変心の日・5


「……で、さ」
いつもよりも数段不機嫌を増した声が言う。
「何でここにぼくが居なくちゃならない訳?」
同盟軍屈指の魔術師の冷えた視線に曝された盟主ウィンは悄然と口を開いた。
「ルック……『ついていってあげてもいいよ』って言ったじゃないか」
「確かにね。でも、あんな連中と一緒だなんて言わなかったじゃないか」
少年はいっそう表情を硬くして前方を見遣る。凍れる眼差しに映っているのは、くされ縁の傭兵二名と青騎士団長である。見渡す限り広がる緑の平原を行く男たちの間では和やかな会話が繰り広げられていた。

 

「あー、いい天気だな。何処か適当なところで弁当でも食おうや」
「カミューを眠らせたのは名案だったな。でなけりゃ、おれは引き止められて一緒に来られなかった」
「今日は魔物の出現率が低いようですね。こんなことでは何時になったら変種と遭遇出来るのか……」
「もしアイフラワーが出ても、こっちが攻撃しなきゃ向かってこないしな。ちょっとした花見気分が味わえるかもしれないぜ」
「多少は毒の効力が薄れてきてるんじゃないか? でなきゃ、『自分を眠らせろ』なんて発想は出ないだろう」
「くそう、変種め……一刻も早くカミューを眠りから解き放ちたいというのに……」

 

───三者の会話が噛み合っていないのは、その出で立ちに拠るものが大きい。
出立前、医師ホウアンは花粉採取係を担う前衛三名の装備をあらためた。
男たちは花粉から目を護るために『ヒカリ攻撃』用のサングラス装着を図っていた。ただ、マイクロトフだけは変種を見分ける必要から漆黒のサングラスは使えない。これにはウィンが仲間の一人、ヴァンサン・ド・ブールから度の入っていない眼鏡──マイクロトフは『伊達眼鏡』という装飾品の存在を初めて知った──を借りてきて対応したのだ。
これで万全、そう胸を張った男たちだが、医師は嘆息しながら指摘した。
未知なる害毒は呼吸器官にも作用すると見受けられる。つまり、目を保護するだけでは足りない、と。眼鏡という品の構造上、どうしても生じてしまう隙間。そこから花粉は大量に入り込むだろう。そうなったら今度は三つ巴、四つ巴といった恋愛模様が繰り広げられることになるのだ、と。
その想像に鳥肌を立てた男たちには医師の助言を仰ぐしかなかった。斯くて、にっこり微笑んだホウアンによって新しい装備が施されたのだった。
まずはサングラスを掛け、その上下に隙間なく包帯を巻き付ける。それだけでは大怪我人と誤解されて周囲に衝撃を与えそうだという理由から、更に黒い布を巻いて覆面としたのである。
そうして仕上がった様相は、トゥーリバー市の地下水路に生息する魔物『シャドウ』を連想させるものであり、十分に奇怪で衝撃的だった。転移魔法を操る少女の前で合流した途端、ウィンは呆然とし、もう一人の同行者ルックは踵を返そうとしたほどだ。
おまけに、あまりにも厳重に覆われているものだから上手く口が動かず、言葉も濁りがちなため、少しでも距離を置くと何を言っているのか今一つ判別し難いという弊害まである。要するに、彼らは会話をしているようで、その実、個々に好き勝手なことを口にしているだけなのだ。
ルックは、どうだと言いたげにウィンを一瞥した。
「あんな連中と仲間だと思われたくないね、ぼくは」
「……でも」
心中、もっともだと言いたかったのだろう。盟主の少年は引き攣りながら説いた。
「変種の花粉を持ち帰らないとカミューさんが……カミューさんだけじゃない、マイクロトフさんもフリックさんも大変なんだ」
肉眼で変種を見分ける至難は当初から予期しているウィンである。魔物が特殊攻撃を出すか否か、それには先ずこちらから攻撃を仕掛けてみなければならない。
けれど、通常種のアイフラワーは防御能力に長けている。攻撃が躱され、逆にダメージを負う可能性が高い。変種に出会うまで、また、出会ったとしても特殊攻撃を出すまで、三人の花粉採取係は負傷を覚悟せねばならない。よって、回復役の存在が不可欠なのである。
同行を求める際に為された誠心誠意の説得は、冷淡な表情に隠された魔術師の友愛を擽った訳だが、持続させるには至らなかったようだ。
不意にルックは口調を改めた。
「時間の問題だと思うんだよね」
「どういうこと?」
「だからさ。カミューは混乱を広げないため、自分を眠らせるよう指示したんだろう? それって、理性が戻ってきている証拠じゃないか。変種なんて探さなくても、そのうちにステータス異常は消えると思うんだけど」
その意見はウィンの胸にも過ったものだった。そして、朝になって顔を合わせた三人の気合いたっぷりな様子に、そっと封印せざるを得なかった意見でもある。
「でも、完全な回復にどれくらい掛かるか分からないし……カミューさんが何日も寝たきりになったりしたら、赤騎士の人たちが黙っていないよ」
まあね、と魔術師の少年はうんざりと頷いた。
「あの連中に騒がれるのは真っ平という点では同意するけどさ」
それでも珍妙な同行者に目を向けるたびに悲嘆を覚えるのだろう。漸く口を閉ざしたものの、相変わらず陰欝を保ち続けるルックであった。
それにしても、とウィンは思う。
確かに今日は魔物の出現率が低い。これまで遭遇した数は未だ片手にも満たず、アイフラワーに至っては、変種どころか通常種の襲撃すらない。これは同盟軍の要人の中でも格別に運の悪い男──フリックである──が同行しているからではないだろうか。
束の間考えては、盟主に相応しからぬ自身の思考に嘆息せずにはいられないウィンだった。
「速やかに目的を果たしたいならフリックを連れて来ない方が良かったんじゃない?」
図らずも同じ思いに行き着いたらしいルックが、だがウィンとは異なり躊躇なく言葉にする。どうしたものかと少年が思いあぐねた刹那、ビクトールの濁声が響いた。
「よォ、思ったんだけどな。こうも魔物が出ないのはこいつが居る所為じゃねえか?」
口元の覆いをずらし、フリックを指しながらの発言は、本日初めて全員の耳に正しく伝わった。たちまち色を失ったフリックが、自らも防衛の出で立ちを解いて切り返す。
「おれが何だって?」
「こういう捜索には運の良さが必要だがよ、おめーが一人で運を下げてるんじゃねえかと思ってよ」
「な……」
───んて失礼なことを言う、そう続けようとしたフリックは、そこで口籠った。己の運の悪さを切ないほど痛感している男である。何も考えず同行してしまったが、確かに相棒の言に一理あると認めざるを得ない身が物悲しい。
「か、帰った方がいいのか?」
狼狽して言うものの、ルックが冷たく一蹴する。
「どうやって帰るつもり? 『瞬きの手鏡』を渡したら、こっちが帰るのに苦労するじゃないか」
「だよなあ」
ビクトールが嘆息して首を振る。
「折角目的を遂げたとしても、戻るのに時間が掛かっちゃ意味がない。邪魔にならんよう、フリックの奴が歩いて帰れば良いんじゃねえか?」
「じ、邪魔……」
無惨な一言に打ちのめされる傭兵を気の毒そうに眺めていたウィンが巡らせた視線の先には、ただ一人、話に加わろうともせずに一心に歩き続ける青騎士団長が居た。
一人ぽつねんと徒歩で帰還するフリックといった想像には哀憐を覚えなくもないが、諸々を鑑みるに、それが最善かもしれない───少年がそんな結論に達しかけたとき。
闊歩するマイクロトフの前方に、突如として巨大な花が現れた。
「出た! アイフラワーだ!」
ウィンの叫びと共に傭兵たちも注視する。それをルックが一喝した。
「何やってるのさ、装備!」
二人は愕然とした。会話のためとは言え、うっかり呼吸器用防具を外してしまったのに気付いたのだ。慌てて下げた布を引っ張り上げたが、当初のように完璧に顔を覆うことは出来ず、微妙な隙間が生じている。
「危ないうちは傍に寄らないで下さいね!」
彼らが必死に布と格闘する一方、ウィンはルックと共にマイクロトフに駆け寄った。ふらふらと踊っている巨大花を暫し睨んだ後、布に覆われた男の耳元に伸び上がってルックが問うた。
「どうなのさ、変種?」
「もう少し花弁が紅かったような……」
マイクロトフが心許なげにボソボソ呟けば、
「え、もっと青味がかってませんでしたっけ?」
ウィンが即座に異を唱える。
「……要するに、判別つかないってことだね?」
引き攣る魔術師を申し訳なさそうに一瞥したマイクロトフが愛剣を構え直した。
「これはもう、斬り掛かってみるしかありません。下がってください」
「そ、そうですね。それじゃ、マイクロトフさん……気をつけて」
ウィンに促されて離れようとしたルックだが、ふと目を見張る。立派な大剣を構える一方で、男は懐から紙製の袋を取り出したのだ。
「……あれ、何?」
小走りになりながら盟主の少年は答えた。
「何って……目指す変種なら、花粉を飛ばすんだよ。それを集めるのが今回のぼくらの目的じゃないか」
それはルックも分かっていた───否、分かっているつもりだった。
だが。

 

「や……やったぞ、マイクロトフ!」
見守る少年たちの更に後方、未だ布の扱いに四苦八苦していた傭兵たちの歓喜の叫び声。
上段に剣を翳し、勢い良く魔物を一閃したマイクロトフは、その出で立ちの珍妙を除けば実に雄々しかった。
アイフラワー独特の花弁による反撃ではなく、花粉の乱舞が返されたのも、これまでの不運を覆す幸いだったと言えよう。
だが、ルックは思う。
慌てて剣を捨てて両手で紙袋を掴み、飛び交う花粉を納めるために右へ左へと動き回る青騎士団長、並びに、背後で布の解けた木乃伊と化している傭兵たち。彼らと『仲間』の名で一括りにされる己を哀れに思っても決して罪ではない筈だ、と。
「一発目で変種、しかも特殊攻撃に当たるとはツイてるぜ。執念勝ちだな、マイクロトフ!」
「これまで歩いた場所が悪かったんだな、おれの所為じゃなかったんだな!」
肩を組んで喜び合うビクトールらを振り返り、ルックは呻く。そんな彼を盟主の力強い声が呼んだ。
「これで一安心だね。花粉も集まったみたいだし、ぼくがアイフラワーを燃やすから、ルックはマイクロトフさんに『癒しの風』を頼むよ」
「……怪我なんてしてないじゃないか」
呆然と返した魔術師にウィンは朗らかに言い放つ。
「花粉だらけだから。あれで傍に寄られたら危ないから、風で飛ばしちゃってよ」

 

魔術師ルック、新同盟軍の中でも比類なき魔力を誇る少年。そして彼の得意とする、攻撃と回復双方を司る神秘なる風の術。
双方共に、こんな使われ方をする日が来ようとは。
もはや力もなく、請われるまま詠唱を開始しながらも、再び彼は仄かな哀愁に包まれた。
「やっぱり嫌だ、こんな連中……」
任を成し遂げた充足感に顔を輝かせる男たちに、その小さな嘆きは届かなかった。

 

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文句は言うけど、実は仲間思いの働き者<ルック
ずっとそう思ってきたので、幻水3プレイ以降は
何となく登場させるのを躊躇うようになった。
が、久々に書いたらやっぱ好きだ……。
っつか、こんな扱いされてたらグレそうだけど。

 

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