと同等の領域にて、隣り合って戦うことに意義を見出します」
しかし、と表情が曇る。
「───そこに立ち入らぬ白騎士団員は斯様な喜びを関知しない」
およそ潔いほどきっぱりと言い切った部下にマイクロトフは唖然とした。
白騎士団は幾年にも渡って他団と演習を交えていない。序列からくるものか、あるいは団長ゴルドーの思惑か。白騎士団は常に青・赤両騎士団と一線を引いている。
「……ゴルドー様にもお考えがあるのだろう」
低いマイクロトフの言葉を聞いた第一隊長は目を伏せた。
「……まあ、こちらとしても青・赤騎士団の両輪の上に胡座をかき、幾年もまともに出陣していない騎士を相手に戦いたいとは思いませんな」
「メルヴィル、それは……」
慌てて遮ろうとする男の声を振り切って彼はにっこりした。
「団長にはわざと負けるなどという気働きは無縁でしょうが、副長やわたしは違う。自団長の御立場の安寧のためなら、敢えて敗北を選びます。よって、価値ある演習になどなろう筈もない……無駄は省略すべし、といったところでしょうか」
マイクロトフは眉を寄せて思案する。彼の言う『立場の安寧』のくだりが今一つ理解出来ないのだ。真っ直ぐな男だからこそ、他者が自らよりも秀でたものを恨めしく思う心情を量り難いのである。
第一隊長は好ましげに目を細めた。
「少々逸脱しましたが、要は、青・赤騎士団が友好を深めることを面白く思わぬ方もおられる、ということです。カミュー団長はそれを案じて演習をお受けにならないのでしょう。しかし、此度は事情が異なります。自団を思う騎士たちの口喧嘩の延長……、どちらも譲らず、引っ込みがつかなくなって勝負に至った、そう言えるのです。理想的な口実とは思われませんか?」
マイクロトフは漸く雲が晴れたような心地だった。そして改めて配慮に厚い部下への感謝が込み上げる。
今頃、赤騎士団要人たちは挑発したメルヴィルへの憤懣で燃え上がっていることだろう。彼は、自身を悪役に仕立て上げることでマイクロトフ以下、青騎士団員の宿願を果たそうとしたのだ。
「そ、そうだったのか、本当に感謝する。この機会を無にせぬよう、青騎士団一丸となって励むことにしよう」
すると第一隊長は小さく笑って言い添えた。
「───と、長々と論じたのが理由の半分、あとの半分は赤騎士を揶揄うと面白いからです。あの連中はカミュー団長の御名を出せば途端に冷静を失う……あれは条件反射ですかな、団長も重々お気を付けになるが肝要かと」
え、と思わず固まるマイクロトフだ。
見開いた目が凝視したときにはメルヴィルは事務作業に戻っていた。その横顔には含むところは見られないが、何やら奥歯に引っ掛かるような物言いであった。
暫し頭を悩ませた上で彼は諦めた。
第一隊長を相手にしていると、カミューを思い出す。巧みな話術で韜晦することに長けた想い人、彼に似た人材は青騎士団では珍しい。
遠いところからポンポンと投げられる言葉に翻弄され、何時の間にか焦点を外されていることに気づいても、マイクロトフは部下を追求しようとは思わない。
本当に必要な言葉は真っ直ぐに伝えてくれる男と信じているから。
無理に聞き出すことは至難と分かっていたから───

 

 

 

「失礼致します」
暫し、ペンを走らせる音だけが響いていた室内に従者が顔を覗かせた。
「赤騎士団より伝令ですが、お通しして宜しいでしょうか?」
「ああ、構わない」
顔を上げてマイクロトフは答えた。窺うようにメルヴィルが視線を投げてくる。
「対戦手法が決まったようですな。さて、如何なる戦いになるか……」
次第に高揚してくる心地を隠せず、マイクロトフは入室した若き赤騎士隊長に満面の笑みを与えた。
「……お久しぶりです、マイクロトフ団長」
「ミゲル、おまえか。伝令の任、ご苦労。思わぬ成り行きだったが、此度の勝負、青騎士団を代表して心より歓迎するぞ」
はあ、と引き攣り気味に唇を上げて赤騎士団・第十隊長は執務机にまで進み出た。副長席から立ち上がって隣に並ぶメルヴィルを恐々と一瞥し、最後に諦めたように背を正す。
「……公正なる閣議の結果、勝負は一週間後、中央騎馬闘技場にて実施ということで御了承いただきます」
意外そうにメルヴィルは腕を組んだ。
「すると、やはり騎馬戦なのか?」
「い、いえ……」
「何だ、はっきりしないな。何であろうと構わん、青騎士団は謹んで勝負を受けるぞ」
ミゲルは額に滲んだ汗の冷たさを噛み締めながら懐より一枚の紙片を取り出した。
「すべての詳細はここに記してあります。その……、どうか沈着を失わず、大らかなお心でご覧ください」
らしくもない、何をそのように竦んでいるのだろう───そう首を捻ったマイクロトフは、若者がぷるぷると小刻みに震えながら差し出す紙片を受け取った。同様に第一隊長も鋭い眼差しを落とす。
束の間の沈黙の後、瞬くばかりの上官に代わってメルヴィルは低く読み上げた。
「───『綱引き』」

 

凍りつく空気の中で、三人は身じろぎもせずに対峙するばかりだった。

 

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大猪が率いる羊の群れには、
一頭の野犬が紛れておりましたとさ。

 

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