誇り在る闘争・11


早々と崖っ淵に立った青騎士団の気概は、まさに戦場の最前線に立つ戦士そのままだった。
綱を握った途端、自団の作戦参謀への怯えよりも、後がないという事実に向き合うことに成功したのだ。最初の戦いよりも遥かに闘気を剥き出しにする青騎士は、ただでさえ大柄で逞しい男が集まるだけに、やたらと暑苦しい。
そんな中、命じられた通り先頭の位置に着いた赤騎士隊長ミゲルは、唐突な配置換えの意味を悟って背筋を凍らせていた。
一本の綱、軽やかに揺れるリボンの向こうでこちらを見詰める青騎士団長───丸腰で、飢えた巨大猪と対峙しているも同然の心地である。
所属を越えて敬愛してやまぬ男ではあるが、さすがにこの位置に喜ぶ気にはなれない。ミゲルは恨めしげに最後尾に代わったアレンを振り返ったが、間に48人いるため、良く見えなかった。
「今度はおまえか、ミゲル。次は必ず勝つ」
不敵に宣言するマイクロトフに、縮こまりながらミゲルは引き攣り笑う。
「そ、そうはいきません。おれ……いや、おれたちだってカミュー団長のため、勝たねばなりません」
愛しい人の名が洩れた途端、マイクロトフは表情を険しくした。知らず、譫言のように呟いてしまう。
「檸檬の蜂蜜漬け、ジンギスカン……」
それが差し入れの内容であることに気付いたミゲルは、律儀にも追加を施した。
「薬と弁当もありましたが」
「………………」
戦慄く騎士団長の闘争への高揚を、背後の青騎士らは確実に受け止めた。
「斯くも羨ましき境遇に在った赤騎士に、辛酸を舐め続けた我ら青騎士が負ける道理などない!」
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだ我らの力を見るがいい、赤騎士!」
戦意も露に青騎士が叫べば、ミゲルの背後から赤騎士も叫び返す。
「辛酸ならば我らとて舐めた! 確かに……確かに、カミュー様のありがたくもお優しい御心遣いは頂戴した。疲れた身体にカミュー様の微笑み……部下として、これほどの幸福があるだろうか!」
「草原でのジンギスカン……カミュー様の御手で皿に肉を取り分けていただいたときに誓ったのだ! 死すともカミュー様の御期待に添う、それが我が騎士の誇り!」

 

「……何やら中央あたり、揉めておりますな」
ローウェルが眉を寄せた。
「斥候同士が戦闘に入ったような光景だね」
カミューが同意して嘆息すれば、最後にメルヴィルがボソリと言う。
「……赤騎士のはあれは幸せ自慢に見えますな」

 

青騎士たちはともかく、マイクロトフを煽らないでくれ───ミゲルは仲間に向けて心中叫んでいた。
綱を握る男の顔は着々と青ざめている。赤騎士が夢のような恩恵を披露するたびに、闘志の花が開いていくようだ。心から尊敬はしているけれど、あまり正面から向かい合いたい表情ではない。
出来る限り青騎士団長を見ないようにして、ミゲルは綱を握り締めた。騒然としていた騎士らも舌戦を停止して合図に備える。
放たれた矢に、今度は両軍共に殆ど同時に反応した。出鼻を挫く策を失した赤騎士団は、即座に恐ろしい力で青騎士団領内に引っ張られた。
「踏み止まれ!」
見物していた赤騎士らから檄が飛ぶ。
「そのまま一気に決めよ!」
青騎士も拳を振る。
カミューは馬上から固唾を飲んでいたが、どう足掻いても形勢不利な自軍に唇を震わせた。
マイクロトフから顔を背けるあまり、ふと、そんなカミューに目を遣ってしまったミゲルは、たちまち燃える情念に支配された。
最愛の騎士団長のため、そう奮い立ちながら視線を正面に向けた彼は、だが形相を変えているマイクロトフに激しく竦む。
───怖い。
これまで対峙してきたどんな敵よりも、青騎士団長の顔は怖かった。
戦いへの闘志、そして想い人の手厚い心遣いを受けられなかったことへの切なさ、そして──これを知るのは当人のみだが──対戦が決まってからというもの、拒み続けられた夜への恨み。
様々な感情が混濁するマイクロトフの表情は、言葉などでは形容し難い険しさだったのだ。
少なくとも、彼が目に入る位置にて綱を取る赤騎士たちの恐怖は同様だった。その怯みは、最初の劣勢を取り戻すのを妨害し、更には地に踏ん張る足を震わせる。
終了の矢が飛んだときには赤騎士の三分の一ほどまでが勢い余って転げていた。対戦成績を五分に戻した青騎士らは、互いを労って明るい声を掛け合う。
「まだまだ精進が足りんな、ミゲル」
紅潮した頬を歪めて笑うマイクロトフを、転げた地面から見上げたミゲルは泣き笑った。
仁王のような顔の青騎士団長と間近に対面する恐怖に対して───
「……どう精進しろと言うんです……」
───それは前方の赤騎士すべての心だった。

 

 

 

「ご感想は如何なものですかな?」
にんまりと先程のカミューの言をそのまま返したメルヴィルは、同時に向けられた二組の陰欝な視線に肩を竦める。
「参ったな……想像以上の力だ。賞賛に値するよ」
それでもカミューが真摯に賛美する。
ローウェルも重く頷いた。馬を寄せ、メルヴィルに聞こえぬように小声で囁く。
「特に、マイクロトフ様の配置が効いておりますな。口惜しいことですが、メルヴィルの戦略は巧みです」
「ミゲルは蛇に睨まれた蛙みたいだったね。若い彼では、あの威圧に負けてしまうだろう。どうしてアレンは場所を移ったのかな」
「……同じ理由だと思いますな」
やれやれと首を振りながら、ローウェルはメルヴィルを呼んだ。
「我々が策を与えることは違反か?」
「構いません、ご随意に」
愛想もなく言いさして、ふと彼は目を細めた。
「最初は綱引きなどと侮っていましたが……なかなか興味深い戦いですな。如何なものでしょう、カミュー団長。雌雄を決す最終戦、少しばかり趣を変えませんか?」
戸惑って瞬いたカミューは、にこやかな青騎士隊長の次の言に微かに眉を寄せた。
「古式に則り、時間で切らず───先頭の騎士から10名が完全に相手陣内に足を踏み入れたところで勝敗を決めるというのは?」
美しい琥珀を煌めかせながら提案の裏を探り、カミューは考え込んだ。
「赤騎士団の機動力が勝ればそちらの勝ち、我が青騎士団の力が勝ればこちらの勝ち……、そう悪い条件ではないと思われますが」
いや、とローウェルが心中で否定する。
これは青騎士団に有利な条件だ。第二戦の結果を見れば瞭然である。予め意識を払い、開始早々の先手に備えられては、力に劣る赤騎士団の勝利は難しい。機動力や瞬発力だけでは綱引きには勝てないだろう───そう鑑みた彼は、きつい口調で言った。
「生憎、公平な条件とは思えぬな」
おや、とメルヴィルは微笑んだ。
「此度の戦いに重要なのは何より結束だと、第十隊長の坊やは口にしておりましたが。どのような条件下にあろうと、団結して勝利に向かう……それが赤騎士団の信条なのでは?」
「どう理屈を捏ね回そうと、無駄だ。わざわざ敵の有利な条件を飲む軍が何処にある。我々は……」
「待て、ローウェル」
やんわりと遮ったカミューは輝く瞳でメルヴィルを見詰めた。
「提案を受けよう。だが、こちらからも条件を出させてもらうよ。この戦い、勝敗の行方がどうなろうと穏便な和解に持ち込みたい。まずはメルヴィル、おまえから赤騎士に礼を払ってくれるかい?」
青騎士隊長は束の間黙した。それから緩やかに唇を綻ばせる。
「……わたしだけ頭を下げるというのは些か納得出来かねますな。アレン殿も同様にしていただけるなら、お受けしましょう」
「承知した」
メルヴィルが自軍に伝令に向かうのを見送った後、カミューは小声で部下に囁く。
「確かに不利は不利だが、怖じて退くというのも屈辱だ。わたしが伝令ついでに少しばかり激励してくるから、おまえは勝つ手段を大急ぎで考えろ、ローウェル」
「カミュー様…………」
初めての綱引きに、日頃の沈着を揺らがされているらしい赤騎士団長。その思わぬ可憐に心温めつつ、無謀さにはやや脱力する第一隊長であった。

 

 

さて。
敗北した赤騎士団・選抜騎士の輪の中では指揮官と副官が言い争っていた。
「何をやっているのだ、ミゲル! あっさり引き摺られるとは……踏み止まらぬか!」
「アレン隊長こそ逃げましたね? 若輩の身であるおれを矢面に……マイクロトフ団長から逃げられたでしょう!」
「仕方なかろう、心底恐ろしかったのだ!」
「それは理解しますが、おれだって同じです!」
「図太いおまえならば耐えられようと……おまえを見込んで任を与えたのだ!」
「そんなことで見込まれても嬉しくありません。おれだって怖いものは怖い、次は代わっていただきます!」
情けない言い合いを、けれど止められるものはない。前方でミゲル同様の恐怖を味わった騎士は無論のこと、マイクロトフの顔が見えなかった後方の者も、漠然と想像して震えずにはいられなかったからだ。
それでも最終戦を前に仲違いはまずかろうと、騎士らが仲裁に己を奮い立たせたとき。
輪の外から甘い声が割り込んだ。
「内部分裂して敵を喜ばせるつもりかい?」
「カミュー様!」
一斉に礼を取る男たちの中からアレンとミゲルが申し訳なさそうに進み出る。
「申し訳ありませぬ、カミュー団長……無様な敗北をお目に掛けました」
そうだね、と苦笑したカミューはアレンを厳しく見詰める。
「おまえはこの部隊の指揮官だ、一団を代表して敵に圧力を掛けずしてどうする」
「は、はあ……」
「ミゲル、おまえもだよ。マイクロトフのような騎士を目指しているのだろう? 竦んでいては駄目じゃないか」
「……すみません」
一応は素直に詫びつつも、あの異様な怖さまでは目指していないと心中で付け加えずにはいられない。
「とにかく、最初の配置に戻るんだ。それと今一つ。最終戦は若干戦いの条件が変わることになった」
カミューは手短にメルヴィルが進言した手法を告げ、途端に困惑を深める男たちにすまなそうに苦笑する。
「わたしも少し熱くなっていた。苦しいのは承知の上だ、けれど……やってくれるね?」
美貌の赤騎士団長に柔らかく懇願されて否と言える部下などいない。一度は過った敗北への不安も、あっという間に四散した。
「この条件を飲む代わりに、わたしもメルヴィルに承諾させた。対戦後、勝敗の如何にかかわらず、彼は我々に心からの礼を払ってくれるそうだ」
一同は呆気に取られる。何処までも人を小馬鹿にしているような青騎士隊長が礼を取る───それは胸の透くような想像であった。
「ならば異存はありませぬ! この上は、勝って華を添えようではありませんか!」
快哉を叫んだ第二隊長に、だがカミューは冷静な目を向けた。
「……おまえも頭を下げるんだよ、アレン」
「はっ?」
「元は、おまえがメルヴィルの挑発に乗ったことから始まった戦いだ。彼が礼を取るなら、おまえも同様でなければ公正とは言えまい?」
呆然としたアレンは、取り縋るようにカミューに寄った。
「しかし、カミュー団長……」
「時間差だよ、アレン」
え、と瞬く部下に彼は朗らかに続けた。
「ほんの少しだけ遅れて詫びればいい。先に頭を下げるのはメルヴィル……それで良かろう?」
「な、なるほど」
至難かと思われた説得を斯くもあっさりと果たした自団長に感心しながら、赤騎士らは激励を贈った。
「頑張ってください、アレン隊長」
「メルヴィル殿が絡むとアレン隊長はやや自制を失われがち……、まかり間違っても先んじて詫びてしまわれませぬように」
「う、うむ。力を尽くす」
一応の落ち着きを見せた一同を眺め回し、カミューは微笑んだ。
「最初は戸惑ったものだが……綱引きという競技は意外と興奮するものだね。わたしも一緒に綱を握っているような気分になるよ」
「カミュー様……」
「何と畏れ多い……」
「先程の戦い、わたしも敵陣に引き摺り込まれたような気がした」
憂いを秘めた横顔に、赤騎士らはさっと顔を歪める。
「敵に蹂躙されるのは、とてもつらいことだ……」
匂い立つような魅惑。ついうっかりと、自団長が蹂躙される淫靡な光景を思い浮かべそうになりながら、誰からともなく声が上がる。
「……そうだ、我々はカミュー様と共に戦っているのだ」
「主君を敵に渡してはならぬ」
「カミュー様を青騎士団員の毒牙からお護りせねば!」
何処となく方向性を誤りながら、再び赤騎士団は一つになった。互いに肩を叩きながら激励し合う部下たちを、カミューは満足げに見守っている。
ふらりと間近に寄ったミゲルが、ヒソと囁いた。
「……これも団長の戦法の一つですか?」
深淵なる笑みを浮かべたまま赤騎士団長は艶然と応じた。
「取り敢えず、使えるものは何でも使う。それがわたしの勝利への信念だよ、ミゲル」

 

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いよいよ姑息っぽい戦いになってきました。
赤のお色気激励は何処まで通じるのか?
っつか、それでいいのか赤騎士団長。

*ためになる(とも思えない)綱引き講座・3*

綱引きの正式なチーム編成は、
監督・マネージャー・選手(8〜10名)になります。
マネージャーのお役目は、
ゲーム開始前、および終了後に
チームの世話をする

……だそうです。世話って、いったい……(笑)

 

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