変心の日・6


夕暮れの本拠地、風は北東からの微風。
医務室に花粉を撒き散らすという行為に断固とした拒否を示した医師を尊重し、一同は城の四階にある見晴らし台へと眠るカミューを運び入れた。
ここには何故か──何時の間にかと言った方が良いかもしれない──製作されたウィンの銅像なるものが安置されていて、滅多に人も訪れない。治療のためとは言え、危険な花粉を飛ばすにはもってこいの場所だった。
それでも、不意の侵入者に備えて通路を塞ぐ衝立を要すと進言したのはフリックだ。特殊攻撃によって不運な試練を味わった身にはもっともな懸念であった。が、その『衝立』として配備されたルックはいたく不満であるようで、花粉採取の任のときよりも表情の険しさは増していた。
「帰らせて貰うからね」
そう言って踵を返しかけるのに取り縋り、盟主ウィンが宥めに入る。
「そう言わないでさ。乗り掛かった舟だと思って……」
「ぼくは乗りたくなかったよ」
「でも、無事に解決するかどうか気になるだろう?」
核心を衝かれて足が止まるルックだ。確かに気にならないと言ったら嘘になる。見捨ててしまうのは容易いが、この連中に任せておいて良いのか、後で悔やむ羽目には陥らないか───そんな良心の奥底が微妙に揺れるのだ。
そこへビクトールが呑気な一撃を加えた。
「別に急いで戻らなくても、石版なんて誰も捕りゃしねーよ。それよか、おめーには大事な役目があるっての」
剣呑な瞳で向き直った少年は大柄な傭兵を睨み据えながら憮然と吐く。
「どうせ余分な花粉を風の魔法で飛ばせとか、そういうのだろう?」
「御名答」
木乃伊の装束を解いた男の口元が軽やかに笑んだ。
「確かにここはあんまし人が来ねえからカミューを元に戻すには都合が良いけどよ、裏を返せば上空から危ねえ花粉を散布するってことだろ? 下の住人が血迷ったらヤバいじゃねえか」
だったら初めから城の外で試せば良い、といった常識的な意見はルックの喉元で塞き止められた。この同盟軍に席を置く連中は好奇心旺盛、言い換えれば野次馬根性過多な人物揃いなのだ。
盟主をはじめとする面々が昏睡状態の赤騎士団長を城外に連れ出したりしようものなら、どんな騒ぎになるか。
取り敢えず、騎士らが大挙して追い掛けてくるのは想像に難くない。結果、繰り広げられかねない十重二十重の恋愛模様を過らせたルックは肩を落とすしかなかった。
一同が見遣る先には、銅像にもたれ掛けさせられて眠るカミューと、傍らに膝を折って見守るマイクロトフがいる。彼が木乃伊の扮装を続けているのは、花粉散布係を任ぜられているからだ。その様相の異様はさて置き、彼は想い人の本復を祈って悲壮な面持ちであった───ぐるぐる巻きの包帯のため、仲間たちには良く見えなかったが。
「カミュー……今すぐ元に戻してやるからな」
もぐもぐと口の中で呟き、愛しげに髪を撫でる。
思わぬ運命の悪戯によって伴侶に変心され、そして今、苦難の末に手に入れた治療法によって愛を取り戻そうとしている青騎士団長。
大筋では試練を乗り越えた恋人たちの大団円間近とも呼ぶべき構図なのだが、現在のマイクロトフの見てくれが見てくれなだけに、そうは見えない。花粉を納めた紙袋を大事そうに胸に抱き締める男を眺めているうちに、どうしても笑いが込み上げてしまう仲間たちである。堪え切れず吹き出し掛けた医師ホウアンが咳払いしながら場を仕切った。
「さ、さあ。それじゃマイクロトフさん、始めましょう。まずはカミューさんをお起こしして、花粉を浴びせてください」
「それでステータス異常は治ると思うが、念のため、おまえが一番最初に目に入る位置にいるんだぞ」
フリックが確認するような口調で補足する。そうすれば、たとえ異常が解消されずともカミューの想いが向かうのはマイクロトフだ。無事に元の鞘に納まる、という訳である。
ただ、木乃伊扮装のマイクロトフでなければ愛せなくなると問題だな、と思わなくもなかったフリックだが、発言は叶わなかった。思いを巡らせている間にマイクロトフがカミューの頬を叩き始めたからである。
「カミュー……起きてくれ、カミュー」
侵入路付近に固まった仲間たちが息を飲んで見守る中、屈強な騎士は優しく、ぺちぺちと白い頬を叩き続ける。
「起きろ、カミュー!」
「……『眠りの風』は直接攻撃で解消される筈なんだけどなあ」
独言気味に呟くウィンの横でビクトールも首を傾げている。
「寝起きが悪いって噂は聞いてるが、こういうときまで悪いもんかねえ」
「前に戦闘中に眠らされたときは、速やかに起きて攻撃復帰していたぞ?」
「アレではないですかねえ……眠りに入ったのが戦闘中でなかったから、緊張感に欠けていらっしゃる、とか」
ああでもない、こうでもないと悩む男たちを横目に、ルックはのろのろとロッドを上げた。施したのは回復魔法である。
「あ、そういう手もあったか」
苦笑した一同が再び目をやると、覚醒の成功を見届けたマイクロトフが安堵の溜め息を洩らしているところだった。
「カミュー、目が覚めたか」
「マイクロトフ……」
薄く目を開けた青年は、自らを覗き込む男の姿に一瞬身を退いた。が、青い軍装に視線を走らせて力を抜く。眠りに落ちる前の事情を思い出したような表情だった。
「そうか、わたしを元に戻すために……そんな妙な格好までして励んでくれたんだね」
「無論だ! おまえを救うためなら、おれは……おれは、おれは!!」
夜着姿の青年の手を握り、それから彼ははっとする。
「寒くはないか? すまない、気が回らなかった。おれの上着を着ると良い、風邪でも引いたら……」
「大丈夫だよ、そんなに柔ではない。知っているだろう?」
二人の遣り取りを微笑ましげに見詰める仲間のうち、唯一ルックだけが眉を寄せた。
「分かるな、カミュー。これから例の花粉を撒く。苦しいだろうが、耐えてくれ」
幼げに了承を示す青年の瞳に向けて、マイクロトフは更に続けた。
「おれが少し離れて待機している。おそらく異常は消えるだろうが、万一のため、最初に見るのは……」
「心得ているよ」
柔らかく微笑むカミューを食い入るように凝視する魔術師の少年の表情は、いっそう硬くなる。
「ねえ、ちょっと……」
躊躇いがちに傭兵の服を引っ張ったとき、マイクロトフが紙袋の封を開け、逆さに振った。
心積もりはしていただろうが、カミューは咽せ、思わずといった仕種で目を覆う。ビクトールが力強く檄を飛ばした。
「目を瞑るな、花粉を目に入れるんだ!」
「そ、そうは仰られても……」
激しく咳き込みながらカミューは呻く。苦しげな伴侶から僅かに距離を取ったマイクロトフは、自身こそが痛みを舐めているかのような顔つきだ。
「カミュー、耐えてくれ!」
おれたちの未来のために───そんな男の心の声に応じるが如く、彼必死に目を開けようと努めた。それはさながら泳げない子供が水中で目を開けるべく足掻くような有り様で、男たちの憐憫をそそる。
「い、痛っ……」
どうやら花粉の取り込みに成功したカミューは、両目を押さえたまま呼気を整えるために身を縮めた。
「……もう良さそうですね」
ホウアンの意見を聞いて、ウィンがルックに向き直る。
「じゃ、ルック。頼むよ」
「おう、塵も残さないくらい盛大に、思いっ切り吹っ飛ばすんだぞ」
城内に生じた問題を解決した爽快に笑みを浮かべる盟主、そして景気良く拳を振り上げる傭兵。
「お早くお願いしますよ、風向きが変わったらまずいですからね」
現在のところ風上に位置する自身らも危険と隣り合わせなのだと理性的に訴える医師。
彼らを一瞥した少年は、半ば自棄といった勢いで風の魔法を連発した。どれほど危険な花粉であろうと、これで本拠地周辺からは完全に飛び立っていったであろうという程の凄まじさであった。
「どうだろうな?」
慎重な目つきでフリックが窺う。彼らにも、そして彼らよりも近い位置にいるマイクロトフにも、銅像の脇にへたり込むカミューの変化は分からない。
「どんな感じですか、カミューさん?」
声を張ってホウアンが問うと、弱い声が応えた。
「……目が、痛みます……」
最初にステータス異常攻撃を受けたときと同じ状態のようだ。ということは、痛みさえ引けば異変は終わる。青雷の傭兵に恋焦がれ、あまつさえ夜這いさえ仕掛ける積極的な赤騎士団長は消えるのだ。
「やれやれ、だな」
しみじみとビクトールが呟いた。
「まあ……なんだ。ひょんなことから、あの二人が恋仲だと知っちまったが、そのあたりの偏見はなし、ってことで」
人道的な配慮にウィンも微笑む。
「勿論ですよ。実は前々から疑わしかったんですよね、寧ろスッキリしちゃいました」
「何でもいいさ。仲良くやって欲しいぜ、おれは……」
今回、一番の被害者の立場を割り振られたフリックが幾分独善的な意見を吐くものの、非難する者はない。
彼はこれまで、グリンヒルの少女ニナからの猛烈な求愛を然して苦もなく退けてきた。にも拘らず、今回の盟友による同種の要求を毅然と振り払えなかったのは、動揺が激しかったためか、それともカミューの色香が少女を上回っていたからなのか。フリック自身、微妙に悩めるところである。ともあれ、これで美貌の誘惑や青騎士団長の暑苦しい憂い顔から解放される喜びに、彼は心からの歓迎を隠さない。
次いでホウアンが眼鏡をずり上げながら締めた。
「実に興味深い異常でしたね。調べてみたいけれど、紙袋の底にでもに花粉が残っていると良いんですがねえ」
だがそこで、一同のほっとした笑顔から一人顔を背けるルックが低く切り出した。
「ねえ……誰も気付かなかった?」
「あ? 何がだ?」
───マイクロトフが頭部を覆った包帯を外し始めている。感動の一瞬を木乃伊のまま迎えたくないと考えたのだ。
「カミューがおかしくなったときの状態は話でしか聞いていないけど、さっき目が覚めたときの彼って、さ……」
───からくも刺激を克服したカミューが、目を押さえつつゆるゆると座り直した。銅像に背を預け、大きく息をついて力なく首を振る。何かに竦むかのように小さく瞬きを繰り返し、彼は顔を上げようとした───が。
美しい琥珀色の瞳が呼び掛けたマイクロトフに向かおうとした刹那、その視界を覆い尽くすように栗色の影が飛び込んだのである。
仲間たちも、通路を通らなかった突然の乱入者にぎくりとしたが、すぐに脱力した。胸元に激突した物体を、カミューは殆ど反射的に両手で抱え上げていた。端正な青年が愛くるしい小動物を抱く姿は、一同にとって和みを誘う光景であったのだ。
「ムッ?」
暖かな色合の毛並み、小さな体に翻る赤いマント。風に乗って大空を舞う、宿星の輪に繋がれた仲間のむささび。
「何だ何だ、ムクムクか。驚かすんじゃねえよ」
大仰に笑った傭兵同様、足を止めて息を詰めていたマイクロトフも苦笑を浮かべ、再度歩み寄ろうとしたのだが。
「ムクムク殿……」
何とも切なげな声音が一同を凍らせた。総勢の凝視が突き刺さる先、美貌の赤騎士団長はむささびの頬に自らの頬を押し当て、陶酔した調子で繰り返す。
「ああ、ムクムク殿……」
呆然とする男たちから目を逸らしたまま、ルックが不機嫌そうに解説を始めた。
「さっき目を覚ましたときのカミューは、いつもと変わらず見えた。ステータス異常は時間の経過と共に薄れていくのが普通だ。言っただろう? カミューの異常も解消されつつあるんじゃないか、って……何もしなくても、目覚めた時点で元に戻っていたんだよ」
「……ってことは、つまり……」
自失気味に唸るビクトールに少年は冷笑で応じた。
「そう。改めてステータス異常を発生させちゃったってことになるね。じゃあ、ぼくはこれで降りさせて貰うから」
すたすたと去っていくルックを誰も止められない。虚ろな眼差しで見送った後、男たちはまたしても阿鼻叫喚に陥った青騎士団長に視線を戻す。
「カミュー、やめろ! おまえが抱いているそれ……いや、ムクムク殿は、むささびだぞ? 人ですらないのだぞ!」
「見れば分かるさ、でも愛しくてたまらないんだ……」
しなやかな腕に抱き締められ、耳の付け根あたりにくちづけられているムクムクは、『ムム?』などと鳴きながら、おとなしく身を任している。首を傾げる様からして怪訝には思っているようだが、まんざら嫌な気分という訳でもなさそうだ。
「……どうする?」
フリックが小声で問う。ビクトールが天を仰いだ。
「まあ……時間が解決すると分かった訳だし、相手が相手だ、ヤバい進展があるとも思えねえし」
「そうですね、行為自体に無理があるでしょうからねえ。カミューさんの倫理観に期待致しましょう」
ホウアンが神妙な顔で同意する。ウィンが明るく宣言した。
「決まりですね。ここは自然治癒待ち、ってことで」
「……だな」
発言の一巡をもってフリックが締め括り、誠意を込めてマイクロトフに呼び掛けた。
「マイクロトフ、一日やそこらの辛抱だ。頑張れよ」
決して見捨てる訳ではない。
ただ、状況と労苦を量りに掛けて、最終的に放置が望ましいと判断されただけなのだ───そんなフリックの精一杯の慰撫も、もはや男の耳には届いていなかった。
円満解決を僅かな弾みで砕かれたマイクロトフは、既に一本、筋が切れてしまっていた。小動物相手に目を剥き、拳を振り上げ、追い払おうとする姿には騎士の誇りなど窺えない。
「ムクムク殿! 何故このような場所に、狙ったように飛んで来られたのか!」
「ムム?」
「おれがどれほどこの瞬間を待ち侘びていたか……酷いではないか!」
「ムクムク殿を苛めないでくれ」
「い、苛めている訳ではない、抗議だっ。それよりカミュー、ムクムク殿を離せ!」
「嫌だ、離れたくない」
「ムムー……」

 

三角関係の修羅場と化した見晴らし台を去り行く男たちの胸に、共通した意見が通り過ぎていった。
───こんな集団と死闘を演じねばならないハイランド王国は、少し気の毒かもしれない、と。

 

 

 

 

 

 

 

翌日。
何処へ行くにも胸にしっかとむささびを抱いた赤騎士団長に関する噂話が本拠地を席巻した。
上官の小動物愛玩趣味を知り得なかった部下たちは身を捩って不明を恥じた。愛玩対象であるムクムクへの羨望と嫉妬を覚える者もあったが、大多数には微笑ましい光景であると認められたようだ。
当のカミューも、異種間における恋愛を強行に押し進めるには至らなかった。これは二度目の汚染とあって、多少は花粉への耐性が身に付いていたかららしい。彼は、むささびを抱き締めて撫で回すだけで十分に幸福だった。
時折ムクムクが想いに応えるべきかと真剣に考え込んでいたのを知るのは、『ききみみの紋章』を装着して不測の事態に備えていたウィンのみである。
放置を決め込んだものの、成り行きが気になるのは、少年が城を護るつとめを担う盟主だからだ。決して野次馬根性ではなかった───と、後に彼は傭兵らに説明している。
ホウアンは紙袋に残った微量の花粉を調べ始めたが、半日もしないうちに分析を断念した。吸い込まぬよう、目に入らぬよう留意しながらの調査は困難を極めたからだ。
作業中、手伝いを申し出たトウタ少年に『可愛いですねえ』などと感じてしまったのが原因ではない。

 

 

───そしてマイクロトフは。
その日、ウィンから『瞬きの手鏡』を借り受け、一人グリンヒル周辺を彷徨った。
カミューから目を離す危険は重々承知していたが、そこはむささび、事に至る可能性は薄いといった希望的観測に縋り、再び変種アイフラワーの花粉採取に勤しんだのだ。
無論、そうそう運は味方しない。
夜になり、収穫もなく疲労困憊して帰還したマイクロトフは、恐る恐る訪ねた部屋でむささびと寄り添いながら眠るカミューの姿に胸を抉られた。
花粉の効力が消えるには、もう少し時間が掛かるようだ。それまで何としても気力を持たせねばならない。
寝台の傍らの床に腰を落とした不屈の青騎士団長は、いつ果てるとも知れぬ試練を道連れに浅い眠りについたのだった。

 

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漸く完結致しました。
いやもう、えらく間が空いちゃって、
ヘタしたら未完3号かと我ながら案じていましたが、
いざ書き始めたら一日でした(笑)

ま、更に次の日には円満解決するでしょう。
後は青の「酷いぞ」の愚痴付き寝台攻撃に
「やれやれ」と身を任す赤が残るのみ……。

 

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