「成程、事情は良く分かりました」
漸く傭兵の腰から引き剥がした赤騎士団長を丁寧に診察した医師ホウアンは手水を使ってから一同に向き直った。
「これは一種のステータス異常……魔物の毒による弊害です」
「ステータス異常?」
丁度軍師の許から戻って同席を果たした盟主ウィンが小首を傾げる。
「あの魔物は特殊攻撃を持たない筈なんですけど……」
一行が襲われたのは『アイフラワー』と呼ばれる一種である。男たちが真剣な表情で考え込んだ。
「けどよ、花粉攻撃自体も初耳だしな。変種か何かだったって訳か?」
「おそらく」
ホウアンは重々しく頷いて患者に視線を移した。
診察を受けさせるためには多大な説得が要った。フリックを拘束した青年は、既に医師の知る沈着で思慮深い騎士団長ではなかったからだ。
何が何でも離れないと訴えるカミューを宥め賺すのに成功したのはウィンである。主君への忠誠はかろうじて残存しているのか、『診察する間だけですから』との少年の声にカミューは不承不承といった面持ちで従った。
但し、ただ諾として受け入れた訳ではない。
現在カミューの手は傭兵の手をしっかと握り締めている。二十代も後半の男性が、仲良く──フリックは泣く泣く──手を繋いでいる様はどうあっても異様だ。
更に、その脇で青筋を立てている青騎士団長という付属品も付いている。堪えようにも堪え切れず、次第に肩が震えてしまうホウアンであった。
「いったいどういう異常なんだ、こりゃ?」
深刻な調子で腕を組んだビクトールを横目に、彼はひっそりと微笑む。
「ほら、御伽噺などに良くあるじゃありませんか。『最初に目にした相手に恋焦がれる』といった話……あれですよ」
「そんなケッタイなステータス異常があるかよ!」
「ないと仰いますか、あれを見て」
仲間たちが自らの異変について論じているのもお構いなしに、カミューの潤んだ瞳は隣に座る傭兵だけを見詰めている。その上、隙あらば寄り添おうと椅子をガタつかせるものだから騒々しい。
「花粉攻撃で目が開かなくなったのは体内に毒が回るための準備時間のようなもの……、十分に汚染された後、最初に視界に入ったフリックさんに御心を奪われてしまったのですよ。思考も若干麻痺しておられるようですね。あの通り、慎みを失っておられるあたりを拝見しても、まず間違いないでしょう」
そこでビクトールが大仰な溜め息を零しながらマイクロトフを見遣った。
「……だから言わんこっちゃない。壁なんぞに懐いてねェで最初っからおまえがカミューにピッタリくっついていれば丸く納まったのによ」
「すると、傍にいたばっかりにおれはカミューに見染められちまったのか……」
唸りながらカミューに目を向けたフリックだが、やけに悲しげな視線に気付いて慌てて首を振ってしまう。
「あ、いや、心配したのは事実だぞ? 別にその点を悔いている訳ではないんだけどな」
「フリック殿───」
善意の傭兵は無意識に赤騎士団長の恋心を煽っているようだ。再びビクトールが嘆息する横でマイクロトフが拳を戦慄かせた。
「……ということはつまり、あれはすべて魔物の毒の為せる行為……、カミューが真実本心から心変わりした訳ではないのですね?」
「心変わり?」
そこで医師は真ん丸く目を見開き、満面の笑みを浮かべて掌を打った。
「おやまあ、常々怪しいとは思っていましたが……やはり!
そうなのですね、マイクロトフさんとカミューさんは言い交わした仲であった、と」
やけに嬉しそうな様子に眉を顰つつ、ビクトールが口を挟む。
「そっちはどうでもいいだろうが。個人の問題だ、詮索するなよ」
「ええ、ええ、勿論ですとも」
鷹揚に頷く医師は、だが飽く迄も満悦そのものの様相だった。
一応は被害者の一人であると認めたのか、先程よりもフリックに向かうマイクロトフの視線は和らいでいた。が、カミューが繋いだ傭兵の手を己の頬にあてがうと同時に、再び剣呑とした気配が彼を包んだ。慌てて乗り出すウィンである。
「マイクロトフさん、これは魔物による被害です。カミューさんの意思でもないし、ましてフリックさんの所為じゃないんですから……」
───若い身空で男同士の痴情のもつれに関わらねばならないのは何の因果なのか。
そんな哀愁を欠片も見せぬ、少年は立派な盟主であった。
たちまちマイクロトフは消沈して項垂れる。
「……分かっています。フリック殿がカミューを誑かした訳ではない、フリック殿は悪くない、恨んではならない……」
さながら念仏のような独言。早期解決に至らねば我が身が危ない、そう痛感した傭兵の声は悲痛だった。
「それで、どうしたらカミューは元に戻るんだ? 回復魔法は掛けたんだよな?」
「はい。でも……あのときも目の痛みは取れなかったし、異常が続いているなら……」
「魔法は効かないってことか。回復薬はないのか?」
「有る訳ないでしょう、変種なんですから」
ホウアンはふうと首を振って椅子に座り直した。
「なかなか興味深いステータス異常ですからね、出来ればゆっくりと研究してみたい気がしますが……」
「ゆっくりしてないで、早いところ助けてくれ!」
赤騎士団長の形良い唇を手の甲に押し当てられたフリックは必死であった。熱っぽい魅惑の瞳、そして嫉妬に煮えくり返る瞳に凝視され続け、もはや卒倒しそうな顔色だ。
蒼白の様を見た医師も、そこでやっと愉快の色を消した。
「回復魔法が効かない以上、手段は一つです。もう一度、同じ特殊攻撃を受けるしかありません」
それにはウィンが複雑な表情で首を傾げる。
「でも、焼いちゃったんですよね。同じ変種が見つかるかどうか……」
「見つけます!」
間髪入れずにマイクロトフが叫んだ。拳を振り上げ、虚空に描いた忌むべき敵を睨み据え、その合間にちらとカミューを窺いながら搾り出す。
「何があろうと、たとえデュナン中を巡り歩いてでも……カミューのため、我が騎士の誇りに懸けて!」
「そして御自分のためにも、……ですね?」
袖で口元を押さえ、くすくすと笑みを零す医師に怖気をそそられたのか、傭兵らは『こいつを信じていいのだろうか』とでも言いたげな顔つきであった。
「と、とにかく。乗り掛かった船だ、協力する。なぁに、おれたちゃ運がいいんだ。死ぬ気で探せば何とかなるだろう」
何ら根拠のない、けれど今の一同には救いともなる強気の発言でビクトールが笑む一方、再びウィンが不安げに指摘する。
「特殊攻撃を受けさせるにしても、今のカミューさんは戦闘に連れて行けないんじゃないでしょうか」
相変わらず一途にフリックだけを見詰めている青年を一瞥し、同意せざるを得ない一同だ。
「───駄目だな」
「ええ、置いて行かれた方が無難ですね」
ひっそりと嘆息したホウアンは励ますように男たちを見回した。
「要は、異常の源である花粉を持ち帰ってカミューさんに浴びさせれば良いのです。捜索に出られる方々は、目と呼吸器を念入りに防護して花粉収集に当たってください」
その光景を想像し、何となく間抜けな姿に思えなくもない男たちだが、これも仲間──そして恋人──のためと割り切ることにした。
暮れた窓の外を見ながらウィンが締める。
「それじゃ、個々に装備を整えて明日の朝一番に発ちましょう」
「しかし、ウィン殿……」
他の男に魂を奪われてしまった赤騎士団長に焦りが募るらしい。マイクロトフが不満気に眉を寄せたが、そこは少年に一蹴された。
「変種を見たのはぼくとマイクロトフさんだけです。普通のアイフラワーとの微妙な違いを見分けなくちゃならないし、明るくならないと無理ですよ」
「そ、そうか……そうでした」
逸りを恥じたのか、項垂れる男にフリックが精一杯の檄を贈った。
「大丈夫だ、きっと見つかるさ。カミューも元に戻る」
誠意溢れる激励に、いつものように親愛の眼差しを返そうとしたマイクロトフであるが、その視界に変心著しい伴侶を見た途端、頬が引き攣る。
「……そう、です、ね───」
理不尽な恨みを押し殺し、必死に微笑もうと試みているらしい青騎士団長の強張った顔。
そして、肩にもたれ掛かって耳朶に熱い吐息を吹きつけ、指先で太腿を突いてくる赤騎士団長の淫靡な視線。
青雷の傭兵は、今まさに己の運値の低さを噛み締めていた。
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